つれづれに

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   今日のYoutube

 大阪直撃の台風の被害があったばかりなのに、
今度は北海道の大地震震度7というから、相当の震度。
何か、慣らされてしまったようで… 
 
 中越地震以来、災害が日常化しているような…










・・・・・・
6020,閑話小題 ~平成の30年は何だったのだろう
2017年09月07日(木)
   * 平成も終わりつつあるのか?
 来年で、太平洋戦争・敗戦の5ヶ月後に生を受けて71年、昭和の時代を
42年と、平成を29年生きたことになる。そして再来年、新たな年号になる。
前半が昭和時代、後半が平成と、新たな年号の時代を数年?生きたことになる。
 時代背景は、戦後の昭和時代が右上りの時代で、平成はバブルとバブル崩壊で、
右下りの時代。冷戦としても、世界戦争が無かったのが最大の特徴だった。
一貫していたのは、恵まれた時代背景にタイミング良く生まれてきたもの。
バブルの恩恵も、反動も、十分に味わうことが出来た。出生も、家庭環境も
恵まれ、比較的順調の人生を過ごすことが出来た。大家族の末っ子の立ち位置
も良かったようだ。

   * 昨夜は寺泊で、中学校の同期会
 昨夜は、長岡から40分ほどの海岸にあるホテルで中学校の同期会があった。
集合時間まで少し時間があったので、良寛の由来の「国上寺」に立ち寄った。
30年以来になる。ここに別荘用の墓?と一瞬、思ったが、さて如何する?
誰一人来ない墓も如何なるものか?100年後に生きた証で残るのは、これだけ?
 出席は36名。 会費は宿泊込みで18000円、日帰り10000円。
ホテル内の二次会を中座して、そうそうに帰ってきた。この同期会の準備会と
名うって、長岡駅周辺で年に3~4回は開かれている。老いるに従い、同級会、
同期会は、魂の故郷に戻ってくるような妙な感がする。同期は360人というから
出席率が1割。150人に出欠の葉書を出したという。70歳を過ぎると、1年1年、
翌年、出席できる保証がないため「何はさてあれ、出席」になる。会う度に、
互いの老いが深くなっていく。「あとは野となれ、山となれ!」の、一期一会
の出生地なればの、際どく、かつ面白い会であった。幸せの人は、どこまでも
幸せそうで、逆も、そう。 幸せには法則がある。幸せ状態が、幸せを呼ぶ。
 
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5654,閑話小題 ~TV映画の楽しみー『ミスト』
2016年09月07日(水)
   * TV映画の楽しみ ~『ミスト』
 アメリカ発の『刑事コロンボ』『ポアロ』刑事・探偵シリーズものが面白
かったが、今ではイギリス・北欧発に面白いのがある。半年前に、寝室に録画機
を入れ、二室目契約でWoWoWを見るようになってから、静粛の中、映画、ドラマ
鑑賞をしている。最近、見つけたのが、WoWoWの深夜時間帯の映画。そこには、
少し残酷だったり、マニアックなものが多い。これをスポーツジムから帰った
15時から17時までの時間帯に見るのである。 先日見たのが『ミスト』。
その意味は霧。「ラスト15分の衝撃的な展開」が良い。
  *『ミスト』のラストが凄い!  ~ネット検索によると
■ あらすじ:『嵐の翌日、デヴィッドは異様な霧に懸念を抱きながら息子と共
 にスーパーマーケットへ買い出しに出掛けた。すると、その濃い霧は間もなく
買い物客でごった返すマーケットに迫り、ついには町全体を飲み込むように
覆っていく。人々がマーケットに缶詰状態となる中、霧の中に不気味な怪物を
発見したデヴィッド。 一方、骨董品店の女主人カーモディは狂信めいた発言で
人々の不安を煽っていく。その夜、突如として霧の中のモンスターたちが襲撃を
開始、店内は大混乱に陥った! 原作者スティーヴン・キングと、フランク・
ダラボン監督が「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続いて再び
コンビを組んだ驚愕のホラー・ミステリー。霧(ミスト)の中に待っていた
ものは何か?映画史上かつてない、震撼のラスト15分!』
  ~ネットの感想に、その物語を簡略したのがあった~
≪ ストーリー的にはシンプル。ある日、街に霧が発生した
 → やがてその霧はどんどん大きくなり、街全体を覆い尽くす
→ たまたまスーパーマーケットに買い物に来ていた主人公
→ すると突然お爺さんが「霧の中に何かいる!」と叫びながら飛び込んで来た
→ 霧の中から”見た事も無い不気味な生物”が出現
→ 全員、スーパーマーケットに閉じ込められてしまう…と、序盤の展開。
この後はひたすらスーパー内部での描写が続き、「出て行こう!」「いや残る
べきだ!」など異常な事態に直面した”人間同士の醜悪な言い争い”に終始。
そして徐々に精神的に追い詰められた人々は、「神の裁きが下されたのよ!」
と煽る宗教かぶれのオバサンの言う説得に耳を傾け始める。”霧の中のもの”
を描くのではなく、”得体の知れない何かに翻弄される人間の姿”を描くことが
メインだが、しかし!この映画の真価は、「ラスト15分の衝撃的な展開」に
よって初めて発揮される! 徹底的に追い詰められた主人公デヴィッドたちは、
スーパーからの脱出を決意。車へ乗るまでの僅か数十メートルで数人が化け物
に食い殺され、残ったのはデヴィッドと息子を含め5人だけ。一行はデヴィッド
の家へ向かうも、既に化け物の巣窟と化しており、奥さんも死亡していた。
あてもなく彷徨ううちにガソリンも底を尽き、救援の道を断たれた彼らが最後
に選んだ道は… 拳銃には弾が4発しか残っていなかったため、デヴィッドは
息子を含めた仲間4人を射殺。 半狂乱になったデヴィッドは車を飛び出し、
化け物に喰い殺されようと大声で叫び続ける。ところが、あれほど大量に発生
していたモンスターの姿がどこにも見当たない。いったいどういうこと?
その数分後、急に霧が晴れ、辺りが鮮明になってきた。そこでデヴィッドが
目にしたものは…おびただしい数の難民と兵隊、陸軍のジープ、戦車の姿。
陸軍は火炎放射器で怪物を焼き払い、スーパーも無事に解放されていた。
茫然と立ち尽くすデヴィッド。そんな彼の前をトラックが横切ります。
その荷台にはスーパーを飛び出した子供とその母親が乗っていました。
あともう少し耐えれば、デヴィッドと彼の息子も助かっていたのに…。
結局、デヴィッドは無事に救助されるが、いつまでも絶叫し続けていた… ≫
▼ 何とも後味の良くない内容だが、最後の思いもしない結果が圧巻。
 スーパーで、それぞれの人から現れ出てくる究極での人生が見えてくる。
得たいの知れないバケモノの正体が、軍部の秘密部隊が、空けてしまった
時空からの侵入者という設定も面白い。 ところで、シリーズものドラマと、
シネマ分を加えると、年に500本はみている? その、どれもこれも面白い。
 現実も面白いが、デジタルのフィクションの世界も面白い。
ますます馬鹿になるわけだ。

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5289, ー「原因」と「結果」の法則 ー  ~②
2015年09月07日(月)
   ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著)
 ~まえがき~より
《 私がこの本で行っていることは説明というより提案であり、その目的は、
 出来るだけ多くの人たちが、みずからの手で、「自分こそが自分の人生の
創り手である」という真実に気づくことにあります。
 私たちは、自分自身が選び、めぐらしている思いによって、自分の人生を創り
上げています。心は、人格という内側の衣と、環境という外側の衣の双方の、
熟練した織り手です。そして、それらの衣は、これまでは暗闇と苦悩の中で
織られてきたかもしれません。でも、それらは、そもそも光と幸せのなかで
織られてしかるべきものなのです。》
   ~思いと人格~
《 行いは思いの花であり、喜びは悲しみはその果実です。思いによって私たち
 人間は、自分自身を育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫し続けるのです。
「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」
・・私たちは、自分の人生に深く思いをめぐらし、それを創り上げている法則を
自らの手で発見したときから、自分自身の賢い主人となり、自分自身を知的に
管理しながら、豊かな実りへとつづく思いを次々とめぐらすようになります。
そのときから私たちは、自分自身の意識的な主人となります。・・ 》
▼「念じれば花開く」である。「因果応報」という仏語がある。
 その意味は、【行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では
悪いほうに用いられることが多い。 「因」は因縁の意で、原因のこと。
「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと】
 仏教的考えを、西洋的に説いているともみれるが、思いが、如何に大切か。
人の心は9割がマイナーの思いに捉われているというが。意図的にプラスに
することは可能。 己を導くのは、誰でもない、自身だけ!
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4924,パワレルな知性 ー2
2014年09月07日(日)
   * カフェという集い -①   『パワレルな知性』鷲田清一
 『カフェ』について、が面白い!
   ー 学生時代の効用は、このフリーの立場での交わりが良い!
≪ このところ市中では「カフェ」という催しが盛んである。
「カフェ」と いっても喫茶店のことではない。「サイエンス・カフェ」とか
「アート・カフェ」といった類の、小人数でおこなうディスカッションの会。
市民が三々五々集まり世情について自由に論議し、その議諭を活字化するあの
ジャーナリズムの原型ともいうべきものを生んだ、英国の「コーヒーハウス」
にちなんで、そう名づけられたらしい。じつはわたしも15年ほど前から
「哲学カフェ」なるものを、町なかの集会所で、あるいはお寺の一室を借りて、
そしてときにじっさいに喫茶店でもやってきた。何について議論するかは、
集まった顔ぶれでその場で決める。そしてテーマに即して、だれかがまず
じぶんの経験を、そしてその解釈を語りだしたあとは、それを糸口に延々
三時間から五時間、あれこれ話しあう。 ルールはかんたんで、
:たがいに名を名乗るだけで所属も居住地も明らかにしない、
:人の話は最初から最後まできちんと聴く、
:他人の著書や意見を引きあいに出して長々と演説をしない、この3つである。
わたしはもう籍を離れているが、大阪大学臨床哲学研究室では、かつての
同僚や大学院生たちが個々にそれを拡げ、通算すると、もう数百回になると聞く。
ある日、もっとも年配の参加者が最後にぽつりと話したことばが忘れられない。
司会をしていた大学院生がまとめに窮しているときに、その、老人が口を
はさんだ。「まとめんでいい、知り合いでもない孫のような歳の子とこんなに
『家族とは何か』ということをまともに話しあったというだけで満足や」。 ≫
▼ 人生を振り返ると、20歳代の経験がベースになっている。視点が固まる、
 それまでが分かれ目! それに10歳までの実家の店舗での生活もある。 
今から考えると、様々な人間が集まり、その生態が、あからさまに露出していた。
花子とアン』の主人公ではないが、「朱に交われば赤くなる」である。
そこで、如何にオープン状態で、書籍と、様々な人と触れ合うか、その質量で、
人生は決まってくる。そこで大きな知的劣等感を得たのが、私にとって、
最大の収穫。以来、半世紀近く独学をしてきたが、私には器の大きさが
足りなかった。更に『酒量』『一言』が多過ぎた!
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4557, グレートジャーニーから見えてきたことは ?  ー2
2013年09月07日(土)
 * 携帯電話が、世界を変えている  
       「新潮45ー6月号」 ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 旅番組などで、ケニアなどの僻地でマサイなどが携帯電話をしているのを
見かけて驚いたことが何度かあった。携帯電話の電波環境が出来ているためだが、
さほどインフラに資金がかからないのだろう。考えてみれば、僻地ほど濃密な
繋がりと日々の生活情報が必要である。苦労して僻地についた先で、携帯電話
をしている姿を見たらガックとするはず。ーその辺りが具体的に書かれているー
【 たけし〕ところで、そういう極限の地域で暮らしている人たちの生活って
 今も昔と変わっていないのですか。関野〕昔は自分たちが食べていくために
自給的生活とか狩猟採集で暮らしていた人々が、換金可能な作物を作っている。 
現金収入を得ないと生活ができなくなっている。最近はグローバリゼーション
がアマゾン、シペリア、 アフリカとか、どこまでも進行しています。
特にすごいのは携帯電話ですね。携帯で全てが変わります。
 たけし〕 それはどういう意味でですか。
関野〕携帯電話は世界を変えていますよ。アマゾンには、僕が四十年前から
 つき合っている先住民の部族がいます。 最初会った時は、大人たちは腰巻
だけつけて、子どもは素っ裸でした。そんな村でも三十年前に学校ができた。 
それは小学佼しかないから、中学校に行くようになると町の寄宿舎に人る。
高校生になると、皆な携帯を持ってる。村に帰ってくると電波は通ってません
が、携帯でダウンロードした音楽は聴ける。そうなると若者は伝統音楽ではなく、 
ロックを携帯で聴くようになる。文明人に近いほうがステータスが高いと
思うと伝統音楽に目を向けなくなり、どんどん文化が変わっていく。
アマゾンの奥地でさえそうなるのですよ。」
たけし〕 あっという間の変化ですね。
関野〕 ここ数年、フィリピン、マレーシア、インドネシアの海域で淘賊が
 いっばい出るところがあるんですけど、 そこにパジョという家船生活をして
いる漁民がいるんです。
たけし〕 確か百万人ぐらいいるとか。
関野〕それは海岸縁に杭を打ち込んで家屋をつくって住んでいる人たちも
 含めての数字です。わずかに家船で陸に家を持たない人たちがいて、その人
たちのところに僕は「泊めてください」と言って、一緒に暮らしていた。
ちょうど僕が訪ねた頃に彼らの生活にも携帯電話が入ってきたんです。
たけし〕 2004年から、日本人の祖先が日本列島に到達するルートを辿る
「新グレートジャーニー」(~2011年)を始めていますが、それに挑戦していた
時のことですね。
関野〕 はい。南方から船で海上を渡ってきた日本人の祖先のルートを辿ろう
 としたんです。風の関係で航海で暫なくなると、パジョの人たちのところに
通っていました。彼らにとっても携帯はすごい役に立っている。家船が十数隻
あって、夜は集まってくるんですが、昼間は別々に魚を穫りに行ったりして
行動している。その時に、海賊がいるかいないか、携帯があれば安全かどうか
確認できたりするわけです。
たけし〕 海の上で電波が届くわけですか。
関野〕 沿岸から五キロまではアンテナがあれば届きます。
たけし〕海の漂流民がそうならば、砂漠のペドウィンはどうなんだろうね。】
▼ これは、僻地だけでない。都会の社会的弱者にも携帯が普及。
 弱者が結びつけば、強者に変身する。中国など多くの社会的矛盾を抱えた
国家は、ある日突然、この矛盾への暴発が起こることになる。そこにパソコン
機能が入ったスマートフォンの普及は、世界を根底から変えようとしている。
貧富の格差は、情報の格差から生じるが、それが均質化されていくとしたら、
格差は一部を除いて是正されていく。ただし、それは世界平準に近づくため、
G8は、G20の国々の平均値に、G20は、世界200ヶ国の平均レベル
になっていく。日本にとって、それは貧乏への茨道!
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4182, 呪いの時代 ー2
2012年09月07日(金)
          「呪いの時代」内田樹
 呪いに対する言葉は祝福。含めて世の中が右上がりの時は、何事もハッピー。
しかし、世の中全体が右下がりになり、暗い世相の中では一部の勝ち組を傍で
祝福する人は少ない。羨望と嫉妬が、そこに生じてくる。特にこの情報化で、
そのの事態が生で伝わるから呪いが社会全体を覆ってくる。その中でハッピー
にいるには、「にもかかわらず祝う」しかない。現に生きている、そのことを
祝う諦念である。最後は生きている感謝しかないのである。
今さら世を呪っても致し方がない。
  * 「このようなもの」でしかない自己の承認   
     ー第2章 「祝福」の言葉についてーより
≪「生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりパッとしない
 この「正味の自分」をこそ、真の主体としてあくまで維持することです。
「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、
承認し、けなげに生きている姿を可憐と思い、一掬の涙をそそぐこと。
それが「祝福する」ということの本義だと思います。呪いを解除する方法は
祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、
自分をだきしめ、自分を愛すること。多くの人が誤解していることですが、
私たちの時代にこれほど攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまり
に愛している」からではありません。逆です。自分を愛することがどういうことか
を忘れてしまったせいです。私たちはまず「自分を愛する」というのがどういう
ことかを思い出すことから、もう一度始めるしかない思います。≫
▼ 第二次大戦後、経済成長という僥倖に恵まれ「自由」が容易く転がり込んで
 来て、安手の「近代」を掴んだ。しかし、それが崩壊する中で、「全て他人が
悪い、自分は悪くない」という他責的で未成熟な言説がメディアにより拡がった。
豊かさが急速に萎み、大多数がプアーになりつつある中、呪いの時代と思われる
ほど惨めな社会になってきた。「このようなものでしかない」自分を受け入れず、
承認せず、祝福せず、自分探しという自分でない突っかい棒を求めて彷徨って
いる社会。わが国は平城平安の時代から呪いを基軸にして変転してきた。
ここで急に「呪いの時代」がキーワードになったのではない。呪いがあればこそ
古事記日本書紀源氏物語平家物語太平記法隆寺北野天満宮も正史に
登場しなかった。日本の文化文明の本源は、この呪いにある。だから一時でも
よいから祝うしかない。お祭りは、そのためにあったといえる。
社会に出てからの読書習慣がなかったら、現在、世を呪い、過去を後悔し、
人生そのものを否定しているはず。 娑婆娑婆!