つれづれに

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  今日のYoutube

 今朝の信濃川へのポタリング、薄曇りもあって寒いぐらい。
小学生のラジオ体操も、今日から再開。 

 


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4536, 閑話小題 ー種銭の話
2013年08月17日(土)
  * 山種証券の創業者の種銭
 自分が汗水たらし働いた金を種銭にしてこそ強い資金になる。
山種証券の創始者山崎種三の逸話がある。
《 米屋の小僧をしていて思いつく、米屋だからネズミが多くいる。
 それを保健所に持っていくと、一匹あたり僅かな報奨金が貰えることを知り、
ネズミを捕まえてコツコツと小銭を貯めて、親方の許可を得てヒヨコを飼って
雑米を与え育て、卵を産ませて、売って投資資金の種銭をつくり投資を始めた。》 
 これからし株式投資も、その延長で手堅かったのだろう。そういえば、
父が子供達に似たような実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、
年末にお年玉を子供達全員が貰う。それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、
父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、それぞれの預金通帳に入金する。
そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、その通帳の残高
を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの金額になる。
 子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を
持たせることが父の狙いであった。目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み
上げる重要さを時間をかけ教えていた。家風は一見派手だが、生活は質実剛健。 
地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。そして高校の入学時に、
10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きをするから何か値上がり
しそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に見る
ようになってしまった。数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。
当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。
それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の
値上になった。 ところが、その種銭が人生を変えることになった。 
 二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、学生仲間4人と話していた時
のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、さほど
豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、
その時に知った。当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。 
私も決心をすれば行ける?との思いが出た。その時、考えたのが、あの種銭。 
 その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、
一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と
誘われていたが、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら
300万~350万。その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!あと25~
30万、都合をつければ私でも行ける!』と、思い立った。アルバイト期間が
終わって向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。
そこで列車の中で「頭の固い父に、そのまま頼めば断られる、なら母親に
相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると必ず逆を言うから、
夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。
 父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいた
ようだが、後悔した様子はなかった。その欧州旅行が、人生を変えてしまった。
あの一ヶ月間の経験のカルチャーショックで半年間は、呆然自失状態。
頭が変になる一歩手前。当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。
それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。それがわたしには良かった。
見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、凱旋門
ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで
知らなかった人種との接触。何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、
タイミングとしてベストだった。
 まとまった種銭は、お金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備に
なってしまう。問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備が、
人生を決める」と、両親からと、学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだ
ことである。今回の最悪の事態でも、長年かけた万一に備えていたシェルター?
が、我身を救ってくれた。

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3796, 「役に立つ」とは?
2011年08月17日(水)
 * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか?
 私たちは、何時の間にか、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断してしまう。その是非は
色いろあるが… しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果でしかないことに気づいている。
教養は、その最たるもの。教養を役立てるために身につける人はいない。これは目的でも手段でも
なく、人間性の素養として積み上げること、そのことに意味(価値)がある。
哲学などは、目先、役に立たない。しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていく
のが人生である。 それを放棄し、目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な人
の意見に従って判断、決断をしてしまい重大なミスをする。その辺のところを、今回の変動の中で、
しっかりと見せてもらった。(実は、その最たるものが自分?)
~ 哲学者池田昌子は、著書の中で、鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」ー学者ー)~
【 「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮になっている。
「学問をするところ」であったはずの大学という場所が、レジャーランドか、就職予備校に変わって
しまった世の流れに呼応しているのだろう。「学問」すなわち「役に立たないこと」、「学者」
すなわち「役に立たないことをする人」、そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりとでき
あがっているようにみえる。 ・・・(中略)
 ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論に対する科学技術の関係に
明らかなように、生活と生存に直接に関係するもののことを人は「役に立つ」と言う。相対性
理論は役に立たないが、宇宙開発は役に立つ。 解剖学は役に立たないが、医療技術は役に立つ。
とはいえ、それぞれ前者あっての後者、この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。
文科、この無用の長物、経済学者が金持でないことが学者が無用であることの最たる証拠だと、
妙な理屈を言った友人がいるが、それなら中世の英文法に基づくシェークスピア解釈を一生の
仕事にしている学者はどうなる。 古代バビロニアの懊形文字の読解に全生涯を賭けている
学者の立場はどうなるのだ。ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、
この学科を選ぶことは就職を捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。が、そういったことが
どういったこととかを考えることこそ先決であるはずだ、という理屈は、私にとってあまりに
自明なことだったので、考えるために哲学科を選ぶことに迷いを覚えるはずもなかった。
まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚からずれてきてしまうその核心部ではあるのだけれど。
その生活と生存に直接に関係するという意味で、「最も役に立たない」と思われている哲学と
いう学問を、学問の府から追放せよという動きが文部省内にあると最近聞いた。こんな時代、
実学以外に余計な金は出せないと。そういえば「総合人間学部」とか、よくわけのわからない
学部の一分科として哲学科があるのを目にしてはいた。あれは、そういうことだったのか。】
▼ この随想日記の長期講読の皆様も、今回の倒産劇で、「偉そうに言っているが、何だい、
 この様は」と思ったに違いない。私自身が、「偉そうに書いてきたが、所詮は、こんなもの。
自分の脳内を、そのまま公開した結果である。止めるなら今回がチャンス。」と少し、動揺
をした。が、しかし、「目的は、自分の『弧』の中の内側をネット上で世界を公開することで、
ネット世界を身近にすること、そして現象世界を、冷静に見つめる直すことが出来ることである。
役に立つ立たないは現象社会の波間の判断でしかないのは、今さら。」
 と、気持ちを持ち直し続けている。ある意味、断層で自分の支えでもある。役に立つ以前の
問題。振り返ると、役に立たないと思っていたことが逆に役立った方が多いのに気づかされる。
目標地点が明確でないから、それが分からないのである。所詮、死んでしまえば同じだが。
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3431, 我が家に新しいテレビが ー2
2010年08月17日(火)
  * 新しいTVについて ーとにかく画面が抜群に綺麗ー
新しいTVを二日にわたり何時間か見たが、まだ地デジが映らないため、その真価は分からない。
恐らく一通り使いこなせるようになってから段々、分かってくるのだろう。まずは色いろのシーン
を見て、その色合いや音声の複合的良さが分かった。家内が韓流映画のシリーズをみているので、
その違いがよく分かるという。
  二日間の感想といえば、
・とにかく映像が抜群に鮮明で、綺麗である。歌謡ショーや、プロ野球高校野球をみたが
 TVで、これだけ鮮明な映像を見るのは過去に一度もなかった。「映画館の映画とほぼ同じ
 迫力と鮮明さになった」という実感である。実物より遥かに映像の方が上とは!
・これまでのテレビとは違う「ネット・テレビ」というより、「映像専用の大容量の大型パソコン
 テレビ」である。 ユーチューブを見ていて、10分前後としても世界中の数多ある映像から自分
 が選択した内容をTVで見ていることが不思議な感覚。ネットで、これまでなかったアクセス
 が出きるのも今までなかったこと。また色いろな写真もネットから引き出し見ることも可能。
・現在でもシャープの3Dの方が?という気持ちが残っているが、いざ画面をみると、その疑念
 がなくなる。
・未来のTVを目の前に突きつけられたというふうで、「東芝からの新しいTVの提案」という感。
 これではテレビ御宅になってしまう。恐らく数年以内に、数分の一の値段になって、
東芝は、こういうテレビを提案します!」の、最初のモデルだろう。ところで、実物より遥かに
綺麗に見える映像とは何だろう?という、哲学的な問いが出てくる。そういえば二代前のソニー
TVのハイビジョン(ブラウン管)で、スイスの渓谷をみた時の驚きは強烈だった。
TVの画面でも大自然に直感的に感動出来た、そのことに驚いた。それがキッカケでアルプス巡り
をしてきたが。人間も自然も、光輝かせることが、可能になったということか。ー 冬篭りか?
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3056,人生は旅である
 2009年08月17日(月)
 『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、
 沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄の言葉があったので、その幾つかを紹介してみる。
・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」
・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」
・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。 その解決プロセスが人生も旅を豊かにする。
・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところになる。その街
 での偶然と奇遇などの出会いがあり、それにより次の展開が違ってくる。そこは人生の交差点
 であり、人と人との交差が人生も旅を作りあげる。
・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。それは歩く旅ならバックの中の食料に喩えられる。
・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。人生でも、それが大きな
 要素になる。
・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければならない。
▼ 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にもチャレンジ
 する必要性が分かってくる。そこで出会う感動と、未知との遭遇こそが人生を豊かにしてくれる。
人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も我われは殆ど知らないが、旅の多くの経験を
通して様々な邂逅が可能になる。地球に知的生物として生まれてきたからには、大自然も、文明も、
文化も可能な限り見聞し、感動することで世界を広めた分が自分の世界になる。旅に出る前の、
あのワクワクした高まりが青春であり、晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感である。
そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、書きながら内省
をしている。まだ与えられた人生の有り難みが足りないような気がする。旅路の果て。パ
タゴニアの果ての街で夕日を見ながら老齢の残り日とはこんなものか、アレが人生の全てを
照らしたイメージか、と思ったが。そう新幹線からみえる弥彦山の日没にも。 あと12年で
後期高齢者。一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。さて何をするか、
何をしないかを真剣に考えないと。  
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2691, 強者同士相互扶助婚姻 
2008年08月17日(日)
  希望格差社会 -2    ー読書日記ー
構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェート
相互扶助組織を自己創造していく。「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に
考えることのできる人間」は巧みにリスクヘッジすることができる。彼らはリスクヘッジをさらに
確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」を強化する方向に向かう。その端的な表れが、
「強者同士の婚姻」である。 これまでの家族社会学の常識では「夫が高収入の場合は妻が専業主婦
となり、夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。この常識はもう覆えされつつある。 
話は逆になっているのである。「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、夫が低収入であるほど、
妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。高度専門職についている「強者」の男女
が婚姻し、さらに豪奢な生活を享受する一方で、不安定就労者同士が結婚した生活能力のない
カップルに「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。不安定就労者の若年男性は、
事実上、自分と同程度に社会的弱者である不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。
(高度専門職に就いている女性強者が男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。
だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大させるだけ。不安定就労の若年女性が、
男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」) 確率はそれよりはずっと高い。しかし、リスク社会
では、かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や人脈などの
文化資本を要求する。言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた強者
の家庭のご令嬢」であるというかたちで、予め限定されている。未婚率の急上昇、少子化の進行の
背景には、この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた「結婚したくてもできない弱者」の
急増という事実がある。リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」という
フィードバックを繰り返し短期的に二極に分化。その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者
は一度落ちたら二度と這い上がれない。「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するという
のは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。
(以下、字数の関係でカット2011年08月17日)
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2007年08月17日(金)
 2327, ベナレス -2         。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、本当のところホッとした。
聞きしに勝るインドという国の文化に、良きにつけ、悪きにつけショックであった。ヒンズー教
カースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・マハールなどの霊廟や城、ガンジス川とベナレス、
そして古代から現代までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。その中でも
べナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。そしてガンジス川からみた
日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。そして我が物顔で歩いている牛。
そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族が
ありのままを映しだしている。生も死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま
露出されている。それが日本とは対照的なのである。人生の折り返し地点を越えベナレスに
引っ越してきた老夫婦や、老齢になったことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、
死期を間近に感じる前に移り住む人もいる。この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて
奥行きを広げ、深さを増している。インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体。
また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も毎日数千人もいる。なかには郵便で灰が
送られてくるケースさえあるという。ここは死者の為の街であり、その準備の為の街である。
ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、「どうして怖いことがある
のか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。この街が私を呼んだのだ」と答えて平然としている。
彼らにとって、ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられることが、その家族にとって
は、連れてくることが喜びなのである。死が喜びとは!素晴らしいではないか! ☆(`・ω・´)ノ
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2006年08月17日(木)
1962, 「事業百訓」を読み直してみて
            おはよ~!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ ねむ!
二十五年前から書いてきた社内報の事業百訓を、明日から十数回のシリーズで振り返ってみる。
このHPのコーナーにあるものだが、書いた私自身、この数年殆んど読み返してない。丁度良い
機会なので、纏めつつ回顧しながら読んでみる。必死に書いたのだろうが、まあ真面目なものだ。
「そのわりには現在の貴様は何じゃい!」と赤面してしまう。読みかえしていると、大きな
変化がわかる。特に50歳前後が大きな転換期のようだ。母を見送り、下の子供も大学に入学。
事業も、目標の500室を新潟駅前で完成。さて、これから如何生きようか?と、深く考えていた時。
そして、出した結論は、『60歳過ぎの人生を全て(30数年)を10年間の50代で生きてしまう!』。
実際にそれが出来たかどうか疑問だが、その時に結論を出して、色濃く生きてきたのは事実である
。                      (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 
  (字数制限のためカット 2010年8月17日)
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2005年08月17日(水)
 1597, ひらがな思考術 -2
ーまずは第一章のほどくの内容の概略をまとめてみた。この本は、読めば読むほど深い。
難しいことばを、簡単な優しいことばに置き換える以前に、ひらがなことばで考える習慣を
つけてしまえということか。
 (以下、字数の関係でカット、2009年8月17日)
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2004年08月17日(火)
 1232, 「こころ」の出家 -読書日記
この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、等、
何らかの大きな転換期に直面してくる。情報化社会に翻弄されて深刻な危機に何らか陥って
いるケースが多い。
 (以下、字数の関係でカット、2008年8月17日)
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2003年08月17日(日)
 865, 同級会-2
 昨夜は中学の同級会いや同期会があった。 小学校は一学年の同期が100人足らずのため、
5年に一度の同期会になっている。中学校の同期会は今回が初めてであった。クラスで親しい男
が卒業して以来初めて出席していた。名刺を見たら「日本レコード協会」の専務理事の肩書。
ということは、日本の歌の世界の隠れたドンだ。ビクターの取締役になり、その後関連会社の設立
に参加。その後今の仕事をしているという。かなり重い仕事と言っていた。早稲田を卒業後、
ビクターに入社。初めの仕事が、桜田順子など3人娘の教育係だったという。森進一など有名人
は殆ど旧知の仲とか。「自分ほど面白い経験をした人間は少ないのではないか」とシミジミ。
 中学だけをみてみると、その時の成績順で人生が決まってしまっている。ちなみに一番だった
男が慶応大学教授(数年前死亡)、二番がこの人、三番が自衛隊のえらいさんになっている。
後は保険会社の支店長、学校の先生など。成績の悪い人はあまり恵まれた人生ではないようだ。
恐ろしいものだ。「何を持って恵まれた人生か?」という疑問があるが、あくまでも表面的なこと。
あと二年で60歳、皆その歳を目安に生きてきたようで心境は複雑のようだ。しかし会えば、
心は今だ中学生だ。クラスでは50人中既に7人亡くなっている。そのうち男は5人で2割。 
最近亡くなった人の殆どが癌だ。地元に住んでいると、小学校、中学校、高校の同級会に出席
する機会が多くなる。30歳すぎから仕事や子育てに余裕が出るためか、それぞれ頻繁に開か
れるようになってくる。私も30歳前後に地元に帰ってきてからは出席をするようにしている。
学生から社会人に脱皮の20代は、学生時代の人間関係から一度離れることが人間形成で必要。
その為に30代辺りから自然に開かれるのだろう。同級会は40歳が社会的に最前線に立って
いるときであり、担任の先生の定年時期も含めて一番良い時である。クラスによって全く
開かれないか、頻繁に開いているかどちらかだ。
(以下、字数の関係でカット2008年08月17日)
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2002年08月17日(土)
490, 随想テーマ日記の効用
 毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。
何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。多くのエネルギーが、その為に取られて
いることは事実。しかし、エネルギー対効果比率から考えても充分その価値がある。
「何のために毎日こうも書き続けているのか?」という疑問があると思う。
・それは簡単だ、自分の為に書いている。
・公開することで、あらゆる人に見られていることを意識、その為に客観化が必要になるからだ。
・毎日、その都度思いついたことを書き続けることにより、過去に考えたことを、一づつ引っ張り
 出し、外部化をしていく作業が記憶と行蔵の整理になる。
・またその時その時の自分の気持ちや心境のメルクマール化が可能になる。
・その時点のホットな情報の中期記憶化・デジタル化をしていることになる。デジタル化を
 する事で、あとで組換えの時大テーマの要素の構成部分のパーツとしてつかえる。
・書きつづけることで、外部の情報に対する感覚が鋭くなってきている。
・心や内面の公開が、結果的に自分を積極的に主張出来る。
・これをチップに記憶させておけば、数十年先数百年先に見てもらえる。結局は波動の蓄積
 という事かもしれないが、死んだあとも残る。
とりあえず3年1000のユニットを書き続けることが目標だ。 
実際、世界が毎日激変?している。内部の入れ替えがおきていること。
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2001年08月17日(金)
[111] 数ヶ月ぶりの古町
 数ヶ月ぶりに古町に出る。16日の為か店は半分ほど休んでいて、飲み客も少ない状態。
昨年の暮れ行った店で‘安寿’という店で、「人生楽しく!」が本人と店のコンセプトと
いうことをこの笑い顔を見て今思い出した。このように笑えるのは大きい財産であろう。
「楽しいから笑うのでなく、笑うから楽しい」ということを本人がよく知っているのだ。
笑いは訓練でできる能力だ。古町は少し高いがやはり面白い。私のミニノートにジョーク
と駄洒落の索引がかいてある。いつも鞄かポケットにいれてある。開くとα波が出てくる。