つれづれに

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 はや、水曜日。一週間があっという間に過ぎ去る。
天気模様も、一日の内にめまぐるしく変化する。
そろそろ積雪もありそうな。




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5027,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー4
2014年12月19日(金)
         『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
   * 悪魔憑き ~ミシェル・ド・セルトー著『ルーダンの愚依』 
 映画で幾つか悪魔憑きの場面を見たが、実際に、具体的事実?
を読むのは初めて。 ー以下は、実際にあった内容?ーだから、驚きである。
≪ ミシェル・ド・セルトーの『ルーダンの愚依』がはじめて全訳された。
「ルーダンの慰依」は、十七世紀フランスの田舎町の女子修道院で起きた、
歴史上最も有名な集団的悪魔憑き事件。十七人の修道女からなるウルスラ
修道院に、数週間前に亡くなった告解師の亡霊があらわれた。霊はしばらく
修道女のベッドの脇で泣いた。 別の亡霊が次の日真っ黒な球のかたちで
修道院の食堂にあらわれ、二人の修道女を乱暴に地面に押し倒し、肩に乗った。
やがて修道女たちの肉体と精神に奇妙な変調があらわれ、次々に判断力を失い、
全身がすさまじい痙攣に襲われた。教会の上層部は動転し、調査をした結果、
この事件の犯人は悪魔だと判断した。「悪魔祓い」が専門僧の手で行われた。
 悪魔に名を名乗れと命じると、「神の敵」という。悪魔にとりわけ狂った
院長の体から出るよう命じると、院長は暴れ回り、吼え、歯をきしらせ、
奥歯が二本抜けた。悪魔と問答を続けているうち、悪魔を彼女の体に
入れたのは、ユルバン・グランディエという別の教会の司祭であると判明。
「彼女たちは叫び、グフンディエを探そうとして、修道院の屋根に駆け上り、
また肌着だけで木のうえに、それも枝の先までよじ登ったのです。
そこで恐ろしい叫び声を上げながら、風や雨に耐え、何も食べずに4~5日も
留まっていた」。この悪魔憑き事件は、たちまちヨーロッパ中に知れわたり、
ルーダンの街に何千人もの野次馬が押しかけた(修道女が教会の尖塔に上り
宙を飛ぶなどのウワサが広まった)。野次馬は何日も泊りカけで狂える
修道女を見物した。修道女は吼え叫び、土の上でころげまわり、足や手を
絡み合わせ、足の裏をくっつき合わせたりした。卑猥なようすで舌を出し、
つばを吐き、冒涜的な言葉を吐きちらかした。・・
 修道女たちとグランディエとの対決が行われ、グランディエが否認しても、
彼が悪魔に使われている証拠が次々に出てきた。六人の悪魔とグランディエが
署名した「契約書」すら出てきた(「神を否認して悪魔に仕え、できる限りの
悪を尽し、なろうことなら人間でなくなり悪魔になることを願う」)。
グランディエは、ルイ十三世直々の指名による特別法廷で魔法使いとして
裁かれ、一ヵ月余の審理を経て、膨大な証拠(悪魔との契約書など)によって、
火刑による死刑が宣告された。 刑は一万人以上の見物客の前で執行。
裁判中に、修道院長と修道女の一人が、無実のグランディエを告発して罪に
おとし入れたと告白したが、その告白も、魔法使いの魔力を証明するものと
され何の影響も及ぼさなかった。この異常な事件は、欧米では繰り返し検証の
対象となり数々の論文や小説が書かれた。 映画も(カヴァレロヴィチ
「尼僧ヨアンナ」、ケン・ラッセル肉体の悪魔」)作られ、オペラも
(ペンデレツキ「ルーダンの悪魔」)作られている。・・ ≫
▼ 信じがたい事件だが、事実?なのだろう。神の存在証明は、難しいが、
こういう憑依なら、でっち上げ易い。しかし集団となると、誤魔化しは難しい。
17Cのフランスで、17人の修道女が集団の悪魔憑きの物語となると?
やはり信じがたい。信仰心を深めるための法王庁の戦術も考えられるが・・
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5757,閑話小題  ~ファースト・クラスのラウンジ
2016年12月19日(月)
   * ユーチュブが変わっていた
・久しぶりにYouTubewoをみたが、様変わり。ネット社会は日進月歩である。
ドローンに搭載した4Kカメラによる空からの映像が壮観。また野生動物に
近づいて揶揄う映面も迫力がある。玩具の小型ドローンで、家庭の犬猫を
揶揄う画面が面白い。
・グーグル・グラスの映像も以前とは違っている。 興味のある電化製品の
商品説明を売場担当がコト詳しくする説明をする映像もある。これは売場で
聞くのと遜色ない。 
・他にはソニーパナソニックのアンドロイドTVが面白い。これはパソコン
機能をTVに融合したもの。YouTubeに、「4K・築地」と入力すると、4K
で録画した築地のマグロ解体の場が出てくる。やはり、長生きをせねば。
   * ファーストクラスのラウンジ
 先日のTVで、ファースト・クラスの飛行場待合ラウンジをレポーターが
実際に入って撮影していたのを家内が録画をしていて是非、見てみたらという。
ゆったりしたラウンジに、顧客1人にサービス員1人が召使のように付きっ切り
で応対する。パックツアー専門の私はエコノミークラス。で、10回に1度?は、
エコノミー席がダブルブッキングで無料で格上げすることがある。 
 一度だけ、ツアー添乗員の計らいで、ファーストクラスにまわしてもらった
ことがあるが別に何とことはない。 ベテラン添乗員から以前に聞いた話。
<「エコノミー席」が格安にできるのは、ファーストクラスとビジネスクラス
の代金の肩代わりで料金をカバーしているが、エコノミー席で飛行機全体の
バランスをとるための「重り」の役割がある。格安エコノミーが「重り」には
驚いた。「重石でも何でも安けりゃ良い」は貧乏人の発想か。以前に書いたが、
飛行機は社会の縮図が露出する。 世の中は残念ながら格差社会
  * 鼻風邪
 この時節、必ず鼻風邪になる。早朝の仏間一角の書斎コーナーで、全身を
エスキモーのように防寒着でくるみ、電熱機と電気アンカで暖をとるが、例年、
冷気で鼻風邪になるのが通例。3晩、風邪薬を飲んで寝ると直ぐに治るが、
それもつかぬ間。風邪は万病のもと… 年末だから寒くて当然としても…


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3180,今年の総括
2009年12月19日(土)

 今年も総括の時期になってしまった。 
去年のリーマンショックや、中国・深川大地震のような大事件は無かった。
オバマが一月末に正式にアメリカ大統領に選出、日本では自民党が惨敗し民主党の鳩山政権が発足。
それと新インフルエンザが本格的な流行を始めたことと、WBCで日本が優勝、マイケル・ジャクソン
亡くなったことぐらい。 身辺でも金融恐慌の暗い雰囲気が漂ってはいたが、亡くなった人は従妹一人。 
 来年は、その分だけ大きな経済的事件や、国際紛争も起きそうである。今年は、中休止の年というところか。 
しかし日本経済は厳しさを増している。当方も新潟国体で何とか息をつけたが来年は大きなイベントは
見当たらない。 来年は来年だが、気持ちは暗くなる。
 今年を歴史的に振り返ると、「ハイパー・デフレが始まり」「新インフルエンザが本格的に蔓延」、
自民党が崩壊、民主党が政権を取り」「国債発行が予算を超えた」が、キーワードになる。
決して安泰の年というのではなく、急な坂を転げ落ちていく境目の年である。
 私自身、25年ぶりに海外旅行に行かなかったことである。 9月に行こうとしたが、新インフルエンザの
世界的な拡大に迷いが出て、キャンセル。 今からすると、行っておくべきだったと後悔をしている。
この恐慌の中、行かない判断も正解だったのかもしれない。 2001年9月11日のテロと、去年の
9月15日のリーマンショックの激震で、世界は大動乱に入ってしまった。 その二つの津波のウネリが
大きく覆い被さってきているのが、昨今の大不景気の原因。 今年も無事?終わりそうだが、来年は
どうなっているか? 神のみぞ知るである。

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2815, 不況景色 -4
2008年12月19日(金)

 今回の金融危機で、まずは日本の自動車、住宅、電気メーカーが大打撃で、深刻な事態になっている。
その一つが為替差損である。一円のドル安でトヨタで400億というから、120円から87円となれば、
33円×400億=一兆三千億円以上になる。数年でトヨタでさえ倒産というのも肯ける。
ニュースでホンダのトップが涙目で、異常事態と言っていたが、果たして如何だろうか?
 野口悠紀雄の『円安バブル崩壊』の中では、
ー「「金融緩和政策と為替介入によって生み出された異常な円安バルブが崩壊して、本来の状態に戻りつつ
 あるだけ」と指摘。金融崩壊までの景気拡大は、企業の“選択と集中”による企業体質の強化や、改革による
 効果というよりも、異常な円安バブルがもたらしたものだという。( この本は2008年5月29日に発行だが…)
 昨年8月以降に急激な円高が進んだが、日米の金利差や消費者物価上昇率を比較すると為替レートは1ドル
 =60~70円程度。世界でほぼ同一品質のものが販売されているマクドナルドのビッグマックが課税前
 価格で日米で同じ価格の為替レートを算出すると1ドル=79円に相当するという。 これから考えても、
 きっかけは金融危機としても、円高は円安バブルの崩壊の70円代というのも肯ける。この自動車業界の
 惨状からみて、これまでの彼らの繁栄が、大多数の国民の犠牲の上で成り立っていたと思うと、腹が立つ
 ことも事実である。
 ーこの本のP-8にある次の箇所を読んでいて、腹が立ってきた。ー
 ・・・・「ビッグマック指数を使って次のように考えるとよくわかる。 東京で276円で買った
 ビックマックをニューヨークに持っていって売るとする。販売収入3、49ドルを100円のレートで
 日本円にすれば349円になる。276円の元手で349円が得られるから、こういう行動が利益をもたらす。
 移動で品質が低下するので現実的ではないが、製造業では品質は低下しないから、取引は現実的になる。
 たとえば、「日本でもアメリカでも自動車がビッグマック一万個分」とすると、日本円で276万円の車が、
 3万4900ドルになる。したがって、日本で製造した車が外国に輸出して売れば、右のメカニズムで利益が
 発生する。」この数年間に現実の経済で生じたことの基本は、このようなことだった。・・・・
 現在起こっていることは、その正常値になっただけと、野口悠紀雄は述べているのである。
 それも一挙だから、パニック状態になるのである。 円高原油高、穀物高、資源などを5割以上も高く
 買わされていた国民からみたら、マイナスである。 その上で、彼らは繁栄を謳歌していたのである。
 それが東海ベルト地帯だけが、その他の地域と違う国ではないかとさえ思えるほどの差になっていた。

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2007年12月19日(水)
2450, 手帳は予定、日記は過去を書くもの!
                          (σ・з・)σオハYO!!
そろそろ来年度の日記と手帳の準備に入る時期である。 最近では手帳と日記が兼用になっているものも
目立つ。書いたこと自体忘れていた学生時代の日記を倉庫で見つけ読み返し、その当時の記憶が鮮明に
思い出されて、気持ちを書き残す重要性を実感した。当時、何故書き残していたのか?当時の日記から
すると、自己コントロールとして書いていたようだ。それが結果として行動記録になったのである。
現在はブログと随想日記に日々行動と心情を書いているが、見られることが前提である。
学生時代の日記に39年ぶりに出会って懐かしく感じるのは、本心を書いていたからだ。
公開していたら、赤裸々な気持ちをそのまま書けなかっただろう。昨日、毎日新聞の読書欄に東大教授が
日記と手帳について解りやすく書いていた。 ズバリである。下手に心情など書こうとするから書け
なくなる。身近なことを簡潔にメモを刷ればよい、それも自分の言葉で!
ーまずは、その内容からー
日記をつけない人はいう。いったい何を書いたらいいのかと。何も書く必要はないのだ。
何かを書こうと思う時点で拘束され、負担に。やがて挫折。日記は提出の必要なし。
文章表現に凝ることはない。自由きままに、その人の「いちばん楽なごとば」でつければいい。
感情表現を加えると重くなる。寝る前に一日を振り返り「晴。午後から講義。夜、必殺仕事人、見る」。
ぼくはこんな感じ。田山花袋は、いう。事実を書くだけでいいと。
<こう思ったとか、ああ思ったとかいうことよりも、こういうことをした、
ああいうことをしたという行為を書いておく方が「日記」という本来の性質にかなっている>。
  (字数の関係でカット2008年12月19日)
 荒川洋治、東大教授(日本政治思想史)日記の「新年」 (._.〃)ゝ…バイバイ
 ーーー
私のように読書の要約を残すため公開するコーナーや、日々の社会の感想を何気なく
書き続けることで、より周囲や社会を深く広くみることを動機にしている輩にとって、
誰にも見せない日記も必要になる。それでも、いつか誰かに見られる前提で書くしかない。
そうだとしても独り自分に対峙する日記は、必ず習慣として持つべきである。

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2006年12月19日(火)
2086, 哲学者が霊能者を一刀両断すると!-2
           オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!   
「知ることよりも考えること 」-?  読書日記
             
「生きていること自体が、神秘体験である。生前、死後の世界と何を取り繕っているのか、馬鹿も休み休み
 言いなさい。それなら、現に生きている神秘を説明してみたら!」と問われたら江原某はどう答えるのだ
 ろうか?
「見えるものは見える」と言うしかないか。それとも「それじゃ心が見えますか?」と言うか?
 ばっさり切り捨てている部分が更に面白い。             
   ー生きていること自体が神秘体験だろう!-
  ーー
 前世を語る者たちの、オーラとカルマの「物語」なのだ。物語とは、文字通り物語なのだから、
 本当でも嘘でもない。知り得ないことについて、本当とも嘘とも言えないのは決まっている。
 あれらの物語を求める人はおそらく、あれらの物語を「本当のことだ」と思っている。
 それを信じることによって、人生の意味と理由が与えられたように思うのである。
 しかし、そのような仕方で与えられるような人生の意味と理由は、それ自体が物語である。
 本当か嘘かさだけではない。 そんなもので本当に救われるのだろうか。
 人が何らかの神秘的なもの、「神秘体験」に惹かれるのも、恐らく同じ理由である。オーラや
 カルマや臨死体験を神秘というなら、自分が存在しているということは、どうして神秘ではないのか。
 ほとんどの人は、自分が存在していることを神秘だとは感じていない。そんなことは当たり前だと
 思っている。
(以下、字数制限のためカット 09年12月19日)
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2005年12月19日(月)
1721, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 -1
『 日本一短い手紙』のシリーズを読むのが二冊目になるが この「喜怒哀楽」がよい!
  人間の赤裸々な姿だからだ。 読んだ瞬間、涙が出そうになった。 何も書けません! 

ー 第10回一筆啓上賞の中の10篇である。

口元のわずかな動きで分かります。かあさん、きょうは、うれしいんだね。
                    金子数栄 長崎県 59歳 農業
喜怒哀楽って季節みたいだ。1度に全部来ないし、何かを残してすぎてゆく。
                   寺沢紗裕里 岩手県大船渡市 15歳 中学3年
潮が引いた浜辺に貝が二つ。お父さん、私達みたいだね。次の波も 被り抜いていこう。
                   田中久美子 熊本県水俣市 46歳 地方公務員
家族全員がいたときの玄関いっぱいの あの喜怒哀楽の靴たちはどこですか
                   中江三青 鳥取県鳥取市 54歳 会社員
畜生!あげたてのてんぷらが食いてえ! ― ガ島で戦死した兄からの最後のハガキ ―
                   井邑勝 福岡県北九州市 69歳 無職
きみは小さな足でかわいい地団駄を踏む。 いったい誰から教わったんだい?
                   塩見直紀 京都府綾部市 37歳 自営業
雨音で目を覚ましたので窓を見たら アジサイがのぞいて笑っていました。
                   岸波由佳 福島県福島市 18歳 高校3年生
目を閉じるとき瞬間私は貴方との人生に「喜怒哀楽」のどの顔をするかしら
                   高橋直青森県青森市 31歳 主婦
母が怒り出したから、「だっ」と逃げたら、「だだっ」と母が追って来た。
                   石榑美樹 新潟県長岡市 18歳 高校3年生
いつの間にか付けていた心の仮面が、 今では勝手に感情を作る。本当の感情はどれ?
                   加藤裕美子 福井県福井市 15歳 高校1年生
ー他にも、すばらしい作品が多くある。 人の心は、弱く儚いものだが
 ーー
ねぇあなた、哀しみの次には楽しさが来るんだよ。 もう一度頑張ってみようよ。           
先日、満員電車で、席を譲られてね、感謝したけど、何故か心に、空席が出来たよ。           
あなたがいないから、泣いていたんじゃないの、私もいないから、泣いていたの。            
虹が出た時、土筆の顔が見えた時、今年初めて燕を発見した時。何だか幸せ。      
「喜び」はきっと一人じゃ作れないよ。だって一人じゃうれしくないじゃん。
      
・・・・・・・
2004年12月19日(日)
1356, 梅の花ー2
部屋は六畳ぐらいの大きさで、机の下が掘りごたつ風になっている。
メニューは、湯葉煮、茶碗蒸し、豆腐のけんちん揚げ、黒豚と季節野菜の豆乳しゃぶしゃぶ、
豆乳リゾッテ風、シャーベットである。食事が終了するのに、一時間半はかかった挨拶に来た、
マネジャー風の人の話によると「昼客の殆どが女性のグループで、11時過ぎに来て2時近くまでいる。
その為お客はあまり回転をしない」とか。最短で1時間半かかるのだから、女性客はそれだけ居座るだろう。
いま流行のスローフードの典型である。「郊外型、高級料亭ふう京料理のスーパーストア廉価店」といえる。
新潟下越中越地区の女性客が一巡する数年は、物珍しさも手伝って好成績をあげるだろう。その後は
何とかやっていけるかどうかの業態。経営者も、3~4年で投資回収をしてしまえば、後は何とかなると
踏んでいるのではないだろうか。 たまたま知人の姪が、東京の「梅の花」で店長をしているという。
新潟のこの店は成功で、客単価は5000円弱。 会社全体として、この三年で勢いは落ち始めたという。
店で作る豆腐以外は九州の本部から送ってくるレトルトの加工するだけ。「チェーンシステムを京懐石料理
に取り入れた」ということだ。「梅の花」のHPを調べると、決算書の内容から見て、それほど好業績の会社
ではない。売り上げが200億、自己資本比率が30%弱。多店化を始めた頃の店が成績が急落したため、
新店でカバーせざるを得ないというのが決算書から読み取れる。 三年前の9・11事件からの落ち込みは
何処も同じである。客としての判断は、あくまでも女性客に的をしぼった店であり、もう二度と行かなくて
もよい店である。しかし、長い時間ゆっくりと食事をしたい女性客にとっては良いと思われる。

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 2003年12月19日(金)
989, 軽井沢の思い出
 現在書いている随想日記に「軽井沢」のことが頻繁に出てくる。 記憶の彼方のことが、今更のように
思い出される。大学二年の秋に、隣の部屋の先輩から「OBの先輩がペアレントをしている軽井沢の山荘」
のアルバイトに誘われた。丁度、学生時代の生活に慣れて、寮とクラブだけの生活に辟易としていた時期で、
丁度よいタイミングであった。仕事といえば、食事つくりと、掃除と、宿泊客の夜の遊び相手である。
若い女性が殆どで、フォークソングを一緒に歌い、ゲームをしたり、話相手になる。
初めての経験で夢のような毎日であった。卒業するまで連休や夏・冬休みなどに二年間ほど行っていた。
 早朝の朝もやの中、宿泊客とか同じヘルパーの女学生と散歩をするのが一番の楽しみであった。
並木道の木が重なり合っている「愛のトンネル」いや「「愛の小道」という絵に出てくるような場所もあった。
周囲は別荘や池やホテルなどがあり鳥のさえずりや雉の鳴き声が聞こえてきて、幻想的な小説の主人公になった
ような世界。そこで仲が良くなって東京で会ってもTPOSが違うのか、一度で夢破れたことが何回かあった。
夢は夢にしておくべきということを何度か再確認をした。 また久々に会う女学生が嬉しそうな顔をして
走りよってくる姿が、何ともいえない記憶として残っている。  何で誰とも結婚しなかったのだろうか、
不思議で仕方がない。両親の縛りから抜け出せなかったのだろう。いや??!まだ受け止められるだけのものが
無かった。ところで話が変るが、そこの名前は「友愛山荘」であった。旧軽から7~8分のところにあった。
政治家一族の鳩山家の政治団体「友愛」が、ボランティアで運営しているユースホステルであった。今はもう
「鳩山家」の別荘に変っている。そのペアレントー山荘の責任者が、学生寮の先輩で「三浦満さん」あった。
結婚したてで、奥さんが明るい人で「波子さん」と言われて皆に慕われていた。 一歳の赤ちゃんがいた。
夜の「お遊びタイム」の後、三浦さんと酒を飲みながら政治や哲学など話すのも楽しみだった。
{ユースホステルでは、宿泊客をホステラーといい、アルバイトをヘルパー、マネジャー役の夫婦をペアレント
という。}
 大学を卒業をしてから10年位の間2年に一度は遊びにいっていた。また私の結婚式には三浦夫妻に
出席してもらった。「海外旅行」「葉山」「留学」「軽井沢」「外車」ゼミ」などの言葉は学生時代の
私の世界では、特別の響きがあった。友人の何人かは外車のアルファロメオフォルクスワーゲンなどを
乗り回していた。貧乏(寮生活)と金持ち(欧州旅行で知り合った友人)の狭間で、目が回るような日々。
 今から考えてみると、あらゆる人と社会的なものを一切脱ぎ捨てて、裸で付き合えたのが学生時代の
一番の特典であった。

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2002年12月19日(木)
615, パタゴニア旅行記ー2
 この旅行は12月4日~17日までの14日間の旅行であった。
・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点のアルゼンチンのカラファテに三連泊。
 大迫力の氷河の崩落を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖のクルーズを楽しみ、
 この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を見る内容であった。 モレノ氷河については前回書いたが、
 ウプサラ湖の一面小さい氷山で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを現していた。
 またウプサラ氷河は幅10?高さ80?の壮大な景観を、晴天の空の青に氷河の白と青をミックスさせて
 我々の眼の前に展開していた。 何ともいえないパタゴニアの美しさに時間の静止を感じた。
・次のハイライトはパイネ国立公園であった。1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドンの骨が発見
 されたミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。その中でやはり圧巻はパイネグランデの雄姿である。
 雲を頂く岩峰が4つ天を突き刺す姿はパタゴニアを象徴するものである。帰りの車の中でみたその姿は
 生概忘れられない夕景であった。山頂近くまで以前氷河があったのが山頂の岩の色の違いで分かるのがよい。
 その先にあったグレー湖とその水源のグレー氷河に50?近くまで船を近づて見上げたのも印象的。
 氷河の美しさでは近くで見たこともあってベストであった。

・・・・・・・
2001年12月19日(水)
274,一卵性双生児
今は行かなくなったが、10年前ぐらい週一回、10年近く通っていた店がある。
そこの板前兼亭主が一卵性双生児である。店の名前が「味生」である。
面白いのが、共同経営のうえに一軒の住宅に二家族が住んでいる。子供が2~3人ずついて、食事も
一緒に食べるという。二人の奥さんが一日交代に店にきて手伝う。残ったほうの1人が家事をするという。
小説になるような話だ。「現実は小説より奇なり」とはよく云ったものだ。ふぐの専門店で客種はいい、
なんともいえない雰囲気があった。副業と趣味を兼ね、チャウチャウのブリーダーでもある。
双子の世界は、一般の常識では解らないものが「テレパシーとか感覚の世界」であるという。
二人がカモシダシテイル雰囲気がなんともいえなくいい。TV小説の世界に入ったような気になる。
色いろな世界があるものだ!

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ある時間の断片
12月19日 1968年 
 目が覚めたのが12時少し過ぎである。少し寝すぎたようだ。食後13時から17時まで集中して卒論を
書き上げる。休んで、21時から0時まで再び集中する。そこから頭を休めるつもりで、「愛について」を読む。
今の自分の姿勢を否定している部分が多い。「受容」と、「犠牲的精神」「信頼」という部分が見失われている
ようだ。クールヘッド・ウオームハートといっているが、今の私が完全に逆のようだ。もっと広い範囲で本を
読むべきであった。