つれづれに

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 今日はT-LEXのシネマで、デズニ―の『アラジン』の予定。

 今朝も、雨で早朝のポタリングに行けず。天候だけは、
 どうにもならない。
 
 夜半は庭先で猫が騒いで寝不足。明方も騒いでいたので、
 ソッとドアを開け、狙いをさだめをつけた感を出して、 
 様子を覗ったのが効いたのか、以来、騒ぎが起きてなり。
 狩られる立場が、一番、恐ろしいのだろう。あと、一回は、
 この手が使えそう。





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5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは ~④
2016年06月07日(火)
   * 妹役、さくらの誕生   <山田洋次名越康文 対談>より
 山田洋次の「さくら」を作り上げたエピソードが面白い。
兄、妹にも相性があって、相性の良いと、本当に可愛いらしい。
駄目な兄と、しっかり者の妹の「さくら」の関係が何ともよい。
浅草に「寅さん」の銅像があるが、今度、「さくら」の銅像が出来るという。
 その「さくら」誕生のエピソードが面白い。
≪ 名越:両親の愛情を十分に受けられなかった寅さんにとって、
 やはり異母妹のさくらの存在は大きいですね。
山田『男はつらいよ』の設定を考えていた時、さくらが生まれるヒントに
 なった話に巡り合ったんです。それは、ある女性作家の、今から四十年以上前
 の実体験でした。彼女はある日、東京から大阪に引越すため、汽車に乗ります。
 そこに、ヤクザになっていた兄がやってきて、久しぶりに兄と妹が再会する。
 そうこうしているうちに、発車のベルがジーンと鳴る。その時、急に兄貴が
「おい、気に入らねえ奴いるか?」と言ったというんです。そういう奴がいたら、
 俺が殺してやる、ということでしょうね。
名越:すごい場面ですね。
山田:この話を知ってから、いろんなことを考えました。一体、お兄さんに
 とって妹とはどんな存在だったんだろう。もしかしたらお兄さんは、
「俺はこいつを不幸にしているんじゃないか」と思えてきて、妹が急にかわい
 そうになったのかもしれない。最後の言葉の意味は、「アイラブユー」です
 からね。もしこの妹をひどい目に遭わせた人間がいたら、俺は生かしちゃ
 おかない、と。
名越:鮮烈な絆の表現です。
山田:だから、寅にはそういう妹がいるんだなと考えたんです。
名越:四十八作を観て気づいたことは他にもたくさんあります。
 たとえば、寅さんって世間にはふられてばかりだと思われているけれど、
 実はかなりモテる(笑)。シリーズの三分の二くらいモテています。
山田:寅に会えて友達になって、「私、とても幸せだった」と言うマドンナは
 たくさんいます。でも、寅は、結婚については、決定的に自信がなかったん
 じゃないでしょうか。結婚生活には、恋愛関係の先に、もう一つ大きなバリア
 があって、それを乗り越えなければ結婚はできない。男と女のドロドロした
 関係が生じることに、寅は我慢できない。そこが寅の哀れさでもある。
名越:寅さんは草食男子のような'ところもある。女性に対する不安や恐怖心を
 持ってますよね。≫
▼ 20歳で、創業人生を志したことで、パートナーの人選に慎重になっていた
 上に、4人の姉たちのドロドロ?した様々な結婚生活の実態も見知っていた。
さらに姉4人との遜色ないバランスを考えると、安易な妥協もできないジレンマ
があった。「この人と一生?」と思うと、そうそういないもの。で、「   」。
 「寅さん」は、あくまで無知故に何ものにも捉われない想像上の人物像。
こんなのがいたら、周囲の人間まで巻き込まれ炎上されてしまう。その際どい
狂気が、物語を育んでいくとしても・・ 

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4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
2014年06月07日(土)
   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの
建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが
社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、
華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り
を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 
実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。
現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、
死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の
散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、
姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも
みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、
性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、
私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を
与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、
創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の
商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給
公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、
テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台
ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。 
学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての
転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。
その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、
ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな
課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。
これを見て、奇妙な偶然に驚いている。


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4091, 老いの見本帳ーダークサイト -11
2012年06月07日(木)
   * 幸福とは         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の目的
である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。
晩年の両親の姿を間近で見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。 それでも、
生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。
  ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えないだろう。老いを目前にして
 いるという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身
に違和感を覚えつつ心許ない日々を送るのは、まことに居心地の悪いことである。老いについて語り
論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。
 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。
それは往々にして退屈に感じられたり、無価値に映る(殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり
危機的な状況に追い込まれると、「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。
 ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問
をさまざまな分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せているのである。
詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思って
いるのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、答えは「……とでも
言うしかありません」となっていて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。
 老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できるようになるといった効用が
あるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、満足感を
得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、
ある人にとっては十分に喜ばしく感じられる出来事が別な人にはむしろ物足らなさや悔しさを惹起する
ことなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。こうしたことも、歳を重ねて
肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の
干物の美味さとか、窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく
同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読して
やっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。
ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取る
ことができる。・・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げない
というか、若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。年寄りではなく、中古品の若者や 
古ぼけた中年としか見えない。歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。それがために、不満や
不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。また80歳を超えると4人に一人が
 認知症になる厳しい現実がある。それより、私の年代で、既に4~5人に一人が亡くなっている。
おうおうに早死した人は、「人生として恵まれてない人」として思われる。とはいえ、生き残った人
に待ち受けているのは煉獄の中のような日々である。それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
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3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  ~②
2011年06月07日(火)
  ■ 今回の事態に、準備はあったか?  『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
 二つの経済震災と、一つの自然震災で、あれよ、あれよの間に、倒産をしてしまった。 これは、
たまたま立ち居地が悪かったと、自分でも納得せざるを得ない。倒産時の最悪の構えの準備は? 
私と家内の厚生年金を40年続けてきたので、何とか生活はしていける。しかし自宅は借り入れの担保
に入っているので今後、どうなるかである。 何とかクリアー? 出来なくても、それも定め。 
ホテルなどの長期設備投資は何があるかわからない前提で数十年かけてシェルターを準備をしておく
のはセオリー。あっさり倒産をしたのをみて、計画倒産?と数人に疑われたが、そんな
『子供の寝小便』のようなことはしない。「シェルター完備倒産」と評した人もいる。しかし
徹底してなかった甘さを後悔している。 倒産は倒産であり、私は一度破産者に?まさか自分が…
である。冷笑している貴君、「まさか自分が!と思っているけど、他人事でないんじゃ?どっちに
しても、『まさか』の何かが待っている。老化は、それまでの前提が、次々と破壊されていくことに
気づいてないんじゃ?」と、醒めた目でみえる。言い訳になってしまったが、反省も込めて、この本を
何回かにわたり辿ってみる。ところで、一般的に言われている「計画倒産」とは、私が知っている
限りでは、「手形を振り出している会社が、破綻末期になって倒産を覚悟した時に、意図的に商品
仕入れを膨らませて、それを現金化をして、債権者の目の届かないところに隠した後に倒産する」こと。
弁護士が言うには、「『計画倒産』と『計画的倒産』とは、似て非なるもの。 一般の人は、これを
混同している。 計画的倒産は、駄目と判断したら、倒産の日にちを設定して、粛々と手順を踏むこと。 
その意味では、このケースは2週間前に決定したので、計画的倒産にもならない。父さん(倒産)
には『良い父さん(倒産)』と、『悪い父さん(倒産)』があるが、貴方のケースは前者の典型」とか。 
 その立場にたってみると、色いろの知識が入ってくる。20年ほど前に、既に亡くなったが、
倒産・整理の専門のコンサルタントの先生に姉夫婦の整理を依頼したことがあった。その時に、
「倒産を覚悟した時は、最低、半年の準備期間が必要」と聞いたのが印象に残っている。
 今年に入るまでは、あと1~2年は大丈夫だろうと、思っていた。しかし、売り上げ減の角度が
三年目に入っても殆ど変わらないのは、想定を超えていた。その上に東北震災なら何の未練もない。 
で、どうした? かというと、最悪の事態への準備の大切さが本当は分かってはいなかった、と
いうのが、結論。 日本が、ここまで疲弊するとは。 特に、地方経済は、惨憺たる状態! 
更に悪化するとなると、この数年は大荒れになる。 少し本論からそれた内容になってしまった。 
まあ、言い訳と正当化、半分か!
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3360, 京都! 無双の別荘群
2010年06月07日(月)
 NHKのワンダーワンダーで「京都!無双の別荘群」を放送していた。
明治・大正に財をなした財閥が、その贅をつくした別荘群が京都南禅寺の周辺に現在も存在している。
7000坪の邸宅に庭師だけで10人が365日、手入れをしている碧雲荘。野村證券の創業者の野村徳七
がつくった邸宅である。それらは借景という自然の景色と庭を組み合わせた庭造りをしている。また
庭屋一如という、庭と屋敷が一体化したつくり。何有荘、清流亭、瓢亭など、そうそうたる屋敷が
次から次へ紹介されていた。
 ーまずはNHKのブログの紹介からー
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
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2985,腰痛持ちの皆さんに
2009年06月07日(日)
 家内も、ついに腰痛もちになってしまった。
私の腰痛は昭和38年度の豪雪の時に高校の屋根の除雪作業でギックリ腰になって以来、45年間の付き
合いである。表日本に住んでいた8年間には腰痛はホボでなかったので、地域の湿気の問題などもある。
現在でも年に平均3~4回は軽い腰痛になる。5月と11月初旬の連休辺りの気候の変わり目に出る
ことが多いが、一度も医者に行ったことは無い。 以前のような脂汗が出るような重症の腰痛は無く
なった半面、いつも腰に重い疲労感と
少しの痛みが残っている。 
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
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2621, 消費社会から格差社会へ ー4
2008年06月07日(土)
ー「負け犬女」対「下流男」ー
「負け犬女」というキーワードは、数年前からTVのドラマで何度か聞いたことがある。
それに対して、男は負け犬という言葉自体が負けを認めることになり、言葉として抑圧されている。
そのこと自体は、自分の挫折経験からして痛いほど解る。 社会学者は、その辺の造語は適格である。
現在の男女の結婚年齢が32歳と29歳なら過半数に近い比率で当てはまってしまう。
それほど、当人は気にしてないから、流行語になるという面白い現象である。
 ーその部分を抜粋してみる。
三浦: 彼らはパソコンの前に座っているんじゃないですか。ある住宅メーカーが調査したら一日
 五時間ぐらい一人暮らしの男性は、パソコンの前に座っているんです。
上野: この人たちが、ネットのヘビーユーザーですね。あなたの「下流社会』でよくわかったのは、
 下流の人たちにパソコンのヘビーユーザーが多いということ。今パソコンは一番安直で低価格の
 娯楽だから。その反対にアウトドア系は著しく少ないとあったので、なるほどと思いました。
三浦: 自転車みたいにおカネがかからないアウトドアでも、「上」の人の方が多いんです。
 下流の人はまったく体を動かさない。女性もそうなんです。「おうち」でじつとしている(笑)。
上野: それを支えている強力なインフラが、コンビニなんですね、男女ともにね。
三浦: そうですね。あと高級スーパーの「成城石井」とかでね。一人でもおしゃれな惣菜を買って
 帰って、エンヤを聴きながらカモミールティーでも飲んで、「まあいいかー」みたいな(笑)。
 それとネットショッピング。ひきこもっていても、暮らしていける。コンビニすら面倒くさくて
 行かなくなる説もある。
三浦: 「負け犬」という表現にある諧謔が読めてない。裏返して書えぱ、彼女たちの対極にいるはずの、
 彼女たちと同じ年齢層の結婚していない男たちは、自らを「負け犬」と呼ぶことすら抑圧している、
 それくらい男の負け感が強い。自分の負けを認めることさえ、抑圧の対象となるほどの状況にいる男の
 立場と、負けをさっさと認めて競争から降りる女の戦略とでは、男の抑圧の方が強いでしょう。
 そういう意味では、「負け犬」の男に与えられた称号が、「下流」だったかもしれない。
上野: うん、男は負け犬とは呼ばないですね。なるほど、「負け犬女」対「下流男」か(笑)。
 ただし同じ年齢層で「負け犬女」と「下流」を比べると、経済階層では「負け犬」の方が高いでしょう?
(以下、字数の関係でカット2012年6月7日)
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2007年06月07日(木)
 2256, 定年後の生活費は幾ら?         おはよー(((。・-・)从(・-・。)・          
私の年代が定年に突入をはじめた。そこで、その後の平均値はどうなっているのだろうか、調べてみたら、
平成16年度の総務省家計調査で、世帯主が60歳以上の無職世帯(二人以上の世帯)の
・実支出の月額は28万。
公的年金を含めた平均現金収入は、22万円。ということは差額の6万円は下げるしかないことなる。
下げるためには、小さな家に引っ越すとか、車に乗らないとか、食費を斬り詰めるとか、義理を欠くとか、
り切るしかない。でも「括り」そのものを捨てるには腹をくるしかない。 それに対して、(財団法人の
「生命保険センター」の統計では)夫婦で「ゆとりある生活」をするためには、月額38万円が必要。それに
しても「ゆとりある生活」をおくるには、あまりに大きな差がある。 だったら「ゆとりある生活」と
やらの幻想を捨てて、22万円以下の生活に甘んじ楽しむようにするしかない。反対に、定年生活者は
将来の不安から、3割は貯蓄にまわすという日本的な国民性があるという。余裕があるからいえるのだろう。 
しかし、老後の不安とやらの心理が、自分の楽しみの壁になる。もう子供も巣立ちをしているし、健康の
ために粗食も求めらるから、切り詰めた生活に不満も持たないで貯蓄に励む滑稽な存在が垣間見られる。
子供や連れ添いにとって、これほど有難いことはないが、アフォバカな哀れな姿でしかない。 
一年前のある意識調査で1?が上流、74?が中流、25?が下流と自認しているというから、
まだまだ日本は健全の国。 大部分が中流意識を持っているのは、世界の奇跡?である。60歳も過ぎれば
食べるものも決まってくるし、車も軽自動車で充分。 いいようになっている。収入と支出だけが豊かさ
ではない。しかし、最低限が保証された人間が言うこと!
(以下、字数の関係でカット2012年6月7日)
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2006年06月07日(水)
1891, 村上ファンド崩壊の衝撃  ー2     おはよ?!(*^ワ^*)i
(以下、字数の関係でカット2009年6月7日)
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2005年06月07日(火)
1526, ディープ・フロート判明
 あのウォーターゲート事件(72年)の情報源が米連邦捜査局FBI)の元副長官、マーク・フェルト
とは驚きだ。情報源については、諸説紛々であったが、その一人とも目されていたFBI副長官であったとは。
外部からのFBI長官の招聘に対して、第一候補であった副長官の恨みが当のニクソンを失脚をさせたことになる。
後任の長官に自分が指名されることを期待していたが、実際に任命されたのはニクソン大統領側近のグレー司法
次官補。
(以下、字数の関係でカット2008年6月7日)
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2004年06月07日(月)
 1161, 衛星授業
アメリカのデンバーのあるコロラド州は校内で銃乱射があったところで、学校に通わせたくない親が極端に
増えているという。そこでインターネット・ハイスクールが注目されてきており、生徒数がアメリカ全体で、
もう10数?になっているという。ところが、その方が教育効果が遥かに高いということがわかりはじめ、
まてよということになっているとか。実際インターネット・ハイスクール出身の学力は普通の高校より
はるかに高くなっているという。そこでは非常にユニークな教えかたをする。 重要なキーワード出てくる
と手元にあるパソコンに、「それを調べてみてみてください」という指示がくるそうだ。 生徒は指示された
と同時に検索で調べる。 そこで、さらに専門的なキーワードを調べるようにという指示がくる。そして
ドンドン深く問題を掘り下げていくという。十年もしないうちに過半数を超えるのではなかろうか。
そして日本も似たような状態になることは間違いはないだろう。予備校や専門学校もインターネット授業が
本格的になったきた。代々木ゼミとか東進ゼミが取り入れている。英会話もそうだ。講義中心なら、それで
充分である。いやむしろ一流の先生の授業を聴いたほうが効率がよいはずだ。考えてみたら、高校受験は
受験雑誌や参考書を中心に勉強をしていたし、大学受験は、それに加えてラジオ講座が中心に変わった。
それが、パソコンや衛星TVによる映像に変わっただけだ。面白い時代になってきたものだ。
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2003年06月07日(土)
794, 夢とイメージ
 学生時代に3番目の姉が結婚をして、家を建てた時の話である。その姉は節目ごとに私にノウハウを教えて
くれていた。(小学校5年時の勉強のコツ、中学2年時に具体的な目標のたて方と挑戦の仕方を教えてくれた)
「実を言うとね、この家と庭と旦那とのこの生活、ずっと願って心にイメージをしていたの。それがね、
このままいま現実にあるんだよね。夢を持って、イメージまで高めなさい。そうすると叶うんだから。
本当に驚いているんだから」と教えてくれた。ポール・マイヤーとか、ナポレオン・ヒルとかの本に詳細に
そのノウハウが本に書いてあるが、当時は新鮮な情報であった。「なるほど夢を持ち、それを目標に変えて、
具体的にイメージ化をして実行していけば夢が夢でなくなる」と解釈した。建物なら平面図を描き、次に
ビルのイメージ画を先に書いてしまうのだ。 女性なら好きな女性のイメージを頭に描くのだ。
しかし世の中には自分の想像を超えた理想の女性がいることを現実に知った、高嶺の花でしかなかったが。
好きなタイプをイメージ化した為、早めの判断をしないで済んだ。
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
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2002年06月07日(金)
 430,自分の居場所
誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がすくないということは、非常に厳しい状態の時である。
自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に
変わっていく。20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。
まず部屋の中に本と椅子と机に本棚に手帳を配置する。そうすると、そこにあなたの居場所ができあがる。
座ると何気なく自分の物を机の上などに配置する。いつの間にあなたの場所ができている。」
その時代だけでなく何時もそうだった。私だけでなく人間すべてがその筈だ。 居場所とは、
・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて、自分が生き生きしてるところ 
・すわり心地の良いところそうすると趣味など、そういえるかもしれない。それをしている時、
それが心の居場所だ。毎朝あげるお経もそうかもしれない。引っ越したら、別に住まいだけでなく、
まずは居酒屋、そして昼飯を食べる店と自分の座る席。猫でもそれを本能的にあるはずだ、テリトリー
として。
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2001年06月07日(木)
 [45] 創業の話
27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。準備1年4カ月かかった。
その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。今も忘れられない1973年5月30日であった。11月07日、
店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 地獄!・・・・・
その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、懐かしく行った時に
撮った写真である。全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。この地獄の中で創業のノウハウを
しっかり身につけることができたと思う。自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。
その時本能的に相手に両手で拝んでいた。どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた
事を憶えている。軽い気持ちで拝むポーズを時々みると、張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章がある。
ーーーー
ーH0907 養老の瀧1122号店、店長の日々ー
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、いざ自分がその立場
に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。 千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に
“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ?プン”と“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、
最悪の出発となってしまたった。 そしてオープン...! 完全にパニック状態!オ?プン人気も
含めお客の列!
  (字数制限のためカット 2010年6月7日)