つれづれに

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 今日のYoutube

もう、シネマを見る日の金曜日。
現在の生活は、表が金・土・日曜日と、
裏が月・火・水・木曜日の平日に二分した生活。
何か一番、気分的には花金というところか。




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4106、私は完全な本 "日本の自殺 'ー9を作った
2012年6月22日(金)
   * 情報の洪水が人間を劣化させる
  これが書かれた37年前にはパソコンとインターネットが世界中にこれほど
普及するとは思ってもいなかっただろうが、正に現在、情報の洪水が世界を覆い、
個々人の判断を狂わせ地球規模の集団自殺の様相になっている。その大混乱の
一つが、この金融恐慌であり、世界経済は溺死状態?にある。今後10~20年
は、このカオスは続き、その行く末は誰も分からない。下記の部分が、日本だけ
でなく、地球規模のカオスになっているから、ことは深刻。 情報機器とネット
の進化が、文化、文明レベルで世の中を変えてきた。
【 ◎ 第一に、われわれは人間経験全体のなかに占める直接経験の比重が相対的
 に低下し、それに代わって、マス・コミュニケーションの提供する情報を中心と
 する間接経験の比重が飛躍的に増大したことに伴うさまざまなマイナスの副作用
 について検討しておかねばならない。一般に情報量の増大といわれているものは、
 人間経験との関連でみるならば、このように各個人の経験世界というものが、
 ますます大きく他人の経験に依存するようになるということにほかならない。 
 マスコミを通じて与えられる間接経験の世界は、一方ではあまりにも混沌として
 脈絡がなく精神分裂症の様相をすら呈している。他方でマスコミの提供する膨大
 な情報によって見せつけられている世界の、安直なトータル・イメージは、
 情報の質が悪いと現実世界とは似ても似つかない虚構の世界となる危険がある。
 知力を高めるために作られたはずのマス・コミによって人間がだまされ、知力を
 低下させられ、真実の視界が妨げられるという皮肉な現象が生ずる結果となる。
◎ 情報化の代償の第二は、情報過多に伴う各種の不適応症状の問題である。
 高速度に流れる大量情報が、人間の脳の情報処理能力を大幅に上まわった場合、
 人間はしばしば情報過多の神経症状に陥る。短絡型、自閉症型、分裂症型
 という三つのタイプのものがある
◎ 情報化の代償は第三に、情報の同時性、一時性と関連している。 
 社会の変化のスピードが早くなると、人間と情報との関係が極めて一時的な
 ものになってくる。このような現在(1975年当時)の情報環境の下では、
 新奇な情報を極端に求める傾向が強まっている。膨大な現在進行型の情報の
 氾濫なかで情報のライフ・サイクルは短縮化し情報は消耗品化し、情報使い
 捨ての傾向が極端になってくる。大量高速情報から自己を防衛するひとつの
 安易な適応方法は、忘れぽっくなること、つまり健忘症になることであり、
 歴史的な連続性の感覚を喪失して刹那主義的な生き方を採用することである。
◎ 情報化の代償の第四は、以上のようなマイナスの副作用とも密接に結び
 ついているところの、情報受信と発信との極端なアンバランス。 
 本来、人間の思考能力や創造性は受信と発信の反復を通じてはじめて
 可能となるものであるのに、この思考のプロセスをじっくりと通過させない
 ために、短絡型の、論理的思考力のない人間が量産されてくることにもなる。
◎ 情報化のマイナスの副作用は、第五に、マス・メディアによる異常情報、
 粗悪情報の過度拡散傾向となって影響を与えている。情報化の代償、弊害に
 ついて累々と述べているが、これは情報過多の問題なのか、質の悪い情報を
 発信し、それも何も考えずに受信することの 問題なのか、それとも膨大な
 粗悪情報がマス・メディアを媒介として流され続けることが問題なのか、
 いろいろと考えさせられる。】
▼ 情報の洪水は、それに対処可能な人と、そうでない人との情報格差
 生み出している。それは脳力と貧富の差に直結することになる。それは劣化
だけでなく、悪用で社会をいとも簡単に騙せすことが可能になった。反面、
電子知能は飛躍的に進化している。世界中の身知らずの個々人がネットで
結ばれ知恵と情報の共有が可能になってきた。それは一時代前からみたら、
SFの世界の様相である。

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3375, 大相撲の野球賭博について
2010年06月22日(火)
 
 大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。 不祥事が年中行事になっている。野球賭博
覚醒剤とか、一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの別世界と思わざるをえない。
大相撲は元もと神事の余興で、神社で力自慢が祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの
連中が多かった。地方巡業の興行というと、ヤクザが絡んでくるのは今さらのことである。どうも、
親方、理事の顔を見ていると、彼等も何かやっていたのでは?と、思うのは私だけではないだろう。 
野球賭博は40年ほど前から暴力団が始めたといわれ、彼らの大きな資金源になっている。 
新聞によると琴光喜は5年前から始めて、3千万ほどの借財があり、最近に勝った5百万の金を
返済に向けようと取り立てようとして、逆に350万を脅し取られた。更に一億を要求されたというが。
その交渉の席に親方二人が同席をしていたという。 自分から名乗り出た者は厳重注意だけで済ます
という呼びかけに、29人が野球賭博をしていたと名乗り出た。そこに親方衆まで入っていたが、
横綱の親方や理事などに名乗り出れない立場の人もいるはず。 新聞によると「戦前の名横綱と、
ある著名な親分が義兄弟の契りを結んでいた」とか。直ぐに、誰でも分かる人といえば・・? 
大鵬横綱土俵入りの化粧まわしに、○○組の?のマークがあった映像を放映していた。
今回、執拗に脅しをかけた連中は警察だけでなく、ヤクザ世界の方からも、ただでは済まされない失態。
刑務所にでも入っていたほうが身の安全だろう。 国技とかいう特権を剥奪すべき時期にきたとみる
べきである。 大相撲がつづく限り、こういう問題は付いてまわる。 
これから角界を去った元力士からの実態の暴露もでるだろうし・・・

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3000、3000回か~
2009年06月22日(月)
この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。
確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ないからである。それと、常に何か書くことが
ないか注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをする
ようになっている。書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の
白袴で… ?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような
気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。
それと心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
・・・・・・・
2006/09/24  
2000, 継父
                  (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ?          
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが
死に際の入院までオシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、
抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活を
していると疲れるものである。亡くなって一月後になって「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」
と、驚いてしまった。両親の一生をみると人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・
ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の
森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。その時、
是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を
狙われ転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか? この設定は、言わずもがな
の結果になる。義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めが
いったという。それが母のトラウマになってしまった。             ーつづく
                              さて墓参りだ!
・・・・・・・・・
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ
一回分の日を加えると約35~40が合わない。調べてみると206ー222とか250,251辺りとか何箇所かが
ぬけている。しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日
とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。子孫への永久保存版として
ー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。一日一日が本当
に充実したのだ。会社のネットを含めると50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られている
ような感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。いずれにしても
50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、
いや墓みたいなものだ。ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯   ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し  ・誤字と矛盾をさがす
このプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
スッと書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。書きつづけていると、
自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。