つれづれに

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 久々に、早朝のポタリングを再開。 さすがに雨上がりのため、
信濃川土手にはホボ誰の姿も無かった。 久々のせいか身体が重い。


 

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5293,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑧
2015年09月11日(金)
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            ~心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 自分とはいったい何者なのか?
 世間を馬鹿にしているところが、いやに同調できる。『閑』という字が
ある。門の中に木がある状態、その木を己とすると、『独』の状態。
それを自分の中で守ってこそ、自分と他者との分別が可能になる。それが、
出来てない、他人志向的傾向の強い人たちを世間様と定義つけている。
 大方八割?の、世間にまみれた人たちに揉まれ、そこで、己とは何者なのか
を自覚するのは、並大抵でない。世間を見下しながら、そこに依存をするしか
ない己の心情を、以下で明晰に表現している。 ~その辺りから抜粋
≪ 自分もまた俗世間を馬鹿にしており、誰よりも高みにいる気でいたわけだ。
 なのに、そんな自分が世間から排除されたことにこれほどまでに傷つくとは!
私のこれまでの世間への侮蔑は単なるポーズに過ぎなかったのか? それとも、
私が世間を拒絶するのはいいが、世間が私を拒絶するのは許せない、と、
そういう理屈なのであろうか? 
 おそらく、そういうことなのだろう。 私のとどまるところを知らぬ
ナルシシズムは、自分を高い高い場所に押し上げ、超然と世間を見下ろして
いるつもりだった。なのに、その下々の世間から「おまえなんかいらない」
と言われたことで、私は激しい屈辱感を味わい、同時に、自分がずっと見下して
きた世間からの評価をいかに必要としていたか、強烈な痛みとともに思い知った
のである。これほどまでに尊大にして卑屈な人間を、私は他に知らない。
私は己の愚かさに呆れ果てているが、それは自己卑下と-か謙遜とかいった
ものとはまったく別の次元のものだ。
 私はいったい何者なのだろう。この問いに、またもや私は立ち返る。
何度も自分に問いかけ、一度も答えを得られなかった問いだ。これからも
たぶん、答えなんか見つからないに違いない。その答えを見つけるには、
私はあまりに己を知らな過ぎるのだ。 私は何者なのかを突き止めることが
私の人生の大命題なのだとしたら、これはもうきわめてパーソナルなテーマ
であるから、世間から承認されたり評価されたりする類のものではあるまい。
 私がその答えを見つけたとしても、誰の役にも立たないからだ。
 ならば、私は世間から排除されようが拒絶されようが痛くもかゆくもない、
ということになる。人がどう思おうと、私は自分のテーマを変えるつもり
はない。私は私にしか興味がないのだ。
 そんなふうに考えたら、なんだかちょっと気が楽になってきた。
おそらくこれからも私は態度を改めることなく、世間を馬鹿にし続ける
だろうし、そんな世間から許しをえたいとも思わないからだ。
世間が私を必要としなくても、私が私を必要としている限り、私は私の
ために生き続ける。それがどんなに傲慢なことかわかったうえで、あえて
そういう生き方を選択する。
 このように私が世間と隔絶した場所で生きようとすることと、私が本気の
言葉を諦めずに人々に投げかけ続けることは矛盾しているように思われるかも
しれない。が、私が言葉を投げかける相手は、決して「世間」ではない。
 私が言葉を届けたいのは、わざわざお金を払ってまで私の文章を読んで
くれる人々だ。その人たちの心に何かが届けばもうそれ以上は望むまい。
私はずっと「私とは何者なのか」という問題に拘泥し続け、その答えを得る
ためになりふり構わず生きてきた。「私」を解析することで、広く「人間」
というものの核心に迫れるのではないかと思ったからである。
 私は「人間」を知りたかったのだ。 私とは何かという問いから始まって、
人間とは何かを突き止めたかった。・・・ ≫
▼ 現在の、私の心情に、重なる部分が多い。数十万人?に向けて書く
 内容だから力が入りようが自然と違ってくるのだろうが、この湧き出て
くる力は、心拍停止から蘇った経験があればこそ。そう、4年前の一連の
出来事が、『脱皮』だったことを、彼女の脱皮した文章から、自覚した。
 『脱皮』といえば、51歳の時、母親を見送って、さて如何するか?
と考えたとき、還暦までに、死ぬまでの大よそ30年分のしたい事を
可能な限り、やり尽くすと決めた。 その時も『脱皮』であった。
だから8割?の有象無象を無視できる! 人生、良いように出来ている。

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4561, 2050年の世界 ー4
2013年09月11日(水)
         「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 
                  英『エコノミスト』編集部 (著) 
本書は(第一部:人間とその相互作用)(第二部:環境、信仰、政府)
(第三部:経済とビジネス)
(第四部:知識と科学)それぞれ5章の合計20章から成る。
人間、宗教と政治、経済、知識と科学の、4つ括り。
次回からは後半ほど面白いため、20項目の一番最後から⑳⑲⑱⑰と
逆向きに取り上げる。 ーまず目次からー
  (第一部:人間とその相互作用) 
① 人口の配当を受ける成長地域はここだ ② 人間の病気の将来
③ 経済成長がもたらす女性の機会  ④ ソーシャル・ネットワークの可能性
⑤ 言語と文化の未来
 (第二部:環境、信仰、政府)
⑥ 宗教はゆっくりと後退する     ⑦ 地球は本当に温暖化するか
⑧ 弱者が強者となる戦争の未来    ⑨ おぼつかない自由の足取り
⑩ 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか
 (第三部:経済とビジネス)
⑪ 新興市場の時代      ⑫ グローバリゼーションとアジアの世紀
⑬ 貧富の格差は収斂していく ⑭ 現実となるシュンペンターの理論
⑮ バブルと景気循環のサイクル
 (第四部:知識と科学)
⑯ 次なる科学        ⑰ 苦難を越え宇宙に進路を
⑱ 情報技術はどこまで進歩するか  ⑲ 距離は死に、位置が重要になる
⑳ 予言はなぜ当たらないのか
▼ これを見ていると、人口の推計以外、どれもこれも、この程度ではない?と。
 日本一つ取り上げてみても、40年前の1973年は高度経済成長の真っ只中、
石油ショックで茫然自失。12年後にバブルが発生、5年後にバブル崩壊
そして、失われた20年を経て、リーマンショックと東北大震災。現在は
1000兆円の借金を抱えている。明らかに10年後は国家破綻国の可能性が大。
まして、40年後は・・・ それでも、叩き台として想定するのは必要である。
最終章の「予言はなぜ当たらないのか?」の答えは、「土台無理のテーマ」。
情報化によるグローバル化で、世界が平準化していく結果は、誰も想定出来ない。
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4186, 閑話小題 ーヨーカ堂の正社員削減
2012年09月11日(火)
   * オスプレーを一番必要としているのは日本じゃないかい?
 政府がトラフ地震の被害情報を発表してから、次の大震災に対しての被害想定
が表立ってきた。道路が寸断された災害地に対する緊急の救済にヘリコプター
が一番有効に働くが、短距離しか有効に働かない。問題は中距離からの輸送。
そうオスプレーのような中距離の大量空輸が可能な緊急輸送手段こそ必要になる。
被害地の近くに飛行場は無いのである。問題は数千、数万の命に関わる問題、
危ないとかいっている場合でない。尖閣列島などの領土問題でもしかり。
もし戦闘になった時に最も必要になるのは中距離輸送。 オスプレーの着陸は、
別に住宅密集地にする必要がない、問題はコース。ヘリ機能はコースを如何
ようにも変えられる。こういう意見は、この国では口に出せない。
出せば袋叩きになる。何かがおかしい!
   * ヨーカ堂の正社員削減
 ヨーカ堂が現在の正社員8600人を4,000以上削減すると発表し、
パート比率を90%に引き上げるという。それだけ、経営状況が悪化している
ということだ。 ヨーカ堂グループは、セブンイレブンを持っているので、
グループとしての経営体質は良いが、その発生の元のGMSの業態のヨーカ堂店舗
を多く抱えている。それが正社員比率を一割まで減らすというから驚き。 
店舗も一割削減するため均衡縮小になる。情報機器が高度化しているため、
それほど店舗レベルの質の低下は避けられるのだろう。
地元の長岡駅前のヨーカ堂は、私と家内の目からみて死に体の店。
ファッション、雑貨に買いたくなる商品が皆無。
そういうこと!