つれづれに

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 今日はシネマの日。さて何をみようか?
映画の当たりの週と外れに週があるが、今週は当たりですか。
まあ、毎日が日曜日のような御隠居暮らし。週一の楽しみが映画とは。
でも、これがないと… 





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4727,閑話小題 ー「受け継ぐ~京都 老舗料亭の代替わり~」
2014年02月22日(土)  <プレミアムアーカイブ 2/19(水)9:00~11:05 >
   * 受け継ぐ~京都 老舗料亭の代替わり  
 最近の日常生活に、午前中のNHK・BSの過去の名作番組を見ることが多い。
これが未知の世界を垣間みることができ、下手な読書より遥かに良いことに
気づいた。 今回は7年前の番組。 ーその番組内容によるとー
《400年の歴史を持つ京都の老舗料亭「瓢亭」が、転機を迎えようとしている。
 14代目主人で日本料理を代表する重鎮・高橋英一から、15代目となる息子・
 義弘への代替わりである。 挑戦することで新鮮な魅力を生み出し続けてきた
 京料理の魅力の神髄を、新しい和食を捉えようと格闘する15代目と、彼を
 励まし育てていく周りの老舗料亭の主たちの姿を通して描き、
 京都の伝統文化の奥行きと幅の広さを浮かび上がらせる》
▽「京都の老舗料亭の代替わり」となれば、静かな寝室で二時間かけジックリ、
 その世界に入ってみた。京都の歴史が作りあげてきた独特の京料理の世界は、
 奥行が深い。ライバル店の主が競合店の調理場に、平気で入って、料理場の
 様子をみる。お互いにフリーの長年の京都独特の慣習という。また、先代が
 亡くなった場合、その知りあいが、他店の後継者の面倒をみる。
 京料理の世界が共同体のようになっている。また100店以上の料理店が
 互いに腕前を競い合う展示会が年一回は開かれ、それぞれ新商品を展示する。
 これぞ京都の古くからの原風景の世界が映し出されていた。
   * 記憶のモザイク
 以前行った旅行先の写真をネットで探し、気に入った何枚かをファイルに
入れ、改めて見ていると、タイムスリップをしたように、当時の光景が蘇る。 
その先が異郷・秘境のため、強力に脳に焼きつき残っているが、撮ってある
写真は、さほど良くない上に、記憶が年々薄れていく。しかし、その時の感動を
思い出しながら、画像検索にキーワードを入れると、忘れていた記憶が鮮明に
戻ってくる。その写真が磁石の役割を果たしてくれる。情報機器の進化が、
同じような体験をしてきた人たちの画像がネット上に溢れ、次々と新鮮な
それぞれの瞬間が現れ出てくる。現地で実際に見ていた光景が、きめ細かく、
広範囲に、新たに追体験が可能になる。例えば長岡花火のフェニックス。
自分が撮った写真よりネット上の写真の方が遥かに臨場感がある。
パンプローナ牛追い祭り」や、「リオのカーニバル」のなどの熱狂は、
現場に実地に行かないと味わえない。しかし、当時の感動を思い浮かべながら、
検索で現れ出てきた写真を見ていると、当時と同じような追体験が可能である
当時の朧げながらの記憶も、ネット上の写真から生々しい記憶に置き換える
ことができる。 ケニアの丘で見た夕景。そこに足の骨折で取り残されたヌーが
印象に残っている。いつ獣に襲われるかもしれない恐怖で立ちすくんでいる姿が、
痛々しいが、何とも美しい。それらの記憶が脳の染み込んでいるためか、
ネット上のアフリカの夕景が違って見えてくる。

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4360, 閑話小題 ー久々の百均ショップ
2013年02月22日(金)
  * 久々の百均ショップ
仏壇用のライターと、チャックが壊れたのため、衣服用の両面マジックテープ
を探しに『百円ショップ』にいってきた。半年ぶりである。「日本の主婦は世界で
一番、頭が良い」というテーマのTV番組があった。 百均ショップの商品を、
材料にし、組み合わせて新たなインテリアを作ることを趣味にしていた主婦を
紹介していた。恐らくネット世界で情報が流れているのだろう。私の周りには、
この数年来、買い集めた百均の小物が100はくだらない。100円だから
欲しくなるものは数多ある。以前、針に糸を通す道具があれば、と思っていた。
子供の頃、市場で針通しの小物を売っていたのを見たことがあった。
で、探すとあった。極細の針金が二つ折りになっていて、それを針の間に入れて、
出た先で糸が通る位の空間ができ、そこから引き出すことで糸を通すというもの。
成るほどである。 家内が目が悪いので、ボタンの縫いつけや、ほつれ等は
私がすることが多い。これも慣れると面白い。あとiPadのスタンドがあった。
ネットで買ったものがあるが、かさ張る。 単行本用の書見台にも使えるので
衝動買いをしたが、実際使ってみてなかなか良い。30分、5百円の
ディズニーランドと思えば良い。で、要らない物が、溢れかえっている。
   * 久々の夢の中の母
 最近あまり母親の夢をみてなかったが、一昨日の朝方、母が出てきた。
それもリアルに。ふと眠りから覚めると、居間の炬燵で母が隣に寝ていた。
夜半に私も転寝をしていて、母親に声をかけた。80歳代半ばの年令で、夢では
呆けてはなかった。夢は現実との境が無くなっている。毎晩、寝ている場所が
母親が寝ていた同じ位置にあるためである。末っ子ということもあり両親から
特別愛され育った。また、その後姿から多くのことを学んだ。父親の死亡年齢に、
あと4年足らずになった。本当に良い両親に恵まれて良かったと年齢を重ねるたび
思いが深まる。父親との差はあまりに大きい。両親とも、常に何かテーマを見つけて
追い求める人だった。意識として両親から出発して、最期はそこに戻っていくのか。

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3620, ちょいとした 小話
2011年02月22日(火)
  経済学会にて、ある重大な定理について、多くの質問があった。
 イギリス人: 「その定理は経験によって裏付けられているだろうか?」
 ドイツ人 : 「その定理はいかなる基本定理から演繹されたものであるか?」
 フランス人: 「その定理をフランス語で言ってください」
 日本人  : 「あなたの先生は有名ですか?」
   ――
 ・賢い男 + 賢い女     = ロマンス       ・賢い男 + アホな女    = 妊娠
 ・アホな男 + 賢い女    = 不倫         ・アホな男 + アホな女   = 結婚
 ・賢い上司 + 賢い部下   = 業績順調       ・賢い上司 + アホな部下  = 余剰人員即削減
 ・アホな上司 + 賢い部下  = 能力主義昇進     ・アホな上司 + アホな部下 = 長時間残業
   ――
  なんでもゲームにしてしまう夫婦がいた。何事につけ勝負を競い、たがいに掛けあうのだ。その結果、夫は常に
欲求不満だった。というのも、結婚して以来彼は妻に一度も勝つことができなかったからだ。だが夫は自分が
負ける心配のないゲームを思いついた。
 子供の頃よくやったオシッコ飛ばしだ。壁に向かって、どちらが高くまで飛ばせるかというあのゲーム。
構造上からいって、自分が勝つことは確実だった。 「さあ、ごらん」彼が言った。
「あの壁に向かってオシッコをするんだ。高くまで飛ばしたほうが勝ちだ」
「分ったわ。面白いゲームね。私に先にやらせて」妻は足を広げ、スカートをまくりあげて狙いをつけた。
壁の約二十センチの高さの所に彼女の痕がしるされた。「よし」男が言った「今度は俺の番だ」
彼がジッパーを引き下ろし、モノを取り出して準備を整えたとたん妻が声をかけた。「ちょっと待って。
手を使うのはナシよ」
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3255, 「都市主義」の限界  -1
2010年02月22日(月)
   「都市主義」の限界 養老 孟司 著    ~読書日記
 ーまずは、概要となるポイントの文章を書き出してみたー
*仮想社会とは、ネットやTVなどのバーチャルなものではなく、我々の脳内に作られた社会(=都市)
 であり、脳による判断のみで社会を構築していくことへの恐怖が伝わってくる。
「戦後社会の変革を、私は『都市化』と定義してきた。・・・ 戦後の日本がいかに都市化されたか、それが
 いかに行き過ぎたか、それはもはや歴然としている」 『都市化』を脳化ともいう。都市の全ての物は脳が
 作り出した意識の産物であり、それと対局にあるのが都市生活者が全く意識の及ばなくなった自然である。 
 日本もヨーロッパもアメリカもその状態にあり、現代社会に起きるありとあらゆる問題はそのことに帰結
 するという。 少子化に決定的な解決がないのは、子供は「自然」である、と著者は主張。 
 自然は都会で排除されるものである(子供も然り)という。
 また、都市で起こる(悪い)ことはすべて「他人の所為」という視点があるからだ。
文化大革命では「批林批孔」を行っていた。このとき、中国の二大思潮は儒教老荘思想であり、
文化大革命老荘思想」「中国旧体制=儒教」なのだとおぼろげに感じた。「都市主義」対「田舎主義」
 として、儒教老荘思想文化大革命も説明している。
*日本で学園紛争がおきたが、同時に中国では文化大革命が、フランスでも「ラテン区」の騒動がおきている。
 これらの学生の動きが世界で同時におきたのはなぜか? それを氏は「都会と田舎の対立」だったと規定。
 都会化するためにはエネルギー供給が不可欠である。そのころ石油が安価に供給できる体制が整ったこと
 により、世界中で都市化が急速に進展した。
*急激に進展する「都市化への反応」が世界各地でおきた学生の反乱だったという。
 当時の運動は、反体制を標榜した。 「体制」とは、「人間が意識的に作り出したもの」である。
 しかし、当時の若者自身が「田舎」を引きずっており、大学は「封建的」で「田舎」的であった。
 当時の若者は「都会」的であることを志向して「田舎」的である大学に反発、同時に彼らは「都会」主義
 に反発もして、文化大革命の「田舎」主義にも共鳴した。
  ~~
 なかなか、面白い切り口である。多くの国ではの人口の三分の二が大都会の周辺に住んでおり、その
半分~三分の一が首都圏に住む。東京都民の増加が止まらないで、何時の間にか1300万人を超えてしまった。
首都圏には大よそ三分の一が住んでいる。彼等は、異常な位にそれ以外に住む人を「田舎もの」と差別をする。 
自分たちは文明の最先端で文化的な生活をしている。彼方此方で催事があり、それに触れる機会が多いのは
事実だが、不自然な生活環境である。 「都会人が優位という感情が、目くそ鼻くそを笑うレベルでない
ことは学生時代から認識をしていた。そこで産まれ育った人の固定観念は想像を絶したことを知った。
機能を優先させて不自然な環境に住んでいることが自覚できない。
偶然に、下記の同月同日の上海のターミナルの文章が間接的だが、同じ問題を提起している。ー つづく
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2880, 上海のバスターミナルにて
2009年02月22日(日)
19日の「NHK・BSの世界のドキュメンタリー」が、迫真に迫っていた。
今年の中国の正月にあたる「春節」に、上海で撮られたもので、中国の出稼ぎ労働者の現状を生々しく
追ったもの。
  ーまずは、その部分NHKのHPの番組紹介からコピーしてみた。
 《 再訪・上海バスターミナル ~不況下の帰省ラッシュ~ 》
 中国の人々が年に一度、故郷の家族と水入らずで旧正月を祝う「春節」。NHKが2年前に取材した、好景気に
沸く上海の長距離バスターミナルは、春節の直前90万人もの帰省客が押し寄せ大混乱に陥っていた。人々は
貧しいながらも明日への期待を膨らませていた。今年のバスターミナルは、打って変わり閑散としていた。
世界経済危機の荒波を被り、出稼ぎ者の多くが仕事や生活の基盤を根こそぎ奪われ、すでに帰郷していたのだ。
それでも大晦日のバスターミナルには、追いつめられながらも故郷で春節を迎えたいと願ってやまない人々の
姿があった。バス代を工面するのがせい一杯で、土産も買えず身一つで帰省する農民工。給料が支払われず、
妻子だけを帰省させて一人上海に残る工員。故郷に残した我が子に会いたくて、リストラされた夫の反対を
振り切って来た母親。その一方で、大晦日に地方から上海にやってくる人々もいた。地方では暮らして行けず、
新天地を求めてやってきた大家族の農民。出稼ぎから戻らない母親を捜しに来たものの連絡がとれず金も
尽きて途方に暮れる父と子…。金融危機に揺れる中国、春節前の上海バスターミナルで繰り広げられる庶民
の悲喜こもごもの人生のドラマを見つめる。
 --
 どのケースをみても、追い詰められた人たちの姿が痛々しい。特に、出稼ぎから戻らない母親を捜しに
来たが連絡がとれず金も尽きて途方に暮れる父子の姿が哀れ。バスターミナルで二人が途方にくれている姿を
映し出し理由を尋ねる所から始る。地方から出てきたが金を使い果たし、ターミナルの閉門で寒空に追い
出される。そして二人は当てもなく歩き出すが、見かねた若いターミナル職員が後を追って、近くの安宿に
自費で二人を泊めてやる。極限の人間の姿は、それだけでドラマになる。その時に上海で連絡を絶った
母親から携帯に電話が入る。「私を捜さないで!」 究極の悲しみの場面である。 翌日、若い職員に
いわれたとおりにバスターミナルの所長を訪ねる。 そして女所長が、帰りのバスに無料で乗せてやる。
思いやってカップヌードルを持たせてやるところは圧巻である。 他のどのケースをみても深刻な問題が
浮き上がっている。この番組は彼等の姿を通して、大不況の一般庶民の苦しみを訴えたいのだろう。
二年前の春節の上海ターミナルの職員の仕事収めを追った映像と、閑散とした今年を比べて現在の中国の
現状を浮き上がらせていた。 冷え冷えとした10年を予感させたドキュメントであった。
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2008年02月22日(金)
 2515,  iMacの感想! -2              オッ ヽ(゚∀゚)ノ ハー
Macを買ってから一月ほど経つ。
これを入れてから2週間もしないうちに4棟のホテルのロビーに6台、事務所に二台、自宅も含めて9台を
導入した。とにかく画面が綺麗なことと大きいことでパソコン環境が一変した。そのキッカケが年に数回
事務所に訪ねてくる知人が三年前のパソコンを見て、「そんな古いパソコンなぞ使っているのは如何なもの
ですか?」といわれたことである。何かピンとくるものがあり、直ぐ近くある「ヨドバシカメラ」に、
パソコンを見に行ったところ、最新のオール・インワンの「iMac」を見て気に入り、即座に事務所に
一台入れた。旧来のノートパソコンの隣で比較をしてみて驚いてしまった。
   (字数の関係でカット2010年02月22日) 
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2007年02月22日(木)
2151, スピリチュアル・ブームを考える -2    オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン
溝口敦の批判も当然ながら鋭い。最近は著書「細木数子ー魔女の履歴書」で、
怪しげな女占い師を切り捨てている。
(字数の関係でカット2010年02月22日)             
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2006年02月22日(水)
1786, 誰も知らなかった英国流ウォーキングの秘密
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー 読書日記
 図書館で借りてきたが内容が深いので、中古本だが、ネットのアマゾンで取り寄せた。
それぞれが味わい深い内容で満ちている。ヨーロッパの郊外にある公園に行くと、必ずといってよいほど、
ウオーキングやジョギングやサイクリングをしている人を見かける。その度に生活の豊かさを感じ
取っていた。ウォーキングの本は数多あるが、これだけ詳しく書いてあるのは珍しい。
  ーこの本の概要をまとめてみた。    _φ[・ω・`*]メモメモ♪
 英国では1800年代にフットパスと呼ばれるウオーキングのための小径が誕生し、現在では20万キロも
整備されていて生活の一部となっているという。イングランドウェールズ地方だけでも、なんと16万
キロメートルの歩くための道が、公道だけでなく、私有地の農園、庭先、工場の敷地内をも繋ぎ、そこで
人々は自由に通行ができる権利を有している。国民の45%がウォーキングをスポーツとして実行し、
何処かへ着くということよりも歩く過程そのものを楽しんでいる。「フットパス(footpaths)」とは、
「人の足によって踏み固められた歩行路」のことで、人だけが通れる道のこと。他には「ブライドルウェイ
(bridleway)」があり、これは手綱(bridle)のとおり 人、馬、自転車が通れる道のことをいう。
この本では、英国のランブリング(逍遥)と、日本における散歩の歴史を紹介している一級の内容である。
人は‘歩くこと’という肉体の運動としてだけでなく、精神を様々な様式で駆け合せてきた。
 その枠組みを以下のように提示している。
(1)思索のウォーキング 歩きながら考える、アリストテレスからルソーなど思索を深めるために歩く
(2)宗教的ウォーキング 悟りへの歩行、空海の山野行、修験道、八十八個所巡礼、富士山登山講など
(3)自然観照のウォーキング 静かな心で自然に向かい、その本質を見ようとする態度、
   芭蕉、ベートーベン、ワーズワース国木田独歩などロマンチックな歩行の原点
(4)達成へのウォーキング  アルピニズム、長距離を踏破する
(5)訓練のウォーキング 歩行のなかで体や根性や団体行動の技能の訓練をするための歩行、
   ワンダーフォーゲルや軍隊などの教練、鍛練など「やらせる側の意図」による歩き
(6)余暇活動としてのウォーキング 暇な時に目的もなくぶらつく歩き、無為という行為を楽しむ、
        夏目漱石の散歩、長井荷風の夜歩き
(7)コミュニケイションのためのウォーキング 友人、恋人、家族がコミュニケイションのために歩く
(8)教育のためのウォーキング   自然学習、社会学習のための歩き
(9)見せるウォーキング   繁華街を見せるために歩く
(10)健康のためのウォーキング  フィットネスウォーキング
 --
 20年近く近くの土手をウオーキングをしてきたが、散歩をしている人が少ないのが不思議である。
生活に取り入れている人は5㌫にも満たないようだ。 初めは腰痛対策と運動のため歩いていたが、現在では
「歩くために歩く」に、目的が変化してしまった。この本を読むかぎり、英国は生活天国の国のようだ。
ーー
山と渓谷社    市村 操一【著】      =☆(((((((((・ω・。)バイバイ!
・・・・・・・              
 2005年02月22日(火)
1421, 西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜
  何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。
プリンスホテル内で御付が、待っている宿泊客を制して、堤をエレベーターにのせた
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
  (字数の関係でカット09年02月22日)
・・・・・・・
2004年02月22日(日)
1054, 職業性格形成論-3
 ー「営業屋性格論」が解りやすく、面白いから取り上げてみる。
仕事柄、営業の人と接することが多い。営業にも色いろな種類があるので一括りには出来ないが、
彼等には大きな特徴を見える。「褒めること」と「世間情報の内幕情報屋」を武器にする。遵って、
その人の人柄が出てしまうのだ。一つ間違えば信頼を失い「汚い子狐」として軽蔑の対象になる。
その為には、自分の良い部分を相手に示し、信頼させるがポイントになる。営業といえば、外商や代理店
や飲食業や店のママなど挙げればキリがない。姉から聞いた話だが、欧州旅行のツアー仲間のリタイアを
したばかりの人の成功話が印象に残っている。「営業活動で、キーマンが名古屋コーチンの鶏肉が大好物
という話を聞いて、雛を買ってきて、最良の餌と水を与えて育て上げ、潰して、その肉をお歳暮として
持っていき続けた」という。ここまですれば誰でも心が動く。逆に、その位しなくてはプロとしての営業
にはなれない。昔は金持ちや偉い人には「太鼓もち」や「芸者」が、お世辞や芸のサービスを売っていた。
現代では、クラブのママやホステスやバーテンなどが代わって、その役割をするようになった。
現代芸者・太鼓持ちというところか。営業活動で、職務としてキーマンに「どっこいしょ」と持ち上げ、
心の隙を見つけて営業をスムースにするスキルを求められる。人好きの人でないと勤まらないだろう。
必死になれば人好きになるだろうが。営業は自社の商品を売るのが目的であり、その良さをアピールする
のが仕事になる。そのために、相手の気持を開かなくてはならない。その際たるものは保険屋の営業
。第一保険の日本ナンバーワンの手記を読んだことがある。トップセールスに相手を絞って、徹底的に
お客のサイドに立った保険のシステムを組んでやるという。そのために顧客大部分が、顧客の知人の紹介
でのネットされたものだという。セールスの機能を保険会社の代行ではなく、顧客の代行と切り替えた
のである。昔から営業のやり手は仕事が終わった後のアフターファイブから仕事をする。また自分の
休みの土曜日を遊びを兼ねた営業をかける。仕掛けを自分の知恵をつかってフリーの時間外につくっている
ケースが多い。へドロといわれる人がいる。時間内しか仕事をできない人である。公務員系の子息を
一般の会社に入れると、本人だけでなく周囲に??をもたらす。別に本人責任でないから問題は深くなる。
父から聞いた話だが、戦前に骨董屋をしていた時、地元の大手の社長へのトップセールスを思いついたという。
女好きという話を聞いて母に電話をさせたところ直接出てくれたという。そして骨董商をしているが
会ってくれと言ったところすんなり会ってくれたという。もちろん父がいったそうだが。
やはり知恵をつかっての営業ということだろう。その後、その人のキッカケで多くの大手のトップを紹介
してもらったという。何事も必死になれば道が開かれるということか。そこから性格が磨かれるのだろう。
セールスは品性が基本になくてはならない。品性は普段の生活の中から築くものだ。
家系もあるが?耳が痛い?!
・・・・・・
2003年02月22日(土)
689, 人生の「かたち」
  ーいやなことはやらない!
 51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。
事業では新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー人生の分岐点の年。
その時に、「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」という方針をたてた。
ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。哲学者の中島義道氏の文章で 
 ー私流人生の「かたち」ーの{「厭なこと」はなるべくしない}であった。
 きしくも、私と同じ歳で、やはり6年前に決心したというから不思議なものだ。
ー私よりずっと徹した内容で、人生を半分降りようと決意したという。
・社会的成熟を拒否し、世間体を投げ捨て、どんなに嫌われようと、排除されようと、
 いやなことはなるべくしない
・親戚とか友人の冠婚葬祭は一切省く、大学の校務はギリギリ最低限のことしかしない。
 -5年前と2年前に亡くなった両親の法事にも一切参加しなかった。
・自分の実感から離れる社会的慣用句(「世間語」)を語る事を完全にやめる。
 -感謝してない時は「ありがとう」といわない、心のそこからそう思わない時は「おめでとう」
 と言わない。
・あまった膨大の時間、18歳の少年のように「生きるとはどういうことなのかな~。
 まもなく死んでいくとはどういうことなのかな~」とか考えている。
・楽しいかといえば、全然楽しくはない。むしろすざましく不幸である。
 しかし、自分の人生のカタチと諦めている。
  (字数の関係でカット2011年02月22日)  
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2002年02月22日(金)
339,笑う人 
ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。旅行の最中、ほとんど笑いっぱなしであった。
あるいは人を笑わせていた。お笑いの芸人も2種類いるという。普段の生活の中で「全く笑わない人と、
笑いっぱなしの人」と。その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。「母親が何時も笑っている人
で、その影響だ」という。職業が「観光バスのドライバー」というから、それに磨きがかかったのだろう。
ハワイに初めて行った時のバスのドライバーがポパイにそっくりな顔」をしていた。そして初めから最後まで
運転しながら、ニコニコ鼻声で歌っていた。こんな陽気な笑いは、かって見たことが無くハワイにピッタリで
あった。あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。土壌と、また特に母親の影響が大きい
のだろう。子供は何らかの形で両親の分身なのだ。会社に毎年新人が何名か入ってくる。研修を終えて恒例
の歓迎会が毎年楽しみである。若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。
知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。ちょうどこんな感じである。