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3694, 自己を見つめる -16
2011年05月07日(土)
  * 幸福について (不幸について) ー3  
            「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 加えて、そうした無事安全な生活の場の確保に立脚して、更に誰もが、
この世に生まれた以上、自分の生きがいがある。・・略 しかし、そのために、
人は、その自己拡充を念頭において、たえず日夜、精励しなければならないで
あろう。というのも生き甲斐の達成は、いろいろな面で課題や試練や困難や
障碍に出会って、これを克服する努力の連続に置き換えられてゆくから。 
格闘することなしに、人生の実りは結ばないというのが、この世の鉄則である。 
実際、存分に生き抜いたという生き甲斐にみちた幸福感は、それなりの自己
集中や犠牲や断念や労苦の代償のもとでのみ、初めて獲得されるのである。 
けれども、いかに精進したとしても、非力で有限な人間には、完全な意味での
幸福感はけっして与えられえないであろう。考えてみれば、生きているという
ことは、まだなすべきことを残しているということと同義である。
なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。生きるということは、
欠如の意識にもとづき、それを充足させるという運動と情熱において成立する。 
その情熱は、充実に向けられている点では、たしかに、憧れにみち、その実現
状態を夢見ていて、幸福感に浸っているであろう。けれども、その意識が、
目下は自分にその充実がいまだ与えられておらず、また、あらゆる意味での
完全な充実が人間には不可能であるという自覚に伴なわれたとき、それは、
そのまま、不幸な意識に転じるであろう。したがって、人間には、生きている
かぎり、終息した絶対的安寧としての幸福感は、与えられず、叶えられず、
許されず、その意味で、人間は、終生、不幸であろう。・・・ 】
▼ 不幸論という本もあるほど、人間の本質は不幸である。最後は死ぬことを、
 二人称の死の経験をして、洗脳されているためである。その人によって大かれ
少なかれ、不平不満、神経質、我執、理屈を言い張る部分を持っている。
それが膨張すると、周辺に諍いをぶつけていくことになる。それが不幸の大きな
要因になる。 そうこう考えると、不幸は体質もある。それは血筋、家系にも
関係してくる。どっちみち、一生の間には谷あり、嵐が襲ってくる。 
それを乗り越えるのが、人生。そのプロセスこそ人生である。そう割り切って
しまわないと、冷静に立ち向かうことができなり、破滅が待っている。


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3329, 草食系で何が悪い!
2010年05月07日(金)

昨夜のNHKのゴールデンタイムに、「草食系で何が悪い」というテーマで激論を交わしていた。
現代の若者と、社会の一線にたっている人たちの議論。 見ていて食い違いがあまりに大きい。
我が家も含めて、何処の家庭の親子の食い違いも、こんなものだろう。 現実世界の将来を
見出せない若者、現代の若者にはネットという別世界があり、自己実現がネットの中に存在している
のである。なぜ現実世界の中の価値観に縛られなければならないのか? そこでは、明るい未来が
抱けない、という彼らの立場もある。とはいえ、彼らの相手は外国の同じ世代である。それが現実世界
の中で闘っている人たちには見えている。 
アメリカの間接占領による「日本の植民地化政策による無能化の完成が、彼らの姿」である。
その自覚があるのかないのか。 アメリカの補佐が実は日教組であり、更にいえば自民党であり、官僚。 偏差値による選別教育の結果である。 
 ーまずは、NHKのHPから、この番組の紹介をコピーしてみるー
 * 日本の、これから「草食系で何が悪い 若者と語るニッポンの未来」
ー内容ー 車やブランド品、酒、海外旅行離れが進み、大人しくなった、内向きになったと
言われる最近の若者たち。彼らの本音は? 日本の進むべき未来について語り合う市民討論番組。
ー詳細ー かつての若者のあこがれ、車・ブランド品・海外旅行に、興味を示さない20代の
若者たち。 「おとなしくなった」「内向き」「草食化した」などといわれ、欲がないように見える
ことから「悟り世代」といわれる。一方でブランドものに頼らない、環境や社会問題に関心が深い、
地元に愛着を持って昔からの友人と長くつきあうなど、日本が「成熟」した証という見方もある。
若者たちの本音は? 日本の未来について語り合う討論番組。
――
長年かかって完成した現代の草食系若者、そう簡単に動物系には変えることは不可能である。
韓国、中国、ベトナム、インドなどの若者の目の輝きと、日本の若者の目の輝きの差は、あまりに
大きい。 彼らは、日本が一番豊かな絶頂期に生まれたが、大人に育つ過程が失われた20年といわれる
時代背景の中で、希望を持てと言われても、無理なのは分かる。この数日、大前研一著の 
<「知の衰退」からいかに脱出するか?> の読書日記を書いているが、まさに、大前研一と若者、
の図式が、この番組に出ていた。10年、20年後の日本は暗い!
 
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2954、ハゲタカ
2009年05月07日(木)
連休の5月4,5,6日の3日にわたり、NHKで朝9時から二本ずつ「ハゲタカ」という
ドラマを6本放送していた。 日本のバブルの崩壊後にアメリカのハゲタカファンドに荒らされが、
去年の9月15日のリーマンの倒産で、そのファンドそのものが崩壊してしまった。しかし、それ
までは世界を荒らしまくった彼らの実態の一部をドラマを通し垣間見るようであった。
まずは、ー番組紹介ーから
ニューヨークの投資ファンド運営会社社長・鷲津政彦は、バブル崩壊後、不景気に苦しむ日本に戻り、
瀕死状態の企業を次々と買収する。敵対するファンドによる妨害や、買収先の社員からの反発を受け
ながらも、鷲津は斬新な再プランを披露し、業績を上げていく。 企業買収、再生の真実を克明に
描いた問題作。
――
三日間、このドラマと、その後のNHKスペシャルの「マネーはなぜ暴走したのか?」のセットに
釘付けになって見たが、
多くの示唆が含まれていた。資本の論理からみてハゲタカが処理した企業が結果として、贅肉を
削ぎ落として再生した方がむしろ良かった?という視点もある。小泉、竹中の金融改革の功罪をドラマ化
をして考えさせられたということ。外資の投資ァンドがハゲタカなら、日本の大手の勝ち残った大手銀行
は互いの死肉を食い合うハイエナと例えることもできよう。
金融自由化の中で弱肉強食の仁義なき戦いが繰りひろがれてきた。私の親戚の一人が、東大を出て
長銀に勤めていたが、法事であった時に元気が無かったが・・・。大手銀行が20行から3行に
絞られていく過程で凄惨な戦いがあったのだろう。
そして勝ち組になった、三行と証券会社も、この世界的金融バブルの崩壊で、瀕死の状態。 
(字数制限のためカット 2010年5月7日)
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2590, イスラエルの話
 2008年05月07日(水)
長男が、イスラエルから帰ってきたので、その感想を書いてみる。
ー今回のツアーからの概略(私のインタビューからの情報)
・ツアーの会社は、新日本トラベル(現在は合併でエヌイーオーに改名)
・総員23名。半分が一人参加。 本人を除くと全員が40歳以上。70歳代の夫婦が三組。
男女の割合が半々。平均年齢50歳位。
・4月23日?5月02日までの10日間コース。
・添乗員は40代のベテラン女性。 現地ガイドは日本系のイスラエル人。
・旅行の最中に日本人には一人も会ってないが、韓国人らしきグループを一組みた。
・現時点で、年間のイスラエルの訪問客は8000人。
・危機感を持つ場面は、ゼロ。しかし、ウズベスタン航空のサービスは最低。
 帰りのテルアビブからウズベスタンへの飛行中に、かなり厳しい乱気流にあって死ぬ思いの経験。
・一人参加のアップの加算を含めて、38万円。総額43万円。
・満足度は100点。
・テルアビブの飛行場と、エルサレムの街の緊迫感は、私から聞いていたほどではなかった。
 ーー
以上だが、9年前の私の実感とほぼ同じである。 私の9年前の場合は、これにアブラハム十戒
つくったエジプトのシナイ山があった。これは強烈な印象が残っている。 イスラエルインパクトが
あまりに強い。 わずか四国の大きさの国土で、700万人の国が、存在としては大きく位置を占めている。
日本の大よそ20分の1の国。 契約の概念はユダヤから出ている。神様との契約が、いつの間にか人間
同士の契約にすり替わったのである。ユダヤ人とイスラエル人は同一ではない。一般的には、イスラエル
人=イスラエル国籍を持っている人。 ユダヤ人=ユダヤ民族。と思われているが、ユダヤ人はユダヤ教
を信じていて、両親のうち両方が何じゃらとか難しい決まりがある。「ユダヤ人は選民である」という
教えが、他の民族から忌み嫌われるのである。 
多くの決まりがあり、ユダヤ教徒は、それを厳格に守るのである。旧約、新約聖書のような物語と、
その舞台が、そのまま一致しているのはイスラエルしかないというが、異教徒?の目から見ると、尚の
こと、その特異性が、何とも新鮮で驚きをもってみることが出来るところである。
 以下は私の旅行記である。
 ーー
ーH1105イスラエル聖なる旅 
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ
中に、数えきれないほどのドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ
面白く驚きと感激の連続であった。その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた
事が最大の成果となった。関連を含めると十冊 前後 二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら
私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。人生のもっと早い段階で、じっくり読む
べきであった!。旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
 ー印象の強い順に列記してみると、
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。そして現在も続いて
いる。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。イエスが十字架を
背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロローサ磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、
そしてダビデの塔。旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島シナイ山である。深夜の二時に三時間かけて登って山頂
からのご来光と山並み。そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える
柴”。帰路にたちよったベトウィンの部落。 そして、そこで飲んだ紅茶。“マサダの要塞”=
この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、ローマ軍に追いつめられた
熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。 陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの
演説の後、七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。その時の詳しい内容が生き残った者
の証言で残った(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。イエスの生まれた
ベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見された
クムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
ーイエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問がでてきたのである。
そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。あと十年後に振り返った時、恐らく
今回のイスラエル旅行は 私の内的深奥で一大転機の経験となるのではないだろうか。
旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。
【別記】
この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。四千年間の他民族・他宗教と
血と血で争う闘いが続いている.六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。
現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。男子は三年、
女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。一歩家の中に入ると
機関銃が無造作においてあるという。といってその手の事件は一切ない。 その銃の目的は敵に
使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。今の日本の防衛に対する
  考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。
[1999.4.14~4.24 -ryokou ]
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2007年05月07日(月)
2225, いい男とは?   (*´∀`)」" ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪           

著者・岩月謙司に、ある日、とある女性から『岩月先生の本に従って一生懸命素敵な男性を
探してみましたが、今だに「いい男」とは出会えません。
・・是非、男性向けにいい男になるためのハウツー本を出してください!』という投書をもらい、
この著書「女は男のどこを見ているのか」を書く決意をしたという。なるほど魂の入った
内容であるが、この本が出た後の2004年12月に女性患者への準ワイセツで逮捕されてしまった。
    (字数の関係でカット2008/05.07)
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2006年05月07日(日)
1860, ローマから日本が見える?11
            おはよ?!(*^ワ^*)i   ー読書日記ー       
スキピオ登場》   
  (字数の関係でカット、2009年05・07)
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2005年05月07日(土)
1495, いま・現在についてー3
 「どうせ死んでしまう」?     ?読書日記
「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ーというコーナーに、「いま」について深く掘り下げて
  あった。
「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」という言葉が解りやすい。
    ー面白そうなところを抜粋してみるー  Pー39
 ー「いま」の生成
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は現在と過去との差異性を塗りつぶすことに
よってかろうじて成立している。 ・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念では
ない。「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得。この「いま」をえぐり出す
ことは、とりもなおさずその外に一つ前の「いま」をえぐり出すことである。
今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」としてとらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」としてとらえることである。
「いま」とは、自然現象ではなく、一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る
仕方なのです。「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の
「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用が必要である。
それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。つまり、「私」は知覚においては
登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)川を眺め終わって帰る時に
想起したときに初めて登場してくる。正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)
想起能力の完全に欠如した生物を考えてみよう。 彼は次々と知覚しその内容を記録する。しかし、
次々と忘れていく。彼は自分が記録した内容を過去の事象として理解することができない。
そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、そこに「いま」と「いま」
の楔を打つことができないのである。そういう彼は「私」という意識をもたない。
ーー 
以上が、「いま」を哲学的に書いてあるところである。「いま」は過去の上によって初めて
成り立つ、と解りやすく説明している。
 (字数制限のためカット2010年5月7日
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2004年05月07日(金)
 1130, 「ライフレッスン」?11
 ー 許しのレッスン
誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。そして自分も、他の人間にとって、
そのうちの一人になっている。相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。許す
ということは自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題。「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、
それは自分を如何に納得させるかの折り合いの問題でもある。許すというのは、ある意味で奇麗事
かもしれない。しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。 許しは、主体的なことである。
許そうと努力していれば、そのうちに忘却の彼方に消えていくものである。
残ったとしても、自分の記憶には「許し」という言葉が包んである。
 ー以下は抜粋であるー
・人生まっとうにしようとするなら許すことを学ばなければならない。許しは苦痛や傷を癒す方法
であると同時に、ふたたび他者と自己を結びつける方法である。わたしたち全員が、他人を傷つけた
ことがあったはずだ。わたし達は傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれから
も教わっていない。許しを必要とされる理由はそこにある。許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶ
かは、その人が決める問題である。許しは自愛的な行為といえる。
 ー以下は字数の関係でカットしますー
・・・・・・・・
2003年05月07日(水)
763, 地方差別
東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。学生時代に東京に住んでみて、驚いたのが
地方差別であった。解らないでもないが都会生活での初めてのカルチャーショックであった。
今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。それも強い負け犬の立場の人?に露骨に
顕れている。 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。都会のハイミス・ゴールド
ミス(グランド・オールドミス)がすざましいひと達だった。具体的には書きたくないが、その傷口
の血は濃厚だ!もう二度と、その血を浴びたくはない! 洗っても数年は落ちないほどだた!
  自分のプライドを守る為に弱者を探すと地方差別が一番手っ取り早いのだろう。何処かの
ヨーロッパの空港の待合で、江戸っ子の職人風の父子がいた。話しかけたら「貴方は地方?
それとも東京出身?」と聞いてきた。新潟と答えたら、一切話をしないで露骨な可愛い差別を始めた。
こんなものである。学生時代に外国旅行に行った時、ある同行の女性が思わず本音が出た。
「最近帝国ホテルも地方のお上りが多くって質が落ちていますわ!」その一言で最後まで嫌われて
総スカンをくらってしまった。「父親は同行の女性の会社の子会社の下っ端の役員でしかないのに!」
とすぐに  陰口が入ってきた。結局はすべては「コンプレックスの隠しの芸の追求」が人間の本質
なのだろう。「お上り」という言葉が、典型的な軽蔑言葉だ。地方差別を書くこと自体がタブーでも
ある。 公平という意味でー平等でなくー差別をされても仕方がないのも解るが! 毎日二つの街を
通っていて、長岡と新潟でさえもあまりに違いすぎるのは事実である。
都落ち」という言葉もあるとおり、特に都会で生まれ育った人間は地方に住むということは
アジアの何処かというくらいの響きがあるようだ。アメリカのニューヨークなどは、もっと複雑に
絡んでくるという。 民族や人種や宗教や収入や肩書きなどで露骨の差別があるという。 
まあどうでもよい田舎者の話だが。
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2002年05月07日(火)
 399, 末っ子はつらいよ
8人兄弟の末っ子である立場を書いてみる。少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。
特にすぐ上の2人のそれがきつい。常に気を張っていなくてはならないのがその宿命だ。
食事も気を抜くと自分の食べ分がなくなる為、早食いが癖になってしまう。常に周囲の情勢を把握
していなくてはならない。誰かに聞いたが、多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。
他人の気持ちを常に読んでいなくてはならない事が、それに向くのだろう。それと結婚の相手は
長女がいいと最近聞いた。 たまたま家内がそうだった。そういえば知人のW氏も長姉もその組み
合わせだ。上手くいっているようだ。
そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、160cm、おっとりしたタイプが多かった
ー今もそうだ。末っ子は口が堅くなくてはならない。それぞれの兄姉の秘密を知ってしまうからだ。
万一告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会だ。
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2001年05月07日(月)
ユニクロが面白い
半年前に自宅の一^二分のところできたユニクロがますます面白い。とにかく体形に
フィットするー着心地がよい。 それと安い。土日曜は開店から閉店まで客のとぎれることはない。
’服は服装のパーツである’という考えのもとの品揃えがはっきりしているのだ。あそこまで客に
支持されるのは、普段着と重ね着のサブに徹している為もある。今まで腰まわりだけのサイズの
ズボンしかなっかた。 今は股下のサイズもヨウイしてある。ウエスト79のサイズの股下80と
70とでは当然形が当然形が違ってくる。今まではそれだけ種類が増え在庫が増えてしまうという
川上の論法ででつくられなっかったが、売れ筋を 絞り込む事と在庫管理の徹底で用意すれば
安いコストでそれぞれの人が着やすい品を提供できる事が彼らに解ったのだ。本当の意味での
顧客サイドの商品つくりがおこなわれていなっかたのだ。その意味で当分ユニクロの一人勝ちは
当分つつくだろう。