つれづれに

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 今日のシネマは、『リメンバーミー』の予定。
帰りに図書館によって、借りた本の入替えになる。



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3277, 大恐慌 失われる10年
2010年03月16日(火)

 「2009-2019年  大恐慌 失われる10年 」 浜矩子/高橋乗宣 (著)
  ーまずはアマゾンの内容紹介からー
■これから「10年恐慌」が始まる!
 アメリカドルは基軸通貨としての価値を失い、今後さらなる保護主義統制経済へと突入
していく。ユーロもドルに替わる基盤ができておらず、現在の大恐慌の痛手を直接こうむっている。
 リーマンショックに端を発した金融危機は、カネがカネを回す「金融IT化」「金融工学化」
「金融証券化」の結末である。 それゆえに、1929年恐慌とは異質なものである。これからの10年
は「失われる10年」となるのか。その時、日本はどのような経済システムの中に組み込まれて
いくのか。大恐慌後の世界を、浜矩子、高橋乗宣2人の論客が読み解いていく。
■負の連鎖は世界各国に波及している 
 大恐慌津波は、アメリカ本国よりもむしろ欧州各国に直撃していると言っていい。
 ユーロがアメリカドルに替わる基軸通貨となり得ないことが、各国の状況、
IMFのこれまでの不始末から言及することができる。
●老衰死のイギリス
 サッチャー改革で巻き起こったイギリスバブルは、ロンドン一極集中で、地域格差
生んだに過ぎなかった。日本のバブルの轍を踏んだイギリスは「失われた10年」を経験する
自閉症のドイツ 
 旧東ドイツのワーカー待遇改善で賃金格差縮小の狙いが、大恐慌で不透明に。
 立ち直りのきっかけを失ったドイツは、今後ネオナチの台頭の可能性も。
●目立ちたがりのフランス
「フランス・ナショナリズム」はどこまで突き進むのか?国外から入ってくる企業の締出
しでサルコジ政権の実像が浮かび上がる。
●相変わらず身勝手なアメリ
 オバマ自由主義、市場主義に別れを告げるのか? 貯蓄傾向が高まっているアメリ
の消費は確実にブレーキがかかる。
 明らかになったドルの崩壊から1ドル=50円時代がやってくる。強烈な保護主義統制経済
となった時、日本は生き残れるのか? 暴走する国家は、今後、迷走する国家へと変貌を遂げる。
さらにリセッションする国、ギブアップする国、再びランディングを遂げる国……。
「失われる10年」は、我々にどんな教訓を示してくれるのだろうか。
 ーー
 この本、何を言いたいのか何度も目を通したが、よくわからない。二人が対談をしている
わけでもなく、対策を述べているわけでもない。イギリスを中心とした欧州はダメ、
アメリカは終わった。中国もアメリカ目当ての輸出がダメで内需を目指そうとしているが、
日本でさえ輸出頼みを克服するため内需拡大を目指したがダメだったのに、中国が成功する
わけがないと切り捨てている。 「この10年間は大恐慌で大混乱、失われた10年になる」
と結論づけている。 甘い期待は無理ということである。

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2902, 脳と仮想  ー2
2009年03月16日(月)
「脳と仮想」茂木健一郎著    ー読書日記
 ー印象に残った部分を抜粋してみるー
・広大なグランドキャニオンの前に立とうが、北極のオーロラを見上げようが、体験する
広大の光景は全て脳内現象である。世界に脳だけあるといっているのではない。そんなことは
当然のことだが、外部から入った刺激に基づいて脳のニューロンが活動しなければ、我われは
広大の宇宙を表象することはできない。逆に、もし広大な宇宙が無くても、脳の中で
ニューロンがある時空的な様式で活動すれば、私たちは広大な宇宙を表象することになる。
もしそうなら、逆理が浮かび上がる。 もし私たちが体験することが全て脳内現象なら、
私たちは何故、広大な宇宙を思い浮かべることが出来るのか?
 いかに、私たちの思い描く世界は、脳内現象として一リットルの空間に閉じ込められて
いながら、無限定の空間を志向することができるのか? ・・・「熊本より東京の方が広い。
東京より日本のほうが広い。日本より・・・」で切ったが、三四郎に男はいった「日本より
頭の中のほうが広いでしょう」と。
・「真理がどこにあるかといえば、それは仮想の世界にあるというしか言いようがない。
どこかの博物館に、これが真理でございますと飾ってあるわけがないのである。
 私たちの精神の中枢に仮想がある。そのように考えると、「見る」ということの本質も
違って見えてくる。
・現実のどこにもない仮想は、現代人の心の中でも中枢の位置を占めている。私たちの精神は、
 頭蓋骨の中の「今、ここ」の局所的因果性の世界と「今、ここ」に限定されない仮想の世界に
 またがって存在する。 私たちの精神は、本来的に二重国籍者なのである。
・脳内に閉じ込められているだけでなく、心の本質的な属性をとらえた概念が「志向性」である。
 志向性とは、心が何かに向けられた状態をいう。そこに心が
・私が恥じたのは、人間がそもそも生きものであり、それであるがゆえに、厳しい生存条
件に置かれてきたことを理屈で判っていても、感覚的に忘れていたことである。つまり
文明に飼いならされていたのである。真実は恐ろしい姿をしている。 人間は、なぜ、
「平和」という仮想を生みださなければならなかったのか。「愛」という仮想を生み出さ
なければならなかったのか。平安仏教を特徴付ける「極楽浄土」というヴィジョンは、
のような生の必然性から生み出されたのか。・・・
 私たちの意識の中で生み出される様々な仮想は、このうえなく厳しい人間の生存の中で
、私たちの心が傷つき、その傷が治癒される際に放射される光のようなものはなかったか。
 ーーー
考えてみたら、自分に対しても、頭に浮かんで考えている相手にしても、社会も、全て
「仮想」でしかない。「精神の中枢に仮想がある」と自覚すると、良きにつけ悪くにつけ
仮想している自分を見ている自分も仮想ということに気づく。自分の頭蓋骨の中の
一リットルの脳は自分でさえ得体の知れない世界である。
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2538, 一神教vs多神教
2008年03月16日(日)
   
 最近、ユダヤ教キリスト教イスラム教などの一神教に対して疑問を持ち始めた矢先に
図書館で、この本を見つけた。 この3つの宗教の元はユダヤ教で、共通の唯一の神を信仰
している。それがお互いに憎しみあい殺しあっているから、複雑なのである。早く言えば
民族戦争なのである。
 ー概要を解りやすく箇条書きにすると、
・元祖であるユダヤ 教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、迫害され差別された人々
の宗教のために恨みと復讐心がこもっている。被害者は、その被害をより弱い 者に移譲
しようとすることで被害者の劣等感、屈辱感を補 償しようする。 他人を同じように不幸
にして自分を 慰める。
・差別された奴隷たちがモーゼに 率いられてエジプトから逃亡する過程で形成された
「民族」としてユダヤ人となり、ユダヤ教自体も、その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の
影響を受けながら、純粋な一神教へと形成されていった。
ユダヤ人の中でさらに差別されていた人たちを救う宗教としてイエスキリスト教をつくった。
 そのキリスト教が、ローマ帝国の奴隷、下層民に受け入れられ、ローマ帝国の国教となり、
多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し 付け
られて心の奥底で「不幸」を感じた。そのため一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人
が、自分たちが味わっている不幸と 同じ不幸に世界の諸民族を巻き込みたいというのが、
近代ヨーロッパ人の基本的な行動だったのではないか。
・欧州で差別された人々が新大陸に逃げ込んで、その先住民へ攻撃と迫害などをしていった。
 そこで造られたのがアメリカという国。つまりアメリカは被差別の最終駅になる。
 だから潜在意識の中で人類を恨み、攻撃的になり、非常に強くなった、という。
・ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を果たしたのは、
 強烈な被害者意識があったからだという。 それをもたらしたのは、白人の始まりが
白子で、そのために黒人からアフリカから差別されて追われたことと、ローマ帝国
無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。
多神教の日本も欧米の圧迫に耐え切られなくなり、唯一絶対神という天皇制を発明した。
近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教として、外に戦争を仕掛けるようになった。
人類の不幸を被抑圧民族の連鎖という神経症として論じている。ル・サンチマンである。
--
知識を持ってしまった人間は、己の生の限界も知ってしまった。そして未来の不安と恐怖
というマイナスの気持ちを解消するため、そして民族を統一するためにアブラハムはヤフー
という唯一絶対神を創ったのである。これがマイナスにもプラスにも人類に影響してきた。
そして現在もである。
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2007年03月16日(金)
 2173, 「いい場所」とは何か     才八∋ウ_〆(∀`●)          
「ファンタジーの魔法空間」 著者・井辻朱美 岩波書店   ー 読書日記
著者が恐竜や古代文明を求めて博物館めぐりをしていた時に気づいたのは、
博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所ということである。
最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから上の階に昇るにつれて現代に
近づいていく。そして出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな
再接続が準備されている」という。物館は時空のトラベルの装置であり、空間化された
時間である。またテーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって
短い死と再生を体験するように仕組んである。そういう空間を創り出し、体験すること
こそがファンタジーの核であり、ファンタジー作品を支えているのはそういった空間
なのではないか、という切り口である。それに気づいた時、著者はファタジー
「場所」や「空間」という隠れたコードから読み直すと、より面白いという。
この書ではファンタジーを、
・「家」という空間のファンタジーと、
・「旅」という、別世界への道程のファンタジーと、
・「魔法」のファンタジーの 3つの織りなす物語と説明している。
ところで、「いい場所」とは何か?意識したことがあるだろうか。
それは突きつめれば家族の団欒という場所である。
そこで、われわれの精神をつなぎとめ、温め、力を与えるのである。そこには
厳しい父親がいて、優しい母親がいて、温かい食事を皆でとること、そこが「いい場所」
なのである。いい場所に神棚を置くのではなく、いい場所だからこそ、
神棚を置くのである。民族にとっては、その聖地が「いい場所」になる。そこが、
いい場所だから聖地にするのである。村にとって、鎮守様の祭ってある広場でおこなわれる
盆踊りが「いい場所」になる。家の「いい場所」の台所は、一家団欒のための煮炊きの
戸のあるところ。そこは家という母性的な庇護空間の中でもとりわけ母と結びつく。
もう一つの、「いい場所」とは、屋根裏部屋(今では子供部屋)である。とりわけ
自分の部屋の押入れの中とか、押入れの天井の空間があれば、そこが子供の隠れ場になる。
そこで最も静かな孤独への上昇をこころみる。母親から見れば、そこに引きこもって
誰もそこにはいれようとしない変な空間だが、本人にとってそここそが聖地なのである。
そこで独り高みから、世の中を見下すことができる唯一の場所である。しかし、独り閉じ
篭っていたその場所も、ある事件を契機に出ざるを得なくなる。ある事情で、ある日
あっさりと何でもない空間になってしまう。これは、誰でも経験する通過儀礼である。
「いい場所」は誰でも持たなければならないのだ。しかし、それは年代ごとに変わって
いくものでもある。変われなくなったのが、引きこもりになる。この冒頭に博物館に
触れたが、そこは人類の屋根裏部屋でもある。我われの中に刻まれた古い記憶の痕跡と
して懐かしい場所にある。そこは屋根裏部屋にある、先祖の写真だったり、家の宝と
同じようなものである。最近、図書館から4冊のファンタジー関連の本を借りてきたが、
ただ単に異空間や、魔法の話ではない。
自分の心の屋根裏部屋の中の秘密の箱を開け、違う世界へ誘う魂への扉である。色いろの
人生経験をしてきたからこそ味わえるファンタジーも、また良い。数年前からWOWOW
ファンタジーの映画やレンタルDVDを多く観ていた。「ハリー・ポッター」や「指輪物語
ナルニア物語」など・・・ 秘境ツアーでケニアパタゴニアで遊びに行くことも、
ファンタジーの世界を旅するようなものである。そこが私にとって、もう一つの「いい場
所」である。ヽ(*´∀`*)ノ.+゚
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2006年03月16日(木)
1808, ずっとやりたかたことを、やりなさい ?1
   (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○   書日記
図書館で何気なく借りてきて読んでみたが、すばらしい本である。早速、中古だが
アマゾンで発注をした。特に、「モーニング・ページ」の技法がよい。自分の心の
ブロックなどを徹底的に見つめて、気がつかなかった心の奥から知恵を引き出す合理的
な手法である。人生は自分の馬鹿の壁を一生かかって乗り越えていく道筋であることを
教えてくれる。『夢日記』と同じくらい深い示唆がある。     (*^ー^)/C□~~ 
ーまずは、訳者のこの本の紹介文であるー  ジュリア・キャメロン著 菅 靖彦訳 

人は誰でも、自分の中にアーティストの子どもを住まわせている。
その子どもを大切に養い育てれば、創造的な生き生きとした人生を送ることができる。
どうすれば自分の中のアーティスト・チャイルドを育てることができるのだろう。
その疑問にきわめて具体的なプランをもって答えてくれるのが本書『ずっとやりたかった
ことを、やりなさい』である。著者のジュリア・キヤメロンは十五年以上も前から創造性
のワークショップを手がけており、本書はそのワークショップの豊富な体験を元に書き
起こされている。彼女自身、映画の脚本や監督を手がけ、『ワシントン・ポスト
ニューヨーク・タイムズ』『ローリング・ストーン』などに、いろいろな論説を
載せているアーティストだ。
(字数の関係でカット2009年3月16日)        ー  つづく
ーーーーー
2005年03月16日(水)  
1443, 孤独についてー4

「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。
過去に4回、随想日記に「孤独について」書いてきた。この本はより掘り下げた`孤独で
あるためのレッスン'が主テーマである。今流の言葉でいうと、「孤独力のつけ方」が大筋。
「孤独力」には、
・消極的な意味では、自分が他人の目に左右されずに生きる能力。
・積極的な意味の「孤独力」は、自分自身と深く対話することの出来る能力。
 深さの次元が、ここでは問題になる。 この「孤独力」が、楽しく生きるための
大きな要素になる。
(字数制限のためカット 2010年3月16日)
 ・・・・・・・・・
2003年03月16日(日)
711, キャッシュポイント
 このシビアの言葉が気に入った!ヤクザが恐喝のネタを掴んで「これ脅せる、銭になる
!」という瞬間がキャッシュポイントといってよい。 人生の中で、自分では気がつかない
ポイントがあったはずだ。私のごく身近の人に、集ることを人生のポイントにおいている
人が数人いるが「これをいっちゃお終いよ」の世界だが。子供が資産を受け継いだその瞬間
も、その人にとってキャッシュポイントである。 「キャッシュポイント」は、その人に
とって経済的に豊かになってしまう、豊かさの源泉のポイントである。
これは誰にでも必ずある。成功する人は人生のある時点でこのキャッシュポイントを
見つけている。この、「自分の内奥に眠る資産」を現金化する方法を見つけてしまえば
恐れるものはない。このキャッシュポイントをいかに探って掘り当てるかが重要なテーマ。
これを見つけ、実際にお金に変えることができると、この上ない幸福感を感じる。
本人にとっては「これでお金をもらっていいの?」と考えてしまう感覚である。
そういうものをどんどん掘り進めることがポイントになる。 しかしこのポイントは
結果としてか解らないことが多い。この反語としての言葉、失禁ーいや失金ポイントがある。
私も何回かある、致命傷にならなかったから事業が生き延びているが。
キャッシュポイントより失金ー失敗ポイントのほうが厳しいのが現実である。
事業は14勝一敗では駄目で8勝7休の方が優先されなくてはならない世界である。
それまでの蓄積を一瞬に奪い去ってしまう。 上手くいった時も失敗した時も、その
ポイントにいきつくまでの準備に全ての原因が含まれている。 この言葉はチャンス
ポイントとも言い換える事ができる。チャンスはそうあるものでない。やはり準備を
しっかりしておかなくてはその一瞬を捉えることができない。このキーワードをレンズ
として過去を振り返ってみると面白い。やはり自分の意志がチャンスポイントをつくって
いることが解る。逆に危機ポイントをみてみると、その裏腹である。チャンスは危機であり、
危機はチャンスでもある。
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2004年03月16日(火)
1077, 三分間
スピーチ三分、カラオケ三分、電話三分、メッセージのやり取り三分、
スポーツでは、ボクシングが一ラウンド三分、相撲も土俵に上がって立合いまで三分
である。数年前まで、公衆電話の料金が三分十円だった。本の立ち読みも大体一冊三分
(私の場合だが)。インスタントラーメンは、お湯を入れて三分である。これは意味が
違うか?我慢できる時間が三分ということか。この随想日記の閲覧もユックリ読んで三分。
これ以上だと、気持ちが他に移り変わってしまう。集中の一ユニットが三分ということだろう。効
率面から考えると、三分の積み重ねをするのが合理的といえる。会社の朝礼で「三分間スピーチ」
を毎朝各人に持ち回りでするところがあるが、これは思考訓練と自己表現の場になる。
 岡惚れ三年 本惚れ三月 思い遂げたが三分間     これは全く関係ないか。