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昨日、今日と少し凌ぎやすい天候。週末には、台風が関東から
東北に向かって吹くようだ。前回は、左にそれたが、今度は左に
迂回する予報だが… 四国中国の大豪雨と、先回の左回りの
台風と、今週末の関東地区上陸の右回りの台風。 
何かいわく付き?







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5258,超人思想 ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月07日(金)               
   * 超人思想      ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
 神のかわりに超人を置いた。ニーチェは「人がもつべき最高の価値観とは、
自己の人生を肯定する価値観であった。全てが無にきす中で、自己実現
成しとげたところで、何の意味があるかに対し、二つの解答ををしている。
一つは、充実した人生そのものにあり、そうした人生自体に生きる価値があると。
そして、もう一つは、すべては永遠の無に帰するのではなく、永劫回帰する、
というもの。時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前、起こった
ことすべてが、やがて再び巡ってきて、その後、同じことが繰り返されるとした。
 二ーチェの思想を簡単に要約すると、超人思想になる。 ~その辺りから~
≪ 彼は多くの著書で超人について書き、超人の誕生について執拗に呼びかける。
たとえば、『生成の無垢』からその一部を拾ってみよう。
・「私の要求は『人間』という類全体に超然として存立する存在者を産出すること」
・「私の運動は超人を産出する」
・「私は孤独のなかへおもむいて、超人を創造した。そして超人を創造し終えると、
 私は超人に生成の大いなるヴェールを張りめぐらし、超人のまわりに
 正午の光を輝かせた」
・「人間は、動物と超人の間にかけ渡された一本の綱である。一つの深遠の上に
 かかる一本の綱である」
・「見よ、わたしは電光の一告知者であり、雲から落下する一滴の重いしずく。
 ところで、この電光は超人とよばれるのだ」
このような詩的な比喩を使ったもったいぶった文体のせいもあって当時の周囲の
人々、そして後世の多くの人が、超人は偉大だがどこか底知れぬ恐ろしさのある
人間、人間ではない英雄でありながら悪魔のような人間、あるいは万能の人間
というふうに誤解した。
 ニーチェの超人は従来の概念ではとらえきれないタイプなのだ。
しかし、多くの人はそのことが理解できずに、今まで見聞きしたことのある
手持ちのイメージをなんとかあてはめようとする。そこに誤解が生まれる。
彼は『生成の無垢』で超人についてこうも記している。
・「あせることはない!超人は私たちの次の段階なのだ!」
・「ギリシア人たちのように、人間をおのれ以上のものにまで高める」と・・
 単に脳だけではなくて、全身体を、より高く形成すること!」
・「人間は、超克されなければならないところの、何ものかである」(-2-8)
では・超克されなければならない人間とはいったいどういう人間のことか。
それは世間に馴れきっている人間のことだ。因習や世悶の道徳をそのまま受け
取り、世の習いに受動的であり、普通人と同じような行動をするのがまさしく
見聞に馴れきっている人間だというのだ。それは社会に適応しているということ
だし、一般的にはまとも庶民と見られる。・・・ ≫
▼ ニーチェは、この世こそすべてと考えた。ショーペンハウアーの、
 「この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではない」を退けた。
「人生を精いっぱい生き、可能な限りのもの、知識を得るべきだ」と考えた。
彼の最大の課題は、神が存在せず、意味のない世界で、人はどのように情熱を
持ち続けながら生きていけるのか、ということだった。そして、神にかわって、
超人をおいた。 欧米の価値観の底流を、そこに見ることができる。


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3786, ユング -17
2011年08月07日(日)
   * ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、身についておたことも
 あり、ユングの理論には非常に興味をひかれた。ユング本人に元もと通常以上のシックス・センス
があったため、それを、そのまま発達すればよかった。 大本教出口なお天理教教祖の中山みきは、
そのセンスが強力だったようだ。 また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたという記述が
残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、シックス・センスに対して信じること
はなかっただろう。 現に幽体離脱のような(夢?)体験をしたのだから、これは信じるしかない。
 ユングフロイトと対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取り上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 奇妙な偶然の一致の
 不思議さである。これは多くの人が経験しているはずだが、それを話すと、何か軽薄と誤解される
のを恐れてか、あまり口外をしない。子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、
「いい大人が、他愛無い話をしている」と心底で感じていた。 しかし人生経験を積み重ねるうちに、
親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかったことを知った。 幽霊の話しも、
その一つになるが、これも、あり得ることである。共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。これも個人が持っている、
 ある能力が何かに感応した働きだろう。そうこう考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、
自分が、現に此処にいる不思議からみれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先
にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の親の鳴声に反応するとかを疑問
に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めているからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がりである。特にブログなど
 で、それが比較的簡単に覗き見ることが可能になったこともある。デジタル化で人間の五感を
遥かにしのぐ機器が不朽はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。
ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。ネット世界の出現こそカルト?
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3421, 日本の幸せ度
2010年08月07日(土)
 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、特集をしていた。
といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、許可を得ているのだろうが・・・
メモを持ってなかったので、頭のメモに書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、
出てきた。
 日本人の幸せー9
* 流動資産一人あたり700万、一世帯1500万、金融・土地など資産2千万が幸福の飽和点。
                【これ以上あっても、同じ】
* 幸福度は、学歴に正比例する 【中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。 【家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品
 】
* 都会は、そうじて幸福である。  【これも残念ながら、本当。新潟市長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。 【 これは、難しい問題だが? 】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。 【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。 【 そう、一番幸せだったのは、0~9歳、20~29、
  30~39、50~59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。【   】 以上だが、間違いがない。
 その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブルする人は不幸になる。
* 気短、心配性、は不幸な人が多い。* 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
 この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 幸福論が好きだからだ。
ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつ
ようなことをせず、熱意をもって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。男性も女性も
ほんものの愛情をもち得る。家族、家庭での生活も楽しくなりプラスに転じる。」といっている。 
前向きの熱意が、この恐慌の中では、どうもこうもである。
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3046,卒業40年周年か~ -5
2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で
『奥野君』を入れたら、その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出て
くるから便利である。この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、
みすぼらしいのは自覚している。いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。ところで
4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、書き残しておく重要性をつくづく思う。
言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて当時の光景が昨日のように蘇ってくる。
現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くものはない。
いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き続けておけばと後悔をして
いる。 この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。                
  
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1~2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。 
 話をしたかったのだろう。 人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを
 必死に話をしていった。特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 
 見違えるように自信を持ったように見えた。 男っぽくなったという言葉がピッタシだ。
 4時間ばかりして帰っていった。もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。 聞き役に徹していることもある。
 それと大学最後の時が来ているからだろう。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一~二ランク上の男を狙う。
 だから当時は妥協できなかったのである。 それと姉達のレベルより下げることができない
 シスターコンプレックスもあった。 四人の姉は、地方では、それなりのレベル?だったので、
 その眼もある。一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した
 日々だった。この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して変わらない感覚に
 なってきている。過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も大して問題ではなくなった
 というイメージである。死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。この時期の日記を
 読み返すと、当時は人生の使用前。今は使用後。という感? 使用後というには早いか? 
 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。
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2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 -1
 2008年08月07日(木)
  「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著    -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」
「世界バブル経済の始まり」を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本は
ショッキングな内容である。金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、
力が入っている。世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から
社会の潮流を見ると違ってくる。
 まずはーはじめにー の以下の部分から
   ~~
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを
待つしかないのか? けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神
は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を
意味する。従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、この恐慌を逆手
にとってひと財産築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと思うが、
どうだろう。これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」
「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。それは、
いまかいまかと「恋人」の登場を待っている気分に似ている。いま、金は、一九八○年の最高値
一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融恐慌が
本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。わたしは
一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で当時得ていた二億円の年収を捨て、ペーパーマネーの
世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。いまや北米をはじめ、世界のあちこちで
鉱山を経営している。普段はヘルメットをかぶって地下二千の鉱山で金を採掘している。つまり、
パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。自らリスクを負った
経営者として、現在のこの金融恐慌に向き合っている。いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級
のものならば、リターンも最大級のものになる。そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」
から「恩人」に変わっていることだろう。
 ~以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。
  ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ー金融機関の倒産は、これからが本番
  ードルの転落
  ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ー「有事のドル」の伝説崩壊
~次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。
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2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
         オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ~
ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩手前がテーマとして
面白そうなので取りあげてみる。幼少のときから父親に大相撲が地方巡業で来ると何度も連れて
行って貰ったこともあり、ラジオの大相撲放送を聞いたり新聞記事をみていた。私がみてきた
50数年間の力士の中で「朝青龍は戦後最強の力士」として認めている。
   (字数制限のためカット 2010年8月7日)
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2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える-21    ー読書日記ー
  第九章 ローマから日本が見える -1
さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚システム
が、共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者と
いう顔をして、そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。小沢一郎も同じ穴のムジナだが、
しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか?
 ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史がこの本の主旨であったが、
ローマ人は「リストラ」に長けていた民族であった。事業縮小や、撤退、人員の削減といった
消極的な改良ではなく、本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に
何度も成功したからこそ、ローマは千年の歴史を持つことができた。本書の中で取り上げた
中でも大きなものだけで、数えて三回あった。・最初は、王政から共和制への移行です。
 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王「尊大な王タルクィニウス」
が追放された以降は一人の王に代わって、執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の
政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた共和制体部の
 改革である。貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため政府の要職を
 平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。カイサルがその設計図を引いて、
 アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。
  ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの「混迷の時代」にグラックス兄弟
 マリウスやスッラが行った諸改革は、数えればきりがない。ローマ人にとっての政治システム
 は、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。  
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
一神教絶対神を信じるユダヤ教キリスト教の信者とも違って、ローマ人はこの種の
「絶対」は馴染まない。どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、かならず
 欠陥を隠し持つという現実的な感覚を彼らは持ち続けた。ある意味で、ローマ帝国史における
 経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で1000年以上も
 帝国を存続させたシステムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。 
  -つづく
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2005年08月07日(日)
 1587, NHK 受信料不払い問題
  (字数の関係でカット 09年08月7日)
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1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日
長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。この数年川向こうにも
観覧席が出来はじめたときいていた。それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡
の空き地に「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、近畿ツーリスト
のシールが貼ってあった」とか。この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て
泊まって8月2日は満室。それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、
なるほど納得をした。バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、目的地まで行ける。
帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。その上宿泊代は浮くし、
わざわざ新潟まで新幹線をつかって行くこともない。京都の花見のパック旅行のようなもの。
前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、花見をして夕方に京都を出発。やはり、
22時に新潟に到着。車中は睡眠に丁度よい。それで一万円なのだから、価値は充分にある。
その花火版ということだ。サッカーも、最近バス・パックができた。会場まで来て、遅い
試合でもバスで帰ってしまう。それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。
趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く安心をして行けるのだ。最近は、
各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、秘境?の地
アイスランド、アラスカ、グリーンランド)に乗り付けるパックも出始めてきた。       
時代は、サービス化である。
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2003年08月07日(木)
 855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記
 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。中小の経営者
の知人が、この本を読んで目が洗われる思いだったといっていた。潮流が恐慌状況の為、
ベストセラーになっていると家内も言っていた。その人から借りようかと思っていたが、
最近会うチャンスがなかった。wアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。
中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細企業の経営者なら、
会社の良し悪しに関わりなく読む価値があると思った。ここに書いてあるようなことをやらな
ければならない事態に陥らないようにすることが大事であると思えた。新幹線で読んでいたら、
隣席の人の冷たい視線を感じた。 公衆の面前で読む本ではないのだ。 20~30年の長期の
投資物件を事業としている為、計画段階で最悪を想定して資金調達をする。余裕があっても
抵当枠一杯の借り入れをして資金余裕を十分すぎるくらい持つ。それだけ用心をしても
結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。時代がどんどん変化していくためだ。
この本でも、会社を傾ける人は資金に対してあまりにも甘いと指摘している。連帯保証人など
青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で判を押してしまう。
連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、これほど冷酷な制度はない。
先進国では日本だけだという。 
(字数制限のためカット 2011年8月7日)
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2001年08月07日(火)
 [101] 倒影ー2
人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」
という理屈は子供のときから分かっていたが。「人を指差すときあとの指は自身を指している。」
という戒めの言葉もそういえばあった。「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。
「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け一人満足をしていた。
ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」こういう人間の本当に多いこと。これで一番
本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。親戚に結婚もしない、仕事
もほとんどしない「俺はでかいことを考えている、2~3年後に実行するつもり」といい続けて40年
近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、自身の影におわれているのだ。もう60になって法事
であったらまったく同じことを言っていた。こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。