つれづれに

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   今日のYoutube

今朝のポタリング(チャリ散歩)、曇っていた為、涼しいくらい。
これから暑くなるのだろう。

昨日は、暑さでスポーツジムは行かずしまい。
それと夏季は、週5日通いを週3日か、4日に縮小に…





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4147, 閑話小題 ー8年ぶりの歯医者
2012年08月02日(木)
   * 8年ぶりの歯医者
 昨日、朝飯を食べていると口の中で小さな砂利みたいなのが引っかかった。
何だろうと見ると、奧歯の虫歯に埋めたツメモノ。8年前に、やはり取れて
しまい新潟駅前の歯科で入れ直したもの。その時も被せた下が虫歯になり取れて
しまった。今回の原因も、当時と同じであった。さっそく家内から聞いた歯医者
に行くと、間接的だが、「この夏休み時期に飛び込みは困ります」という。
家内に初診でも電話予約をしていくべきと言われたが、私の判断ミス。そこで
二軒目に切り替えて大型のレストラン風の歯医者に行ってみた。ここは、顧客
サービスの視点から、待合室や診療を現代的に組み替えたシステムで、一度
入って見たかったところ。ロビー兼待合室にはパソコン、マッサージ、何台もの
小型TVありで、マンガ喫茶のようである。歯科医が4人も居る。歯医者といえば、
個人医院が多く唯我独尊の前近代的スペース。誰も語らないが、行きたがらない
ところが多い。そこは近代的歯科医を目指す徳真会グループで、新潟県内では
松村歯科医が数店舗を出店している。10年位前に自宅から車で5分ほどの
ところに出店していたが、私の散歩コースにあった。実際に患者になった感想は、
「ここを知ったら一般歯科医には二度と入りたくなくなるだろう」が感想。
一度だけなので、感想は、その位にしておくが、直ぐにレントゲンを取られ、
それが診療台の前のモニターに映し出されて、こことこことが虫歯になっており、
15回位の治療回数になります。一回の治療の時間を長くし回数を減らすことも
可能という。8年間も歯医者にいってないため、あちこちに小さな虫歯がある。
周囲の人の話だと、年に一回歯垢を取ったり、小さな虫歯を直してもらうとか。
朝晩、マウスウォッシュでウガイを丹念にして、電波歯ブラシで磨いているので
大丈夫と、八年も行ってなければ、それも仕方がないが。
初回もあり、一時間も治療に要した。
   * スポーツジムは夏枯れ
 会員制度だから、ジムサイドとしての経営上の問題はないが、夏休みに入ると、
昼コースもあるが館内はガラガラ。去年も全く同じ状況で、大地震の影響と勝手
に思い込んでいたが、夏休みで主婦が家に縛られているようだ。冷房がきいて
いるので快適だが、家から出るのも億劫のこともある。「とにかく休まない!」
をテーマの一つにしているが、人が多いより少ない方が良い。日が経つにつれ、
その場の空気に馴染んでいっている。


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3416, 「憎国心のすすめ」 ー2
2010年08月02日(月)

■ 知性の定義
 知性を電子辞書で調べると、
「知性とは、『知覚を認識に作り上げる精神機能。感覚によって得られた素材を、
整理・統一し認識に至る精神機能』とある。ここで日本人には知性が足りないと
繰り返しているが、その「知性とは何か」と言われるといま一つ曖昧である。
そこで著者は知性について一章をさいて書いている。
  ー知性について書いている印象に残った部分を書き出してみるー
* 私は、「知性とは何をしたらよいかわからないときに用いるものだ」というジャン・ピアジェ
 明快な表現が好きだ。つまり「正しい答え」がないときや、通常の対処で十分とは思えないときに
 必要となる。 柔軟に対処したり手探りしたりする能力で、いわば知的な即興の能力である。 
 モーッァルトやバッハのコンチェルトのように高度に磨き上げられた作品ではなく、ジャズの
 即興演奏を思い浮かべるとわかりやすい。知性とは、即興で作られ、思考と行動によって磨かれる
 「過程」のことである。』  (『知性はいつ生まれたか』ウィリアム・カルヴイン著・草思社)
*『 新しい情況に当面したとき、盲目的にもがくというような、本能的方法(例えば運動暴発)に
 よらずに適応する仕方または課題を解決する方法をいう。過去の経験を利用することが多いので、
 この能力(記憶)をも〈知性〉のうちに入れるのが普通であって、これを〈再生的知性〉という。
 また、人の知性のうちには抽象的思考力があるが、これだけを〈知性〉と呼ぽうとするものもある。 
 なお、《英知》というコトバは精神の知的側面、とくに高級な思考作用をいう。
〈概念をつかう能力〉のような高級なものをさすことが多い。』
*『ー 困難な状況に直面して生来的なまたは習慣的な少数の反応しか持ち合わせていない動物は、
 その反応が成功するか、環境の偶然の変化によって条件が好転するまで、その力と衝動の持続する
 限り、その持ち合わせの反応を無駄に繰返すに止まる。たとえば飢えた鶏が偶然に柵の端に到達し
 道を発見するまでいつまでも柵の前でうろうろするのである。これに反し賢い動物は持ちあわせの
 反応を二三試みたあとで、その周囲の状況を考慮に入れて自発的にその行動を変化させる。
 いいかえれば、彼は新しい状況に応じて新しい行動を発明することができる。これこそ知的行動の
 一般的特徴にほかならない。』
~~以上だが、
 状況の変化に対し己を変化させ対処する知恵が知性ということ。もう一つ、「知覚を認識に作り
上げる精神機能。」 そういえば、知性の低さの集合体が世間様である。要は、知覚の世界に浸かり、
認識まで持ち上げられない人々ということか。「経験・知識を長年にかけて蓄積・熟成し、感性で
知覚したことを、悟性から、理性へと移行していく精神機能」 これが私の集約。
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3041,自宅近くの再開発地区のSCの概要
 2009年08月02日(日)
 自宅から歩いて7~8分のところの再開発地区に、25店舗のオープンモールのショッピングセンター
が出来る。来年3月から徐々にオープンする予定で、その説明会が来週あると折込チラシにあった。
長岡駅裏側から直線で歩いて15分で、東バイパスに面した好立地の場所になる。私の毎日の散歩道
の栖吉川の土手の至近距離にあり、土・日曜日には進捗をみるために、周辺を散歩をするのが楽しみ
になっている。 新しい街ができていくのを見るのは夢があってよい。 そこで、ネットで調べたら、
25店舗の店名が紹介されていた。新潟の女池地区や長岡の川西からみれば、大規模ではないが、
オープンモールの25店舗なら、中途半端なNSC(ネバーフッド・ショッピングセンター)でない。
近くに出来れば生活を中心とした環境が一変する。数倍、住みやすくなるということだ。
 ー以下が、ネットで調べた具体的な出店名ー
 * イーストスクエア・アクロス長岡
原信        (スーパーマーケット)    蔦屋書店(ソフトレンタル、書籍)
(字数の関係でカット、2008年8月2日) 

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2676, ルソーの思想
 2008年08月02日(土)
学生時代に戻った気分でルソーについて、考えてみる
 まずは
ーフリー百科事典『ウィキペディア』からー
フランスにおいては早くからボダンなどにより君主に主権(政治についての決定権)が存するとの
思想が表明されていた。この君主主権の観念はフランスなどを中心に当時の絶対王制を支える強力な
根拠となっていたが、ルソーはこの観念を転用し、人民にこそ主権が存すると言う人民主権の観念を
打ち立てた。一定以上の財産を有するなどの特別の資格を持つ国民ではなく、その国の国籍を有する
もの全てを意味する人民にこそ主権があると宣言したことは、その後の普通選挙制の確立や民主主義の
進展に大きく貢献した。一方、ルソーらのフランス啓蒙思想に触発されて始まったフランス革命
おいて、自由や法の支配は全く無視され、反革命派と名指しされた者への言われなき迫害、虐殺、
裁判なしでの処刑などといった恐怖政治が行われた。
 ~~
こんなところだが、
ルソーは、「社会の人々に(殺せる権利)と(殺されない権利)の両方を認めるとする。そうすると、
お前の(殺せる権利)と隣人の(殺されない権利)は両立しない。お前は(殺せる権利)と(殺されない
権利)のどちらが欲しい?と言われたら(殺されない権利)だろう。だから、社会の皆はお互いを
(殺せる権利)を返上し、(殺されない権利)を優先して『社会契約』を自然に結んでるんだ。
だから「殺人はダメ」という理由になる。ルソーは「エミール」で、子供の教育の考え方を述べている。
エミールとは、子供の名前で、この子が育っていく物語である。エミールは、ルソーの思想にしたがって、
その中で育てられていくのである。そこでは、子供の自主性の重要性を述べている。彼は子供を不完全
な大人とは考えない。子供は既に自分の素晴らしい世界、人間性を持っている。人間的に最良のもの、
人同士が信じられ、愛し合える元のもん、「良心」を、子供一人ひとりがそれを持って産まれてくる。
それを壊すのは社会、大人の方だとルソーはいう。それを守ってやるのが、教育だと。子供が持っている
「良心」を育むのが「自然に帰れ」という言葉の意味である。子供を守るということ(教育するという
こと)は、大人の価値観を押し付けるのではなく、子供が本来持っている豊かなものを守ることである。
次ぎのルソー「エミール」の中の一節が、その全てを言い尽くしていると言ってよい。
 ~~
人聞よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人にたいして、
あらゆる年齢の人にたいして、人間に無縁でないすべてのものにたいして、人間的であれ。
人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか。
(字数の関係でカット、2008年8月2日) 
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2007年08月02日(木)
2312, 政治家の家族とは・・ -1
       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
 あの双子の銀座ママの妹の‘ますいさくら’が、ある雑誌に寄稿していた文章である。
図書館で借りた「銀座ママが教える『できる男』『できない男』の見分け方」を読んでいた。
それによると、彼女はシングルマザーで、そのことで子供が虐めにあわないようにアメリカに留学
させていることと、銀座で合理的システムで値段を思い切って格安にしたことも。「ああ、例のママ
が書いているのか」と気楽に読み始めたら、内容は「政治家の家族の火宅の実情」である。
政治家の火宅の例としては山村新二郎がいる。よど号ハイジャック事件で人質交換の時によど号
乗りこんだ政治家だが、最後は自分の娘に殺されてしまった。その家庭を彷彿させる内容である。
 政治家は「井戸塀」(政治家は最後は井戸と塀しか残らない)といわれるほど、家(庭)を犠牲に
しないと成り立たない世界である。火宅といえば、私自身が物心がついた頃から少年期にかけて家は
火宅そのものであった。事業も政治業も同じ世界である。毎日が闘いの世界で、次々と問題が押し
寄せてきて、子供にも直接・間接にエネルギーがかかってくる。終戦から五ヶ月後に産まれで、
両親が焼け跡から事業を再度立ち上げる最中であった。8人兄・姉だったが、そのプロセスで長兄・
次兄が亡くなってしい、そのショックで母はノイローゼになり、心不全で死の一歩手前までいった。
子供ながらにエネルギーを直接感じていた。隣の部屋で「死のうか~、死にたい!」という両親の
話を聞いていた。事業家とか、政治家とか、一見格好よくみえるが、実情は火宅といってよい。
いや、火宅など当たり前で、それを何とも思わないと、それが面白いとでも思わないと長期的には
やれない。だから好きになるしかない。丁度、参院選挙が終わった後、政治家の家族を内側から
見るのも面白いだろう。
 ーー
ー焼き尽くす季節にー
   谷川俊太郎ビリー・ザ・キッド』 ますいさくら
(字数の関係でカット、2008年8月2日)          ーつづく
{ますいさくら(1968年10月6日~、神奈川県鎌倉市北鎌倉出身)は、銀座のクラブのママ兼作家。
血液型A型。父は、桝井祐三(神奈川県議会議員)。 シングルマザーで、一女の母。
片親で母親が水商売だと日本では肩身が狭いだろうという配慮から、娘をイギリスの寄宿学校に
通わせている。}                    ヾ(o・(ェ)・o)ノβyё
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2006年08月02日(水)
 1947, ローマから日本が見えるー18
         (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!   ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 -1
  ーローマ史最大の名優オクタヴィアヌス登場
カエサルは、「大きくなりすぎたローマを守るためには、既に共和制度のシステムは無理であり、
民共同体の利益を守るためには強力な権力集中の皇帝を中心としたシステムに変えなくては
ならない」ことを知っていた。ローマ領の中に住む人々全体の利益を最大限にするのが覇権
ローマの使命であり、その役割は元老院にはもはや果たせないと考えた。
 (字数の関係でカット、2008年8月2日)   
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2005年08月02日(火)
1582, 変化について
 「変化、挑戦、戦い」が生物の成長のサイクルである。環境の変化に対して、自らを変える
ことが成長ともいえる。また自のサイクルに変化を見つけだすことも必要になってくる。
現代はインターネットなどの情報化の技術や、グローバル化で変化のスピードが益々加速している。
ところが変化することは、非常に難しい。とにかく人間は変化を嫌う。現状を根こそぎ否定
しなくてはならないからだ。それが出来なくなった時、脱皮できない蛇のように死ぬしかない。
自分の過去を振り返ってみると、その節々に大きな変化をしている。その変化が止まった時に
停滞が始まっていた。起きた現象に対して、逃げずに直面して戦うことから挑戦の第一歩が始まる。
その中から変化が生じてくる。特に激変の時代には、ただ変わればよいわけではない。
激変にあわせてより大きく変身しなくては何の意味も無い。激変の時は、真似をしていては変化に
追いつかない。自らの脳で考えなくてはならない。組織内では、とにかく配転しか能力をのばすことが
出来ない。出世コースは配転を繰り返し、キャリアを重ねさせる。本人にとって重圧かもしれないが、
行蔵として蓄積される。変化は結果として竹の節のように自らを支える役割も果たす。そのため、
節は打たなくてはならない。世界が、日本が大きな節目にきている。情報化が根こそぎ世界を
変えようとしている。
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2004年08月02日(月)
 1217, 広松渉ー哲学について ー25
広松渉の「新哲学入門」を読んで非常に難しいが、今までの常識が、根底から崩されてしまった。
その後「哲学入門一歩前」を取り寄せて読んだが、むしろ「新哲学入門」のあとで読んでよかった。
広松渉は「もの」から「こと」の世界へのパラダイムチェンジを主張した。「物的世界像」から
「事的世界像」への転換。
・旧来の世界像は「世界、存在界をモノから成り立っているとみなす。
 まず独立に存在する実体があって、それら実体が諸々の性格持って互いに関係する」
・これにたいして、「『事的世界像』は、関係規定態こそ第一次存在とみる。実体は、関係
 規定性の存在論的には独立自存体ではない。要するに関係があってこそ、存在がある」と考えた。
広松は、日常意識で当たり前と思ってきたことを疑い、それは根底から違うという。彼は近代哲学者
が思索を重ねてきた疑い得ない「基盤」を、根底から崩そうとする。「私たちが見ている現象が
果たして真実なのだろうか。 善悪の判断基準は何なのだろうか。美しいと思い込んでいるだけで
はないだろうか。 等、今まで信じられてきた『真・善・美』とは、果たして何だ?」
今の時代は、幸福とか消費を基本的に、「もの」の充実とか消費だけでなくフィーリングとか
サービスとかいう価値観でもとらえている。別荘を持つことより、リゾートホテルの会員権を
持つ時代。家を建てるより、旅行をしてまわるほうに価値をおく時代である。そのサービスとか
フィーリングに生活に必要なものと認知してしまっている。この情報化の社会では、ますます
広松哲学を知っておくべきである。実際のところ、次代から次次代のTVは、実際の生の目でみた
対象より鮮明に映し出すという。カメラでは、その域に到達しているというが。こういう時代には、
近代哲学者がたてた哲学を根本から考え直さなくてはならない時代になっている。それが
「事的世界像」への転換というのだ。
                       つづく
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2003年08月02日(土)
850, ミッション・ステートメントー自分の憲法
  ー原案ー
・死ぬ時に「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、恵まれていたし、
面白かったし、幸せな一生であった」と心から感謝できる人生を生きる。
・自分が自分の人生の創り手であることを認識し、自分だけの役割を果す。
・いついかなるときも、「積極的な姿勢とユーモアと誠実さ」を保つこと。
・私の隠された能力は人を癒すことだ、その能力をより磨きをかけることで社会と
 周囲の人に貢献していく。
・何事にも囚われた生き方ではなく、自然の流れに沿って気楽に変化を受け止めていく
 人間になる。また何事も「一期一会」と真摯に向き合う。
・心の声に従って自分の価値観や信念によって行動する。それに対する批判・悪口は全く無視する。
・子供や孫たちから「これが私の父です。おじいちゃんです」と自信を持っていってもらえる人間
 になるー人生を送る。子供が「愛情と慰めと理解」を求めて、私のところにやって来てくれる
 ような人間になる。家内には私の伴侶として生きてきたことに満足をもてるように勤める。
・会社に対しては、常に長期的視点に立って改革改善に努め、利益体質を保つように努力をする。 
 存続は社長としての第一の義務であり、その為には常に新しい知識を導入するよう努力をする。
・健康には十分気をつけて80歳を大きい目標にする。 
  ー 具体的には -
1、ホームページは、これからの時代の最低必要な発信基地であり、情報の蓄積倉庫でもある。
 その維持発展に努める。 見ていて自他共に面白く魅力に満ちた内容にする。
 特に、随想日記は重要な発信媒体かつ蓄積倉庫としていく。
1、毎朝の散歩は一日のスケジュールで欠かせてはならない健康習慣として必ず実行する。
 1万4千~5千は維持する。
1、年2~3回の海外旅行は可能な限り続ける。 60歳までに50回の目標はこだわらないが、
 近づけるよう最大限努力する。70歳までに70回を次の目標とする。
1、事業は65歳を大きい目安とする。そのための後進の育成を考えていく。デフレの中、借入金
 の圧縮に勤める。
1、常に新しい変化に注意を向ける。デジタル機器なども可能な限り新しいものを身近に置く。
1、人間関係はこれから大事ネットとして、広く深く創ることにする。但し卑しい人間は絶対に
 近づけない。我が内なる卑しさを判断材料にする。これはもっとシビアに徹底する。
1、純粋に助けを求めてきた時は、自分の力の範囲で答えることにする。
1、教養娯楽面では、読書や映画をレンタルやBS・TVを通して可能な限り吸収する。
1、80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリをしている。
 陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて家内と二人幸せな絶頂にいる。
 丁度海外旅行も100回目で、行きたいところはすべて行った満足感で満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで、昔を懐かしみながら好きな
 歌を歌っている。
 ーーーーーーー
 以上であるが、やはり大きな手直しが必要に思われる。現在の延長線上でしかないからだ。
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2002年08月02日(金)
 475, ある老女の遺書-1
この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま写し書きしてみる。
ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの中から見つかった詩、書き置きです。
「何がわかっているのです!看護婦さん、あなたは何わかっているの? さほど賢くもない
年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も緩慢で、食ものをボロボロこぼしても
返事をしない。(努力して、やってみて欲しいの!}とあなたが大声でいっても、そんな事少しも
気にかけない様子で、靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、何をしようというわけでなく、
長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんなふうにあなたは私の
ことを考えているの? もしそうなら、看護婦さん、目を開いて、私を見つめてごらん。
あなたのいうままに、あなたにしたがって食事をし、私がじっと静かにここに座っている間に、
私のことを話しましょう。私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに
愛し合い、十六の若い少女のときはウキウキして、もうすぐ愛する人に巡り会えることを夢み、
やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると約束した誓いの言葉。
                 ー続く
・・・・・・・・
2001年08月02日(木)
 [96] 旅行で出会ったー普段会えない人ー
・大手情報機器メーカーをリストラされ傷心の60前後の人
・三條の67歳位の夫婦ー自在で何もおくさない人ーそのまんま!-
 イグアスの滝でゴミ袋の底に穴をあけ首を通して雨具にしていた。
・一度も結婚したことがないという70歳半ばの品の良いおばあさん
・ヌー河渡りを見たいばっかりに日本興業銀行を辞め、
 外資の銀行に勤め始めたのをまた辞めてきた30代半ばの女性
・30数年前、ある当時?の代議士の娘、自由時間にパリ野郎に誘惑され朝帰り。
 青い顔をして皆が心配しているのをしり目に、ピンク色の頬、うつろな目