* 面白くなってきた大相撲!
 今日から大相撲が始まるが、久々に有望力士の三人が出てきた。遠藤、モンゴル出身の「照の富士」、「逸ノ城
(実業団優勝で外国人初の幕下15枚目付出しで、先場所から入った)である。1〜2年後には、役力士として、次の
大関候補になっているはずだが、怪我があるため断定は出来ない。私の目では、モンゴルの二人は、白鵬朝青龍クラスの
要素があるようだが、どうだろう。「遠藤」は相撲センスがあるので、大関になれる逸材だが騒がれすぎで潰される?
 一連の不祥事の危機感もあってか、相撲が真剣勝負になって俄然面白くなっている。 
 ここで大関鶴竜が、地味だったが徐々に力をつけてきた。先々場所から、その力が開花し、横綱候補になったが、
性格が大人しいのが弱点。真面目で、こつこつ稽古をするタイプで好感が持てるが、横綱は図太さが必要になる。
 このところ上位陣に個性的力士が揃ってきた。ブルガリア出身の碧山あたりが、突然、大化けの可能性がある。
今場所は、色いろ楽しめそうだが、相撲協会の体質が変わってないのが、気にかかる。
   * へ〜、そうか!
 一昨日のシネマの中で、「人はオナラを一日、平均14回する」と言っていた。身に覚えのあるのは4〜5回?だが、
意外と多いのに驚いた。白人は腸が短いため、回数が多い? 大家族の商家の中で育ったこともあって、暗黙の内に、
鼻ほじりやオナラなど人前の不調法は厳禁であった。「海外ツアーでは、日中、ほぼ皆無」を考えると、環境にもよる。
動いているとガスは溜まらない? ヨガにガス抜きのポーズがある。仰向けになって、脚を曲げ、膝の上から両手で
抑えて腹に圧迫を数分続ける。これを50人でするから壮観。 ところで、欧米人、本当に14回もするのかな〜 
・・・・・・
4375, 閑話小題 ーシネマ評論
2013年03月09日(土)
   * フライト ーシネマ評論ー
― まずは、荒すじから、
≪ フロリダ州オーランド発、アトランタ行きの旅客機が飛行中に原因不明のトラブルに見舞われ、3万フィートから
 急降下を始める。機長のウィトカーはとっさの判断で奇跡的緊急着陸に成功。多くの人命を救い、一夜にし国民的英雄と
 なる。しかし、彼の血液中からアルコールが検出されたことから、ある疑惑が浮上し・・≫
▼ この隠れテーマは「アル中機長の崩壊ドラマ」。そのアル中毒を隠すため覚醒剤を使っている二重構造の複雑な筋書き。
 搭乗の直前まで酒と女に浸り、それを隠すため覚醒剤を吸って職務につく。ところが悪天候。アルコールのため操縦を誤り、
 墜落の危機に陥る。しかし覚醒剤が効いたのか、奇跡的な機転で墜落を逃れる。そしてマスコミで一躍、ヒーローになるが、
 機内でも度の強いアルコールを飲んでいた。 ところが回収された殻ビンから発覚。 航空会社は、隠そうとし、本人も、
 騙し通そうとする。 裁判で逃げ切ったと思われたが、最後の最後に、良心の呵責で重度のアル中を告白する。
 アル中患者の手記などで、その実態を幾つか読んだことがあるが、それをハリウッド版にしてリアルに演出していた。
 私も酒癖で多くの失敗を重ねてきたので、身につまされた内容だった。 ー90点評
    * 草原の椅子 ーシネマ評論ー
  ― アラスジは、≪ バツイチで、年頃の娘と二人暮らしの遠間憲太郎に、50歳過ぎてから三つの運命的な出会いが訪れる。
 一つは、取引先の社長・富樫に懇願され、いい年になってから親友として付き合い始めたこと。
 二つは、ふと目に留まった独り身の女性・貴志子の、憂いを湛えた容貌に惹かれ、淡い想いを寄せるようになったこと。
 三つめは、親に見離された幼子、圭輔の面倒をみるようになったこと。
 憲太郎、富樫、貴志子の3人は、いつしか同じ時間を過ごすようになり、交流を深めていく中で、圭輔の将来を案じ始める。
 年を重ねながら心のどこかに傷を抱えてきた大人たち。そして、幼いにも関わらず深く傷ついてしまった少年。
 めぐり逢った4人は、ある日、異国への旅立ちを決意する。そして、世界最後の桃源郷フンザを訪れたとき、
 貴志子が憲太郎に告げる。「遠間さんが父親になって、私が母親になれば、あの子と暮らせるんですよね」 ≫
▼ 7000メートル級の山々の間にあるフンザ。そこの、目がきらきら輝いていた子供たち、そして何ともいえない雰囲気の
 ある地元の素朴な人々。遠くに光輝いていたウルタル山。私の見たフンザは、映画の画面で見たものより遥かに輝いていた。
 ここで、多くの写真を撮ってきた。 最近みる映画は殆どがハリウッドもの。 陰鬱の時代に「ドンパチもの」で、ストレスを
 発散するものが多い。その中で、スローライフの中年のファンタジーものの映画も良い。フンザもよいが、あの旅そのものが
 絶品だったことを、この映画で改めて知った。 人生、万歳三度である。逆に人生に三度万歳をしろ!ということ。ー90点評
 ・・・・・・
4001,4000回の随想日記 ー2
2012年03月09日(金)
「11年も休むことなく2〜3時間もかけてエネルギーを入れて、それが何になるのか?」という疑問が立ち上がる。
そのことは私自身が、まず感じていること。40歳後半から60歳まで、秘境・異郷旅行に年に数回行っていた折に、
義母が家内に、「何で好きこのんで、そんなところにワザワザ出かけるのか分からない」と、首を傾げていたという。
これと同じである。そこで大自然の懐の中で出会う感動は、実際に経験しないと分からない。毎日、一文章を書き上げる習慣で
得られる知識と情報の蓄積が、物事の視点を変ていく面白さは、実際に書き続けないと分からないのと同じ。 
 一ヶ月ほど前に朝日新聞の投稿欄に面白い、○○丸出し?の投稿があった。 要約をすると
≪ 自分は退職後、ボランティアで忙しく充実した日々をおくっているが、聞くところ、定年後、暇を持て余して図書館で
時間潰しをしている人が多いという。それなら自分のように人のため、世のために、ボランティアをする道がありますよ!≫ 
 一見、正しく、道理である。ボランティアこそ定年後の人生の義務かもしれない。 しかし図書館に通い人生の経験の糧を
得た後の読書もベストの時間の使い方になる。 問題は自分のボランティアに酔いしれて、読書三味の人が、ただ時間潰しにしか
思えない自惚れに気づかないこと。その人の人生の余白の埋め方は当人が決めること。それを批判する知性が問題である。
 万人が、このことと似た勘違いをし自画自賛をしている無知の自分に気づかない。 四千回も書き続けている自分に自己満足を
しているのと、ボランティアを自画自賛している人を合わせ鏡にして、そのバカさを、自覚していない愚かな自分が、ここにいる。
自分のため、11年、書き続けてきた、ただそれだけのこと。 人生は、経験と知識と感動を得ていく旅路である。
 面白いのは、書いているプロセスで、自分の枠組が自然と浮かび上がって、その内側を覗き見えてくること。
 ・・・・・・・
3635, 他のせいにするな!
2011年03月09日(水)
  「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を  ひとのせいにはするな  みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを  友人のせいにはするな  しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを  近親のせいにはするな  なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを  暮らしのせいにはするな  そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を  時代のせいにはするな  わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい  自分で守れ  ばかものよ
▼ 自分を批判する目が失われることが、老いの一現象かもしれない。若い人でも、心が老いてしまっている人がいる。
 その目は他人にいき、己の乾いた心が硬直しているのが見えなくなってしまっている。
「 駄目なことの一切を  時代のせいにはするな  わずかに光る尊厳の放棄 」 が身に沁みる!
 とはいえ、100年、500年来の地殻変動の中であることは確か。「駄目な一切」を「時代のせい」ではなく、
「他のせい」にするな、ということ。 感受性が鈍るから。
 ・・・・・・・
3270, 焼き鳥は何故串刺しにするのか?
 2010年03月09日(火)
 図書館で書棚を見ていたら「焼鳥は何故串刺しか?」という本があった。
「何々??」と手にとってみたが、成るほどと思う部分があった。迷ったが借りてはこなかった。
  記憶に残ったことといえば、ー 串刺しにすると ー
・何本食べたか出す方も、食べる方も分かりやすい。
・串は食べやすい。箸を使うことなく串を口に持っていける。
・皮、ハツ、モツ、軟骨など、多品種にできる。
・焼き台で焼くのに串が最適。 (かつ火が通りやすく、生焼きを避ける)
・肉や内臓の切れ端が無くすことができる。
・内臓など安い材料のものを、串に刺すことで、見た目に良く見える。
 このように、改めて考えると要領を得ている。
最近、串刺しをしないで、材料を焼くだけの焼鳥を居酒屋で見かけるが、何か様にならない。
串焼に刺した肉や魚などを鉄板の間に挟んで焼く専門店がある。駅前に一店しか成立をしないが、焼き鳥の方が人気が高い。
 串ものといえば串団子がある。これも串刺しにすることで一々箸で摘むことなく食べることができる。
蒲焼も串を通して焼くが、出すときは串を抜く。焼き鳥の焼き台で一本一本がクルクル回転するものや、ベルトコンベアで
一回転する間に自動的に焼き上げるものもある。また火も炭のような金属を熱して焼くものなど、色いろな工夫もされてきている。
冷凍は客に嫌われるので、食肉屋が串に刺したものを配達するのもある。豚肉や内臓を串に刺す焼とんは、戦後の食糧難のときに
苦肉の策でできたという説がある。最近、スーパーなどで中国製の冷凍のものを見かけるが、やはり焼き鳥屋で酒を傾けながらが良い。
 ・・・・・・・・・
2895, 不況景色 −9
 2009年03月09日(月)
去年の9月15日以来、毎日が恐慌の進行のメルクマールを書く日々になっている。この一年で中国で二千万人、
アメリカで四百万人の失業者が増加。直近の12・1・2月の三ヶ月でアメリカは200万人が失業をし、それは年率にすると800万人。
中国は今年は更に二千万人が失業するという。日本も水面下で失業が増え続けている。来月辺りから爆発的な倒産とリストラにより
失業者の激増が予測される。昨日の朝日新聞の一面トップで「失業者 雪崩打ち生活保護へ」ー1月は最多116万世帯ーと報じていた。
5年前の2004年の100世帯、14年前の1995年の60万世帯、25年前の79万からみると、異常な増加。
この事態の中では当然だが、それが更に大幅に失業者が増加し続けるのである。
・日本では、夫65歳、妻60歳以上平均で、収入平均が17万、支出が25万。残りは預金の取崩しや子供からの援助など。
国民年金も40年払い続けて、満額で一人当たり6万6千円、二人で13万あまりだから、
 ギリギリまで働かないと個人営業者は生活できない構造になっている。
・支出25万円の内訳は、食費6万、住居2万、水道光熱1万6千、保健医療1万6千、交通通信2万7千、その他11万1千円。
地方では、最低生活は月に15万円と税務所の担当から聞いたことがある。中小会社や、個人営業者は船板一枚下は地獄。 
だから日々が刺激があって面白いが、反面、常に最悪の事態を常に想定して生活している。
この百年か数百年に一度の恐慌は弱者を土壇場に追い詰めることになる。イギリスでは、あのロイドが国家管理になり、
4大金融機関のうち2つが国家管理になってしまった。まずは世界の銀行が破綻しているが、これからは実体経済がやられ
企業倒産が続くことになる。その影響をモロに受けざるを得ない事業のため、毎日が生きた心地がしないが、成るがままに
身を任せるしかない。 今さらジタバタしても、しなくても同じことである。現金商売というのが、目先は何とかしてくれる。 
1〜2年は何とか大丈夫? 二年後には駅前再開発による道路拡張で「一つのホテルの買収計画」が具体化するので、
まずは二年さえ凌げばよいことになっている。 まあ何とか成るようになってはいるが・・・。
それすら、大津波は根こそぎ破壊するかもしれない、それが世界恐慌である。
・・・・・・・・・
2008年03月09日(日)
産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた梅田望夫の【ウェブ時代 5つの定理】が面白い。 
梅田の本を読むのは4冊目になるが、今のところ外れはない。  その5つの定理とは、
 その1 アントレプレナーシップ     その2 チーム力
 その3 技術者の眼           その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」
 その5 大人の流儀  になっているが、 
 まずは1と2の概要をまとめてみよう。
* 第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。
 新しい物事に対する積極的意欲、リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、
 飽くなき探究心や冒険心や没頭、変化を求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまでやりぬく気持ち、
といった要素がこの言葉には含まれる。
 ≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。
 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫
 これはアップル創業者兼CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズの言葉である。
 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、「やりたいことをやる」という気持ちと、
 「社会をより良くしたい」という思いの組み合わせによって持続する。
 お金が最優先事項では長期にわたってそういう熱が持続しない。倫理性と経済性が融合したシリコンバレー
 そんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、強い「働く意欲」の源になっている。
* 第二の定理はチーム力
 ≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる≫
 この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、自分を向上させたいと常に思っているから、
 自分より優れた人と一緒に働きたいと考えるが、Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用してしまう、
 という意味である。チーム編成においてはAクラスの連鎖を作るべし。イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを組成する
 ところから始めなければならないという経験則が、この言葉の背後にある。≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。理想の
 プロジェクトチームは会議もせずランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ≫ 
 これはサン・マイクロシステムズ共同創業者のビル・ジョイの言葉である。マイクロソフトもアップルもグーグルも、
 すべては数人のチームによる熱狂的な没頭から始まった。「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、
 資金でも設備でもなく、 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる「チーム力」にある。
 ▼ この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。日本にも筑波という素晴らしい都市があるが、
  そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。研究都市だから、少し違うとしてもである。
 ・・・・・・・・・
2007年03月09日(金)
2166, 日本の人口動態の推移   オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
 「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記
 解りやすく、面白い本である。その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。
日本の人口が一昨年から減少に転じた。それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように
推移していったのか知りくなるのが人情である。人口推移を大雑把にまとめれば、
・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定。
明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、
・さらに昭和初めから現在までに倍増した。400年で10倍、140年間で4倍、80年間で2倍に増え、今後約100年の間に半分に減る。
ーまずは、そこを書き出してみるー
・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。1600年に約1200万人であった総人口は、1700年に2769万人となったが、
 1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。日本の近代的な人口統計は1872年(明治5年)から存在する。
 この年の総人口は3481万人である。すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。
 そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。江戸時代の停滞社会から脱却し、富国強兵と
 近代産業国家をめざして成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。 総人口は1891年(明治24年)に4千万人を
 突破し、1912年(大正元年)には5千万人を超えた。人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。
・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は
 約2倍に増加したわけである。 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。
 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。 総人口はさらに増え続け、
・1936年に7千万人、・1948年に8千万人を突破した。終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。
 1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている 
(39、45、46年を除く)。 最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。
 総人口は1967年に1億人を超えた。1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。
 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。
 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。
 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、継続的に減少してゆくものと見られている。
 国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、
 2010年に1億2747万人、20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、40年に1億938万人になる。
 そして、50年に約1億人となり、2100年には、約6413万人になるものと予測されている。我われは、日本列島に生息する
 日本人の数が最大になったさまを見ているのである。「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。
 日本人の現在の平均寿命は、女性が85.23歳、男性が78.32歳で、どちらも世界一になっている。 明治から大正期までは、
 女性が40歳代の中頃、男性が40歳代の前半だったから、その後非常に大きな変化があったことがわかる。
 これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。 とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが
 平均寿命を大幅に下げていた。この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。
 この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。これは、ある年齢に達したものがその後生存すると期待される年数である   
 (したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、
 60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。1891年?98年(明治24?31年)において60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。
60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。
現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。
60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。
 ▼ 以上だが、成人になった平均寿命は思ったほどは延びてはいない。80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に
 戻ると思えばよい。「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた人口が昭和初期の人口に100年かけて戻る」
 ということだ。
(以下、字数の関係でカット2013年03月09日)
・・・・・・・・・
2006年03月09日(木)
1801, 日本経済改造論   ー読書日記     才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪             
またまた野口悠紀雄である。このところたて続き読んでいるが、どの本を読んでも飽きさせないから不思議である。
 (以下、字数の関係でカット2009年03月09日)
・・・・・・・
2005年03月09日(水)
 1436, つれづれなるままに
  ー面白い日記のコーナー
10年後の私が現在に立ち戻ってきたイメージで日記を書いている。それが書いていて面白い。実際の日記より書きやすいのである。 
 (以下、字数の関係でカット2012年03月09日)
・・・・・・・・
2004年03月09日(火)
 1070, 美容整形医師の「美人の定義」
ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。
 ーその文章を書き写してみるー
(字数制限のためカット 2012年3月9日)
 ・・・・・・ 
2003年03月09日(日)
 704, [つかず離れず]ー群れない為に
「つかず離れず」は人間関係の基本である。「和して同ぜず」ー和同の精神である。
 (字数制限のためカット 2010年3月9日)

イタリア ーポンペイ ~遺体

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他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
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今日のYoutube

 写真の遺体は石膏。 火山灰で埋まった後、高温で溶けて、
空洞になったところに石膏を流し込んだもの。それにしても生々しい
痕跡を残すものだ。 他に犬とか、鎖に繋がれた奴隷とか、
金銀、財宝を抱きしめたものとか、身重で逃げられなかった妊婦とかある。
 
 最近、発見されたのが商家の地下で、多くが重なっていたが、
これが空洞の石膏でなく・・・、火山灰が包み込んだリアルな
タイムカプセルそのものが、ポンペイである。 そこで、思うのは、
生きる意味である。 その小さな世界が教えてくれるのは、
二千年彼方からの視線、観点である。生活の視線、それらを鳥瞰する視線、
国鳥(思いもよらない災害)の到来の時に、全てを投げ打っての避難の決断。
ヴィスボラス火山を、現在の国鳥と重ねると、非常面白い。
 この石膏の一人に、自分が入り込んで、現代に帰還したイメージで、
現在の自分を照射すると、成るほど!と・・・
 まだ発掘は、続いていて、新たな発見が続いている。中央には広場があり、
そこからビスボラ山が背景に見て取れる。
居酒屋があって、女郎屋があって、共同の水飲み場があって、色いろの
邸宅があって、パン屋があって等、当時の生活がリアルに残されている。

 http://www15.plala.or.jp/norther/italia/napoli/pompei_scavi/pompei_scavi_top.html
  情報化というのは、素晴らしい! 面白い! 求めるものにとってだが! 

・・・・・・
2166, 日本の人口動態の推移
2007年03月09日(金)    
「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記
  解りやすく、面白い本である。
 その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。
 日本の人口が一昨年から減少に転じた。
 それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように推移していったのか
 知りたくなるのが人情である。 
  人口推移を大雑把にまとめれば、
・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、
 その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定だった。
明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、
・さらに昭和初めから現在までに倍増した。
 400年で10倍、
 140年間で4倍、
 80年間で2倍に増え、
 今後約100年の間に半分に減ることになる。

ーまずは、そこを書き出してみるー

・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。
 1600年に約1200万人であった総人口は、1700年に2769万人となったが、
 1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。
 日本の近代的な人口統計は、1872年(明治5年)から存在する。
 この年の総人口は3481万人である。
 すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。
 そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。
 江戸時代の停滞社会から脱却し、富国強兵と近代産業国家をめざして
 成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。
 総人口は1891年(明治24年)に4千万人を突破し、1912年には5千万人を超えた。
 人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。
 ・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。
 明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は約2倍に増加したわけである。
 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。
 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。
 総人口はさらに増え続け、
 ・1936年に7千万人、
 ・1948年に8千万人を突破した。
 終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。
 1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。
 年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている(39、45、46年を除く)。
 最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。

 総人口は1967年に1億人を超えた。
 1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。
 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。
 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。
 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。
 昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。
 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、
 継続的に減少してゆくものと見られている。

 国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」
 (平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、2010年に1億2747万人、
 20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、
 40年に1億938万人になる。そして、50年に約1億人となり、2100年には、
 約6413万人になるものと予測されている。
我われは、日本列島に生息する日本人の数が最大になったさまを見ているのである。 

「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。
日本人の現在の平均寿命は、女性が85.23歳、男性が78.32歳で、どちらも世界一になっている。
明治から大正期までは、女性が40歳代の中頃、男性が40歳代の前半だったから、
その後非常に大きな変化があったことがわかる。
これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。
とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが平均寿命を大幅に下げていた。
この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。

この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。
これは、ある年齢に達したものがその後生存すると期待される年数である
(したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。
リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、
 60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。

1891年~98年(明治24~31年)において、
60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。
60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。
現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。
現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。
60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。

ーー
以上だが、成人になった平均寿命は、思ったほどは延びてはいない。
80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に戻ると思えばよい。
「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた
人口が、昭和初期の人口に100年かけて戻る」ということだ。
これだけでも人口動態に関してチョッとした物知りになる。

人口減少に対し社会資本は比例しては減らないから豊かさは増える。
その現象に対し、自らを変えていくシステムを構築すればよいだけである。
その意味でも州制度をとり、それぞれの地区に州知事か首相を置いて、
思い切った権限の移譲が必要だろう。
                    (o ・д・)ツ  バイ!
 ーここで気がついたが、去年の同日に、やはり野口悠紀雄
  読書日記だった。
・・・・・・・・・
2006年03月09日(木)
1801, 日本経済改造論   ー読書日記
                   才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪             
 またまた野口悠紀雄である。
このところたて続き読んでいるが、
どの本を読んでも飽きさせないから不思議である。

この本では、現在の日本経済の不況の原因が
1940年体制を起点とした戦時体制を引き継いだ1945年体制以降から
 現在まで続いている間接金融による銀行支配にあるとしている。
・また日本企業のリスク回避的な行動にも原因がある、と指摘している。

 従ってそれらを克服するには45年体制から続いている間接金融 から
直接金融に移行し、リスク回避的な企業が市場から直接資本を集め、
新しい事業を立ち上げない限り今後の日本経済は立ち行かなくなることを指摘している。

企業がリスク回避的であることを利益率の低さから考察している。
食料自給率の低さこそが日本の食糧の確保を確かなものにしていると看破。
人口問題は、人口減少が問題なのでなく、年齢構造の高齢化が問題であると指摘。
日本企業の資本収益率は国際比較で見てもきわめて低いし、
長期トレンドとしてこれを高めることは容易なことではない。
郵政民営化は不要であり、他にもっとやるべき大事な仕事がある、
それは年金改革と税制改革などである。

第一章では、日本経済の現在を概観
 日本経済はまだまだ巨大であり
 2001年の時点では、アメリカの半分
 中国の4倍 ドイツの2倍 ロシアの25倍もある。
 但し、農業とサービス業は生産性が低いとみている。

第二章では、1940年代体制とバブルに書いている。
 その体制がアメリカの間接統制の政策の結果として
 現在も官僚統制として続いているとみている。
 その一つとして銀行システムもそのまま残った。
 それらの結果として間接金融と民間企業は閉鎖的システムになってしまった。
 世界的なIT化と、共産圏の自由市場への参入に対して
 日本のシステムは成り立たなくなり、現在の大不況を招いてしまった。

第三章では、日本の金融は正常化したかという問題にふれている。

第四章で、日本経済の利益率は何故低いかにふれている。
 世界的な大変革に対して1940年のシステムのため閉鎖システムは
 立ち行かなくなってきている現状を論じている。
 彼の本はほとんど読んでいるが、学者にしてはなかなか目線が
 実態をリアルに表現していてわかり易い。

「日本経済改造論」 ーいかにして未来を切り開くか
 著者 野口悠紀雄  東洋経済新報社
              ( 。・_・。)人(。・_・。 ) ジャ~
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2005年03月09日(水)
1436, つれづれなるままに

ー面白い日記のコーナー
10年後の私が現在に立ち戻って来たイメージで日記を書いている。
それが書いていて面白い。  実際の日記より書きやすいのである。
それと、現実が良く見える。なかなか10年スパンで物事は考えにくい。
が,日記で遊びとして書くと、気楽に現在の自分を見つめることができる。
新しい発見である。我が内なる天使様?か、守護神様か?か、冷静に見つめている良心か?
その目で見ると、いかにつまらない事に日々追われていることに気づく。
ーーー
ーはなまる・うどんーについて
一年ほど前に、「はなまる・ウドン」にFC加入をして、
セルフうどん屋新潟市内に数店開店をしようとした。
ところが契約直前にフランチャイズ・ショーに行って、
数社の競合相手の話を聞いて急遽中止をした。

セルフうどん屋の状況が、彼等の言っていることと違うのだ。
6千万の投資をする直前で、あと2~3店舗も出店するはずであった。
その後、社長が例の詐欺で問題になった豊田商事の元社員ということが週刊誌に暴かれた。
その直後に牛丼の吉野家に株式の33・4㌫を売却、その系列化に入った。

そして現在、ほぼ出店ストップの状態である。焦りもあって、調査もしない甘さもあった。
軽い損失で済んだのは、不幸中の幸いであった。
佐渡で一店だけ「はなまる」が開店したが、悲惨な状況という風評が入ってきた。
経営は、ひとつ間違えば舟下は地獄である。

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2004年03月09日(火)
1070, 美容整形医師の「美人の定義」
ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。
ーその文章を書き写してみるー
普通、美人と問われれば「目がパッチリ」「肌がきれい」「鼻が高い」「小顔」
・・・・・と思いがちだが全部間違い。
現代美人とは「顔立ちが整っていること」が絶対条件。
浜崎あゆみの目であろうが、ベッカムの鼻にしても、バランスが悪ければ
立派なブス(ブ男)である。
つまりプロポーションの良いのが美人であり、いくら部品がよくても
組み立てが悪くてはブスなのです。
一点豪華主義の美人は存在しません。むしろ全部地味なほうが美人なのです。
日本の伝統的美人は雛人形に見られるように、目も鼻も口も全て小さく、
平べったい顔をしています。
ヨーロッパの美人はミロのビーナスに見られるように、口も鼻も口も全て大きく、
立体的な顔をしています。
美人に見せるには、全部大きいか全部小さいかどちらでも良いから均一化して、
バランスをとることが重要なのである。日本人は突出することを嫌います。
「出る杭は打たれる」などいって、平均的な小さくまとまった美しさを好みます。
これが美人の基準にもなる。
いま一つは、権力によってその基準は左右される。
北朝鮮では「金正日がいい男の面」になっている。
欧州の貴族は、それだけで顔立ちに係わらず美人美男になる。

ー以上である。
美人バランス論ということか。
中年になってきて、特に45歳を過ぎると急激に体形や顔立ちが崩れるのは
バランスが悪くなる為であったと考えると納得できる。
本来、化粧はそのバランスを直すためするものである。
わざわざ崩している人がいるが。
太りすぎも体形のバランスの崩れを直すため痩せようとするのだ。
固太りの人は、それほど見たほどデブに見えないのはバランスが崩れないからであろう。
西欧的美人より日本的美人の方が歳を重ねた時に美的段差が小さいのは、
チマチマしているからバランスの崩れが小さく済むためだ。
顔は、その人の家系や過去の集約として現れるが、化粧一つで誤魔化しがきくから
恐ろしい。といって品位などは三日も経てば直ぐ見えるが。

・・・・・・・ 
2003年03月09日(日)
704, [つかず離れず]ー群れない為に

「つかず離れず」は人間関係の基本である。
「和して同ぜず」ー和同の精神である。
(仲良くはしても、お互い同じでない事を理解することだ)
「隣の芝生は緑に見えます」「隣の花は赤い」は 同じ意味だ。
「味噌汁の冷えない位の距離」は嫁姑の距離である。
以上は相手が良く見える距離を保つことの必要性をいっている。
人間関係には「親しき仲にも礼儀あり」という基本ルールがある。
離婚した女性を見ていると、この距離感の果たす役割の解ってない人が多い。
スナックや居酒屋のママは離婚経験者がほとんどだ。
フレンドリーで、お互いに距離を置かないのがプラスに働くのが皮肉である。
お客は群れに来るのだから丁度フィットするのか。

 群れといえばこういう話しがある。
私のある姉が東京圏で、サラリーマンに嫁いで団地に住んでいる。
そこで色々な家庭を見ていて、子供の数の理想は3人以上と言っていた。
「3人以上だと群れという感がする」
「家庭は群れの場、その為にはその数が必要と見える」
といっていたのが印象に残っている。
人間は孤独を求めると同時に、何らかの形で群れてないと生きていけない。

 カナダやアラスカで一人で荒野に住んでいる人が街に出てきて人に会うと、
ハイになって話しまくるという。スナックなどでは多く見かけるという。
何か解るような気がする。
都会のスナックの片隅で一人飲んでいる人は、人間の持つ両面を裏表にした姿である。
群れの中で自分を見失わないためには、自分の世界をしっかり持ち距離を保つことが必要だ。

 朝鮮人儒教の影響が非常に強く、家庭の結びつきが日本に比べ格段に強い。
それに比べ日本は幕藩体制を300年続けてきた為か、組織に対する所属意識が
強い。侍は藩に~百姓は5人組に組み込まれていた。
韓国人ー朝鮮人と結婚した人はその文化の違いに驚くという。
基本的には日本人と全くかみ合わない。
とくに男女間の距離感が違うという。韓国では結婚した男は妻以外の女性とはどんな形でも
付き合ってはならないという不文律があるらしい。
夫婦間の愛情は濃密で老夫婦でも小さな布団に一緒に寝る。

 韓国人は情が厚く、寂しさに耐えられないために、家族間の人間関係は深い。
他人同士でも一つの共同体になったときには「親しき仲にも礼儀あり」という日本的習慣は
通用しないという。親しくなったら甘えてもいいという発想があるという。
今でも地方では日本でも強く残っている。韓国人は親しくなればなるほど相手を騙す。
馴染みの店から不景気だから来てくれと電話がかかったら、それはサービスをするという
意味でなく、馴染みだから高い金を払ってくれということになる。
あの北朝鮮金王朝の異様さは、この濃密さを政治体制にくみ込んだためである。

 韓国的濃密さは日本では一番嫌われる。日本人と韓国人の結婚の話が少ないのは
文化の違いがあまりに大きいからだ。朝鮮人が日本で「つかず離れず」のスタンスで
住むには最適であろう。在日朝鮮人にむしろいえることか。

いつの間にか朝鮮人論になってしまったが、「つかず離れず」とは正反対の文化である。
逆にいえば、「つかず離れず」こそ日本人の文化といってよい。
色いろな社会に属すことを好む日本人は、「つかず離れず」が一番良いスタンスになるからだ。
属している共同体が、それでいて最優先にする。
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2002年3月9日
西アフリカ旅行中で書き込みなし
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ーお笑いー
「サンゼルマンの嘘 」
 18世紀に実際にいた大詐欺師サンゼルマンの話。
自分の年は2000歳でキリストとは知り合いだという。
そのふれこみでヨーロッパ中を詐欺をして回っていた。
その従者にある男が聞いた「キリストに会ったというが本当ですか?」
従者「300年しか生きてないので、その頃のことはわかりません」