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 =家訓としての戦略=
つねに長期的視点に立ち、求めることを一つに絞りこみ、全精力を集中して、競争相手を定めて、先手を打つこと 夢を持ち、 
明るく、質素に、ものごとの本質をみつめ、他人に良かれと思い、 日々を一歩一歩踏みしめて 生きること!
「変化・挑戦・戦い」の絶え間ない繰り返しこそ、活きることである。つねに新鮮な気持ちを持って 日々生きること。
   一流の人物を見つけ、その習慣を学ぶこと  
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 こんなものだが、自戒の言葉でもある。 (^┰^;)ゞ
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2004年12月04日(土)
 1341, 岩にスジをみつけよ
20代に、読んだ本の中に、「どんな岩でも、必ずスジがある。そのスジさえ見つけノミを入れれば簡単に割れる。
岩は中味が均等には詰まってはない。地球の力によって貼りあわされた合成物にすぎない。その接着の後が残って
スジになっている。それさえ見つけ、そこにミノさえ入れれば簡単に割れる。」たしか、松永安左衛門の言葉だった。
最近は、この人のことは話題にはならなくなったが。それを読んでから、常にこの言葉が座右の言葉になった。
それでは、それを実行してきたかというと何もいえない。どういう訳かハンマーで岩を割ろうとして、スジさがしはしない。
ハンマーで割ることが素晴らしいと思い込んでいるのだ。その為か、割れやすい部分さえ探そうとしない。
他人事ではない、自分のことである。プロは、そのスジを経験から直ぐ見つけ出す人である。
これも長年の経験が必要である。ふとこの文章を書いていて、「自分の中にスジを見つけよ」という言葉が浮かんだ。
自分の中のスジとは何だろう?習慣化、マイ・ゴッド、それとも口癖の言葉?
そういえば、習い事で「貴方はスジがよい」というが。才能ということか。 スジの意味が違うか。
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2003年12月04日(木)
974, 「黒い十人の女 」ー映画日記
 ー字数の関係でカット(2007年12月04日)
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2002年12月04日(水)
 600, カットスロープ
ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。 立地やプライスラインで おこなわれる。立地で解りやすいのが、
先日新潟駅前にオープンした東横インだ。税込み6500円ラインを駅直通の再開発ビルのテナントでぶつけてきた。
咽喉仏を掻っ切られるのが、そのプライスラインのワシントン、アルファーワン、東急イン、第一ホテルである。
10〜20?の売り上げダウンになる事は必定だ。そうでもないのに20〜30?ダウンしているのに。
当方のプライスラインは70?以下の為、軽微である。値引き期間の今月は1割はダウンするだろうが。
当分は東横インの一人がちだろう。新潟の宿泊は東横インのミドルプライスと当社のロープライスと分け合うカタチで
集約されていくだろう。新潟駅前の十数の小型のビジネスホテルとビジネス旅館は当社とターミナルホテルのカットスロープで
消滅した。市内の旅館も7〜8割も消滅した。丁度開業の時に考えたのが以下のコンセプトである。
 相手の心臓を  ?するどい  ?ナイフで 下より  ?つきあげる ?捨身で!
( =相手の主力商品、?=プライスのしぼりこみ、?=当方の主力商品、=低プライスで、?=重点集中主義 ?=業態の明確化)
これを元に今の事業を立上げ続けてきた。カットスロープに似ている。
弱肉強食の世界がますます露現してきている。事業は全てをかけたビジネスゲームである。
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忘れられない言葉   「2001/12/04 08:21 」
ー青年期の言葉
1、ベートーベンの
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐ええることを証明したいと思う」ーロマン・ローラン
 これが学生時代の私の一番好きだった言葉である。これにこだわりすぎた部分もあった為、行動を制限されたが。
「苦境を突き抜けて歓喜に」ーこれもおなじべトーベンの言葉だ。
2、ソルジェニーツィン
「人生小説でないと思います。弱者は悪、強者が善です、強くあってください。
 いや強くあらねばなりません。良くあるためにも強くなくてはならないのです!」
  ーこれは25歳の頃やはり社会で強さが求められたためか。
3、「そうだ。人生に期待するには間違っているのだ。人生の方が、私たちに期待しているのだ!」
 人生の問いのコペルニクス的転換。 未来には貴方に生み出される何かが待っている。
 人生が貴方に見出される事を期待しているのだ。 フランクルは、人生に何も見出せなくので自殺するつもりだった
 二人の囚人を説得し、生きる意志を起こさせている。事実一人の男性には、深い愛情をよせている一人の息子がおり、
 外国で彼の帰還を待っていた。もう一人は、科学者として本のシリーズを書いていたが、まだ途中で完結が待たれていた。
 ーこれは15年前に「夜と霧」に出てきた内容。自分が死んで葬式の額の写真の目から視点を全く変えてみたのと類似している。
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12月4日ー1968年
・11時に起床。
 中間試験の勉強だ。 ところで昨日の件で、今になって怒りが押し寄せる。「何なんだ!」という感情がくる。 
といって考えてみたら何でもない事だ。パーテーの日が変った事で、一つのチャンスが消えただけでしかない。
それだけで自分が情けなくなってきたのがオカシイ。 大体あれもこれもというのが悪い。凄い美人でなくては何とも無いことだが、
その辺が問題だったのだ。この辺さえ受け止められないのが、今の自分でしかない。この先に、自分で事業を立ち上げるのが
今の自分の目指すことだ。22時から23時半まで市川さんと飲む。昨日のことを愚痴っていたら、自分なりに冷静になれた。
一日半の揺れで終わりだから、傷は浅かったが。かすり傷が最近多い。今の自分は卒業に向けて最後の締めを決めなくてはならない。
その後、明方の4時まで勉強に集中できた。 毎日が嵐の中だ。小さなコップでしかないが。