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今日のYoutube
2011年3月11日から、まる7年経過した。
早いといえば早い。直に適応するタイプなので、
今は今で、住めば都である。
今日から大相撲が始まる。
その前に、貴乃花親方が、内閣府に直訴とか。
それを知ってか、白鵬が休場をした。
張手と、肘打ちをしないと、もう勝てないのである。
その意味で、貴乃花が告訴をしたのは、正しい判断。
来場所辺りから、再び、横綱アドバンテージを再開するからだ。
斜に構えて見えてくる大相撲も、また格別だ。
・・・・・・・
5839,閑話小題 ~3・11から6年ですか
2017年03月11日(土)
* 3・11から6年
6年前の地震の瞬間を今でもリアルに憶えている。
NO2だったO氏と、会社を継続すべきか詰めた話し合いを終えて立ち上がった
瞬間、大きな横揺れが続いた。「これは何処か遠くのタダならぬ地震か?」と
TVをつけると、何か異様な速報が次々と現場から報じられていた。 ことも
あろうに、会社を閉じようかの時に… そして、NHKのアナウンサーが、
『東北地区の海岸線の皆様、その場から近くの高台から逃げてください!』の
絶叫のような呼掛け。新幹線は東北新幹線と上越新幹線は全面ストップ。
県内の被害はさほど無いようだ。自宅のある長岡へ帰るにはと、急遽、バス
乗場に行くと、普通通りに運行していた。17時過ぎたばかりで、サラリーマン
系の帰宅時間前もあり、空席があった。その時は、只ならぬ大地震だが、東北
のため、人口密度が低いので、大惨事には至らないだろうと… で、18時半
頃に家に帰ってTVを見ると、TVで「逃げろ逃げろ!」の声が甲高く聞こえていた。
その時には、福島原子炉の深刻な惨事は、知らされてなかった。「そういえば、
学生時代の友人が、仙台の飛行場近くに終の棲家に決めて、ゴルフに釣りを
楽しんでいた」ことを思い出していた。そして…
会社は、その日を境に25%の売上ダウン。一週間後に、迷うことなく
会社整理の決断をすることになる。その奇妙な偶然の一致に何か不思議な感覚
になっていた。6年間、長くもあり、短くもあった。中越地震、柏崎・刈羽地震、
東北大地震の三つの立て続けのブラックスワンの到来。それ以前のバブル崩壊、
2001年の9・11テロ、2008年の9・15リーマンショックの大激震を含めた一連。
「次々と続くブラックスワンの到来、これも有りですか」と、事業への未練は
一切無くなってしまった。面白かった手ごたえと、充実感があるのが救い!
~で、数年分の、同月同日の内容に続いていく~ そういうこと!
・・・・・・
5474,閑話小題 ~昨日の早朝の夢
2016年03月11日(金)
* 東北大震災から5年
忘れもしない大震災から5年経つ。その時、会社整理の判断、決断についての
社内会議を終え、立上がった直後に大きな揺れがきた。それがスローで大きい。
これは並みの地震ではないとTVをみると、アナウンサーの絶叫が聞こえてきた。
『東北地区の沿岸の御住まいの方は、直ぐに逃げてください!』と。それでも、
千年に一度の大地震とは思わなかった。しかし時間が経つにつれて、尋常で
ないことに気づいた。新幹線が不通のため、新潟から長岡までバスで帰える
しかない。17時になれば通勤客がバスに殺到するから、直ぐに帰れば乗れると
判断しバス停に行ったら何とか乗れたが・・ その間に大津波が、東北沿岸部に
襲っていた。その騒動の最中の一週間後の18日に会社清算の決断するに至った。
あとは会社抹消のための手順の実行にまっしぐら、大地震など他山の出来事で
しかなかった。それもこれも、今では懐かしい出来事でしかない。早かったのか、
遅かったのか。あれだけの震災も、そろそろ風化をしてきている。
私にとっても、事業清算を時を一にしてむかえた。それが重なったのも何かの
因縁だろう。私にとって、その重なりがあったことで、自分も震災者のような
気持ちがあった。そのせいにすることもできたが、明らかに、リーマンショック
が直接原因で、間接原因は、新潟駅前での過剰投資と、情報化による価格競争の
激化と、ビジネス客の日帰り圏に新潟県が入ったことである。 逆に言えば、
丁度よいタイミングに、リーマンショックと東北大震災がおきてくれたといえる。
無念とか、悔しい、惜しいなどの気持ちが、殆どないのは、あまりに社会が激変
したため、これでは仕方がないと諦めがついている。
* 一昨夜半の変わった夢
今朝方、変な夢をみた。 創業したての頃、ある月刊雑誌に感銘し、
愛読者の会、「もっけいクラブ・新潟支部」の会を立ち上げた。そこに、
面白い男‘T’なる人物が顔を出していた。飲食関係の経営コンサルタント
だったが、時々、理屈に合わないことをいうが、それでも真っ当な部類?
だった。 現在は、長年の飲酒過剰で糖尿病で入院していると、聞いていた。
夢の内容とは、自宅の近所の運動場のような所に、ストレッチのような
スローの運動を子供も含めた人が10人ぐらいでしていた。自分も参加したが、
これは中々良いが、スポーツジムに通っていることもあって、その一つと
みていた。 「誰かが背後で指導しているのでは?」と、周りをみると、
その‘T’なる人物が、顔色がツヤツヤして、そこに元気で立っていて、
携帯電話で仕事関係の話をしている。「確か、入院しているはずだが何故?」
と思ったが、一言二言会話を交わし、「私の家でお茶でも」と思いつつ、
自宅に帰りかけると、車で私を追い越していったところで目が覚めた。
そこで、「もしかして、死んだのでは?」と、一瞬思ったが、私の勝手な
思い込みだろうと、次の瞬間、寝入ってしまった。 ところで、今朝方も
面白い夢を幾つかみたが、一番面白いのが思い出せない。
・・・・・・
5109,閑話小題 ~一ヶ月足らずで、4年ですか!
2015年03月11日(水)
* あと一ヶ月で、4年になる!
『咽喉過ぎれば熱さ忘れる!』だが、日々好日を心かけ過ごしている。
もう、債権機構からの弁護士への問合せもなくなり一年近くになる。
あと一年の5年が一つの目安。去年の今頃は、消費税の未払い分の件で、
弁護士事務所で国税の調査を受けたり、住友系債権回収機構から、郵貯
の個人年金を数十万を差し押さえられたりしたが、その後は何も無し。
この稀な経験のない人や、社会は、倒産=悪と勝手に決め付けるが、
この経験を通し分かったことは、何事も±の両面、いや多面があること。
病と同じで良質の内に先手を打つことで、悲惨な結果を避けることが出来る。
それには事業設計段階から、万一の備えを組み込んでおく必要があった。
事業整理の目安を、資金繰りに追われる下ライン(中小企業の3分1)か、
(装置産業もあるが)営業赤字に陥った段階を自主清算?と予め決めていた。
そしてリーマンショックから二年半、そのラインに触れた瞬間に決断。
そのため、準備段階を含めた45年間の事業人生で、資金繰りの苦労を
一切なしで終えることが出来た。一般債権、労務債権は、ほぼゼロ。
これらも一般常識からみて不思議のようだ。その上に、そのまま自宅に住んで、
何も変わらない状態が憶測の世間話をつくっている?のだろが、それを許す
ほど現実は甘くないのは周知のこと。何とか軟着陸だったが、15年の準備
期間と30年間の新潟駅前事業、合計45年間のエネルギー体(会社)を、
自ら潰すのは自殺に似ている。その苦悩、恐怖、痛さ、辛さが分かる筈がない。
それぞれが、そのレベルの価値感を講釈をするだけ・・ 得たもの失った
ものが多いが、その間、魂が被植民地化されてなかったことも事実。
ニーチェが、『価値は、全てある観点から見たものに過ぎない。
確かな真理などというものはない。ただ、様々なパースペクティヴ
(=観点、見方)があるだけ』と述べている。 という、この論も、
私の枠内の価値の羅列で、身勝手な論法でしかない。日々、是、口実か。
でも、シリア性からすれば、この結末も悪くはなかった? (>_<) おもろ!
少し考えれば分かるだろうが、こんな面白い経験もない!
幼児の頃から子守唄代わりに聞いていた、何?を自分が現に経験している。
大体、その認識は教養と、両親の質に比例をして、洗脳された共同幻想のまま、
勝手に「決め打ち」をするが、それが鮮明に見えてくる。 カントの認識論に、
「対象に認識が従うのではなく、認識が対象を従える」が、そのまま、鮮明
に見えてくる。それも共同幻想の認識とくるから・・娑婆など、軽薄そのもの。
いや、軽薄は、私の方ですか! (〃゚д゚〃) (*ノωノ)テッ
――――――
4744,閑話小題 ー3年前の日記より
2014年03月11日(火)
* あれから三年経ったが
3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時~17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か?
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
新幹線は不通、17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
2014/11/06
閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする
* 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
という考えが頭によぎる。 倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は
幾らでもある。私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の
「結」が、それ。元もとの立ち位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく
無事に後に継がせれば中途半端な起承転々。そのどちらが良いか悪いかは、
受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに変わる銀行と、
身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と
過ぎると、時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と
気持ちが宙に浮いてように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。
30年来、月次決算に通っていた経理事務所の担当が、
『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、実は、分かってないのは御当人。この感覚は当事者
しか知り得ないこと。何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。
実際、こんな貴重体験は滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!
とは、今でこそ言えること。一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越える
しかなかったが・・ 「この人、こう受け止めている」が、過って、様々なケースで
自分も受止めていたので、それが分かる。 ボケ役の落語家が震える声で
「バカ野郎~、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、そこにいる。
これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、
「日々、是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」
というのが実感。「開き直り」か。 ≫
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を
保てなかったが、冷静な自分がいたことも確か。 それでも大波の中、思わず
水を飲んで、窒息しそうになっていた? 『何事も、最善と思えば最善に、
最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』ということか。
これは、大病、大事故にも言換えが可能?
少し話が変わるが、実兄が7~8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、
彼の親しい友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態では
ないよ。Oさんは、無事に会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。
これは最悪の事態でないよ!現に生きていられることに感謝をした方が良いよ』
と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンになって入退院を繰返して
いるという。この年齢になると、内なる黒鳥がいつ舞い降りてきても不思議でない。
まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方 ー1
2013年03月11日(月)
ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。
起業だけでなく、何かをなすということは、社会、世間に距離が出来てしまう。
社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる
上から目線が強くなる。この経済の大津波に押し流されても平然?として
いられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異
だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。
社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
そのための考え方を 語り尽くす本。】 ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと
思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。無意識の
うちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。子どもの
ころから、わたしたちは「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」
と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」
に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」
が何なのか、あなたに分かっていますか?
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか?場合によって違っています。とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格
になってしまいます。だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。だいたい優等生というのは、
相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。
いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。
でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」では
なしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。
いまの時代をそのように読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代
の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。
ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの
現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の意見を出し合い円座で議論する訓練。
プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、
更に議論する。よい経験をしたものである。そして社会に出てみると、それぞれ
の具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立上げには理想的経験。
で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。それを選択した
のが、私なのだから。東北震災の被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、
絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!