つれづれに

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 今日の午後からは、日本橋で毎年恒例の大学の同期会。
この9年間、連続して出席している。 毎年17~8人が
出席しているが、小中高校同様、3割は亡くなったか、
寝たきりで同級会から、同期会に変化し始めている。 
幹事、曰く、「今年は何故か出席率がよく、既に20名以上」
という。ここ魚久の会長が同級生。
 この続きは、明日のテーマ日記のネタで取っておく。




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6106,閑話小題 ~状況から、主犯格は白鵬
2017年12月01日(金)

   * 『横綱アドバンテージ』の間接強要だろうに!
 日馬富士と、親方の涙の会見をみて、「何も解っちゃいない?」と首を捻って
しまった。ことは、朝青龍白鵬から受け継がれてきたモンゴル人の鬱積した
被差別と、被害者意識が背景にある。モンゴル人には、「強ければ、勝ちさえ
すれば、多くのことが許される」という大陸的体質がある。それに対し、日本
には、海の要塞に囲まれ、外からの侵入の心配がない島国根性の国民性。
 その差が、貴乃花白鵬を比べると歴然としている。貴乃花には、三代目の
血筋と、純粋培養の恩恵がある。白鵬にもモンゴル相撲の血筋があるが、ここは
島国日本。モンゴル人には勝ち続てナンボの存在でしかない。そこに決定的
差異がある。 その一つが『張り手』の問題。
 貴乃花の著書の中に、「張り手」について、相撲道に反する象徴としてあげ、
忌み嫌う。以前は、これほど「張り手」を使うことはなかったが、そこに目を
つけた朝青龍が、『横綱アドバンテージ』の特権を作り上げ、白鵬日馬富士
鶴竜へと受け継がれてきた。横綱に張り返したら、本場所間の稽古土俵に押し
かけて半殺しにする仕組み。それを知っている貴乃花部屋の貴乃岩に、それが
出来ないため、出身高校の同窓会に押しかけ、礼儀と躾の説教。これは、目上
に対する、「張り返し」の禁止強要でもある。今回、暴行現場に同席していた
白鵬に7時間以上も聴取をしたのは、一連の事件に共同謀議があったかどうか?
を、丁寧に聴きだすため? 無知が成せることか、日馬富士が『酒が入っての
暴行ではありません!』と会見で話していたが、この手の暴行は、酒の勢いが
ことを大きくする。 『酒の勢いでないとすれば、朝青龍追放を起因とした
モンゴル・コンプレックスの怨念に対するシゴキと捉えられ、手を出さなかった
2人の打合わせがあった?』と受止められても致し方がない。その辺りを、
貴乃花が警察に訴えた主旨だろう。この怨念は朝青龍日馬富士、次は白鵬に。…
 現在の理事長は、実績からして故・千代の富士にするのが慣例だった。
で、当然、その後の理事長は貴乃花が引き継ぐのが流れ。北の湖も自分の前に
一期でも大鵬を理事長にするのが筋。白系ロシアという理由があったとしてもだ。
白鵬も実績からして当然、理事長になる権利があるが、明らかに日本人の体質
とかけ離れている。そうこう考えると、「国技」の意識と、公益法人の特権を
捨てて、新たに出発するしかない。この危うさが、また面白いことも事実だが… 
 大陸の肉食系に制圧されるのは自然の理。 しかしモンゴル劇場の終焉も、
あながちオーバーではない。来場所から、貴乃花部屋力士への、陰陽の嫌がらせ
が始まる。その辺りが、見ものになる。有り体からすれば、こういうことだ!
角界を占拠したモンゴル人横綱三人が、『横綱アドベンテージ』を守らない
貴乃花部屋の若手モンゴル人力士を、巡業中の出身高校の同窓会に、出席し、
その一人が暴行に至った。暴力団の刑事事件なら、当然、手を下さなくとも
大親分の白鵬が共謀犯の主犯になる。この男、歴史に残る40回の優勝回数を
誇るが、大陸系のため、島国根性の日本と体質が全く違う。で、今では、
相撲協会そのものが「ポチ」にしか思えない。 所詮は、「わしと違う
二流どこの連中…」と。 だから、何をしても許されると。ということは、
この男の暴走は、もう止まることはない。来年で、舞上がりの愚行で、
お二人の二の舞になり、追放?の運命が待っている。 その確率7割!】
 大相撲そのものの品質維持のためにも、その前、この事件の主犯で…?
 
 白鵬を最低でも一年間の出場の禁止(間接的引退勧告)か??
 それを真剣に考えるほど協会の意識は高くはない、ということか。

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5739,なぜ本を読むといいか? ~4
2016年12月01日(木)
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博
   * 本を読むだけで何が得になるか
 著者は“人生の糧を得る手段として読書をする必要があり、
教養を磨く必要がある”と『読書』に特化して論じている。読書は
損得より人生の根幹に関る問題だが、解りやすく言っているのだろう。
 体操の金メダリストの内村選手がインタビューで、
『私の脳に小さな自分がいて、競技の最中に支持を出している』
といっていた。練習の積み重ねで、「小さな自己」が、育っていて、
次の動作の指示をするという。私の小さな自己は、夜半の数時間の半睡の
瞑想状態と、起床直後のこの文章の完成とネットアップと、ミニ・チャリと、
午前2~3時間の読書が、小さな自己を育てると思うと成る程!である。
武澤ゼミで一年間、週に1~2度、様々な会社内トラブルの本質を討論し、
最後に、その解答が示される。それが、思いもよらない切口のもの。
太陽が黄色に見えるぐらい、絞られた上のため、ショックは大きい。
しかし、回数を重ねるうちに、正解に近い判断が出来るようになる。
そこに違った知性が別人格がいて、冷静にゼミ員を見つめているような。
 それが現実に教授でもある。現実社会に出て、会社は急速配転をして
人材を育成しようとする。当然、ノンキャリアとのトラブルが派生する。
その時々、ゼミで育成された「冷静な視線」が、自分と、周囲を見ている。
その冷静な自己が、「内なる小さな自己」に被さってくる。私にとっての
これが、歪んだ私を冷ややかに見下しているそのままが、このブログを
通し透けて見えている。見下しているのは、本人だけならまだ良いが、
世間にも向かうため、溝が深くなる?  要するにバカ!
  ~その辺りから~
≪・幸福という定義を自分で決め、現在の自分がどの地点にいて、
 どちらの方角を目指し、どこまで達成すればいいのかということまで、
すべて自分で決めていかねばならない。人生は誰も助けてはくれない。
成熟社会は、個人がバラバラになっていくことと同義である。
それにともなって、地域コミュニティの影響力も後退していく。
日本にはもともと地域社会というコミュニティがあったが、産業化に
よって破壊されていった。その代わりの役目を果たしたのが、企業と
いうコミュニティだ。しかし、成熟社会では、それさえもアメリカ流の
グローバリズムによって分断されていく。
・じつはヨーロッパを中心に成熟社会を迎えた先輩諸国がやったのは、
国家として宗教を発動し、バラバラになっていく個人を再び紡ぐことだった。
日本のように企業がその役割を担うのではなく、宗教界が教会というネット
ワークで紡いでいったのだ。ややこしいのは、日本は太平洋戦争の影響で、
このように、国家が宗教を発動できなくなったことだ。宗教の未整備に
よって、とくに若い人たちが浮遊している。
・では、宗教の代わりに彼らをつなぎとめているのは何か。
 それが日本の若者が異常にのめり込んでいる携帯メール。
突出してメール文化が盛んになったのは、宗教の代替機能として、
つながったような気になるという側面が大きかったと私はみている。
宗教が機能している社会では、宗教が物語をつくり、幸福とは何かを教える。
でも、日本のように宗教が機能不全の国家では、自分で自分の宗教、あるいは、
その代替物としての幸福論を持たなければならない。だが、携帯メールは
その場限りのつながりを与えてくれるだけで、幸福論の代わりにはならない。
だれかに託したり、自らを捨てて帰依することができる人はそれでいいと思う。
しかし、そうではない普通の人は自分で本を読み、自分で世界観を構築しな
ければ幸福論は築けない。≫  ~序章より~
――
▼ 明治以前、それまで国内の農民を束ねていたのが寺院。
 それを明治政府の樹立のため、国家そのものを信仰対象にした。
それが第二次大戦で崩壊したため、新たな機能が働いてなかった。
その一部を上京してきた地方出身を狙いを定めたのが創価学会。何の頼る
べく無い人に、美味しい親鸞の教え。最近では、ネットとりわけ、スマート
フォンを与えられた大衆はネットで、人との繋がりに心の安らぎを求めるよう
になった。ここで情報機器の果てしない進化もあり、読書習慣が薄らいでいる。
国家、宗教も曖昧な時代に、それぞれの人生観、幸福感が必要となる。それは、
読書により長年かけ確立しなければ、いざという時、誰も助けてはくれない。
群れれば群れるほど、繋がれば繋がるほど、孤立することになる。
私を取囲む『弧』、孤独の『弧』が曖昧のため、周囲に翻弄される。
 弧ならまだしも、「狐」に、「狐独」になり、街を徘徊するゾンビに! 

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5374,閑話小題 ~お金のいらない快適生活
2015年12月01日(火)
   * お金のいらない快適生活
 年金生活に浸った日々もけっこう面白いことに出会える。
年金で収入が3割減になったが、出歩く機会が減った分、支出も減ったが、
それでも身銭を削る生活は気持ちがマイナスになる。この数年、〔下流老人〕
という言葉を、マスコミで聞かない日はない。 先日、図書館で
 ーお金のいらない快適生活入門~岸本葉子著ーを見つけ、借りてきた。
1999年の初版だが、現在こそ通用する内容。大方の主婦は、似ている節約の
工夫をしている。 内容は、「いかに金をかけずに、生活を快適に過ごすか」
がメイン・テーマ。 世の中の仕組みは、各生活レベルの人の2~3割上の
消費をしたくなるよう出来ているが、少し節約すれば、快適生活も可能。
 ~この内容を要約すると
・ 腰湯をながらの〔読書風呂〕の勧め、
・〔漬け物漬け〕を楽しみ方、漬け物そのものを楽しむ、
・〔金券ショップ〕の極め方 ~一度、電話で問合すか、顔を出す、
・〔スーパー通い〕のコツ、 ~チラシで、特売品を見つける、
・〔ひとりファッションショー〕の楽しみ方 
       ~ハンター気分のウィンドウ・ショッピングを、
・〔大相撲のTV観戦〕、
・〔部屋いじり〕の金のかからない方法、~(ここにはないが)百均で、
・〔風邪療法〕は〔食べて寝て治す〕がベスト~生姜、ニンニク、葱スープ、
  などが紹介されている。 
▼ その中で納得したのが、「睡眠が、もっとも金のかからない娯楽」。
 私ごとだが、20時に就寝、4時の起床の生活で、大体、0時過ぎまで
爆睡し、4時までが、まどろみの中。その状態を、良しに出来るかどうかが
分かれ目。ポイントは、楽しいフラッシュを引出し、少しでも不快な記憶や、
考えが浮かんだ時は、トイレか、飲料水を含み、気分を変える。
 価値があるという面では、週一回のシネマ通いも、充分、価値のある快適
生活の一部。せっかく無の世界(宇宙の彼方)から地球上に、「人間」という
知的生物として、80年を与えられたのだから、最大限、楽しまなければ・・ 
 で、金が無い? いや、無いのは、知恵! しかし、大盤振る舞いも、
これまた、「快適」というより「快楽」生活だろう。 酒とツマミを買いにいった
折に、最近、「ニラ」と、「ニラの卵とじの素」を時々、買ってくるようになった。
これが、下手な中華料理店より、はるかに美味い。
今度は、「胡瓜」と「胡瓜付けの素」など漬け物にもレパートリーを広げるか! 
ケチぐさい話だが。 楽しみ方で、一番、安上がりで、価値があるのは
ネットサーフィンという。 しかし、填まりすぎには御注意! 
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5009,幸福優位7つの法則 -1
2014年12月01日(月)
   【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係ショーン・エイカー著
  * 成功すると幸せになるのではなく、幸せな人間が成功をする!
 身近の人をみると、この意味を実感する。こと自分をみても、事業の最終段階
リーマンショックと3・11地震に遭遇し、倒産という事態に陥っても、不幸と
思ったことは一度もない。この程度で幸福感が破壊されるわけもなし、私を勝手
に不幸と思い込んでいる9割以上が、時代が激変する中、遥かに私より状況が
悪い?ことを知っているからだ。いずれ誰も「死」に直面するが、それを不幸と
思うか、幸運と思うかである。もし死なないとしたら、どうだろう。
ここでいう幸福の説明が分かりやすいが・・ それは次回に。
「人間は成功すると幸せになるのではなく、幸せな人間が成功するのだ」を、
言い替えると、
「人間は失敗すると不幸になるのではなく、不幸な人間が失敗するのだ」
になるが、実際のところ、不幸ではなく、むしろベストだと捉えている。 
裏表の捉え方の問題、いや、これも幻想である。
  ☆ 内容紹介     
≪「自分は幸せだ」と思える人ほど、よい結果を生んでいる。ハーバード大学
 で人気第1位の講師直伝!最先端のポジティブ心理学が解き明かす「成功」と
「幸福」の驚くべき関係。 世界中から秀才が集うハーバード大で学生から絶大
なる人気を集める「幸福学」 講座で講師を務めた著者は、厳しい競争環境でも
前向きな精神状態を作り上げて抜きんでる人とプレッシャーに負け行き詰る
人の違いはどこかを追求。
 本書では、ハーバード大生や著名企業のプロフェッショナルへの実証実験を
踏まえ、成功をめざしてやみくもに努力するのではなく、幸福感や楽観主義を
もつことが学業、仕事での成果に、組織の生産性向上、チームワークの強化に
結びつくという事実を浮かび上がらせ、その要因を幸福優位性(ハピネス・
アドバンテージ)と名付け、7つの法則にまとめた。自己啓発から組織
マネジメント、教育と幅広く応用可能で示唆に富んだ一冊。グーグル、コカ・
コーラ、IBMなど世界的企業で採用され、驚異の効果をあげたメソッド。
『努力すれば成功する。成功すれば幸せになれる』の図式は間違いということ。
努力して結果を出した人は、往々にしてさらに高い目標を設定し、成功と幸せ
を先送りしてしまう。すなわち、幸せは『成功に先行する』のであり、単なる
成功の結果ではないのだ。簡単に言おう。人間は成功すると幸せになるのでは
なく、幸せな人間が成功するのだ。≫
▼ 学生時代から幸せそうな人は、今でも幸せそうであり、不幸そうなのは、
 今でも不幸そうである。よく観察すると、「性格的に清潔感があり、明るく、
真面目で、両親に愛された人が幸せそう。その逆に、捻くれ、苛めっ子は、
不幸そうであった?」 これも、私がつくったミニ物語でしかない。現在の、
こつこつ積み上げた生活習慣は、この本の中の「幸せの状況」そのものだが・・
どうだろう、幸せだろうか?少なくとも不幸ではない。
それで十二分としなくては!     ヽ(´∀`。)ノ:。 [*☆*ォ前バヵ?
  ー次回は、幸福優位の7つの法則についてー
・・・・・・
4642, 老後の生活破綻、そして死 ー1
2013年12月01日(日)
      「老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策」西垣 千春 (著)
 老後の生活破綻の不安は、多かれ少なかかれ万人の課題。敢えて目を背けず
直視すれば、問題を少なくすることは可能。周りに破綻事例は多くあるが、
一歩間違えれば自分自身の問題になる。まずは、ーアマゾンの内容紹介ーより
認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業 ―老後の生活にはさまざまな
リスクが潜む。そして一度問題が生じると、周囲に気づかれないまま生活が
破綻してしまうことも、現代の日本社会では少なくない。高齢者を助ける
サービスはたくさんあるのに、なぜ十分に活用されないのか。苦しむ高齢者を
一人でも減らすため、また、自分や家族がそうした事態に陥らないために何が
必要なのか。豊富な実例とともに考える。}
▼ 一年前に高校の同級生Kさんが自死をした。商売上の借金による苦悩の末
 と推察される。他人ごとではない。私の事業は20年、30年以上に渡る装置産業
のため、思いもよらない時代変動も事業計画に入れておかなければならない。
26歳時に事業計画に入り、一年後に貸ビルが完成した前後に石油ショックが発生。
新興住宅地中央の商業地前の、数百世帯のマンション群の計画は全て中止。
事前の思惑が狂ってしまい、ただ茫然。6箇所のテナントスペースは、空。
まずは食い扶持に、その一角で、養老の滝FCに加入し、焼き鳥屋をオープン。
何とか目先の目処をたてた。しかし、この出発時の大波が教訓になった。
《人生も事業も、不測の事態が起こることを前提に、事業計画、人生設計を
 たてること!》を、骨の髄に刻むことが出来た。 その経験が無かったら、
事業撤収も最悪の事態を向かえていただろう。だからKさんの自死は他人ごと
では無い。商売や事業破綻は凄惨そのもの。しかし誰もが何らかの形で
「人生の破綻?=死」か、その前の「老後の生活破綻」が訪れる。 
具体例として、ここで「事例で見る生活破綻」を6つ載せている。
人生の幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まるが、老後は過去の問題が
蓄積している上に、脳も肉体も衰える。そして、介護期間が平均10年と
すると決して明るい未来でない。一年,一日、一時間一時間を充実して
生きるしかない。「人生、生きているうちが花」。「K君を偲ぶ会」で垣間
見た、それぞれの「老病死」への不安。で、クラス会の次回の幹事の他に、
ジョークも含め、今回の「偲ぶ会」の幹事から次会の「偲ぶ会」の幹事に
M君が指名。年齢からして1~2年ごとになるはずだが・・誰ひとり次は
自分と思っていない。M君、私に「次は、御前だ!」
・・・・・・
4277, この非常事態に、万一の備えがあるの? -5 
2012年12月01日(土)
  * 創業準備、創業、盛業、衰退、倒産で、合計45年
 人生で一番辛い一つの倒産を経験をした。創業を決意し、その事業準備と
立ち上げの苦労からみれば、リスクヘッジもあったが、最後の苦しみなどの
エネルギーは数パーセントにも満たない。現在、比較的平然としていられる
のは、面の皮が厚いのではなく、総合スパンの45年か、新潟駅前シリーズの
31年スパンの物語の終わりの一場面と見てるから。二代目経営者は、
その隠された汗水の経験がない?ため、激動に対して開き直りが出来ない。
だから言動が軽くなる。極限の苦渋を味わってないため、限界が分からない
のである。そのため他人の苦境に冷たく、表面的な上面しか見るれない。
それ故の強さもあるが・・ 今回も彼らの視線の低さが露骨に見え隠れ。
その辺りが一番、面白いところだが。文章作法の「起承転結」を事業に当て
はめてみると、その辺が分かりやすい。
「起」が事業創業の決意と、その準備期。
「承」は、具体的な創業と右上がりの拡大時期。 
「転」は、ピークから右下がりの転換期。
「結」は、終焉。 
45年スパンで実際に幾つか事業経験し、9・11、9・15、3・11の歴史的大震災
の三連発で「結」を‘最悪の事態’で終えた。が、少しの無念さは残ったと
しても、「あれでは仕方がないが、面白かった」という諦念がある。 
それもこれも自業自得。「起の経験も、終わりの結の経験してない人が、非難
などもってのほか」という思いがある。これは創業経験者には分るが、未経験
なら分かろうはずがない。人は、経験と知識範囲しか物事は知りえない! 
これが一連の事業経験から得た最大の教訓! 
 創業準備の事業設計段階から、万一の場合の「シェルター」を組み込んでいた。
それが、大方の人には理解できない。喩え話でいえば、「外海の大波が内海に
迫っている中、ゴルフ場で、仲間内の噂話に夢中!の人達」に外海の津波
分からない。いや、目ざといのは、とっくに逃げている? 本来は、何事も
「起承転結」より「起承転々」の方が良いが、乱気流の中では、「転々」は、
大きくリバウンドする危険が大きい。先月、三週続いた不景気がらみの
身辺の一連の出来事、来月はないだろうが?