つれづれに

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  今日のYoutube

 北朝鮮問題、北朝鮮は目先の4月の核攻撃の回避のため、
 会談に応じてきたが、一連の流れからして、直に元に戻る。
 核もミサイルも放棄するわけがないし、目先の小手先が見て取れる。

 私がフィクサーだったら、全く信用しない。同調するふりをして
 何かの切っ掛けで攻撃を仕掛ける。 どのみち、助かる道は閉ざされていると、
 みるのが正論になる。 としても、北も、韓国も、アメリカも、役者が悪すぎる。



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5836,閑話小題 ~エキサイティング・ジム
2017年03月08日(水)

   * エキサイティング・ジム
 ジムに通いだして6年、平日の昼会員の枠一杯の月20日も通っているので、
日割りにすると300円の価値は充分にある。インストラクターの指導のもと、
12人のメンバーが交互に置かれたマシーンとステップ台を25分かけて二周
するイージーラインを毎回のベース。それに週4回のヨガエアロと、ベルト式
マッサージと、ランニングマシーンの組合せで、大よそ2時間半が平均滞在
時間が日課になる。健康的な明るさと、多くが他者に我関せずのところが良い。

 ところで昨日のモーニングショーで、最近の変り種のジムを紹介していた。
・サンドバックが数十台並んだスタジオで、インストラクターの大きな掛声で、
 グローブで殴りつけるのを主にしたジム。
・取っ手の付いたトランポリンが数十台、その上を合同で跳んだり跳ねたり
 する エクササイズ。
・クラブとエアロを融合したようなジムで、暗闇に光るミラーボールの下、
 踊るエクササイズ。
どもれもこれもスポーツジムのイメージを超えた内容だが、全身運動で、
トリップする仕組み。よく考えたものだ。 ハリウッド映画で、酒や薬物を
飲んで高級クラブでエキサイトをして踊りまくるエキスをエアロに取り入れ、
集団でトリップさせるとは。 メガネ型動画プレイヤーのアプリで、その場面
をつくればよい。独り部屋の中での踊り? 考えただけで気持ちが悪いが、
当人にとっては大して変わりはしない? いや、違うか。
 地元のエアロも、競争が激化しているようで、その対策として、様々な
エアロビックスを用意してあり、内容が日々、進化している。私は参加して
ないが、80人が参加する人気エアロもあるようだ。これを続けているといない
とでは、大きく違ってくると実感する。加老とは、毒素が沈殿が底知れずに
増すこと。運動を如何に遊びに昇華して楽しめるかが、ポイントか。

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5471,こう生きて、こう死にたい ー2
2016年03月08日(火)
             「こう生きて、こう死にたい 」津本 陽 (著) 
   * 死生観の構図
私たちの死生観は、青少年期、成年期、壮年期、老年期によって受止め方が
違ってくる。当然、死が差迫った老年期は、一言一言が実感として受止める
ことになる。常に死と向合った戦国の武将や、剣豪の言葉は、真に迫ってくる。 
 津本陽の小説の中の侍の死生観が、この年齢になってこそ理解でき、心を
和らげてくれる。死があっての人生である。
―――
・「生ずるものはかならず滅する。かように変化をくりかえすのは、
業あるゆえじや。善因善果、悪因悪果と申して業はそれに従いさまざまの
あらわれかたをいたす。 いつ人が何時に生れてきたか。死ねばいずれへ
参るかは、すべて業にみちびかれてのことで、人には分らぬようになっておる。
生死は始めなく終りなき宇宙界より見れば、またたきいたすほどにもなきこと
じゃ。どれほど長命いたせしとて、めでたくも何ともない」
                  ~『大悲の海に 覚鑁上入伝』

・「生物はみな、いつかは死ぬ。死んで十万億土を旅して、お浄土へゆく」
                  ~『雑賀六字の城』

・死ねば、すべてはおしまいだ。この世の不安も不自由も、とろで俺は、
死を怖れているのだろうか、と酔った頭で考え,は、死をこわがっては
いない自分をたしかめる。      ~『剣のいのち』

・ 殺生は武士のならいじゃ。儂もいずれは死ぬ。迷わず成仏いたせ。
                  ~『名臣伝』

・ 世俗の雑事から遠ざかりたい。兵法日下開山の栄誉を求めて、何の価値
があるのか。人はみな死して一団の灰となるのみではないか。生きて殺生を
重ねるのも、自ら命を絶って山野に朽ちはてるのも、太虚のうちにうごめく
微細な人間がえがく一瞬の幻影にすぎないという考えが、武蔵を深い虚無
の奈落へひきこんでゆく。      ~『宮本武蔵

・ 老修験者は惣角に教えた。
「まず無心になることじゃ。そのうえで、神を信じよ。己が神の分霊で
あることを信じよ。心底に一点の疑念もなく信じることができたとき、
わが身に神の御力が宿るのじゃ」   ~『鬼の冠』

▼ 最後の老修験者の言葉がよい。「無心になり、己が神の分霊であることを
 心底信じることが出来れば神の力は宿る」は、その言葉どおり。それも、
これも、宇宙からみれば、微塵なこと。

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5106,閑話小題 ~韓国が変
2015年03月08日(日)
   * 韓国が変
 今さらだが、ますます韓国が変。韓国フェリー転覆事故、そのセウォル号
オーナーの変死事件。そして大韓航空の一連が収まったら、今度は米国大使
への傷害事件。あまりに何もかもが雑。 前大統領と現大統領の素質もあるが、
政権維持のための日本に対するバッシングは見え見え。韓国は、ほぼ米国に
経済占拠をされ、殺伐とした空気。隣には北朝鮮が存在し、米国の経済圧力
との板ばさみ。国民の7~8割が海外移住を望んでいるというが。
それらを象徴する事件。これも近未来の日本の姿? 世界が動乱期に入って、
一番弱い?朝鮮半島が、その象徴として現れ出た事件。とすると次は日本? 
南欧?中国? 大統領が換わるたび、その劣化が鮮明に見えてくるのも、
如何なものか! ところで、ネットに以下のような日本との対比があった。
1.日本人男性と女性ともは韓国人より「やや小柄」
2.性格は日本人より直情的、直感的
3.日本人の平均年収は韓国人の約2倍
4.韓国は日本よりも少子高齢化が進んでいる
5.韓国の失業率は世界で2番目に低い
6.韓国の学生の読解力は世界一位
7.美容整形をしたことのある韓国人は日本人の2倍以上
8.韓国の強姦件数は、日本の40倍以上
9.窃盗事件、殺人事件ともに日本が件数が少なく、麻薬事件は日本が多い
10.韓国人の幸福度は低く、自殺者が多い。自殺率は10年世界一
 隣国のことを言ってはいられないのが日本。国家予算が、収入に対して
二倍になっても、その削減が出来ない事態。目先、5年後の東京オリンピック
に目を向けさせ、その事実から自己逃避をしているだけで、そのツケはくる。
ある日、国債と、株式相場の暴落となって襲いくる。で、「日本は、もっと変」
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4741,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 ~1
2014年03月08日(土)
    * 「ソロモンの指輪」の物語が面白い!    
  まずは、ーネット検索の内容からー
【 昔、ソロモン王は、悪をはたらく72人の悪魔たちを真鍮でできた器に
 入れて封じ、湖底深くしずめたとされます。しかし時を経て、そうとは
知らないバビロニアの民が湖底より引き上げて、封を開けてしまった。 
かくして人と悪魔がともに住む時代がやってきた。時が経つにつれ、ソロモン
王自ら望まなかった名誉をも手に入れていた。外国の女性もふくめ妻700人、
側女300人も仕えさせるほどとなっていた。賢明なソロモン王でも、長い間
ライバルもなく、一人勝ちの状態が続けば慢心する。それを見た神が罰として、
悪霊を遣わした。 その悪霊は、ソロモン王に化けて、知恵の象徴である
ソロモン王の指輪を奪い、海深くに投げ捨てた。悪霊はその後、ソロモン王に
なりすまし、本物のソロモン王を城から追い出した。指輪を失ったソロモンは、
知恵も誉れも無くし、自分を王だといっても信じてもらえず、物乞いしながら
生きながらえる毎日でした。やがて3年の月日がたち、ソロモンは、別の王国の
王宮料理人と知り合い、見習い料理人となりました。 そのうち彼の料理が気に
入られ、そして王女に慕われるようになりました。 やがて二人は結婚を決意。
しかし、王様は、料理人との結婚を許さず、二人を砂漠に追放した。
二人は砂漠を彷徨い歩くうち、運よく海岸へ出て、とある漁港へたどり着く。
空腹を満たすために、そこの漁師からなんとか水と魚を分けてもらい、魚を
調理しようとお腹をあけると、神の名が刻まれた指輪がでてきました。
その昔、悪霊に海へと捨てられた彼の指輪だったのです。それを指にはめると、
たちまち力が蘇った。ソロモンは、その指輪を着けてエルサレムに戻り、偽の
ソロモン王を倒して王座を取り返ました。 そして、ともに砂漠をさまよった
王女を唯一の妻として一生幸せに暮らしました。】
▼『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)からの三部作と、前日譚にあたる
ホビットの冒険』が3部作として、2012年から2014年にかけて2部が公開され、
2部まで、都合5作を見てきたが、これが面白い!旧約聖書外伝のこの
「ソロモンの指輪」が原型かどうか? キリスト教圏の人たちにとって、
誰も知っている物語。その辺りが、欧米と日本人の見方の違いになるが・・
ところで、生まれてこの方、指輪などしたことがなかった!
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4374, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー6
2013年03月08日(金)            
 * 平等も格差も遺伝子に組み込まれている    
       「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲
 チンパンジーに、既に平等が埋め込まれているとは驚きである。
長年の間の試行錯誤の結果である。ということは、それから進歩した人間は、
平等から一歩進めて「公平」という概念になる。この辺りが一番難しい。
容姿も、能力も、人種も、生まれてきた環境も、その人によって違っている。
当然のことながら、人間は不平等に生まれつく。しかし、チンパンジー
遺伝子に平等も格差も組み込まれている意味を考えてみる必要がある。 
  ーその辺りを抜粋するー
≪ 二頭のチンパンジーを、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に入れ、
 片方にキュウリを与えるえるとおいしそうに食べる。ところがもう一方の
チンパンジーにバナナが与えられると、いきなり怒り出して、手にしていた
キュウリを壁に投げつける。さっきまであんなにうれしそうだったのに。
霊長類学者のドゥ・ヴァールは、こうした観察結果から極て重要な発見をした。
平等はチンパンジーにとって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」。
 ぼくたち人間も、「平等」に強いこだわりをもっている。人種差別でたくさん
の血が流れるのも、バックパッカーがぼったくられに延々と文句をいうのも、
同じ人間として平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に
刻み込まれた生得的な価値観なら、なぜ世の中は格差社会になるのだろう。
それは、「格差」もまたぼくたちの遺伝子に刻印されているから。
 初対面の二頭のチンパンジーを四角いテーブルに座らせ、どちらにも手が
届くところにリンゴを置くと、互いに取りあう。負けがつづくと威嚇の表情を
見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に所有権があることを認めている。
 ところが同じことを何度も繰り返すうちに、どちらか一方がリンゴに手を
出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴から二頭の間で自然に序列が
生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジーは上位者にエサを譲る
ようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で遊ばせるとごく自然に
階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、この傾向は明瞭)。
サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識に支配したり従ったりする
強力なちからが働いている。人間の耳には、五〇〇ヘルツより低い周波数は
意味のない雑音(ハミング音)としか聴こえない。ところがぼくたちが会話を
すると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち
全員が同じ高さにそろう。 ひとは無意識のうちに、支配する側に
ハミング音を合わせるのだ。≫
▼ サルの研究では、サルと人間の重なる部分から、人間の本質を探っていく。
 特にサル社会の「平等」と「格差」との微妙な調整がポイントとなる。
生まれて死ぬまで、高校、大学、会社、事業、結婚相手などの選定が延々続く。
  その結果、都会では、住む地域まで格差ができる。その最たるものが皇居。
アフリカの王族国家を見れば、システムの馬鹿馬鹿しさが見て取れるのに、
自国になると分からない。
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4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたので、ほぼ休まず書いてきた。
自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標だが、
四千回を契機に、時どき休むことにする。また五千回に到達した時点で半年位は
休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した
内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し
知識として残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける
動機づけにしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いた
ため、それが、そのまま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内
そのものでもある。自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。
今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。 
書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で
奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が
無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。しかしブログに
字数制限があるため、当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。
それが、身を切る思いになる。しかし、それが好い加減な文章を書くと数年も
しないうちに、自分の手で削除することになるので、内容の質を落とせなく
なる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、
書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。 
また分類ボックスの一番下に、過去の文章の検索が出来るようになっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、
と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
 以下の、千、二千、三千も、それぞれ検索で調べたもの。 
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2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をして休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かが間違いている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)。
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、随想日記を書き始めた日を境に
自分が間違いなく変った。一日一日が充実してきた。20~30人位?の人に
毎日読まれていると思うと、見守られているような感覚になる。作家などの
物書きが必死になって書くのも解るような気がする。死ぬ前に全てを消し去る
のもよいし、また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らない
のだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬
遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと
一番勉強になり良いのが、自分。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。ス~と書ける日はよいが、全く書けない
日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
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2006/09/25
2001, 二千日の随想日記! おはよ~!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも
何かの因縁である。 (字数制限のためカット 2014年03月08日)
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3634,  閑話小題   
2011年03月08日(火)
 * てっぱん
 毎朝のNHKの連続TV小説の「てっぱん」が面白い。私生児?の19歳の女性の
目を通して家族問題をテーマにしたもの。舞台は大阪と尾道。下宿先の訳あり
の住人たちが個性的で人情があり、互いを支えあっているという設定。
実際の社会は、この夢のような暖かさはない。逆に虐めと見下げの中で、
本人は崩れていく。往年の美女、藤純子がお祖母さん役で、番組そのものを
引き締めている。全体に流れている湯気が出ているような暖かさは、
家族崩壊が問題になっている中、大きな問いかけになっている。
それにしても、19歳のヒロインの持てること。逆に周囲の男たちの持てない
ことが何か不自然である。 それがTV小説であるが。それと、ここには悪役、
三枚目役が全くといってよいほど出てこない。 それも良いのかもしれない。
 * 携帯電話の買い換え
 先日、家内の携帯電話の買い替えのお付き合いをした。 私の携帯電話を
半年ほど前に、iPhonからドコモに買いかえたばかりなので、家族割引
もあるので家内もドコモにした。 私も家内も型落ちのゼロ円のもの。
しかし半年前には2~3万はしたもの。その二つを比べると、その差に驚いて
しまった。携帯は日進月歩なのである。売り場は半分はスマートフォンで占め
られていたが、これまでの携帯電話ではカメラ機能が強化されたものがメイン。
数年で、大部分がスマートフォンになるのだろう。世界中の情報が、これら
端末情報機器から大量に流される時代。一時代前までの社会的格差は、その
まま情報格差に比例していた。それが、フラット化していけば、社会的格差が、
これまでと違ったカタチになってくることになる。これが北アフリカ、中東の
アラブ圏で起こっている変動として現れている。パソコンも、卓上、ノート、
そしてタブレット型と進化をしてきた。携帯電話からスマートフォンへ雪崩を
うって移行を始めたが、これがどの方向に変化していくのか? スマート
フォンとタブレットの境目は、どの辺になるのだろう? 35歳が子供の頃から
ゲーム器やパソコンに慣れ親しんで育ってきた年代の分岐点となる。
その人たちが社会の中心点になろうとしている現在、時代は大きく変わった。 
もう化石人間などという言葉は、誰も使わなくなった。誰もが使えるように
なってきたからだ。しかし、情報格差は、違う意味で果てしなく広がり出した。