つれづれに

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 今朝はポタリングに…

 警察官への襲撃事件。 精神を病んだ者の犯行。
これだけは、どうにもならない。手立てなど打つ必要もないし、
打っても、同じような事件は起こる。 

 





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4102, 予言の書「日本の自殺」 ー6
2012年06月18日(月)

   * 危機は日本人の内部にある
 日本人内部の危機は、敗戦後のアメリカによる日本隷属化政策によってつくられた精神が生み出したもの。
戦後民主主義は自由、民主、平等主義の上面だけを咀嚼した代物。そのため、時間と共に矛盾が大きく出て
いるのである。バブル崩壊9・11テロ、9・15のリーマンショック、そして東北大震災の影響をモロに
受けてしまった日本は、ここで大きな試練に立たされている。そして、世界恐慌に入ろうとしている現在、
更なる崩壊が進んでいる。
【 ローマ帝国に関して言えば、社会内部からの自壊は、
 ◎世界国家の心臓部の繁栄 ↓ ◎豊かさの代償としての放縦と堕落 ↓ ◎共同体の崩壊と大衆社会
  状況の出現 ↓
 ◎「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」 ↓ ◎増大する福祉コストとインフレとローマ市
  の活力の喪失 ↓
 ◎エゴと悪平等主義の氾濫 ↓ ◎社会解体   というプロセスで進行したのである。
この自壊のプロセスは驚くほど現在の日本(1975年当時)の社会過程と類似している。日本の没落の危険は
資源問題や輸出市場などの客観的、外部的、物質的制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、
主体的、精神的、社会的条件のなかにこそひそんでいるのである。
 没落の真の危険は、日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機
や試練に挑戦しようという創造性と建設的思考を衰弱させつつあることのなかに、 日本人が部分を見て全体
をみることができなくなり、短期のことしか考えず、長期の未来を考えることができなくなり、エゴと放縦と
全体主義の蔓延のなかに自壊していく危険のなかに、存するというべきなのである。
 豊かさも便利さも、そして情報化、都市化、大衆化、福祉、自由、民主主義、平和なども、現代文明が高く
掲げてきたプラスの諸価値を含んでいたが、人間社会の出来事になんらのマイナスを伴わない絶対的プラスは
存在しえない。自然科学と同様である。節度を越え、調和を喪失したとき、それは突如としてマイナスに変わる。
それは、資源問題、公害問題を通じて少しずつ理解されている。 豊かさ、福祉、自由、平和、平等などに
実は恐るべきマイナスの副作用が現れることについて、自覚を欠くとき、福祉国家は人間と社会を堕落させ、
自由は無秩序と放縦に転化し、民主主義は全体主義と衆愚社会をもたらすであろう。没落の原因は、外的
要因ではなく、むしろ内的要因にあることを繰り返し述べている。外的要因については、それをはっきりと
捉えることができるので、意思さえあれば対処可能なのかも知れないが、内的要因については、まずもって
自覚できない、このため要因をはっきりと捉えることができない、
そのため対処することが非常に難しい、ということなのか。】
▼ ローマ帝国の自壊は、37年前の日本というより現在の日本の自壊の姿である。ここで、「この問題は
 決して克服できない問題でない」とあるが、結果として果たして克服してきたか疑問である。問題は、
ここに書いてあるとおり「日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつある」ことである。
その上にグローバル化による価値観の多様化もある。日本の自滅は文明の自滅でもある。
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3736, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  ~10
2011年06月18日(土)
  * 具体的な弁論は? ーミロのビーナスの腕 『議論に絶対に負けない法』ゲーリー・スペンス著
【 それから私は、開発業者の利益のために美しいジャクソン・ボー・バレーの木々を伐採して醜い宅地
 にしてしまうことに対する反対論を述べた。「はじめにお話をさせてください。ミロのビーナスはパリの
ルーブル美術館に所蔵される前、ベネチア芸術の美術商の手に入りました。この時すでに、この像は人々の
注目の的でした。そのポーズと着衣の優美なひだがこのビーナスに非常な気品を与え、完壁な芸術作品から
発せられる力をすべて持ち合わせた傑作でした。人々はこの像を見るために遠くからやって来ました。
そして時がたつにつれ、像の人気が高まるにつれ、像には手を触れたすべての女性を美しくする力がある
と考えられるようになりました。美術商は、このビーナスの小さなかけらがほしいという大衆の要求を利用
すれば、大もうけできることに気づきました。ビーナスを見ようとたくさんの女牲がはるばる長旅をして
やって来て、小さなかけらだけでもぜひ手に入れたいと願いました。持っていれぽ美しくなれると信じて
いたのです。美術商はある計画を立てました。石膏でビーナスのコピーを作って、そのあと本物のビーナス
を粉々に壊してしまおうと考えたのです。粉々にしてそのかけらを売れば、この芸術作品をまるごと売る
よりも、はるかに巨額のお金が転がり込むほずだと思ったからでした。そこで彼は、大金槌を持っている
職人たちをビーナスが飾ってある自分の店に呼び出しました。「粉々に壊せ。壊して、千個のかけらにしろ」。
彼は命令しました。彼がはじめという合図をしようと腕を上げ、それを振り下ろそうとしたちょうどその時、
目に見えない剣に切られたかのように、彼の腕が体から切り落とされました。それと同時にミロのビーナス
の反対側の手も切り落とされました。肉の腕と石の腕、二本の腕が床に落ちて十宇の形を作りました。
それはビーナスは決して壊されてはならないという神のお告げだ、と職人たちは思いました。それから
間もなく、ミロのビーナスルーブル美術館のものになり、今日にいたるまで、美しいものを愛する
すべての人のために大切に保存されているのです」 私は少しのあいだ黙った。部屋はしいんとしている。 
 人々の顔はビーナスの顔のように無表情だ。私は続けた。「この谷は、単なる人間の彫刻家が創造した
ものではありません。この谷は、神様がお創りになった芸術作品なのです。事実を把握しているであろう
世界的な旅行家の多くは、そびえ立つ孤峰と汚されていない湖がいくつもあるこの谷は、世界で最も美しい
谷だと宣言しています。かつてミロのビーナスが私欲のために彼女を破壊しようとした強欲な美術商の手に
あったのと同じように、この谷も皆さんの手のなかにあるのです」 私は演壇を降りた。・・・・ 】
▼ 自然破壊の是非の裁判で、こんな逸話を出されたら開発業者は、勝てるはずがない。
 ミロのビーナスのこの逸話、聞いたことがあるような、ないような? ネットで調べても、
この話は出てこない。片方の腕に林檎を持っていたという説がある。
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3371, 込み込み六千八百円のホテル
2010年06月18日(金)
 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、
料理に飲み放題、カラオケで歌い放題で全部で六千八百円だった。仲間10人で土日の高速代金の千円を
利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。
さっそくネットで調べたら3名以上、込み込みでバイキングコースで六千八百とあった。
酒もビールもセルフで、カラオケもけっこう良い設備で、まあまあ満足という。大湯の湯元館は、一応老舗
で知られたホテルである。思い切った頭の切り替えが出来れば、自分でも出来たはずだが。まあ、無理だろう。
伊藤園ホテルグループの格安ホテルの話は聞いてはいたが、新潟でも買収をしていたのである。
ホテルの名前も、設備も、そのまま使っているというが・・・ なるほど、面白いところに目をつけたものだ。
 十数年前にペガサスクラブで、「パイプの煙」というリゾートホテル・チェーンの社長と同席をしたことが
あった。リゾートホテルのディスカウントでチェーンを展開をすると言っていたが・・・
 事務所の数軒先に居酒屋の全国チェーンがあるが、その店頭に飲み放題で込み込み三千三百円とある。
個室の宴会ルームではカラオケが無料で歌い放題。 その二倍で湯沢温泉に浸かって泊り込みで遊べるから
価値はある。  ところで、札幌で中国人専用ホテルが出来るそうな。
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2996,定年か~  ー1
2009年06月18日(木)
        「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北連一 (著) 読書日記
 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、
地元のスナックなどで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや~サンデー毎日も疲れるよ」と言われ、
その意味も最初は分からず、解釈してもらって分かる次第。特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた
人は定年後の日々を切り替えるのは大変だろうと察する。私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ
聞こえては来ないが、従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。群れから離れて奥さん1人相手か、
独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。そして、まずは「老人性うつ病」が襲ってくる。
これは抉らすと危ない。現在の私も少し「うつ病」気味である?、とにかくムカツクのである。いや、
恐慌下の売上不振なだけか。そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、切実さが直に伝わってくる
内容。具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の奥さんとの力関係を取り上げている。ヤット、
会社の人間関係から解放されたと同時に、新たに小さな家での息の詰まるような関係。
「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる一方。「定年葬」と悲観に暮る人もいる。 
この本は「定年退職前後はこういうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 
【 定年前に‘やっておいてよかったことは’、料理ができるようになっていた,遊び仲間がいる,
 ローンが終わっていた,書斎と書庫を持っていた,娘たちを追い出したことだと吐露する。
‘やっておけばよかったことは’,会社離れをする前に,定年後のシミュレーションをやっておく,
妻とのコミュニケーションをとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】
こういう人生もあるのかというような内容だが、「定年の敵は女房だ!」という人のケースなど、
深刻な内容も赤裸々に取り上げている。  8人兄姉の末っ子だったことや、親戚に多くの従兄弟たちの
生き様がみえる立ち位置に居たことからみてきて、「人生の敵(ミカタ)は女房」というのは深く肯けるが。
その辺は、受け止め方の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、
最大の問題ということ。 それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうかである。
 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。
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2632, 娘に贈る12の言葉
2008年06月18日(水)
   「人生と投資で成功するために  娘に贈る12の言葉」 ジム ロジャーズ (著)   b(’0’
 ある本に紹介されていたジム・ロジャーズの「中国の時代」「娘に贈る12の言葉」をアマゾンで
取りよせて、読んでいる。成るほど面白い。二年ほど前に、ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか
面白かった。それに劣らない力作である。「ビジネスマンの父から息子へ送る手紙」を彷彿する題目
だが、内容は全く違う。
ー まずは、その12の言葉
・他人に流されてはいけない             ・大好きな事には情熱のすべてを注ぎなさい
・常識はそれほど常識でない             ・世界は自分で見ておいで
・哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい  ・中国の時代 中国語を身につけて欲しい
・歴史を勉強しなさい                ・汝自らを知ること
・変化をとらえ、そして受け入れなさい        ・未来を見つめなさい
・大衆に逆らいなさい                ・幸運の女神は努力を続けたものに微笑む
 ジム・ロジャーは一貫して、他人に流されないこと、好きで情熱を傾けられることをすること、
徹底的に歴史、哲学、経済を学ぶことを推奨している。
(字数の関係でカット2012年6月18日)
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2007年06月18日(月)
 2267, 「遊び」               (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から「働き」と「学び」と同じくらいに
 位置づけてきた。その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
 年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。    
 (字数の関係でカット、09年06月18日)
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2006年06月18日(日)
1902, 感動と感激について             
                                    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 感動・感激・感謝は、人生の豊かさという面で大きなキーワードである。感謝は「ありがとう」という
キーワードで多く書いてきたので、今回は感動と感激について焦点をあててみる。まず「感激と感動の違い」
についてである。感激は人の言葉や物事に心が感応することで、感動は大自然や音楽などに魂が感応する
ことである。感激は、その気持ちが対象に向かうのに対して、感動は自分の内側深くに向かう。
どちらも、対象の波動に自分の心・魂が共鳴することである。  期待 <実感 → 感動・感激
期待と実感のギャップが大きいほど感動、感激、感謝が大きい感情になる。その為には期待を小さくして、
実感を大きくして、そのギャップを大きくすれば、感動を大きくすることが出来る。反対に期待が大き
すぎた時に感動は小さくなる。秘境・異郷旅行は、正しく感動を求めるもの。厳しいところほど感動が大きい
対象に出会える。そこへ到達するまでの苦労が大きいほど感動が大きくなる。そこでは魂の根底を大きく揺さ
ぶるものがある。この感動と出会うまでの人生と、その後の人生と分ける位のインパクトになる。そこに
慣れてくると感動は小さくなるがそれで良い。それは自分が対象に同化したことになるからだ。冷静に対象
を見つめることが出来るようになる。感動・感激・感謝の経験の質量が、心の豊かさといえる。人生を振り
返った時に、自分の心に残っているのは感動と感激と感謝、そして後悔の念である。一般的に感動・感激は
年齢を重ねると同時に少なくなっていく。ある調査によると、毎月一度以上感激・感動する人は10~
20歳代で50?だが、30~40歳代になると30?に減るという。私の場合、歳を重ねるに従って、感動・
感激の場面が増加している。感動はその蓄積が、その質・量に比例して心の壁を低くし、さらに感動に対する
磁力を強くする。親の責任の一つとして子供に「感動・感激のシャワーを多く浴びさせること」がある。
それは自分自身に対してもである。ある質・量を超えると、その人間の質のアップ・スケールが生じる。
一番の効果は、内面に自信が出てくることである。それと自由の意味も解ってくる世間とかいう奴にも迷わ
されないようになる。感動は意識して自分に与えなくてはならない滋養である。そのためには自分を太鼓
に喩えていうと、常に手入れをして、その革を張り詰めていなくては共振はしない。 i(ω・`) bai
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2005年06月18日(土)
 1537, 「これから5年・地価は半値になる」-2        ー読書日記
ー対談方式だが、概略をまとめてみた。{??}は私の意見である。40年前の山の手線内の駅の数が多くの
地下鉄などの開発によって、現在では三倍以上に増えたという。山の手線内では殆んどの場所から5分以内に、
何処かの駅に歩いていけるようになった。
  (字数の関係でカット2011年6月18日)

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2004年06月18日(金)
 1172, ビューポイント
学習曲線というものがあって、自転車の乗り方や勉強や企業経営も同じである。新しいことを学ぶという
ことは,S字を横にしたようなパターンをたどる。初めはゆっくりだが次第にペースが上がり、ピークに
達してから穏やかに下降するパターンである。エントロピーは学習パターンがピークを過ぎたころにみられる
エネルギーの喪失を意味している。山道を車で走っていると、何処にもビューポイントがある。大体が
8~9合目の辺りで、それまでの急勾配から緩やかな坂に変わるところだ。下界と遠景が遥かかなたに見え、
その前後は今までいた道がよく見える。そこでは駐車場になったり、土産物屋や休憩所になっていたりする。
そして、どういうわけか道の枝分かれをしているところが多い。そこで立ち止まって、自分の歩いてきた道を
観察する必要がある。そこでは一歩後退をして見ることも重要である。 大きな分岐点になるからだ。
人生においても、事業においても全く同じことがいえる。ジョージ・ランドが「展望点ービューポイント」
を喩えている論法が面白い。頂上への8~9合目辺りで坂が緩やかになるポイントで、サーファーが波の衰えを
感じて、崩れる前に新しい波に乗り換えるのと同じポイントである。新しい学習曲線への波に乗り換える
ポイントになる。自分がビューポイントに達したかどうかは簡単に解るわけがない。しかし注意をしていれば
兆候を見つけることができる。それが過ぎてから初めてわかるケースが多い。波が最終局面になって、初めて
気がつくケースが多いことも事実だ。とくに事業はそうだ、他人事でない。その時はブラックジョークでは
ないが、再生のプログラムになるが。それぞれの人生にとってのビューポイントで違う波に乗り換えること
も必要だろう。乗り換えた波がより合わない波の場合が多いから難しいのだ。
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2003年06月18日(水)
 805、「ありがとう」の言葉ー4
一週間「ありがとう」を、一日おおよそ500回を言った実感を書いてみる。まずは、気持ちが落ち着いた。
特に夜半2時半に目が覚め、この経済の異常事態や事業のことをあれこれ考えてしまう。ベッドの中では
考えない訓練はしてあるのだが、今の状況は過去になかった異常な事態である。会社も日本経済もだが。
しかし、その時しめたと「ありがとう」を繰り返すと、あれこれ考えないで済むのだ。
   (字数の関係でカット2008年6月18日)
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2002年06月18日(火)
441,時間持ち
 「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」というのを読んだ事がある。若いときから
時間だけは多くあった。時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。初めは持て余していたが、
今は充分?に有効利用をしている? 現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。
初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。小人閑居して不善をなす」というところもあった、
今もか。経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。 お金と同じである。人がお金を持て
余さないのは、お金を自分のために使おうとしている為である。「主体的」に使えるから、お金は幾ら
あっても持て余さない。お金は自由の塊そのもの。時間があるということは、自分で使える自由がある
ということだ。
(字数の関係でカット2012年6月18日)
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2001年06月18日(月)
 [56] 母のアルバム
昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達の写真があった。
そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、上部が細くなる写真に映し出された。
(字数の関係でカット2011年6月18日)