ある随想に、「寝入る瞬間を経験しようと狙っているが、まだ経験をしてない。
それは死ぬ瞬間に類似しているのではないだろうか?云々・・・」とあった。 
以前ここで書いたことがあるが、10年ほど前に、その経験をしたことがある。
その時に「過去の二万回で初めての経験だから貴重の経験だろう。無へ狭間の瞬間の実感してみた」
と記憶として刻印した。 
 具体的に、どうだったか?というと、
「TVを消した時の画面の感覚で、一瞬のスッと小さな点に意識が縮小し消えていく感覚。
 もしかしたら、死ぬ時は、あの感覚ではないだろうか。」である。
一般的に多くの人が経験していることなのか、してないかは、私は知らない。

 先日、図書館で借りた「現代哲学がわかる」というAERAMOOKという雑誌の特集号の中で、
マギーという哲学者が「哲学人」という著書で、「何故、人は眠る瞬間を意識できないか?」という
テーマで論じていた。 とすると、その瞬間は意識できないことになる。
しかし私は、その一瞬を捉えたのは間違いない事実。 私が特殊経験をしたのか、それともマギーが正しいのか? 
 ネットで「寝る瞬間をけいけんしたか」と検索したが解答はなかった。

 ーマギーの「何故、寝入る瞬間を把握できないか」の論旨を知りたいが、私の推論をしてみる。
<寝入ったとは意識が無くなるということだ。 意識が無意識への瞬間など捉える由はないのは、
 その瞬間を経験したという意識は膨大な無意識を意識できようがない。 無が無の瞬間を見ようがない。
 見たという一瞬の知覚は、まだ寝入っていない意識であり、実は寝入ってなかったのである。
 意識から無意識への移行の瞬時など膨大な無意識が小さな意識の一瞬の補足できようがないのである。 
 向こう側(寝入ったサイド)から見ると、その瞬間=扉は、すでに無の世界である故に、
 その瞬間など捉えられないのである・・・>
  ーマギーは、こんなわけの解らない論旨ではないはずだが。
 しかし、私は間違いなく、その瞬間を捉えた事実は事実としてあるし、夢ではなかった。
 マドロミの中で、漂うことは何時ものことだが。 今度、この本を読んでみるつもりである。

・・・・・・・・・
2541, ウェブ時代 5つの定理 ?3
2008年03月19日(水)

まず梅田望夫の第四の定理について述べている部分を抜粋してみる。
 ーー    
第4定理は「グーグリネス」である。グーグリネスとは、ウェブ時代をリードするグーグルという会社の
気質やグーグルらしさを表す言葉だ。 グーグルの経営・組織・文化における独自の論理は、ここまで取り上げた
アントレプレナーシップ」「チーム力」「技術者の眼(め)」が、高いレベルで統合された最新で最良の実例と言える。
 私はシリコンバレーで数多くの会社を見てきたが、その中でグーグルは、
これまでの会社とは「種」が違うのではないかと思うほどの、突然変異とも言うべき「変な会社」である。
こんな奇妙で不思議な会社は、かつて存在したことがない。そう断言できる。しかし、
こういう会社がビジネス社会の中心に躍り出てきたことが、情報化社会たる現代の特質なのであろう。
 ≪いま、世界は(以前と)本当に違う。それは、君たち一人一人が世界中のどんなことについても
「情報を得る力」を持ったからだ。私が学校に通っていたころと、本当にまったく違う世界だ≫
これは数年前にグーグル創業者の一人、サーゲイ・ブリン(1973年生まれ)が
高校生向けに行った講演での言葉である。80年代と比べて今が「本当にまったく違う」のは、
行き着く先は「時間」。 「時間」だけが私たち一人一人に平等に与えられた貴重な資源だ。
グーグルは「頭脳の拡張」の世紀のリーダーであるとともに、私たちが自発的に過ごす
「時間」からしか創造的イノベーションは生まれない、という思想の信奉者なのである。
 グーグルはこのやり方を貫き、創業からわずか9年でトヨタ自動車時価総額と肩を並べた。
しかも、社員数はトヨタの約20分の1にすぎない。
ーー
解)
インターネットの、その中の検索こそが世界の要になると確信した信念が世界を変えたのである。
下手の考えより、己をグーグル化した方が手っ取りはやいのかもしれない。
時間という資源を最大限活用できるという面から見たら正しいのだろう。
インターネット下のオープンソースの潮流の中で頭脳のネットに己をリンクすることこそ、
一番合理的かもしれない。ただし己というベースが確立してある前提が必要だが。
それと、五つの定理をマスターした上での自発的に過ごす時間の重要性である。

・・・・・・・・
2007年03月19日(月)
2176, 流通業界・大編成の時代へ
                 オッ(*^○^*) ハ?ヨウ
    
 大丸と松坂屋経営統合で、百貨店業界も大編成の時代に入った。
先日の「日経流通新聞」によると、百貨店業界も4強時代に収れんという。
 その内訳として、
 *大丸・松坂屋連合 1兆2000億円
 *高島屋      1兆500億円
 *ミレニアムーイトーヨーカ堂系(西武・ソウゴ) 9500億円
 *伊勢丹      7700億円 の4つがアナリストや業界関係者の総合的な見方という。
アメリカの事例や国内の市場規模からみて日本はこの辺りだろう。
三越、阪急・阪神松屋、丸井、東武などは、そ4グループに最終的には収れんというから、
都市銀行の大編成と同じ道をたどり始めた。外資などの禿タカファンドが株の買占めなどで
強請ってくるのは避けられない。今までの独立性は維持はできなくなるのは、どの世界も同じ。
流通グループとして最終的に、スーパー・家電も含めて三?四グループに収斂するプロセスに入ってしまった。
五年が目安か?
この10年間でナショナル・チェーンのスーパーも、ダイエーやマイカルの破綻で、セブン&アイHDと、
イオンの二つのグループに収れんしてしまった。情報化などの設備投資の重装備化の闘いの中で
トップグループに入らないと、生き残れない時代である。

自動車業界をみても、日本とかアメリカという国単位ではなく世界の中で、数社しか生き残れない時代に突入した。
情報化、グローバル化とは、こういう時代ということか。情報化は大きな波乱を含んでおり、
変化は想像を遥かに超えたものになる。
隠されている不平等・格差が情報化で露出した時、一強の支配が圧倒的多数の弱者に一瞬で破壊される
不安定社会の到来でもある。日々刻々漫画的に下克上のカタチの中で、色々な現象になって出てくる。
その一つがテロでもある。より快適になる反面、より不安な時代である。
流通業界は暗黒の大陸とドラッガーが看破して半世紀経つが、どこまで変化するのか、見ものである。
高島屋は駄目だと思っていたが・・、やはり駄目だろう!   憶測だが・・
                      ヾ(*'-'*)バイバイ!!
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2006年03月19日(日)
1811, ずっとやりたかったことを、やりなさい?3
           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

空想上の子供をイメージで作り、その子供のために特別な時間をとって、
二人だけのデートをする。その子供のために特別指導をする。

私のライフワークにしてきた、秘境旅行がそれに似ている。世界の端を点で埋めていくストーリーをたて旅行していく。
上野のスカイライナーを乗ったと同時に、別世界の子供になる。
そして、帰ってきてスカイライナーに乗ると同時に元の自分に戻る。
これは年二回・平均10日間の私にとっての違ったカタチのアーチィスト・デートである。少し違うか?
20年間続けてきたウォーキングもアーチィスト・デートか? まずはアーティスト・デートとは何かを要約してみる。
                        ~~旦 ゝ(-_- ) まあ、お茶でも!
 ーアーティスト・デートー
「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を
秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」
ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう
「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいっている。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々
(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)には参考になる方法である。
机上の空論ではなく、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という具体的なプランに落としこまれた、
レーニングプログラム。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ作業を進めていけばよい。

そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」。
先回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。
                    _〆( ̄Д ̄||)
  ー本文から要旨を抜粋してみる…
《アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、あらかじめ日時を指定しておくデートであり、
他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ?どんな肩書きの人もお断りだ…》
要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」ということ。
    
* 私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」である。
《 怒りは耳を傾けてもらいたがってる。 怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
 怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているかを教えてくれる。
 また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。 
 怒りは友達である。 素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
 それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。
 そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》
《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、「みえるでしょう?」と語りかける。
 あるものを見たくないと思っている人たちは、それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を送り込み、癒しをもたらす。》
「違った別人格の子供を内に持ち、その子供のために課題を与え二人だけの時間を持って、育て続ける」ということ。
    それはライフ・ワークには待っている自分とどう違うのか?と問われれば、
「それをもっと合理的に内なる指導者の目をクリアにしなさい」ということか。
                   ε(´',_c')зβyё ?
 ・・・・・・・・
 2005年03月19日(土)
1446, 小学校中退、大学卒業 ?2

花柳幻舟の文章の中に、実際に血みどろになりながら、極限を乗りこえようとする魂の叫びを感じ取ることができる。
言葉の中にウソも虚飾も全く感じない深い心の叫びがある。
学問に対しても、その本質を求める気概が正直に述べられている。
自分を日本のインテリと、お述べになっている何処かの教授より学問の意味・真髄を実感しているのが解る。
 以下は、昨日のつづきである。
  ーー
 一日20時間の猛勉強をつづけ、塾入学6ヶ月には司法試験の模擬試験で優秀者の中に堂々と並んだ。
一橋、中央、東大等法学部現役学生を抜いていった。アルファベッドもろくに読めない小学校中退の、
しかも人生の折り返し地点を過ぎた私がある。
人間、やったらできる、それまでできなかったのは、私がやらへんだけかっただけや。
集中力は全てを可能にすると実感した。学校という、地域という排他的の中で、私ははじき出され、
私の読み書きは奪われてきたのである。私にとっては恐怖の学校と先生に必死の思いで対峙した。
ついに私は、学問と学校は違う、教養と学歴は違う、無知と無学も違うということを心底知った。
私は学校と学問を一緒くたんしていたのだ。学校は、教育の現場は、今も排他的で差別的だが、学問は素晴らしい。
学問は、人間に勇気と希望、物事の本質を見せてくれる誰にも開かれた世界だ。
私の大学卒業論文は、誤報と伝聞を繰り返すメディアによってつくりあげられた虚像化された「花柳幻舟」という
一人の創作舞踊家の、デビュー当時のいびつな加熱な報道を検証し、いまや巨大権力といわれているメディアの
‘光と影'の深層に踏み込んだものである。卒業論文の評価を、副学長が次のように言ってくれた。
「こんな面白い卒業論文があってもよいんじゃないか」 と。

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2004年03月19日(金)
1080, フランチャイズ・ショー ?5

・一番印象的であったのが「MBE]という会社である。
「メールボックス・エトセトラ」の頭文字の略である。
 MBEのサービスは、
 Document,
 Information,
 Logistic
 の大きく3つのカテゴリーからなるサービスを中心に、それぞれのサービスをリンクさせながら、
 ビジネスや暮らしに欠くことのできない ”必要”に対するサービスを開発・提供している。
 各事務所や、SOFOなどのサービス機能の代行といってよい。
 面白そうな反面、9?のFC料金が高すぎる。 といって、この不景気にあればこそ便利な機能である。
 1DKマンションの一角にコンビニを入れるのと同じように、SOHO専門ビルの一階にセットとするのによいだろう。
・いま一つ託児所のフランチャイズも面白い。立ち上げさえしてしまえば、後はノウハウは無いと堂々と言ってのけていた。
 絞っているのが1^3歳児で、一年未満と夜間はカットがポイントだという。
 成功確率は9割以上だという。平均30人が定員で、損益分岐点の数字が十数人だという。
 大きなショッピングセンターなどの商業集積の近くが面白そうである。
・今回のFCショーには出てなかったが、衛星予備校も面白そうだ。
 場所と大学院でも出た人をセットをすれば誰でも可能である。
 こういうネットの時代だからこそフランチャイズは受け入れられるのだろう。

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2003年03月19日(水)
714, 難関ー困難性

 学生時代読んだ本に「困難に出会ったら、チャンスと思いなさい。
それを躓きの石にするか、土台の石にするかは貴方の意思できまります」という言葉があった。
その時これから生きていく人生のキーワードでないかと思った。
事業を立ち上げる目標を掲げていたので、この言葉がストンと頭に入ったのだろう。
そして早速に「修行と事業の立ち上げ」で常に壁が立ちふさがっていた。 今日止めてしまおうか、
放棄しようかという時に「土台の石、土台の石、土台の石」と念仏のように繰り返していた。
他にも「困難性は宝の箱である、そこには必ず鍵穴がある。キーを捜せば必ずある。
キーさえ見つかれば宝が手に入る」という言葉もあった。
また「どんな大きい岩でも筋がある、その筋を叩けば必ず割れる」ともあった。
若い時から事業を立ち上げてきて、段々この意味が実感できるようになってきた。
「次々くる困難のウエーブを乗りこなすことが事業そのもの」と解ってきた。
そうなると、困難に当たることがむしろ面白くなってくるのだ。
一づつこなしていくうちに、どの辺が最大の困難性かも解ってくる。
こうなると、ゲームになってしまうのだ。こなしていることが脳の奥のほうで面白くなってくる。
若い人が、何かに挫折して断念をしているのをみると気の毒に思うことがある。
精神論そのものになってしまうが、あと一ミリ一センチのところに秘密があるのにとつくづく顔を見てしまう。
自分で知識を捉え、それを経験してみなくては解らないことだ。成功体験とはそういうものである。
小さい成功体験を、徐々に大きくしていくしかない。最後は成功体験である。それは困難の乗り越え経験である。
それを方法まで、手順になるまで経験で身につけるしかない。