つれづれに

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  今日のYoutube

 関東を中心に大荒れのようだが、県内はそうでもないようだ。
 
 二週間後に、中学校の同期会の開催の連絡が入った。三月に一度の
 割合が、この数年続いている。 老い先短くなると、誰もが不安に
 なるようだ。男たちは、同年代が次々と倒れていく。
 5年前の以下の内容そのものである。




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4330, 弧族の人たち
2013年01月23日(水)
  
「孤族の国 ーひとりがつながる時代へ」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著)
NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 
全国53の事例でつづった渾身のルポ。太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入
させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人。
繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。
65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と過去最高を記録 し、全世帯に占める
割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に
自殺率が急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、
定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。
  ー内容紹介(amazon)ー
急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。
高齢になったら、病気になったら、職を失ったら―その先には孤立という罠が
待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、
39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に
離散した集落、独身無職女性の苦悩など多数の事例から変容する家族と社会の
あり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死
他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。
朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 
 ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。
【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた
軽自動車の後部座席から遺体で発見された佐藤正彦さん、享年55。 
DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、
遺骨を保管。司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さん
は、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班がその足取りを追い、
浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。
▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。
 高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、いちばん低いのが独り暮らし
という。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。
ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを
紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。最後は県外にいる娘の近くの
アパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と
高齢化社会の中で、大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題。 
麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。

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3590, 戦略ネット会議システム -2
2011年01月23日(日)
 K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、
大手銀行に応募をして入社した人物の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に
対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、
掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、
その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、
探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚
が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り
入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの
ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いている
だけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに知恵を出しあえば、
多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題も
あるだろうが、互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、
内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。
その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、
新たに顕在化すること」こそ、企業にしろ、個人としても革新ポイントのコア。 
この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。
 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいること
は何? それを練り上げあげているのか?この恐慌の一番底が来年に到達しようと
する中で、どうする?」そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。


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2850、チベット旅行記 -1
2009年01月23日(金)

ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。 6年にもわたるチベット旅行の記録が本になっている。 
内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験しているような気持ちになってしまう。
勧めてくれた人が山の手線の東京駅を(内容に引きこまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。
 ー要約をすると
{ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット原典が唯一残っている
 チベット国に行くことを思い立つ。 鎖国状態のチベットに、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。
 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似ているが、河口慧海の場合は個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。
 明治30年(1897)31歳の時の密入国である。 当然に死を覚悟をしなければならない。
 抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均高度4500mのヒマラヤを走破する。
 若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会いながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、
 雪中で進退きわまる時や、右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。
 食事は、麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。 
 想像を絶した苦難を次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。
 そこで知遇を得、日本から持参した薬と医学知識で病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。
 そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、貴重な記録になっている。
 目的と動機を以下のように書いている。
 「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを目的にしてはいない。
 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は私にはない。
 ……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに
 関する様々なことを観察することができた。」 その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。
  ーーー
 河口慧海チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、
 1897年に船でインドに渡り、ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、
 1900年にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼した後、
 日本人として初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に
 謁見するまでになるが、日本人であることが露見したために急遽ダージリンに脱出。  その後も中国、
 インド、ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖として知られる。
                 1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。
              ーつづく
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 2008年01月23日(水)
2485,  「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 -2
              オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
     
  今週に入ってからも、更に日本の株価は下がり続けている。 当面は1万2千円辺りが
底値か、それとも更に下がり続けるのか?世界的に広がってきたのが気がかりである。
余りにも悪材料が揃い過ぎている。下手をすると、恐慌の可能性がある! 
  
ー前回の「記者の目」ー毎日新聞の、つづき
ローンを担保に次の金融商品を作り、それを担保にまた商品化(証券化)と何度も繰り返されている
ことがサブプライムの特徴で、どの商品が焦げ付くのかが見えにくいから始末が悪い。 しかも、
住宅価格が上がることで借金が可能となり消費を膨らませるというアメリカ人の消費行動も狂わせた。
減速どころではなく、アメリカのリセッション(景気後退)が現実味を帯び始めている。
原油高騰などからインフレ懸念を引きずっての景気後退となれば、なおやっかいである。
1月7日、経済3団体などの賀詞交換会。「アメリカはスクラップ・アンド・ビルドの国。
うみを出し切れば、あらゆる手を打ってでも、経済を立て直してくる」。
年後半の相場反転を期待する企業トップもいたが、多くは「アメリカ・プロブレム」を気にかけていた。

 90年代以降、同時多発テロで一時揺らいだものの、世界経済を主導し、自らもその果実を満喫してきた
アメリカの黄昏(たそがれ)。一方で、ユーロ高を導いているEU(欧州連合)、今夏、北京五輪を開催する中国、
資源外交を強めるロシア、成長力は中国以上といわれるインド、オイルマネーが勢いづく中東諸国、資源大陸アフリカ
等々、08年経済の担い手は多士済々。基軸通貨(ドル)の信頼感からアメリカに還流していた資金は今、原油に向かい、
金を買い、非鉄金属などをめざしている。資源バブルである。バイオエタノール需要を見込んで、穀物にも向かっている。
どれも投機色が強いが、新興国の経済急成長という需要増が背景にあり、世界経済の主役の座がすでに、
アメリカからこうした国々に移っていることも確か。「多元的世界経済」の出現である。
 アメリカ中心経済の終幕--サブプライム問題がとどめを刺した。波乱の深みはどのくらいか。
すでにいたるところに“ウイルス”をまき散らしてしまったようで、うみ出しどころではなく、
恐慌が本当に口を開け待ち構えているかもしれない。(エコノミスト編集部)毎日新聞 2008年1月15日 0時13分
 ---
 私の周辺も急に誰も彼も財布の紐を締め出してきた。TVのワイドショーでは、如何に金を使わないかの
ノウハウを、具体的に細かく紹介している。そういえば去年、背広を買い換えようかと思っがた、結局買わなかった。
目先は有合わせで済むからだ。ロシアが、もしユーロ圏にでも入ったら、ドルなど誰も見向きをしなくなる。
米国が風邪をひくと日本は肺炎になるというが、資源のない日本は米国以上の打撃を受ける。全くどうなることだろう。
                    (*´・ω・)ノホンジャ!
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2007年01月23日(火)
2121, 銀行も本格的な競合状態に!
          (^^)/ おはようよっ!
地元の銀行の担当の話によると、「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。
都銀や大手信託銀行が、中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、地銀同士がこれまでのテリトリーを
越えて顧客の奪いあいを始めた。都銀が地元の地銀の有力得意先に対して本格的貸出しを始め、
どんどん顧客が奪われている。こんなことは初めてのこと」という。
某都銀の営業の20人のうち15人が、地元地銀の倒産したり、リストラされた銀行マンという。
彼らは地元の経営者に顔が利くため平気でトップに面会して切り替えが得意。成績が上がらなければ次年の
労働契約は保障ないので必死という。先日の地元の新潟日報には、「東京三菱銀行が新潟に中小専門拠点を開設」
という見出しが出ていたが、ここも同じような戦略をとってくるだろう。これでは自社の子飼を、そのまま敵に
手渡すことになるから堪ったものでない。この圧力が、地銀の再編のきっかけとなることは必定。集団輸送船団
方式の銀行行政の最大の恩恵を受け続けてきたのが地銀。それが、一挙に都銀や大手信託銀行の直接貸し出しなどの
脅威に晒されるようになったのだから、一大事である。コンビニが銀行業務の一部を始めて消費者に大好評。
さらに郵便局も、民営化が本格的に始まる。「地銀以下の銀行の存在意義とは何ぞや?」という大問題に突き当たる。
さらに携帯電話などの決済も進み、キャッシュレス化がますます進むと、その存在意義が縮小することは避けられない。
「一枚のチップに銀行の支店の機能が軽く入ってしまう」と言われだして数年、その機能の存在意義そのものが根本的に
問われる。恐ろしい時代になったものだ。去年から流通業の地元の再編が動き出したようだが、銀行も同じ流れになった。
十年ほど前に、地銀の次長が「地銀機能は無くなりません!」と言っていたが、それは十年スパンの話。
それとも縮小しながらでも存在するのか、どうであろうか?
              マタネッ(*^-゚)/  ~Bye♪
・・・・・・・
2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ   (σ・з・)σオハYO!!

NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」の放映が衝撃的であった。
身体の一部を機械に置き換え、脳が機械と直接つながったサイボーグ。
SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、現実のものになろうとしている現状のレポートである。 
脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす研究を実用化しようとしている。
                  ・∀・)つ(:゚::) ミカンでもドゾ♪       
5年前には世界に殆ど存在しなかったサイボーグ技術が、ここにきて飛躍的進歩にあることを立花隆がレポート
していた。特にサイボーグを実現可能にする技術として最も注目を集めるのが、脳の情報を利用する技術・
神経工学である。
 
この放送は、立花隆とサイボーグ技術の行方を見つめるため、世界各地での底取材を行ったもの。
自ら進んでサイボーグ化をすすめた人々を紹介している。
アメリカ・テネシー州の男性は、感電事故で両腕を失ったが、いまでは考えただけで動く
「人工の腕」を手に入れている。
・完全に視力を失ったカナダの男性。ビデオカメラで撮った映像を直接脳に送りこみ、光を得ている。 
 医療の分野でサイボーグ技術によって、人々は人生を取り戻し、今までの人類が体験したことのない新たな
感覚を得ている。さらに脳の機能の一部を機械に置き換えるサイボーグ技術も進んでいる。難病の治療に
劇的な効果をもたらした。この研究は、今、うつ病強迫神経症などにも応用され、/ω\*)ウゥ人の心に関する
部分の調整にまで踏み込もうとしている。
                            ̄ー ̄;)ニ、ニヤリ 
その急速な発展に注目し、巨額の資金を研究に投じているのが、アメリカ国防総省。手足の力を10倍にする
パワースーツ。兵士の重装備の移動を大幅に軽減する。これは首から下が麻痺をして動けない人の歩行も可能に。
聴力・視覚を格段に向上させるなど、不死身のサイボーグ兵士を作る研究が進む。
圧巻は大型のネズミにヘッドギアを取り付けて、パソコンで動作を直進・左右へとコントロールする
「ロボラット」。頭にミニ映像カメラをつけて目的地まで誘導する一種のサイボーグ。ー(右(左)の脳に刺激
をして右に行くと快楽脳を刺激する。それをインターニットでパソコンと直結してコントロール。さらに頭に
カメラをつけて目的地まで誘導して下水とか敵の目から隠れた攻撃が可能になる。こうなるとSF映画の世界である。
サイボーグ技術が人類に光をもたらすのか、それとも単なる人体改造なのか。 見終って、しばし茫然とした。
ここまで、科学が来てしまったのかと!少しオーバーにいえば世界観が変わるほど?である!      
                    (*-ω-*)m バイ~
・・・・・・・  
2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言   
           ー 読書(毒書)日記 ー
ー新書yosennsya 榎並 重行 (著)

書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので衝動買いをしてしまった。
私向きの本である。買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー帯びに『類を見ない
猛毒に満ちた格言集!』とあるが、買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。 それぞれの章ごとに、
毒の強い文章を幾つか書き写してみる。第6章まであるので、数日の随想日記のネタになる。先ず本の名前を
見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、そして、前書きを見て、終わりを見て、パラパラと開いて、飛ばし
読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの珍しい本である。
ーmy感想は、毒には毒をと毒づいてみた。書かないほうがよいが、それでも書かないわけにはいかないのだ!
 ーーーー
第一章 この変な動物、人間
ー類型についてー

・どんな人間にも、顔を赤らめ、恥ずかしさにうつむくしかないことがある。
 そんな経験をしたことがないといい放つ者は、これから、手ひどい形でその経験に襲われるまでだ。
(my感想)ー 海外旅行先でトイレにあわやという事態に何度も遭遇した。
 その経験がなければ、回数を重ねているうちに思わない最悪の事態になることは間違いない。
 -- 
・己のなかに俳優を感じて困惑し、たじろぐ者は、まだ自らの誠実さを保っている。
 むしろ笑む者は、すでに自他のために誠実さをも演じているだろう。
(my感想)ー誠実は言葉でなく、人が感じるものだ。以前ごく身近に「自分は性善説である」
 を言葉の癖にしていた人がいた。あまり本の量を読み込んでない人だったが、「性善説とは性悪を
 カバーする為に使うことが多い」という仮説を自分に立てて考えれば、声高に言えないはずだ。     
 この人、最後は高利貸しの代わりに、多くの友人から大借金をして倒産した。
 騙されるほうも騙されるほうだが!俺は性善説など間違っても言わないことだ!
 ただ自分の中の悪党に気がつかないか、虚偽をいっているに過ぎなのだから!
      --  
・夢見る者は、自分に関して事実を否認する権利を、夢の名によって、自分自身に与える。
  (my感想)-若者と、女と、自己逃避をしている夢想家に多い。 誰もが経験してきたことか?
  --
・自殺者は、自死を問題の決着として考えることができる。
 その近親者には、強いられた相続にしか思えないが。
(my感想)-事実そうだ。 それも永遠にだ。近親者そのものにとってもマイナーの
 相続者になってしまうから。自死は、最後に残された最大の意志でもあるが。
 --
(字数の関係でカット2009年1月23日)
                         -つづく
・・・・・・
2004年01月23日(金)
1024, 22歳の日記-2

何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去
4年間の友人が、ほとんど全てを占めていた。特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記か窺い知れる。
ゼミでは、まず一週間前に事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。 その間に対処を考えてきて、
それを元に全員で徹底的に議論をする。 その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。我々の出した
結論と、誤差について更に議論をさせる。また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って互いに議論もする。
結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をすることになる。教授の意見は、要所要所以外は
ほとんど話さない。考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。「考えることは如何いう
ことか」と、更に一歩踏み込んでいく。自分の中の知識不足を、冷静に自ら気がつくように仕組んである。

いま日記を写しながら気づいたことだが、ソクラテスの「対話法」による真理の追究を、
その中で体験させていた。素朴で深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的であった。
その結果、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。誰もが転換期にたって、迷っていたからだろう。
また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。冷静な事実の組み合わせと、仮説の積み上げと崩しの
繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。ようするに地頭で考えることに役立った。 
35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が自分の深耕をしていることになっている。
過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。
その意味でも、この22歳の日記の写しと公開は良かったと思っている。
ー後記ー
このホームページ内検索で「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。
こんなものかと呆れてしまった。 以下である!
ーーーーーー
2002/11/01  ケーススタデー  ー1
 字数の関係でカット(2008年01.23)

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2003年01月23日(木)
659, 人間-女心
ー宗親流に書いてみるー

人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。単純で複雑で自分でもコントロールが不可能な
ものだね。だからノイローゼになるんだろうな。それにさ男女の下が絡んでくるからね。
「女の身体の真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」という都都逸があるがね。これを即興でつくり
かえるとこうなるよ。「男の身体の真ん中辺に陸釣り用の竿がある」 少し品が無いね!
暇だからさ女という生き物について書いてみるね。あれほど割り切ってみると単純で可愛い生き物は
ないよ。姉が4人もいて、女の職場にいた為に鍛えられたね。この単純でかわいい存在に。
要するにエゴの塊、これも生理からきているからね。いつもある姉に言われていたね。
「女なんてね、やられる振りしてやる動物なんだから気をつけな!」ってね。
女を制すれば世界を制することができるというが、性欲がそれを鈍らしてしまうんだよ。女は知って
いるんだ人間をね、男と比べたら数倍もね。初めは大人しくしていて、段々図々しくなっていく仕方。
あれは戦術なのか戦略なのか?両方だろうがね。 単独に彼女と接するときは真摯に徹すること。
複数を対象にした時はエテコウー猿のレベルと割り切ることだよ。泣いているときは、一緒に泣いてやるさ。
笑っているときは、一緒に笑ってやるの。合わせ鏡に自分をしてしまうのさ。 彼女たちは、長い時間
の中で知恵を持っているの。男の甘さの嗅覚を。だから真っ当に相手にしては駄目だよ。
昔からいうだろ「怒れば泣く、甘やかせればつけ上がる、殺せば化けて出る」これ本当だよ。
でもね、あつかう時はね、怒り、甘やかせ、褒め殺しにしなくてはね。
理屈じゃないんだから。でも好きだね女!  まあこんなところが大体の男の視点!
                            - 宗親
・・・・・・・・ 
 2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)

決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する言葉」が
「取りあえず」である。思考停止病といっていい。「とりあえず、こおしておこう」
「とりあえず、大学にいっておこう」「とりあえず、就職しておこう」「とりあえず、定年になってから考えよう」
人生の一番大事な事を、その時々に判断をいい加減にさせ、あるいは先延ばしにさせる言葉である。 
この言葉で思考停止の状態になり、決断放棄の一生を過ごしてこなかっただろうか?
そして最後の最後、追い詰められても「取りあえず、今をやり過ごそう」とする。
「取りあえず、取りあえず、取りあえず、・・・・」取りあえずとは、人生を放棄すると同じ事でなかろうか。
この文も「取りあえず」この辺で止めておこうーブラックジョーク似た言葉で「でも」がある。
ある判断をしようとすると、「でも、やめとこかーな」「それはそうだが、でも」。
「でも」と「取りあえず」は何かにている。この川を今渡らなくてはならない、そこで「でも」という渡った
ときのリスクが頭によぎる、「でも、でも、でも」が出てくる。無意識で使っている言葉の壁である。

・・・・・・・
1月23日 木曜日 1969年

8時起床。登校後、産関論の授業に出席。この授業は、これが最後だった。
その後、川崎と喫茶店に行く。 午後は価格理論に出席。帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、
結局欠席にした。18時から一時間、産関論のレポートを纏める。 21時から勉強を開始。 夜半の2時に就寝。