つれづれに

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 明日は、卒業50周年記念で上京予定。腰痛をおしてだが… 
合同葬のような気持でもある。大よそ、4分の1が亡くなっているが、
…何かしら、残りの4分の3のうち、介護される身か、する身か、出て
これない人が多いようだ。





・・・・・・

4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22
2014年06月27日(金)
  * 本店ビルの建替えへ
 そうこうするうちに、地元百貨店の二社が大手チェーンのニチイと、ヨーカ堂の傘下に
なっていた。そのニチイ傘下に入った隣地の百貨店と数軒の店舗の共同開発ビル計画が
立ち上がっていた。当地は、その四角にあり、要になるため、当然、参加の打診があった。
私が生まれ育った旧ビルも30年も経って寿命もきていた。 私は当初、共同ビルに参加
には賛成だったが、共同ビルの設計は当然、大型店に都合よいレイアウト。即刻、参加取り
やめになったが、この機会に新ビルを建替えることになった。私には千葉・千城台ビル立上げ
の経験がある。この設計過程と、ビル建設の二度目のチャレンジになった。設計会社は
千葉と同じ設計事務所と、担当を同じにした。30年前に、そこで、父が木造店舗から、
新ビルの立上げを、身近に見ていた幼児体験もあった。これに、千葉でのビルの経験を
加えての設計の立案、この建物は、その後の建物でのベストの傑作の設計。 
扇状の四つ角のビル。柱は最小に、ビル売却を前提において、テナントビルなどに転用
可能に、考え抜かれたレイアウトになっている。二階以上のフロアーと地下をメインの
1Fと分離できるテナントビルへの転用可能である。この建替プロセスほど、人生で
面白かったことはなかった。 父の魂が私に乗りうつって建てたような建物。現在は
予備校として稼動しているが、実兄が、通り相場の3~5割高で売却が出来た。
その買った人物が、その後に取組んだホテル創業のスタッフだった因縁があった。
ニヶ月でコンビ解消をしたが・・その人も、私から傑作作品と聞いていた面白いものである。 
10年後には、異種のブラックスワンの出現で・・? 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビル
を壊すことになったが、私の手で壊すのも大きな因縁。仮店舗への移動のため、閉店売出しで
一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。旧ビルへの御別れで、飲みほした
茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。長年の熱湯で強固に
なっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられた。 
 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。
何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を
1Fに落とし、運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。
・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
 * 日本人はなぜここまで怒らないのか
何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。
 ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえられるのは、
怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみは負の感情しかないが、
怒りはそれとは違う正のエネルギーを秘めた感情。  したがって、まず怒りに課せられた
誤解を解くことから始める必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーで
あって、それをうまく放出することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に暴力的言動に結び
ついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。しかし、その言動は否定する
ことになる。互いの主観をみとめ、話し合い、理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に
頼り、他者から理解してもらうことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り上げてきた。
・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、他の感情ー喜と哀と楽も
歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、楽しめない人間。極端までに怒りを
嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」が顕著になっている。人間は、怒りそのものを
抑圧されることによって、喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。
・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。
彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。モンスーン型は、温暖湿潤
なため温厚と同時に忍従的のため従順な人間になる。これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗
するため攻撃的になる。また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に
物事を考えるようになる。日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型は
アフリカやモンゴル。中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。農村的なるものの
エートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、求められる。 あの人は、
どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 
現在の日本の社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。たとえば、学校。
あれは目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室という名の農村。
もう一つ、気候と関連するものに地形がある。小さな島国の日本人は、外部に対して、まず慌て
動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。
30年前の1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。
思想界では、ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。
一緒に共通の夢「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・ それ以降、個人主義が拍車
をかけていった。 そして誰も怒らなくなった。権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、
自分の夢を追求した方がましだからです。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ないからである。
デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいか、ただ呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、
個々の中で憎しみに変わろうとしている。そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に
怒った内容。そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。
とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。


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3745, ジャズについて(?鵺) ー「ジャズ完全入門!」①  -16
2011年06月27日(月)
     ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ①
 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい内容で、15回に渡り書き出し
繰り返し読んでいる。しかし、それは熱狂的な長年のファンの記述と実感ではない。そこで図書館から数冊、
ジャズ関係の文庫本を借りてきた。その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いてあったのが、この本である。
 その「はじめの」の中の次の部分は、聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。
【  *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの‘演奏’を聴く音楽である」
 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉をはしょって突き詰めてしまえば、
これはかなりジャズの本質に追った鋭い答だし、他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり
切らない要素を少しずつ含んでいる。たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられているクラシック
音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった昔の作曲家たちの作品を、カラヤンとかグールドと
いった現代の演奏家たちの手によって再現されたものを聴くことが一般的なので、演奏を聴くことは、同時に
作曲された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏は過去の作品の解釈、
再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、
目的のための手段、といった側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、
「演奏者だけが音楽の主人公ではない」というところが、ジャズとは大きく異なっているのだ。 
 また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、あるいは心に染みわたるメロディの美しさが
音楽の魅力になっていることが多く、お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を
聴くというのが普通の楽しみ方だろう。・・・・
要約すれば、ポピュラー・ミュージックの世界では、演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、
歌詞の力が、とりわけ現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに対して通用しない
ところを思い出してもらいたい。 それらに対してジャズは、多くの人たちが誤解しているように「曲」を
聴かせることだけが演奏の目的ではない。またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない
(この部分を「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、いったい何をどう聴いていいやら見当
もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。ところが、この何をやっているのかよくわからない
「演奏」部分こそが、ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。だから多くのジャズマン
たちは、いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立てあげるかに、それこそ全身全霊を
傾けているのである。・・・ 】
 ▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の個性の表出として、オリジナリティを
証明するための利用対象にしている。曲にメロディがあっても何処かがずれているが、それでよいのである。
その個性的演奏がジャズの持ち味である。従って、聴手の方から理解しない限り何が何だか分からないという。
もちろん演奏者には、個性を売りにできる内容がない限り、ジャズのファンはのっけから相手にしない。
ジャズを聴きながら、これらを読んでいると、この世界が、こんなに深く面白いとは、知らなんだ。
・・・・・・・
3380, 閑話小題
2010年06月27日(日)
  * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ
 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表された。10万人あたり30・
4人という。ということは80万人として240人が自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。
 県としては秋田県が毎年トップというが。 真面目な内向きな性格が、そうさせているようだ。年代でいう
と50、40、60歳の順で、男二に対し女一の割合。 40から60歳代といえば中年から熟年への過渡期。
仕事も肉体も大変な時期である。 自殺といえば昔から北欧が多いが、日照の時間が短く、家にいる時間が
長くなる黒夜の時期に、内向きの暗い気持ちになり自殺する傾向が強いと現地で聞いた。年寄りだけでなく、
青少年の自殺が多いという。東北・北陸も、北欧と同じような緯度にあり閉鎖的になってしまうからだ。
それと景気悪化の直撃もあるのだろう。
  * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」
「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。
手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、相手の名前は?というと、本来、
差出人の名前を書く部分、つまり封書なら裏に書く。それでポストに投函すればよい。切手が貼れてないので、
差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた事例という。 なるほど! 
 他にも、配達人の恰好で、留守の人(旦那とか、隣の家にいって)に立替で集金をする。TVのニュースで
みたのは、夜間金庫が壊れているといって、警備員の恰好をした詐欺師がお金を預かる、などなどである。
 この本の詐欺師の手口の紹介、近々に書いてみるか?「世界は騙されたものの上で成り立っている」というが、
結婚など、その最たるものか。 幻想を互いに利用して実際は?? 騙し騙されない者よりはズット良い?
幻想もあるか?
 ・・・・・・・・
3005,戒名を自分で付けてみた
2009年06月27日(土)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で「戒名は自分で付けよう」
という本を見つけた。早速、借りて読んでみたが、面白い。戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場。
坊様が葬式のドサクサに故人の苗字と名前を元に名前を捻りだすので、いい加減で噴出すモノでしかない。
それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、遺族としても心の深くに響くというもの。
ネットで調べると、自分で付けるのは「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 
 宗派により、それぞれルールは違うが、 
浄土真宗(私の家の宗派)は、 ○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)が基本 
 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉を入れるケースが多い。
精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。
それに本人が好きな言葉、例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。
(最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い)
この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を即興でつくってみた。
これも縁である。
私 =堀井八郎    志誠院釈八楽居士  (志は母の名前の一字、誠は父の名前の一字)
家内=堀井恵子    慈愛院釈尼恵光
長男 =堀井大    霊覚院釈大道居士   次男=堀井崇史    自然院釈崇駿居士
 まあ、決して悪くはない出来栄?である  80ー90点?。
訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。
 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌など・・・)
 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 
だから亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か葬式屋にお願いすればよい。
「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。
ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた
父=堀井誠作   池行院釈誠道    母=  志麻   報寿院釈尼信華
 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。
ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。
丁度良い酒の肴になる。  酒楽院釈酩酊居士 の戒名か?
・・・・・・・・・
2641, 今年前半の総括
 2008年06月27日(金)
毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。
ー海外では
アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安 
・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った
ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡  ・中国のチベットで暴動、全国的にも波及
・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明   
ー国内では
・岩手・宮城大地震                ・秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた
アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落 
・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった
・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪といってよい状況
 特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような最悪の事件だった。
これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った心の奥の一端を見せ付けらてしまった。
ー個人的にみると、
・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、自分まで落ちつかず。
・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。(連れ合いも全て亡くなった)
 これで親戚関係の付き合いが大きく変わる。
・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が劇的に良くなった。
 iPodを購入し、常に携帯するようになったのも大きい。
・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み二人強引にピンクに引き込まれ
 そうになって警察まで行った騒動もあった。 
・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。
ー会社は、
・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の決算は好調。
 今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。後半も大きな波乱要素が多くある。
 山より大きな猪はいない、というから、その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。
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2007年06月27日(水)
2276, 天才論 ー1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]  ー読書日記
「天才論」
ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、成る程と思う箇所が多くあった。
この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。ダ・ヴィンチの絵については、
モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だったとも言われてきた。
ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子ということも含めて、
自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、ある種のコンプレックス
ダ・ヴィンチも持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」というところが印象的。
「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら
何なんだろうか? モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、
ダ・ヴィンチにもいくつかの「でこぼこ」があるはずとの著者の指摘。ダ・ヴィンチは絵については評価は
高いが、彫刻にしても、手稿として残されたものに書かれてある「機械」についても疑問点をあげている。
その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが
二つあるとして、
 ・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と
 ・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。
天才といわれる人は、トップダウンの働きの傾向が強く、頭の中に「具体的な何か」をハッキリと思い
浮かべてしまうようだ。アインシュタインモーツアルトニーチェなど天才と言われるひとたちには、
トップダウン」の働きが強いが、レオナルドは「ボトムアップ」「トップダウン」の両方の要素を持って
いたと著者は指摘。彼の書いた絵について他の作家の絵画作品との違いに触れて、レオナルドを語る上で
重要な部分とみている。それはキャンバス(背景図)に描かれた部分に秘密が含まれており、それを読み
解くことを見る人に問いかけていると指摘している。
 ー天才についての著者は以下のように指摘している。。
 (2010年6月28日字数制限の為カット)
・・・・・・・・・
2006年06月27日(火)
1911, スペイン画家・堀越千秋ー3       (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ
「スペインうやむや日記」ー2     ー 読書日記
 ースペイン人の特質ー
この本は読んでも読んでも飽きない。いや読むほどに堀越スペインの世界に引き込まてしまう。
同じ世代で、身近に感じ取れとられることもあるが・・・ 堀越の自在から滲み出ている人間の味が、
葡萄酒のように漂ってくる。28歳でスペインに渡って30年の実感を「国際人とは、長年の孤独に
慣れた者のことなのである」といっているが、海外の流浪者の哀感がそのまま伝わってくる言葉である。
流浪の民の著者の言葉だからこそ、言葉の重みがそのまま迫ってくる。
ースペインの特徴を、いたって解りやすく説明してくれるー
・行方不明者はタチマチ『死んだ』か『刑務所入り』にされてしまうような国。
 何でも断定と言い張ることは、スペインの特技。
・女性に対しては、『誰に許されて、彼女らはあんなに威張っており、わがままであり、傍若無人であり、
 支離滅裂であり、没論理的で、没個性的で、保守的で、ヒステリックであり、お行儀が悪いのか』
・頭の中には、サッカーと闘牛しかない男たち。
 ーー
だいたい、これで著者のスペイン人についての思い・描写の部分を抜粋した。下手な作家より、どうしてこうも
画家の方が描写が上手いのだろう。やはりスペイン在住日本人で、何よりスペイン人が好きだからだろう。ーつづく 

・・・・・・・
2005年06月27日(月)
1546, 人生の最後に後悔すること
 アメリカの90代の男女1万人の質問、「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」
の答えは、「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」ということだという。おそらく今後未来
永劫?同じ答えになるだろう。一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、人生が
私たち問いかけている問題である。この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、後悔を
しない生き方になる。中村天風のいう「積極一貫」を、人生を通して徹することである。何故、色んなことに
頑なに目を向けなかったのだろうか?知識がなかった現状に満足しきっていた、余裕がなかった、人生を真剣に
考えなかった、等々、いろいろあるだろうが。豊かなアメリカの90代の人々が「もっと多くのことをチャレンジ
すれば良かった」という切実な後悔は、何を意味しているしているのか? 旧共産圏や後進国では、こういう
問いかけは少ないはずだ。それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえる。ということは、
「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」という答えが自動的に返ってくる。
教養とは、
・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、広く深い知識と経験持つことによって知ることをいう。また、
・『人生は可能なかぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る経験と知識である。
 しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。限界まで生きてきたからだ。
それしかないし、他は考えられないからだ。 それでも、あるのが人間であるが。「もっと多くのことに
チャレンジしておけばよかった!」 この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、もっと深く問い詰めて
みよう!か。父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分にとって単なる数字の羅列で
しかない!」と言ったことを思い出す。 中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。
人間を支配している不安と恐怖が、新しいチャレンジを阻害するのだろう。そして貯金をすることで解消しよう
とする。それに支配される状態が、老いている状態である。今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。
90歳の人がいうから問題がクローズアップする。20歳でも同じ問いかけが必要である。周りを見渡せば幾らでも
チャレンジの対象がある。見えてないのだ。それも足元にあるのに。
・・・・・・・・
2004年06月27日(日)
 1181, カント ー 哲学についてー11
カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家とみなされている。ドイツのケーニヒス
ブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。 因果なことに、“ せむし ”で、背中にコブがあり、身体が
ゆがんで胸が小さく、生まれついての喘息もちだった。脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死に
そうな子供であったのだそうです。毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを
「 駄目でモトモト 」と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。
そうするとこの医者は、じっとカントの様子を見てからこう言います。「 あなたは本当に気の毒な身体をして
いる。辛かろう苦しかろう。それは医者として見ただけでわかる。しかし、それは身体だけのことだ。身体は
確かに気の毒な状態だけれど、心はどうでもなかろう。心までも“ せむし ”みたいにゆがんで息苦しくて
ゼイゼイしているのならともかく、あなたの言うことも心もしっかりしている。身体のことで辛い、苦しい、
といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで何にもならない。それよりも、心のしっかりして
いることに感謝しなくては。死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、
身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。このことがよくわからないようだったらお前は本当に
不幸なんだよ。」 カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。人間というのは、 身体あっての
ものだろうか、心あってのものだろうか・・。そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。
終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、
街の人は時計の時間を修正をしたという。
  (2008年6月27日字数制限の為カット)
・・・・・・
2003年06月27日(金)
814, 「ありがとう」の言葉 ー6
 昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。たまたま
通りがかりの自転車に乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれるという。ところが
なかなか現地のその場所がわからない。
( 2008年6月28日字数制限の為カット )
・・・・・・・・ 
2002年06月27日(木)
450,吉村作治-宗教・教えー3
(2008年6月28日字数制限の為カット)
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2001年06月27日(水)
[66] ソフト変更
昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。
これは写真も貼れる。そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。お笑いも分類のコーナーを
つくり、見やすくした。まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。昨日は3Dホーム
ページソフトの打ち合わせと、このホームページの変更の打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。