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昨日は、シネマ館で映画観賞。
ハリウッドものだが、迫力過剰感あり。
敵対する悪役を微妙な黒人。ヒーローの片割れが、
サモア人にして闘わせる。
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5626,人生を幸福で満たす20の方法 ~⑥
2016年08月10日(水)
<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
* 絶望の日々を生き抜くために ~【 】内は私見である。
危機の中で、生き抜く方法を以下のように挙げている。
☆ 危機は自然体で乗り越えよう
:危機は肉低的危機と、尊厳の危機がある。
:想像を絶した困難を乗越える努力の必要がある。
【挫折は、魂の危機である。その時に教養と情報が大きな糧になる】
☆ 夢を叶える方法
:人間万事塞翁が馬 :人には添うてみよ :馬には乗ってみよ
:転石苔を生ぜず
夢を持ち続ければ、縁は振ってくる それを信じた人のところに
受け入れる人のところに
【棒ほど願えば、針ほど叶う】
☆ 絶望の中に希望を見出す
:絶望の淵に立ったとき 悪魔に背中を押されて奈落の底に落ちますか、
天使の助けを借りて青空に舞い上がりますか どちらも貴方次第です。
:絶望度を測る3つのステップ
・本当に絶望しているのか ・絶望とあなたの距離を測る
・絶望から立ち直りたいと本当に望んでいるか
☆ 赦すことで前に進もう
☆ 孤独からの脱出法
:孤独のコントロールとは、一人でいるときに孤独だと感じないで済む
能力である。
【大家族の末っ子で育ったため、多人数の兄姉は、自分の世界を閉じて、
それぞれが孤立していた。それが逆に、疎外感を少なくしてきたようだ。】
――
最後の最後は、自分ひとり(自問自答の世界)である。それに何時、気づくか。
実際のところ、幼児の頃に光を失うことは大きなハンデだろう。それを努力で
克服した当人の言葉には血が滲む思いが入っている。
私が、危機に立ったときに、実行してきたのが、<対象に「正中心一点無」
にして、自然体に身を委ねる>ことである。 これで、何度も救われた。
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5261,決断する ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月10日(月)
~ニーチェ「超」入門~白取春彦著
* 決断する
ニーチェは、生きるために必要なこととして「決断」の重要性を上げる。
事業を振返ってみると、小規模ながらも節目には多くの決断に迫られた。
・ソ連崩壊、中国の実質的に共産主義経済から、自由主義経済への移行。
・それと時期を同じくした日本経済バブルの崩壊とデフレ経済の進行。
・9・11テロとアフガン戦争とイラク戦争。そして、世界経済の低迷。
・リーマンショックと、日本経済の更なる低迷。
・何よりも、ネット・パソコンを代表とする情報端末の普及による社会変化。
など、思いもよらぬ断層が生じ、その対応に、思い切った決断が迫られてきた。
その決断こそ、生命が生延びるか、死滅するか境目になる。~その辺りから~
≪ 人生のまっただ中で、若い人たちがとまどっている。この人生の中で、
何をどうすればいいかわからないからだ。迷い、怯え、自己過信などとうの
昔に失い、さらには残る自信を削られ、自分の力のなさと能力の乏しさを感じる
だけの日々。そうこうしているうちに、望みの多くを達成しないままに、確実に
歳だけが増えていく。
実は、こう感じているのは若者だけではない。いい歳をしたオトナも同じ。
なぜならば、みな人生の初心者だからだ。ところが多くの人は、オトナはいわば
人生のヴェテランだと思い込んでいる。自分は人生のヴェテランだと称する
中高年も実際にいる。
けれども、十代のときに面したのと同じ問題が三十代になってもまったく
同じ形で自分に向かってくるわけではない。三十代になれば三十代の問題がつき
つけられる。七十代になれば七十代の、そして衰弱や病気などの逃げがたい問題
が加わる。そういう意味で、誰もがその時点において人生の初心者なのだ。
もしそうでなければ、たとえば親の助言を聞いて同じように実行する若者ほど
人生がたやすくなる。ところが、親の助言や知恵は有効ではないことがしばしば。
すでに親が経験した時代とはまったく別の時代が今だからだ。よって、いつも
昔の解決方法が有効だというわけにはいかない。 昔の事柄にしか習熟していない
親の助言や知恵が現代で無効ならば、若い人の問題や悩みを助けるのは何だろう。
書物だろうか、現代の問題についての新しい考え方だろうか。
それらは有効であり、有効ではない。なぜならば、個々人の問題に直接的に
具体的に役立つようなものはないからだ。だからこそ、それぞれの人がそれぞれ
の個人的な人生を選んでいく意味というものがあるのだが。
それはともかく、問題解決に役立つものをどこかに探すという依存的な姿勢を
脱すべきだろう。では、人生最初の問題に面したときにはどうすればいいのだろう。
確実な答えがある。問題の前でいつまでもぐずぐずしていないことだ。
すなわち、決断をする。その決断がまちがっていたらどうしようなどとは
絶対に考えない。決断を自分で引き受け、自分で取り組むのだ。
うまくいくかもしれない。ひどい目に遭うかもしれない。その中間かもしれない。
いずれにしろ、事態は変転する。 これは、超人のやり方の一つだ。
おじけついて引き下がらない。人目を気にしない。前例の真似をしない。
おずおずと取り組まず、堂々と果敢に取り組む。そして、どういうことが起き
ようとも反省などしない。もちろん、後悔もしない。自分の決断が新しい時代を
生むことになったら、また自分で決断する。力の限りに取り組む。そうしていく
うちに、すべてが変わる。自分すら変わる。それには少しの勇気が必要だ。 ≫
▼ 4年数ヶ月前、まだ財務悪化が深刻になる直前に、事業継続の断念を決断した。
弁護士が『今回は、見切り千両、いや見切り万両です』と言われたが、時間が
経つにつれて、それを改めて実感している。ただ、現象は変われど、問題解決の
手順、方法は、同じである。問題の中心を、「正・中心・一点・無」の心で
凝視し、過っての手順を思い出し、これも45年の事業人生の最後の区切りとして、
味わい深く一つずつ決断していく。そのうち、現象そのものが面白くさえなる。
それが、上記そのまま。 そう、決断は、人生を根底から変えてくれる。
決断を延ばしに延ばし、野垂れ死が待っている日本。どうなるのだろう?
決断直後は、激痛が伴うが、べき時に決断をしないと、どうなるか。
できない彼らの薄ら笑いが目に浮かぶ。 もうじき、涙目になるのだろうが。
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4896,ホントに大事なお金の話 -2
2014年08月10日(日)
『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
* 医療保険と、生命保険に入る馬鹿!
少し考えてみれば分かることだが、生命保険など、もっての他。あれだけの
約定を誰も読まないし、読んでも解りようがない。そこには、あらゆる保険会社
に都合の良いことが書いてあるのは当然の話。私たちが、30、40歳で死ぬ確率は
1千人に1人でしかない。社会人になると同時に、保険屋からの軽やかな勧誘。
それが、実は家と同じ位の大きな買物であることさえ知らず、契約をしてしまう。
そんな甘い時代も終わったと保険屋はいうが・・
ーまずは、以下の部分からー
≪厚生省のデータによると、死亡率は35歳男性で1000人中0.8人、40歳では
1・28人となってます。 文字とおり万一ではないが、千が一ぐらいの低確率。
とはいえ、不幸が起きてしまうと家族に対する経済損失は大きく、人生最大の
リスクになる。生命保険文化センターの試算では、40歳男性で、
妻38歳・長女10歳、長男8歳の4人家族の場合、会社員で約750万円。
自営業者で約2400万円を、民間の保険でまかなうのが望ましいと、されます。
データによると30代男性は平均2200万円、40代男性は平均2800万円で多くが
会社員であるとを考えると充分に用意できていますね。それでも、生命保険文化
センターによれば、足りてないと感じている人が6割にのぼる。月々払う保険料は、
何も起こらなければそのまま消えていきます。いわゆる「掛け捨て」という言葉
にあるように、お金を捨てている気にさえなるかもしれません。
そこで、保険料の一部が将来戻ってくる商品があります。「積み立て」「貯蓄型」
と呼ばれるタイブ。払ったお金が利息ともに戻ってくると聞けば得した気分なる。
万が一の備えと将来への貯蓄がひとつの保険で、できるので、一挙両得な気が
しますね。実際、貯蓄好きの日本人気質に合ったのか、このタイプは人気のよう。
ところがこのタイプ、よくよく見ると、掛け捨て型の保険に「積み立て部分を
編込んだ商品」なのです。将来の教育費に備える学費保険も同様です。≫
▼ 39歳までにガンになる人は、一年間に100人に1人。その死亡率は
500人に1人しかいない。統計から見ると、ガンは高齢者であり長生きをした
代償。その漠然とした不安と、こういう事実を知らない素人を言葉巧みに誘う
のが保険の本質である。平均入院日数は35日で、入院の自己負担は平均20万。
これに対し、保険会社から給付される保険金は、平均一万。一生に1~2度の
イベントのため、保険に入っている。30歳の人が給付金1万を受け取るため
の保険料は、月に約3千年。合計10年で36万。預金にすれば金利がついて
40数万になる。そこからも、保険のカラクリが見えてくる。支払保険の半分
は、保険屋の餌食とみればよい。私の主義として、銀行借り入れの前提条件の
ホテルへの火災保険以外は、保険には入ってない。そのため、家内は不安に
なって、結婚以来、家内名義の給与から、健康保険と厚生年金を差引いた分の
10万を40年間、預金をしていた。それが、3年前の窮地のタネ銭になった
ことは何度か書いてきた。保険屋の餌食になっていれば、半分は??
この一連で言われた、計画倒産など元もとする必要など無い。
世の中には下衆の類が多いが、保険屋の一番おいしい人たちでもある。
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4529, 生きる悪知恵 ー8
2013年08月10日(土)
「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
* 親の面倒は金で解決と割り切ること
Q: いい年して恥ずかしいのですが、親と仲良くできません。中学の頃って、
誰も口も利かなくなるじゃないですか。 大学で家を離れ、正月もほとんど
帰らないまま30年か過ぎ、もはや何を喋っていいかも分からなくなりました。
とはいえ、ある年齢以降は「たまには親孝行を」と思って食事に連れていったり
もしたのですが、「ひとつも旨くなかったな」などと人の好意を無にするような
ことを平気で言います。・・・ そんなことが積み重なって、親との間に微妙な
食い違いが生じるようになってしまいました。・・・
どうすれば心穏やかに親と接することができるでしょうか。
A: 親の面倒は、それこそお金で解決しなきゃいけない問題なんです。
だって、24時間も介護してたら、仕事はどうするの? 自分や奥さんや、
子どもの生活はどうするの? 医師も介護のプロもみんな言ってます。
「素人じゃできないよ」って。寝たきりでウンコを投げてくる人を、素人が面倒
見れる訳がない。共倒れになるだけ。介護はプロしかやっちゃいけない。だから、
そのためにもお金を貯めておかないけない。 親孝行もいいけど、そのへんを
はき違えて優先順位を間違う人が多い。家族のことを考えたら、姥捨て山に捨て
なきゃならないときがあるんです。だから、本気で介護のことを考えるなら、
早めにそういう施設を見つけておくこと。あとは金銭面でのバックアップ。
家族がやるべは金銭面のバックアップ。週イチでもいいから、 お花を持って
いって「大好きだよ」とか言ってあげる。そして、お金を出してあげる。
だからもう、仲よくするとか親孝行など考えなくていいんです。無理なものは
もう無理。というわけで、そもそも親と仲よくできないと悩むこと自体がムダ。
【親子仲よくなくてヨシ。】 困ったときは力ネで解決。
そのためにしっかり働きましょう。
▼ 8人兄姉の末っ子だったこともあり、両親から孫のように扱われてきた
こともあり、至って良好。そうこうあって、実家に住むことになって現在に
至っている。 母は亡くなる前の5年半の間、軽い痴呆症になっていた。
息子二人を含めた家族総がかりで何とか持ちこたえたが、傍目と現場の違いは、
あまりに大きい。金だけで解決できるほど甘くない。しかし、金で割りきった
方が良い部分が多くあることも事実。昔から、老人の蔑称に、「死にそこない」
というが、長生きはよいが、死に損なうのは問題だ。人生、そう甘くない!
特に最期は。明るくプッツンと逝きたいもの。
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4154, 中小企業の延命は、すでに限界
2012年08月10日(金)
* 金融円滑化法、来春廃止(返済猶予後の倒産が増加)
昨日の朝日新聞の経済欄のトップに、「中小企業延命策、すでに限界」の
見出しで、この活用後も経営難が悪化し、倒産が増えている実情をレポートを
していた。 ーまずは、その概要をまとめるとー
≪ 金融危機で資金ぐりが苦しくなった中小企業の借金返済を先延ばしの
金融円滑化法が、来年3月末で期限切れになる。一時的延命も、経営立て
直しも出来ず、倒産する企業が増えてきた。大方の会社は、その延命期間も
市場環境が悪化、借金が増え続けてしている。地銀の支店長によると、正常な
貸出先に戻れるのは全体の15%。計画通りにいかないのが85%を占める」。
金融庁によると、返済猶予をした中小企業は全国で30~40万社の前途。
この通りだと、25~35万社がこの秋以降、かなり厳しい事態になり、
倒産が大幅に増える。≫
私の事業も金融法で延命したが、売上減が止まらず先行きの見通しはゼロ
もあり見切りざるを得なかった。 恐らく無理をし続けていたら今は地獄。
おまけに、この秋口に欧州発世界的株式の暴落か、中東戦争が起きそうな状況で、
多くの倒産が続出することになる可能性が強い。これに再来年の消費税の増税を
考えると経済パニックは避けられない。9月以降は日本も世界も非常に厳しい
緊迫した状態になる。何らかの延命策も取られても、このままでは済まない。
実際に私自身が、その渦中にあったから、近未来が手に取るように分かる。
平成を装っているのか、この静けさは何だろう。大手家電メーカー各社が軒並み
に大赤字でリストラが行われている。東北大震災から一般の消費動向が一変、
ショッピングに楽しみを見出さなくなってきているという。震災の経済に
与える影響は、これからという上に、リーマンショックと欧州発の金融危機と
くれば、誰もが財布を締めて当然。 どうも話はマイナスばかりだが。
・・・・・・・
3789, 天才だもの
2011年08月10日(水)
{「天才だもの」ーわたしたちは異常な存在をどう見てきたかー春日武彦著}
天才に関する本に何故我われは引き付けられるのだろう? それぞれの専門の
切り口が違っているところが面白い。天才と気違いは紙一重というが、気違い
の部分が重なっているだけ。 天才と気違いは凡人の世界から遥か彼方から
違った視線で、逆照射している部分は同じである。何処が違うかというと、
目指した対象の創造されたものが卓越した結果を出しているかどうか。
気違い?は、そこまで完成させる執念がない。そのへんが凡人と重なっている。
凡人も一度は狂い逆照射すべきだ!そうでないと?
ーまずは、序文の中からー
【 P/16 ー天才について語る時、多くは凡庸な語り口になってしまう。
ここで語られるのは、「天才」そのものよりも、私たちがどのような人物を
「天才」と見なしてきたかについて語られている、といってよい。
・・・ さて天才の定義である。あたかも天から授かったかのような傑出した
才能に恵まれた「選ぼれし人」といったところだが、世間のイメージとしては、
天才にはいくつかの条件が求められる。早熟といった点はどうであろうか。
天才は彗星のごとく登場する、しかも少年や青年のうちに・・ 。
またランボーが不細工で貧相な中年男なら、あれほどの評価は得られなかった
のではないか。画家のビュッフェも画壇への登場は若干十九歳であり、
ローティーンにして大学の数学科を総代で卒業したとか、天才以前に紳童である
天才伝説には必要なのかもしれない。・・天才は日常生活においては無能ないし
常識外れであることも、三島由紀夫は寿司屋でトロしか頼まなかったとか、
ディケンズは青い紙に青インクで原稿を書いたとか、ペン・ジョンソンは立った
ままの姿で埋葬してほしいと言い残したとか、その類の逸話を求められる。
大いなる才能へ脳が機能の大部分を捧げてしまったため、ごく当たり前のことが
余力を割り当てられなくなってしまった、さもなければ形而下の出来事など関心
の外へ追いやられてしまっているのだと理解することによって、やっと我々は
彼らを怪物と見なさずに済ませられるわけである。そして天才は幸福であっては
ならない。少なくとも世間一般で言うところの幸福に甘んじては困る。
いい歳をして電車の切符集めが趣味とか、五〇を過ぎても童貞で平気とか、
金銭にまったく無頓着とか、食事メニューが一年三六五日同じとか、そういった
非現実的なところがないと困る。あまりにも卑俗な欲望を刹き出しにされると、
我ら凡人たちのライバルとなりかねない。それは承服しかねるということになる。
妄想の持ち主、つまり精神を病んだ人たちは、ときに自らを天才と称す。
つまり誇大妄想である。 統合失調症では、当初は被害妄想に脳まされている
うちに、狙われる自分ー>自分は狙われる価値ある存在ー>自分は天才だから
狙われる、という具合に変化を遂げるに至る。】
▼ 軽いタッチの天才に関する随想といった内容である。別に、御堅い天才論は
別の本で読んで、これは我われが日常感じているレベルで読者と共に楽しめる
内容である。この情報化の時代に、あまりに多くの天才の才能が花開いてしまう
ため、逆に天才が見逃されるのではないだろうか。時どきブログで、「私は現在、
精神を病んで、一歩学術の世界から身を引いて・・云々」のプロフィールに正直
に書いてあるのに出会うことがある。むしろ、その方が、我われを引き付ける。
特に、哲学とか論理学で行き詰まり精神に異常をきたし格闘をしている
人の文章こそ真実にみちている。以前なら絶対に目にすることのできなかった
人たちの血と汗が、直接伝わってくる。