つれづれに

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 シネマ館の周辺は『東京インテリヤ』の開店で
車の渋滞で… シネマは、そこで月曜日に順延。
別に無理していくこともない。


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3965, 首都圏崩壊の可能性、7割
2012年02月02日(木)

  数日前に突然、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が4年以内に
70%の確率で発生する」という研究結果を発表した。(政府発表は30年で70%だったが)「死者が1万一千、
負傷者が数十万、倒壊・延焼が85万世帯」。東北大震災で10倍以上も、その確率が高くなったという。
85万世帯といえば建物の二割近くになる。「死者が万分の一のなら、それも仕方がない」と安穏としては
いられない。 私が都内在住で幼い子持ちなら移住を考えざるをえない事態である。外国人なら大挙の帰国
も不思議でない。 直下型地震は過密ビル群の都市ではなす術がない。ビルは津波には避難場所になるが、
問題は古い建物の倒壊。 それにしても、これだけの衝撃的ニュースが、あっさりと出てくるもの。
あとは各自の勘になるが、それぞれ生活事情がある。 これまでは福島原発放射能汚染に対して上から
目線?で見ていた都民が、そこより遥かに危険地区に住んでいる現実を突きつけられたことになる。 
神戸淡路震災の死者が6400人以上、負傷者がその7倍も出ていることから、神戸市の人口が150万人
の8倍の人口の東京からみて、十倍以上は出るとして6~7万以上が亡くなる可能性がある。 
その上、首都の一極集中の機能が壊滅をしてしまう事態でもある。 20年前のバブル崩壊から始まり、
9・11、9・15、3・11震災と経済・自然災害が立て続きに襲われている日本にとって、首都圏
壊滅が4年以内で70%とは、ただならぬこと。
  * ここで、仮説を立ててみる。
≪より現実的に考えるため3年早めて、「首都圏でM7クラスの直下型地震が年以内に90%の確率で発生する」
という仮説。東京はパニック、現実問題として企業も政府も、その機能の移転の具体的作業になる。第二次
大戦時の、あの疎開が始まることになる。今まで小さな地震に対して気にしてなかった都民は、かって
無かった恐怖に襲われ、夜も眠れない日々を過ごすことになる。富裕層は我先に海外か北陸か北海道あたり
に家族を疎開させ、外国人は我先に家族を帰国させ、働き手だけが残務整理のため一部が残る。≫
 実は、これと同じような現象が現在の首都圏では目立ってないが、原発事故以降に起きている。それが
更に徹底して始まる。現に私の会社が3つの災害で、あっさりと壊滅。そして、今度は、首都圏? 
まだ信じられないのが本当である。まだ東北大地震が継続していて、東北大震災をパート?とする
「東北関東大地震のパート?」が動き出した、という見方をすべき?
 あの地震津波は、東北関東大地震パート?でしかないとすると? 
パート?が東海・南海・東南海地震の可能性もある。しかも、景気に対する悪影響は大きい。 
誰が、この事態で家を建て替えるか、自動車や、大型家電を、家具を買うだろうか?
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3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  -3
 2011年02月02日(水)
 読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。
そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本の一面が見えてくる。
日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは想像以上に「家族」を大事にしている。
その一つとして、子供と一緒に過ごす時間を大切にしている。アメリカ人の97~8パーセントが神の
存在を信じている。それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、日本人
は16パーである。8割の人が「天国に行くか地獄に行くかを神が判断する日が来る」と信じている
のに、日本人は1パーセントのキリスト教徒ならいざしらず、殆どの人は信じてない。彼等の日常は
神が見ているのである。その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ非常に低い。
競争主義、成果主義プロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。彼等の日常は常に
聖書が傍らにあり、教会が心の拠りどころとしてある。もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景
アメリカには広大な土地での雄大な自然である。そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど
格差に敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、豊かな農業があり、聖書を日常の
心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、他人の成功に一々目くじらを立て
ないで済むのである。 英国人も日本人もアメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。
それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 
 日本青少年研究所が2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると
・「私には人並みの能力がある」   日本人  15・6パー  アメリカ人 56・5パーセント
・「私は他の人々に劣らず価値がある人間である」  日本人 8・8パー  アメリカ人 51・8パー
  私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。
・「自分に起こったことは、すべて自分の責任だ」  日本人 25・2パー  アメリカ人59・7パー
 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。他のせいという日本人とは
大きな差が出て当然。 薩摩芋なら薩摩芋のままで良かったか? バナナ(外が黄色で、内が白)は、
バナナで良かったか? 我々は日本産バナナ? 
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3235, 女性だけの健康ジム
2010年02月02日(火)
 ・入会金7500円、・月会員費3500円で、・一日30分だけ ・何度でもOK 
・女性だけをうたい文句に世界中にジムを多く出している女性専用の健康ジムがある。初め聞いた
のが去年の夏の頃に、長岡のスナックのママさんが「駅前のヨーカ堂の中にあるジムに週二回ほど
買い物ついでに通っている。会費が3500円で週に2~3回行く。計算すると一回あたり400円位。 
コースになっていて30分で終わる。喫茶店のコーヒー代と思えば安い。買い物ついでに丁度良い
気分転換になり、色いろな人と話ができるのもよい」と、言っていた。「成るほど、面白いシステム」
と世間話をしていた。 ところが先日、私の知人が新潟の郊外でイタメシ屋に店舗を貸しているが、
不景気で芳しくないので家賃の値下げに応じたと聞いていた。ところが、そこを経営している会社が、
同じ店舗で最小の改装で、フランチャイズの主婦向けの健康ジムにするという。店舗と健康機器には
経費をかけず、女性のイラストレーターをつけて、次々とプログラムをこなすシステムという。 
ネットで調べたら、長岡と同じ系統のフランチャイズ。HPの写真を見ると円を囲うように健康機器が
置いてあり、真ん中のイラストレターが音楽に合わせて次々と健康機器をこなすシステム。鏡はわざと
置かないそうだ。置くと????。 家内は、駅から車で20分ほどのイオンのSCのスポーツジムに
週一回通っているが、具体的内容は一切話さない。ここは週一回で、月に4000円位?のようだが。 
自宅の居間には4種類の小さな健康機器を置いているが、朝晩10分ずつ使用している。腰痛対策
なのだが、非常に効果がある。だから女性専用の30分のプログラムが身体によいのは理解できる。
音楽にあわせ、一台あたり2~3分運動させ、隣に移動させていけば、合理的で楽しいはず。
しかし男は無理。大元はアメリカのフランチャイズというが、なるほど合理的である。
10分100円というのも在るそうだ!
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2860, 若者たちは今
2009年02月02日(月)
 *若者の○○離れ、というが
ある雑誌の中に「若者の○○離れ」という現象のレポートがあった。若者は明らかに旧世代とは
違った消費行動をとっている。
まずは○○とは《 ・クルマ離れ ・酒離れ ・活字離れ ・新聞離れ ・洋画離れ 
         ・海外旅行離れ ・ギャンブル離れ(マージャン、パチンコ、競馬) etc》
  (字数の関係でカット2012・2・02)
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2008年02月02日(土)
 2495, ー自宅にも iMac
 昨日、会社の事務所に引き続いて、自宅にiMacを導入した。これで一年以内に熱狂的とはいわないが、
圧倒的なファンになるような気がしている。とにかく画面の明るさと、WindowsVistaとMac
両方が使えるのが良い。これまでノートパソコンに何故拘っていたのか?居間の座卓上のスペースの問題と、
Macをよく知らなかったことである。WindowsXPとノートパソコンの束縛から、やっと解放された感覚がよい!
Macには熱狂的なファンがいて、使っているだけで優越感を持っているという。ここ三年位は、出遅れて
損をした感覚である。いや、今が時節ということか。パソコンン、インターネット世界への知識経験の浅さ
を、そのまま書いているようだが。導入を手伝ってもらったHさんの話だと「Windowsより音楽などの
音質が良く、映像も数段良い」という。デジタル・ラジオをBGMとして聞けるのもよい。とにかくパソコン
に向かっているだけで楽しい!という気持ちになるだけで充分である。 ワンセグを外付けで入れて、
地上波のTVを見れるようにした。イヤホーンをつけたので、チャンネル争いのときに、敗者は?これを
見ればよい。一人で地上波の番組を見る場合は、パソコンを見れば電気代が節約できる。もともとWindows
Xpの機能の数分の一しか使ってなかったのが、より使いやすくなったため、もう一歩踏み込んで使う気に
なったということである。これが国内のメーカーより安く買えるのに、あまりシェアが伸びないのは、
やはり既存のソフトが転用できないからである。私のように元々持ってないものは、それが強みになる。
ただ、なれるまでは戸惑うことを我慢しないと! ところで、値段は20インチiMacで、山田デンキで
ポイント割引で129000円、他に色々入れると+2~5万円は必要である。
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2007年02月02日(金)
2131, 葬式よもやま話 -2   オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
 故・内山由蔵さんの長男の喪主の挨拶の中の一節に興味をひかれた。
ー 危篤になったが持ち直し、‘しばらくは大丈夫だろう’と、住居のある仙台に帰ろうと新潟あたり
に来たとき、今まで見たことのないような奇麗な虹が出た。「父に急変が起きたのでは」と思ったとき
携帯電話が鳴り再び危険状態になったという連絡が入った。そして急遽Uターンをして長岡に近づいた時、
燃えるような夕陽が輝いていた。この時、「ああもう駄目だ」と思った。そして着くのを待つようにして、
間もなく亡くなってしまった。という内容であった。私自身も何度も親戚の葬式の後に、奇麗な虹と
遭遇している。とくに義父の亡くなった時のこと、葬式帰りの峠で7回も虹が次から次へと出て、その下を
車で通り抜けた経験がある。何か異次元の不思議な感覚であった。涙雨とか雷鳴とか、その人により
色々な自然現象がおこるようだ。霊魂が死後35日から49日の間に、次の世に通じる六本の道路の内
の一本を選ぶ最も大切な宗教的儀式の日を「七七日」という。よく、葬式の読経のあと「七七日法要」
を引き続きやりますと言って、さらに有難そうな読経をあげるが・・。死者は七色に輝く一番まぶしい
光の出ている道路が極楽に通じていて、そこを通って浄土にいく。虹が人の死後によく現れる現象は、
「故人がこの道路の近くにいますよ、というサインを身近の人に見せようとしているのではないか?」
と、思えば、ファンタジーな気持ちになる。ところで十年位前のことになるが、会社に勤めていた人の
両親が一日違いでたて続きに亡くなり、二人一緒の葬式に参列したことがあった。事故とか心中ではなく、
母親が夫の死を待つようにして亡くなった。正視できない!とは、こういうこと。 葬式にまつわる
ドラマは色いろある。「お葬式」という映画もあった。伊丹十三が妻・宮本信子の父親の葬式で喪主
となった実体験をもとに、わずか一週間でシナリオを書き上げ、日本アカデミー賞をとったもので、
赤裸々な人間関係を面白おかしく表現していた。葬式という一見暗いタイトルにもかかわらず作中には
笑いが溢れており、そのギャップが何とも印象に残っている。それと、どぎつい性描写も
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2006年02月02日(木)
1766, こころの羅針盤(コンパス) -1    才ノヽヨーφ(・ω・`)  -読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。行くべき場所へむかうために羅針盤
用いるだけだ。」という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。その幾つかを
抜粋してみる。^ー^)/C□~コーヒーいかが?
 まずは「こころの震えを感じるとき ─まえがきに代えて─   五木寛之
▼ 「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。「こころの羅針盤」という
タイトルヘの感想もまた、各人各様。
  (字数制限のためカット 2010年02月02日)
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2005年02月02日(水)
1401, 危ない格言ー4   -読書日記ー
  ー愚者と賢者についてー
・最も贅沢で、最も洗練された社交ーできる限り一人で過ごすこと。
  (my感想)ーどうでもよい人となら、一人の方がズットよい。そのために本があるのだ。但し、
  よい本である。どうでもよい人でもよいから、一人でいたくない時があるのが‘にんげん’だろうが。
・人々が社交の中に求めているのが孤独からの逃避としても、そこで手にするのは、孤立からの休暇だ。
  (my感想)-そのバカンスが楽しいのだ、と! バカンスと割り切ればよいのか、バカンスと?
・ひとは、他者のなかに褒めるに値する特質を目にしても、十中八,九は見逃すが、
  馬鹿にしえる欠点や不足に気がつくと、十のものに二,三を足すような見方をするものだ。
  (my感想)-だから、生きていけるじゃないか人間は! 但し下等な人間に、その傾向が大だが。
・その場にいない他人の悪口は、話題に詰まった会話の下剤としてよく効く。
  (my感想)-あちこち、下剤を飲んでいるようだ。たく!、腐った女のような男は下剤が好きか!
   あの男!下剤瓶を幾つもカバンに入れている。腐った女は下痢症か!いや、便秘か。
・利害で結びついた人間は、感情によって引き離され、感情によって結び付けられた人間たちは、
  利害で分かれる。
  (my感想)-感情でなく、勘定じゃない?
・巧みな皮肉の弱点は、それが向けられた相手が、まさにその皮肉を感受し、
  理解するだけの感受性や知性を持っていることが、滅多にないというところにある。
  (my感想)-ジョークに、それが更にいえる。ワザワザ、説明しなくては解らない人に
   説明しながら言っているが情けないというより、・・?! 巧みな皮肉か! 
(字数の関係でカット2011・2・02)
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2004年02月02日(月)
 1034, ダヴィンチが知的障害?
ある本を読んでいて、目が釘付けになった。天才といわれている、レオナルド・ダヴィンチと
アインシュタインエジソンが知的障害だったという。天才の90?が梅毒という話は知っていたが、
この3人が知的障害だった?エジソンが3ヶ月しか学校に通わなかったことは有名な話。典型的な
注意欠陥障害のハンデキャップを負っていたという。注意欠陥障害といえば注意散漫と思われがちだが、
反対に注意が一点に釘付けをされて、他に移動できない障害も含まれるという。これは日常生活には不便
であるが、その障害を反転させて強みとして活用した事例と捉えることができる。彼の異常な集中心は、
その欠点を逆転して強みに変えたと解釈できる。
(字数の関係でカット2o11・2・02)
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2003年02月02日(日)
 669, ぶざまな人生
本屋で見かけた本のタイトルである。「ぶざまな人生」というタイトルにハッとさせられる。
軽く1分程度立ち読みした程度だったので概要は主観的になる。「人生を捉えてみると誰もが
皆ぶざまな人生だ。それを初めから割り切って自分のやりたいよう、生きたいように生きるべきだ」
という内容。シビアなタイトルだが、皆「ぶざま」という言葉に呪文をかけられている。誰もが
本当はぶざま人生じゃないか、見っともないという他人への思惑など捨て切って自分のやりたいことを、
やりたいように生きるのが本当だ。政界のプリンスと、この前まで言われていた鳩山由紀夫だって、
最後は見っともない醜態を曝け出してしまったではないか? でもこれからが本人の真の力が湧き
出てくるかどうか試されるのだろう! 凡人が「ぶざまな人生」と初めから割り切れるかというと
なかなか難しい。よほど哲学的に裏づけか信念が必要だ。それがその本の主旨。「ぶざま」という言葉を
使う人は「教養のない中年のオバサン」だろうが。心の奥に誰もが「ぶざまな人生だけはおくりたくない!」
あるいは「みっともない最後だけは人に見せたくない」というのがある。分の人生を顧みて、ぶざまとも
格好よかったともってない。それではやりたいこと出来たか?というと、こんなものかという感がする。
ただ専攻が人間関係学であった為、人生のトータルデザインを考えて生きてきた。自分の真にやりたい事を
一生通して追求するのは自明。
「ぶざま」という言葉自体が「世間様」という虚構の言葉である。それでは「ぶざまな人生とは、
どういう人生だろうか?」その言葉にやはりこだわって何も出来ないで終わってしまった人生のことだ。
それなら「初めから人生はぶざまなものと割り切ってしまえば、開き直った生き方が出来る」。
「悟りということは、如何なる場合では平気で死ぬ事かと思っていた事は間違いで、如何なる時でも
平気で生きていることであった」正岡子規の病床六尺の言葉である。これは「ぶざまな人生を平気で
生きることが悟りである」と言える! 完全な人生を求めるな!そんなものは元々ある訳がない。しかし
知らないうちに社会的動物として完全を人生に求めてしまう。完全でなく充分な人生しか存在しない、
それが人生というものだと割り切ってしまえばよい。充分の人生を初めから求めるべきだ。それを脇で
見たらぶざまに見えることもあろうが。親戚・姉兄や知人を見ていてカッコウいい人生の人など殆どいない。
遠くから見ていて例外の人がいたら、ただそう見えるだけだ。
  ー 書いていたら気分が楽になった!!
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 2002年02月02日(土)
319、我が内なる無能性ー具体的内容
 我が内なる無能性を具体的話に書いてみる。
 周辺にいる特にいる「だめな奴ーあれ」ーなんか虐め!
ーこの特性をあげてみると
1、一回も脱皮したことがない。一生をただ何も考えず、そのまま流れている。
2、「他人の目」が全ての価値観ーしたがって[自分の本心]が何かわからない。
   価値という言葉も全く理解できない。
3、その前提として、本を読んだことがない。ーこういう人が本トウにいる。
  ー思考能力ゼロ! それだけならいいが、毒ガスを撒き散らす。
   (字数の関係でカット2009・2・02)
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2月2日 日曜日 1969年 
13時まで就寝。 それから夕方まで勉強をする。夜、市川さんが部屋に来る。有神論、無神論
議論する。その系統は、彼の得意分野でコテンパンにやられる。中途半端な知識が露呈してしまった。
新約をギリギリのところで読んだ経験があるが、科学的・哲学的の系統にとらえた本は皆無。
これからの人生では、避けて通ることのできない心の奥底の問題である。
その系統の本を読んで、からかって仕掛けただけだろう。勤めると、こういう小手先が効くのだ。
翌朝の3時過ぎまで勉強、ラーメンを食べて就寝。まだ集中が足りない。もっと身を入れなくては。
5071,ツィッター、その雑念のゴミばこ ~1