庭の話 -

 

「 脳と日本人 ー3 」
   * 庭の話 
            P−116  ー枯山水認知科学
≪ 伝統的な庭園を日本と西洋とでは、どう違うのかというと、日本庭園の始まりのひとつは京都の禅宗寺院の庭園。
その一つに竜安寺の石庭がある。 逆に幾何学パターンの伝統的西洋庭園の違いがある。
 日本の伝統的庭園素材の代表は石である。何百年も庭の存在を維持する石である。
石そのものが伝統的日本庭園の中心で、植物は、あくまでも脇役。しかし西洋庭園は植物、とくに花が中心で、石は具えもの。
 日本は庭をみて作庭者の心を読んで、無心に庭の心を読み、無心に己を見つめるためにある。
それに対して西洋の庭は花そのものを楽しむためのものであった。 日本は植生が豊富で、建物も木。
その対比として石を主役にし、植物は第二にする。 西洋は石材の建物のため、植物をメインにしている。
 日本の平安時代頃の建物は、家の空間が庭と一体となるように考えられており、部屋で座って庭を眺めるようになっている。
日本は家と庭とが同一空間の中の中にある。それで家庭という名になるのである。 
それに対して、西洋では石の家の上から見下ろすつくりになる。
 ところで中世から日本の作庭は、「石の乞わんに従え」といって、石が「ここに置いてくれ」といういう声を
出しているのを聞いて配列を考えると禅坊主から庭師に職かえをした人が「作庭記」に書いている。
石の形を生かそうとする考えが基本にある。それに対して、西洋の基本は、石を切り刻んで形に入れようとする。
その根本的な違いが両者にある。その違いを西欧人は日本に来て直ぐに見抜くのである。≫
 〜
 父が私の現在の年齢の時、昭和38年から39年にかけての高度成長期に入った頃に、終の住処として(現に私が住んでいる)
自宅をつくった。 それから数年にかけて庭造りに集中していた。 学生時代に帰省をすると、親しい庭園会社の社長と
嬉しそうな顔で、全国から集めた石で庭造りをしていた。 私も還暦を過ぎた頃から、この庭の奥行きの深さに気づきだした。 
それまでは、海外の秘境・異郷の自然に魅せられて足元が見えてなかったのである。家に庭の組み合わせの妙がある。 
この数年間は、早朝のウォーキングから帰ってくると、必ず庭の中を歩いている。 年中、両親の植えた木や花が
処を変えて咲いている。 父親の精魂込めて集めた石や木の石庭の魂に気づくようになったのだろう。
海外や国内の庭を見続けて、ある分水嶺まで達したこともある。 
50坪ほどで、さほど大きくはないが、幽玄な世界が感じられる庭である。
石、草木、それを創った人の魂が漂っている、それが庭である。 

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2772, アメリカの人種比率は?
2008年11月06日(木)

黒人の大統領が当選したが、アメリカの白人、黒人、モンゴロイドの人種比率をネットで調べてみた。
 ーー
2005年の人口統計によると、
・白人(ヨーロッパ系、北アフリカ系、中東系、中央アジア系、ラテン系) 74.7%(2億1530万人)
・サハラ以南のアフリカ系(黒人)                   12.1%(3490万人)
・アジア系(東アジア、東南アジア、南アジア系)            4.3%(1250万人)
アメリカン・インディアン                      0.8%(240万人)
・太平洋地域の先住民系                        0.1%(40万人)
・2つ以上の人種を祖先とする国民                    1.9%(560万人)
・その他                                6%(1730万人)
ー以上だがー、
四人に三人が白人、九人に一人が黒人。二十二人に一人がモンゴロイド、五十人に一人がハーフ。ということになる。
五人に一人位と思っていたが、以外に黒人が少ないのに驚いた。赤色のアラブ系も白人に分類しているので、かなり
大雑把ではあるが。今回の選挙で白人の半分近くまで黒人のオバマを支持し、黒人の98%がオバマの支持というから、
マケインが勝てるわけがない。選挙前日のアメリカのABC局の五人の評論家全てがオバマの絶対的な勝利を予測していた。
決め手は、九月半ばから始った金融恐慌である。それを引き起こしたネオコン政権への否定は当然といえば当然である。
オバマも、肌は黒いが中身は白である。 そんな果物があった。 ハワイの日本人はバナナというが。
欧州の食詰めた白人がアメリカ大陸で一旗あげようと夢を持ってきた人たちの国、だから色いろな人たちが
寄り添い必死に生きているのがアメリカ。そして人種のルツボの国。だから人種だけでなく、あらゆる場面で
差別が付きまとう国である。 それにしても微妙な時期に微妙な人種を大統領に選んだものである。
アメリカが中東の力を抜くと、イラン、イラク、そしてイスラエル、アラブ圏が再び不安定になる。

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2007年11月06日(火)
2408, 久世塾 −2
               (*´・ω・)ノはよー   読書日記
 ー本当の不幸な人とは−
 印象的な人ー講師の話を抜粋しながら、この本の要点を書いてみよう。
 まずは、内館牧子の「本当に不幸な女」には驚いてしまった。
 4人の姉がいたことと、女の職場にいたので、色いろの女性の時々の多くの生き様を見ることができた。 
 特に結婚や恋愛の姿をみていると、心の中が手に取るように見えることがある。
 100%満足をして結婚する女性は皆無に近い?当然のことながら、妥協か成り行きである。
 そして最期は、諦めになっていくのは、キュープラー・ロスの本にあった末期ガンを宣言されて、その受容に
 落着くまでの患者の諦念への過程に似ている。最期の最期まで白馬の王子様を待っているが、そんな人は
 現れるわけがない。   結婚詐欺師は、その心に付け込み理想的物語の世界に誘うのである。
   それはそれでよいが、シナリオライターの眼は、もっと深いところをみているのである。
 ーまずはその部分を抜粋してみよう!ー
私は悪いことでも、つらいことでも、苦しいことでも、あった方か幸せだと思っています。
テレビは反響がすごいからそういうことをドラマで書くと、「内館さんはテレビの中で、『悪いことでもあった方が幸せだ』
と言わせているけれども冗談じゃない。私のように悪いことだらけの人はどうしてくれるのだ」という手紙がすぐに来ます(笑)。
でも、一番つらいのは、いいこともなければ悪いこともない人間なのです。 私自身、自分はずっとオール3の人間で、オール3の
暮らしをずっとやってきたという思いがありました。周辺も全部いいこともなければ悪いこともない人たちの集まりだったのです。
ですから、その中で彼ら彼女たちがどうやって生きていくかということが、私のドラマのべースになっています。
今NHKのテレビ小説で「私の青空」というのを書いていますが、未婚で子どもを産むという女の話です。
未婚の母というのは、もしかしたらいいことでないかもしれない。実家の親には怒られるわ、世の中は生きにくいわ、大変。
だけども、未婚の母になることさえできないで、恋人もいないで、セックスもできないで、という女たちがいっぱいいるわけです。 
その人たちの方がもっとつらい。よく「男にだまされて貢いで捨てられて…」みたいなことを書いた手紙が来て、
ドラマにして下さいと言われるのですが、ほとんど興味がわきません。というのは、「男に貢いで捨てられて妊娠して、
その子どもが死産で……」っていうすごい事故みたいなことがあったとき、それは逆に男運がいいということです。
そういう男と出会うことはめったにない。 それを男運が悪いと言っていじけているのはむしろ陶酔なのです。
私は、そうでなくて本当に男運の悪い女たちをいっぱい見てきているわけです。それは何かというと、男がいないのです。 
全然いない。 好きも嫌いもない。通り過ぎることさえない(笑)。 おそらく世の中の人たちが考えているよりも、
恋人や恋愛というものが実生活の中にない若い人たち、二十代、三十代が結構いるのではないかという気がします。
現実にずいぶん見てきました。 だから、例えばふられて泣くなどというのは恵まれた話なのです。
「つらいことでもあった方がいいよな」というのは、そういうことです。
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  この文章を読むまで、ドラマとは、男に捨てられた立場の女を描くものと思っていた。

    • 以下は字数の関係でカット(2008年11月06日)

              ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю  
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2006年11月06日(月)
2043, 「私」のための現代思想  −17
               才八∋ウ_〆(∀`●)
  ーこの本の‘まとめ’になるー
   今年は「面白い本」の当たり年であった。この本は「面白い」という面で、ベスト3に入る本である。
                                    ( ̄∇ ̄ |||  
   私たちは考えごとをする時に、略しているかどうかは別として、《私》という言葉を常に使っている。
   意識しないのを含めれば一日数百、いや数千回は使っている。そして、取巻いている世界からは、他人の《私》の
  「超越確実言明」を聞く。人間関係の軋轢の中で都合よく自分勝手な理屈をつくり上げ、
   その歪みに全く気づかないのが人間。さらに悪いことには他人の歪みには敏感に気づくときているから始末が悪い。
   近代哲学などで多く「私」について扱われてきたが「<私>について何か解りやすい理論がないものか?」と考えていた矢先に、
   この書に出会った。「他者」と「他人」の違い}も解りやすい。「他人の知らない部分を他者」と思っていた。
   自分自身の知らない一面をみてもゾッとすることが度々あるから、自分の中にも他者がいることになる。
   ユングの「意味ある偶然の一途」の経験など、まさに未知なる自己である。
  「自分の物語」の中で他者を勝手な配役に振り分け、俺様は主役。主役の俺様にとって、他者へ役割が「他人」になる。
   自分の人生劇場の登場人物として都合の良い役割を決めつけてしまうのだ。
   その都合よい物語の中で他者を端役として位置づけ、都合の悪い相手は悪役にしたて、
   都合に良い相手は善役にする。自意識過剰な軽い女子学生が唯我独尊の独り芝居をしている「あれ」である。
   数年前に亡くなってしまった同級生が、チンドン屋のような独演をいていたが。
   まあ、人生は全ての人が多かれ少なかれ、同じようなものだろうが。U(^(ェ)^)U
   自分のことさえよく解らないのに、他者のことなど解るはずがない。
   他人は、自分の妄想でしかないことを自覚すべきである。 他者不可知論も肯ける。
   いずれにしても、我われは露出しないにしても、何らかのカタチで、《私》と<他者>の軋轢の中で生きて
   いかなくてはならない。<私>の核の《私》が他者の積み重ねの中から出来ているという指摘には驚いた。
   考えてみれば、そうなのかもしれない。簡単に言えばー「私」を認める者の存在ーを通して《私》になる。
   その一番最初は、普通は母である。 初めの他者が母である。
  「《私》と、その<世界>は腐っていく」というのも、戸惑ったが、実際周辺をみていると解る。
   多選の県知事汚職が、そのよい事例になる。 w(☆o◎)w 県知事も、その周辺も腐っていくのが当然である。
   こと自分自身について考えると、あまりにも辛辣に聞こえてくるが・・・
   気が付くかつかないの差である!身体も、《私》も日々腐っていくのである。柿の実と同じである。        
        ( ゜o゜)ハッ  まあ、まあ、まあ、コーヒーいかが? (*^ー^)/C□~~ 
                                     おわり!   バイバイ!
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2005年11月06日(日)
1678, 読書について

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく」
ショウペンハウエル(1788‐1860)の寸言である。 読書には、プラスもマイナスもある。
自分自身で世界を観察し、考え、そこに不変の法則をみつけることこそが重要である。
自分で見つけた知識だけが自分のものになり、初めて世界は部分的としても理解される。
人生を振り返ってみて、「自分とは、過去の行蔵の総量である」と実感する。
だから、その蔵の中には良いものにしておかなくてはならない。「言葉によって表現されていることを直感的に理解するには、
その表現されていることを既に知覚していなければならない」。いや、そのベースの上に書き加えられるという方が正しい。
カントではないが、盲人には『空は青い』は理解できない。視覚という機能があってはじめて空を知覚できる。
自分で体験しないことにはよくわからない(経験主義)。また人間の理解は、その脳機能の範囲を出ることができない。
思考も言葉で考えを表現して見せたところで、それを考えたことのない人間には通じない。
考えを伝達するのは、その考えを知っている人間に対してはその考えを想起させ、
知らない人間に対してはそれを考えるきっかけを与えるに過ぎないのである。
読書についてショウペンハウエルは、読書についての中で「読書は、言ってみれば、自分の頭でなく、
他人の頭で考えることである。絶えず読書を続けていけば、仮借することなく他人の思想が我われの頭脳に
流れ込んでくる。」 また「読書は思索の代用品にすぎない」と言っている。
しかし読書も、その行蔵のお宝のコーナーの重要な位置づけになる。
考えるということは、言葉によって初めて可能になる。その言葉と、見方、考え方、思考法を学ぶのは読書が中心になる。
異質の人との議論といる方法もあるが、範囲が狭まれてしまう。 それにしても、読書をしない人が多い。
問題は、読書をしない人は、読書の効用をほとんど理解できないことだ。
書物には、活字の奥に無限の空間がある。そこには、未知という名の圧縮された世界が存在する。星座の世界に例えると、
宇宙の星座と違い、書物の世界の中にある星座はたやすく得ることができ、人間形成に大きな役目を果たす。
教養とは、自由を獲得するためー生まれた時から縛られてきた先入観からの開放に必要な知識、経験である。 
その一番身近なのが読書である。 それにしても、教養が無い自分に今さら唖然とする。知らないことが、
知らなかったことがあまりにも多い。 人生の次の最大のテーマは、全く経験しなかった分野に目を向けること、
[未知への道を歩き続ける]ことである。

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2004年11月06日(土)
1313, まさか、地元で大地震!ー10
 ー経済に与える影響は

この地震による家財などの破損などで一般消費は目先は家具や家電などは売れるだろう。
しかし一般的には災害地以外も含めて大打撃になると予測される。
被害の殆どない新潟市でも飲食店、ホテル、タクシーに大きく影響が出始めている。
新潟ではタクシーは一晩に一組の客が取れかどうかという。飲食店でも学校、企業関係の宴会が殆んど
キャンセルされている。 新潟駅前など、新幹線と関越自動車道の不通で、普段の賑わいの半分以下である。
それでなくとも数年来、駅周辺も人出が減っていた。
この一ヶ月で、個人飲食店の閉店が目立ち始めてきた。新潟の事務所の100m以内で、三店も閉鎖した。
長岡だけでなく、新潟もこの冬で多くの飲食店が閉鎖されるだろう。
当社の長期滞在型アパートメントで、フロアー貸しをしている自動車教習所の話しによると、
東京からの「宿泊の教習生」が、殆んどいなくなった。あらゆる分野で影響が出始めてきた。
反面、長岡ではホテルとタクシーは目先特需という。長岡駅裏のタクシーの待合に一台しか止まってなかったし、
ホテルは今月半ばまで全て満室状態という。 それも長くは続かないだろうが。
JRの在来線と新幹線と、関越自動車道がストップしているのだから、如何にもならない。
昨夜、長岡の殿町の飲食街に飲みに行ってきた。いずこも殆ど客が入ってなかった。
最後に、馴染みの自宅近くの居酒屋に行ったが、近くの避難所に来ていた山古志村の被災民が一人で飲みにきていた。
あまり詳しくは話さなかったが、自宅は壊滅といっていた。この居酒屋も年内で閉店する。
この下書きをしている現在も余震が続いている。夜半も、かなり大きな震度3〜4?の余震が二回あった。
どこまでつづくのだろう。

                          • -

2003年11月06日(木)
946, 22世紀への伝言ー読書日記

 この人の本は図書館に2ヶ月に一度ぐらいの割合で追加される。
 やはり「幸せの宇宙構造」が何ともいって一番である。しかし他の本も決してまけてはいない内容である。
 平易の文章の中にキラリと光る内容がふんだん含まれている。
 難しいことを易しくアッサリと言ってのけているのがよい。幾つかを書き出してみる。
 ーパワー充電法ー
 パワーの充電法として別の方法を三つ、教えておきましょう。
・その一。
 人間そのものもパワーをくれるものです。元気な人、若い娘、よく働く人、動き回る子供、大声で笑う人、
 考え方が前向きな人、建設的、肯定的で明るい人、それに、気力・体力・精神力・意志力などを強く感じさせる人。
 そういう人の傍にいるだけで元気になります。
 喫茶店やレストランで席を決めるとき、友人もそういう人の近くになるべく近づくべきです。
・そのニ。
 室内で充電する方法です。コンセントから5センチほど(手を広げて)離し、出ている電気を取り込みます。
 同時に、「気」が体に流れ込んでいるようにイメージしてください。
・その三。
 空中に「栄養の塊」「エネルギーの塊」があるようにイメージし、それを
 木の実を採るように空中から手で掴み取り、口に入れます。実際にゴクリと飲み込んでください。 
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以下は字数の関係でカット(2007年11月06日)
「22世紀への伝言 」
イライラせず、心穏やかで温かく、幸せで満ち足りているときに、自分の中の眠っている潜在能力が花開きます。
では、どうすれば“心おだやか”でいられるのか。その方法と実践の為の手引き書。

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572, ある時間の断面ー9 

  • 2002年11月06日(水)

 *1968年 9月24日
8時前に市川さんが起こしにくる、そのまま寝てしまう。9時半に目がさめる。川崎との待ち合わせに間に合わない。
顔を洗い寮を飛び出る。タクシーで校庭の通称 4丁目の交差ベンチに行く。
5分の遅れだが、待っていてくれた。その直前に綾部嬢とバッタリ出くわす。
ヨーロッパに行ってきたという。「すごく良かった、ITAの主催の旅行で行って良かった」と言っていた。
そういえば私が紹介したんだっけ?石川のガールフレンドだったが、今は上手くいってないと彼が言っていた。 
まだお嬢さんだが気持ちのよい人だ。 吉田嬢にも出会う。アメリカに行ってきたという、去年欧州旅行の
グループの一員だった。川崎と喫茶店に行く。かなり溜まっていた話を一人話していた。松村に腹を立てていた。
彼の言い分はよく解るが、そう言っていたら人とは付き合えない。
川崎もこの一年で成長したようだが、人間に影がなく好きだ。帰寮後TVを見て、風呂に行く。さて洗濯だ。
 *9月25日ー水曜日
また寝過ごしだ。全く何たることだ。流されているのだ。 小学生や中学生以下でないか。
自分の中の力があるはずなのに何故流される。 この時期一瞬でも大事なはずなのに。
大学の図書館で3時間卒論の本をまとめをする。 その後、小作と石川とウエストサイドで話す。 
帰寮後、3時間卒論のまとめをして、就寝。
  *9月26日ー木曜日
朝9時に学校に向け出発。産関論を30分受講、食事の後掲示板を見るためにタッカーホールに行くとゼミの武澤先生に会う。
「学館の問題」でタッカーホールで説明会があるから是非聞くよう言われた。偶然深井と会ったので、ホールに聞きに行く。
途中で出て図書館で卒論のまとめ、その後深井と早稲田の本屋へ行く。彼の求めていた本がなく途中で分かれて寮に帰ってくる。
深井もここで変わってきた。卒業間じかのせいか友人が皆練れて男臭くなってきたようだ。
19時頃に大妻女子大の人が尾形君のところに来るが、いないので私の部屋で一時間位待つ。
結構面白い子だが、その後市川さんと食事に行く。 一時間本を読んで夜半の一時に寝る。

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[217] 夫婦別姓

  • 2001年11月06日(火)

夫婦別姓について、あるいは行き過ぎた女性の社会参加についても如何でもいいとも言ってられなくなった。
そうでもないか? かなりの思い切った男性優位論を掲げた、ユング系の教授のホーページが面白い。  
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/contents.html
アメリカに与えられた民主主義で、消化されてない女性の異常な権利の主張が日本の特質になっているが、
それのみならず家庭を崩壊始めている。 誰も男の立場で何も言わなかったが、正々と論陣をはった彼に敬意を表する。
すっきりするが、今の日本男子の哀れな姿を彼が教えてくれている。
今の原理主義も全く肯定できないが、今の日本の一部の馬?女を見ていると、そのとうりと言いたくなる。
その連中(テロ)の前でこの馬? 女ーどもに「銃を持って戦ってみろ!」と言いたくなる。
これは旧約聖書の原理の解釈の戦いだ。