つれづれに

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 今日は、雨のち曇り。 先週の金曜日の振替で、
 今日の午後からシネマ館に行く予定。 その足で
東京インテリア家具』に行くかどうか?

 珍しいことに、まだ1m以上の積雪はない。




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・・・・・・

3967, 民主主義への疑問
2012年02月04日(土)           
* 近代日本の出発点に立ち返れ! 「民主主義とは何なのか」長谷川三千子
 最近の世界各国の紛争や、国内の政治を見ていて、信じて疑ってもみなかった
民主主義そのものに疑問を持つようになった。中国も、ロシアも体裁は独裁国家
ではないが、実情は独裁国家。 欧米は、隠れた独裁者はいたとしても、国家の
トップは選挙で選ばれた首長が政治を司っている。民主主義は時代が安定の時には
有効だが、大きな時代の変わり目には厄介な代物になり、その使いこなす技は
非常に難しくなる。その民主主義について、分かりやすく書いてある書籍がある。
 長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」である。印象的部分を要約してすると、
・ 民主主義とは「国民による国民のための政治」が、その基本形である。
 だが、政治という道が、本当に最良だろうか、という疑問。この原理に従えば
 従うほど、実は「国民のための政治」は遠ざかって行くという、逆説がひそむ。
・ それは、人間という動物がイワシのようにリーダーなしに群れとしての
 行動をとりえない生物で、町内の自治会ですらリーダーを要する。
 指導者なしには政治は成り立たないが、「国民の、国民による」政治という
 原理は、首相であり大統領であれ、全ての指導者は不順な夾雑物であり必要悪。
 そのため常に、そこには指導者に対する不満がくすぶっている。国家が平穏の
 時は、それでも、ちょうど水平飛行を自動操縦で飛行して何とか乗り越えるが、
 ひとたび荒天が国家を襲うと、指導者がその能力を最大に発揮しなければ
 ならない時、深刻な危機にさらされる。飛行機が揺れているとうだけで、
 操縦室になだれ込んで、操縦を妨げれば、どんな飛行機も墜落する。
・ 民主主義はバイキンに似ている。それは強い伝染力を持ち、またたく
 間に国境をこえて広まり、あちこちで出血性の発熱をともなう。
 しかし、このバイキンを駆除すると、完全無欠状態で育てられて子供がひ弱に
 なってしまい、国の健康を害してしまう。独裁国家がそれ。
▼ 日本の政治の混迷が、正に上記の弱点を曝け出している。
 一年で首相交代が生じるのは、トップは民主主義では夾雑物になるため。
その期限が、日本の政治システムでは一年。それに情報化で、トップの威厳も
あったものでない。しかし、世界的動乱に入ってしまった現在、何とか切り抜け
なければ国家破綻が待っている。著者は、ここで明治元年五箇条の御誓文に、
民主主義のバイキンの毒素を取り除き、それを最上の活性化酵素として活かす
ヒントがあるとしている。  ーつづく

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3602, 閑話小題
2011年02月04日(金)

  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
民主党になって政府の肥大化が止まることがなくなってきた。社会主義者が政権をとっているから仕方がない
とも言っていられない。あの東京都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 4月か6月に自滅するだろうが、
これを立て直すに時間がかかるだろう。で、果たして日本は世界の中で政府として普通なのか、巨大なのか?
の議論がある。 実は世界で一番の水脹れの国家になっている。それも国家財政破綻直前で悪いことに
社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。一般会計では決して大きくないが、
特別会計という母屋の隣の離れの大きさが母屋の5倍以上はゆうにある。国民の目は母屋しか見えないように
官僚と自民党が組んで、使いほうだいをしてきた。そして、この財政破綻状態に陥っても何も手がつけられない
事態である。10年前でも国内総生産に対する一般政府総支出は世界一だが、現在では更に大幅に悪化している。 
日本も、この極左政権が最後のダメ押しをしてくれた。その結果は、来年から大きな圧力として我われに襲い
掛かってくる。
  ーー
  * パン屋の恵方巻
 昨日、新潟駅のパン屋でパンの恵方巻きを買ってみた。恵方巻などというのを、今年のスーパー
のチラシで初めて意識をした。一週間前から、そのパン屋で恵方巻のポップがあった。そして昨朝、
昼飯のサンドイッチを買おうと思い入ったが、サンドイッチのコーナーに恵方巻があった。
面白そうなのでサンドイッチ替わりに買ってみた。で、中味といえば、カツとレタスにパンを巻いた上に
海苔がかかっている。要は御飯替わりにパンが巻いたもの。何と海苔とパンが意外と合う。節分の日には、
豆まきをしないかわりに、これを食べるのも良いのかもしれない。よく思い立ったものだ!
  ーところでウィキペディアで「恵方巻き」を検索をしてみた
《 最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームになっています。
 節分の夜にその年の恵方歳徳神の住む方角で、その年に吉となる方角)に向かって、
目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。》
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3237, 白川義員
 2010年02月04日(木)
*「われわれが住んでいる世界っていうのは、何億光年という悠久無限の宇宙の中にあって、
 たかが知れた粟粒ですよ。その粟粒が、鮮烈荘厳で神秘に満ちて、こんなに素晴らしい粟粒って
 ことを知っている人間が、この世界に何人いるだろうか、と思い始めたわけです。それならば、この
 スゴイ風景を自分が撮影して、それを知らない全世界の人間に知らしめてやったらどうだろうと。
 そしてこの粟粒が全人類を乗せた運命共同体で1点の命と知ったら、人間いかに生きるべきか、
 生きる方向も限られ連帯感も生まれるだろうと、そう考えた。それが私の写真のメッセージ」
*「要するにフィルムであろうと印刷であろうと、つまらない写真を一発で凄い写真にする
 ウルトラCなどないということ。小手先の技術だけで凄い写真が出来るわけがない。」
*「世界は『使われなかった人生』であふれている」
*「ネパールの人にとっての山が信仰の対象になるのは当たり前。
  神々しいご来光が有るかと思えば地獄のような天候に日々出会うから祈るしかないのだ… 」
*「神々しい山を見ると自分が清められ透明になって行きます。」
~ 白川義員はヒマラヤや南極など世界の大自然を撮りつけている写真家。「世界の100名山」の
DVDを持っているが、素晴らしい映像が次から次へと映し出される。 20数年前、ある雑誌で彼が
プロとしての写真家になる切っ掛けになったスイスの幻影的な光景の出会いの文章を読んだ。
天国とは、このことをいうのかと写真を撮るのを忘れ見とれていたという。その場面が、言葉の中から
浮かび出てくるようであった。 私が世界中の秘境・異郷ツアーに行くのも、スゴイ景色との出会いを
するからだ。「こんな世界が地球にあったんだ、知らなかった!」という瞬間に百回以上は出会っている。
それは、別に海外の秘境まで行かなくても、日本の名山などでも経験可能だろう。大自然は、我われを
通して自分の姿を見る。その経験をしてきたから、何ごとがあっても、自分の中の不安が最小に押し
とどめてくれている。
・・・・・・・・
2862, アメリカ発 世界自動車危機
2009年02月04日(水)
 一昨日の22時・Nスペ「アメリカ発 世界自動車危機」には、驚いた。
   ーまずは、NHKの・HPの番組紹介ー
《 20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウンともいうべき崩壊の
 危機に直面している。2008年、金融危機の炎はまたたく間に自動車業界に延焼。 旺盛だった
自動車の需要は一気にしぼんた。GMを始めとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなど
アメリカでの販売で利益を上げてきた日本のメーカーも深刻な打撃を受けている。なぜこんなことに
なったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは。長年のビジネスモデルを延命させるために
作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、
ウォール街が推し進めた証券化ビジネスと手を結んだ車販売のシステムが広がった。それが今回の
金融危機で一気に瓦解したのである。時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開を始めている。
大物投資家なども参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など環境対応車の時代への模索が加速
。 自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動きから明らかにしていく。》
 ー
 以上だが、これを録画にとって朝晩と二度見たが、アメリカ金融崩壊のモデルを目の当たり見せられた
ようだ。GMのローン会社GMAC・元ナンバー2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、
GM子会社のGMACの三社のシステムの構図は住宅のサブプライムの自動車版。販売会社はGMAC
から、ほぼ無審査で買い手にローンを組むように依頼されており、ホームレスにもローン付きでクルマ
を販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と混ぜて、格付けがAAAになるように加工
され世界中にばら撒いていた。 更にGMACは住宅ローンも手がけ、全米5位にまで規模拡大していた
のである。その上にクルマの「リース」に乗り出した。 二年リースで乗り換える契約をして半額で
クルマをリース、二年後には、購買者は再び新車をリースが出来るシステムにした。三年目のクルマは
中古市場で半額で販売、そのリースも証券化し利益を出していた。それはそれで一見、理屈にあった。
しかし石油の高騰とバブルの弾けでGMの大型中古車は売れなくなって問題が発生。その全ての債権が
不良化したのである。これから見てもGMは詐欺同然のことをしていたことになる。また、政府の救済
も一時的にしか不可能であるのは自明。金融立国と称した国が国家単位で似たようなことをしてきた
金融システムの崩壊は、世界恐慌になって当然である。 その最大の被害者は、日本と中国だが、
日本は数年内に壊滅的大打撃を受けるのはアメリカ隷属国家の宿命である。特に今後三年間は、
修羅場の連続と覚悟をしていた方がよい。 
「世界炎上! 日本は全焼状態」 政治は無政府とくれば?? 
戦後の、あの事態への逆戻りも仕方がないか!
 ・・・・・・・・・・
2008年02月04日(月)
2497, 無くてはならぬもの -5       YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
  佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
* 何を信じて生きるのか   ー不信の中の絆ー
 この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて信じることができるのではなく、
 信じることができてはじめて、理解しあうことできるのである」と述べている。
  P-164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在としてつくられたためである。
そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。本能とか、社会における地位や身分とか、
その他いろいろな点で人は千差万別といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、
人は神様からつくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。
ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、人間の良心を悪用する輩
が巷に闊歩している。それは巧妙であるが、所詮は中・長期的に馬脚を現しているのである。自分が騙して
いること自体に気づかないから始末が悪い。その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に仕掛ける
のである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、尚のこと始末が悪い。カントではないが、
人間には良心が必要である。宗教と倫理こそ信じるべき道標である。他人ごとでない自分自身のことで
ないか。「これこそ愛である」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。
人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。しかし愛は心だけでは
なく、力と知恵が必要となる。
以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。  
  P-183  じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、そういう自分の意思を
そむいて悪をしてしまう。パウロはそのことを次のように告白している、「自分は善をしようとする意志は
あるが、それを行う力がない。・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、
わたしを救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力のないみじめさを、このパウロのように、
苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界にふれるということはできないかもしれない。
宗教などいらないという人は毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。
自分には他人を愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に他人を
愛しようとしただろうか。
 ーー
 こういうことを先に気づくか、後で気づくか? 人生は、口先だけでは後で後悔の日々になる!
青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。
・・・・・・・・・・
2007年02月04日(日)
 2133, 閑話小題           オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
  * 顔筋マッサージ
先日、「顔筋マッサージ」について書いた。TVで映し出される代議士の加藤紘一氏が顔が横に広がって
きていた。ところが顔筋マッサージをしたら、たちまちスッキリした云々と文藝春秋に書いていた。
その時に「参院幹事長の片山虎之助がすればより効果があるだろうに」と、面白おかしく書いていた。
縦より横の方が広くみえるほど頬の肉が張っている。それが数日前のニュースで片山の顔が映し出されたが、
見事なぐらいにスッキリと以前とは見違えるように変わっていた。あれぐらいスッキリするのだから、丹念
に時間と回数をかけたのだろう。しかし今朝のモーニングショーに片山虎之助が出ていたが、元に戻っていた!
マッサージをしていなかったのか? 私の面白そうなので毎日10分ほど始めたが、まだ効果はでていない?
  * 一連のバラバラ殺人事件について
セレブ?の二件のバラバラ殺人事件、考えれば考えるほど問題の根は深い。普通の家庭で育った普通の人の
事件だからである。それも人間の死体をバラバラに切り刻むなど考えられないからだ。そのような異常な
事件が次々と毎日のように起こるから・・・
(字数の関係でカット 10年02月04日)
・・・・・・・・
2006年02月04日(土)
1768, セブン・イレブン
 ここで取り上げるのは、コンビニではない。バブル期の旧住友銀行の行員の猛烈社員ぶりを端的に顕す
言葉である。(行員は朝の7時から夜の11時まで仕事をしている)あくまでも誇張した流布と思っていた。
ところが、「新婚さんいらっしゃい」のTv番組で、三井住友の行員が出てきて、奥さんが旦那の猛烈ぶりに
欲求不満?と嘆いていた。その旦那の一日の日程とは!  4時 起床、 ノ□ヾ)ネムー 4時半 家を出発
6時前に会社近くにあるロイヤルホストで朝食を兼ねて仕事の準備、7時出社、~ 23時に帰路、0時過ぎに
帰宅、1時就眠・・・ 土曜日は一日寝て、 日曜日に家族サービスという。聞いて耳を疑ったが、噂は
本当だった?若いうちは、ここまでしなくては仕事をこなせないのだろう。生々しい金融の世界で、この
ような生活をしていたら世の中の人間、全て馬鹿にみえてくるだろう。これに高速配転で鍛えられるのだ
から、能力は蓄積されて当然である。地方などにきたら、いるだけで腹が立って当然だろう。地銀に出向
になってきた都銀の行員と地銀の行員の意識と能力の段差は埋められないという。 
どちらが良いかは、 全く違う問題になるが!      ( ̄◇ ̄)ノ))バイ
 ・・・・・・・  
 2005年02月04日(金)
1403, 人口減少経済の新しい公式      ー 読書日記
 ー縮む世界の発想とシステムー
この本を読むと日本の将来に対し非常に悲観的になる。解っていたことだが、ここまで理路整然と日本の
悲観的な現状を人口減少という面で指摘されると・・・ 本屋で並んでいる日本の将来の悲観論より、何げ
なく人口問題で指摘されると、やはりショックである。考えてみれば、経済の本質は人口問題である。
その減少ということは、それも労働人口が激減するというから、これに対する手段は考えにくく、悲観的に。
 ーまえがきーの一行目からして刺激的である。
「今日は、2015年の大晦日。今年も企業の売上高は前年を下回った。そうした状況はもう何年も
続いている。新聞でも経済成長率をいう言葉は消えて「経済縮小率」という用語が一般的になった。
しかし経営が悪化する企業は殆んどなく、景気の現状を不況というひともいない。」
 ーー
 以上だが、地方経済、特に新潟や札幌などのデフレなど、不況を直撃している地区にとって現状そのもの。
これからの変化は一挙に迫る極大値後"(2008~9年)の世界に突入する。速すぎる日本の人口減少高齢化に
より自然と経済成長率が最も低くなる。極大値に達した後の日本経済の破裂がこれから起きようとしている。
 (字数の関係でカット 11年02月04日)
ーーーーー
ーある書評
日本経済新聞 朝刊(2004年6月20日掲載)
 (字数の関係でカット 09年02月04日)
・・・・・・・
2004年02月04日(水)
1036, 一人遊び -2
以前「一人遊び」を書いたことがあるが、再び書いてみる。一人遊びができれば人生の問題の大部分を
解決できるだろう。自己完結をしたことになるからだ。一人で散歩をして、読書をし、一人食事をして、
一人で考え、一人街を歩き、一人買い物をして、一人で旅に出て、一人仕事をする。一人遊びは人生を
通して、特に晩年に要求される。これは訓練と練習で身につけることが可能である。しかし長い年月の
積み重ねが必要である。その積み上げた一人の楽しみを知ってこそ、人との楽しみも数倍に膨らむものだ。
いま35年前の日記を書き写しているが、一人でよく遊んでいたことに驚く。若かったことと、遊ばなくては
神経のバランスが保たれなかったのだろう。それが結婚を機にして、一人遊びのカタチが変ってしまった。
本屋まわりや、散歩や、読書や、ホームページの書き込みや、図書館通い、などの一人遊びをしている。
大人数の末っ子ということもあって、あまり人に気をつかうのが嫌なのだ。といって多くの人の周りに
いたいのだ。ノイローゼとか、精神症は他者に依存をしようとする姿勢から生じる。群れの中で自分を
見失っていくのだろう。連れ添いに先立たれて、友人も次々に亡くなった時に真の一人遊びになる。
 以前書いた「一人遊び」の内容をコピーしておきます。
 ーー
2002/01/05  一人遊び
(字数の関係でカット 09年02月04日)
・・・・・・・・
2003年02月04日(火)
671, アルカイダ
 「お前は言葉のアルカイダーだ!」土田氏の葬式に出たときの「しのぶ会」で、ある同級生にいわれた
言葉である。同級生『ヘンな奴に何をいわれても「あの馬鹿!」で済むが、お前の奴はズバリ核心を言う
からな~。・・お前は言葉のアルカイダーだ』 私『じゃ~お前は下半身のアルカイダー!』 
同級生『・・・・・・』これは私の瞬時の答えである。同級生同士が酒を飲んで他愛もないことを言い
合っていただけだが。「何々のアルカイダー」は何でも使えそうだ。銀行のアルカイダー化が今の日本を
駄目にしているとか。私の学生時代の専攻が「社会学の人間関係学科」だったから、どうしても人間の本質
を話すので、聞く人はグサリとくるのは解る。別の男が『もっと凄い言葉がないか?』と言ったが出て
来なかった。それではアルカイダーが正当化されるか?自殺を正当化して、それを武器にするテロは正当化
されるものではない。城下町のような固定化社会では、波風を立てないで真実より目を逸らす方がよい。
でも言いすぎであるのも事実である。
 ・・・・・・・・・・
2002年02月04日(月)
 321、宗教的真実について-1
・「もし、私の聖書の読み方が正しいとすれば、神があるがままの人間を愛される、
 あるべき人間の姿を期待して愛されるのではないのです」(ジョセフラブ・神父)
 ーこの言葉でハッとした。あるべきという視点で人を見ていなかったか?マイナスをマイナスとして
 愛すということ?だから、あるべきとかいう自分の価値観で人を見るべきでないという理屈は納得する。
 宗教は真実を気ずかしてくれる。
・「聖書は事実でないかもしれないが、真実である」ーこれもいい言葉である。
 聖書の創世記では
「アダムとイブの時代」は7千年前。150億年前のビッグバンとはあまりに差がありすぎだ。 
 私が神に対する知識といえば
「人間を自然をここまでならしめている天地創造の存在」「人間の創り出した手前勝手な絶対的存在」
「人間が持っている共通意識の絶対存在」「言葉が造り出した理想的バーチャルの世界の絶対者」
「人間が創りだした自然現象に対する畏れの神格化」
 ・・・・・・・・
 2月4日 火曜日 1969年
朝8時半、母屋から電話で起こされる。誰だろうかと、思ってでると中条さん。アルバイトで知り合った人。
石原慎太郎と美濃部の都知事選挙で、数日間宣伝カーでマイクをガナッタ連れであった。 数日間、その
アルバイトからの帰路、寮が近くにあり、飯田橋の駅から二人で話をしながら帰った。富山県のおっとり
した芯の強い人だった。その後オーストリアに留学をした寮隣の部屋の河路さんと親しくなった。
その妹分の洋子が、今日これから荷物をまとめて帰ってしまうという。洋子は躊躇をしていたようだった。
本人と話をしていると、胸がつまって何も言えなくなる。自分がおかしくなって涙が出る。彼女も泣いて
いたようだ。三年の時によく合コンで気があって何時も一緒だったが。学生時代で女性では一番心が
通じた一人であった。私の好きなタイプの品の良い、素素としたお嬢様タイプの美しい人だ。一年間全くの
接触が無かったのに、このタイミングの電話は厳しい!中途半端に、何もいえないで電話を切ってしまったが。
見送りに行くべきであったのだろうが、不意なので思いもつかなかった。でも、これから故郷に帰ろうという
直前に電話をくれたのは嬉しい。そういえば、去年の二月初めやはり(仁科)ヨウ子という名前の人が、
これから帰るという電話が来たことを思い出した。女性の場合、そういう時誰かに電話や手紙を出したく
なるのだろう。 毎日のように一人一人と別れになる。