つれづれに

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今日のYoutube

 昨日は、誕生日祝いを含めて、近くに出来たばかりの
「シャブ葉」でランチ。 シャブシャブは何年ぶりだろうか?
食べ放題で、9皿と野菜2皿とデザートで一人あたり1800円。
高いと見るか、こんなものか? 家内は高いというが… 
 飲みに行ったと思えば、安いが、ランチならたかい? 
だんだん、年金暮らしに馴染んできた。
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5420,人生で最も大切な技術 ー③
2016年01月16日(土)
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福の探求
 目次をそのまま掲載したことはあまりないが、深く立入り、全体を俯瞰する
ためにも、あえて載せることにした。目次をランダムに、いずれのページを
開いても、深い響きが届いてくる。「著名な哲学者の父親があってこそ、この
人物あり」を思わせる構成である。西欧文明の真只中で英才教育?の素養が
あればこそ、チベット仏教の真髄が見える。 中村天風の『積極一貫』
『絶対肯定』の人生への姿勢と似ている。中村天風も、チベットで偉大な師
について修行している。
  ~目次~  ●幸福の探求
 はじめに
第1章 幸福に関する名言        第13章 羨望
第2章 幸福は人生の目的から      第14章 自由への大いなる飛躍
第3章 両面の鏡 内から外から     第15章 幸福の社会学
第4章 見せかけの友         第16章 幸福の実験
第5章 幸福は可能か         第17章 幸福と利他心
第6章 苦しみの錬金術        第18章 幸福と謙遜
第7章 エゴのべール       第19章 楽観主義、悲観主義、世間知らず
第8章 自分の考えが一番の敵になるとき 第20章 黄金の時間、鉛の時間、 
第9章 感情の川            第21章 時の流れと共に
第10章 厄介な感情とその治療法    第22章 幸福の倫理学
第11章 欲望             第23章 死を意識した幸福
第12章 憎しみ            第24章 道
                   瞑想の実践  あとがき
 ーー
 「まえがき」の、何ゆえ、順調なキャリアを捨て、チベット仏教徒に
 なったのか? 親子の葛藤はどうか? ~その辺りを抜粋する~
《 ・・前途洋々に滑り出したかに見えたキャリアを唐突に放り投げて
 しまおうとする私に対し、父は失望を禁じえないようすだった。しかも、
「仏教に反対するつもりは毛頭ない。純粋で率直な仏教的教えは、各種
の宗教的教義の中でも独特の立場を確立している。究極の厳密さを要求する、
西欧の哲学者からも重視されていることは事実」と好意的に話しているとは
いえ、確信的な不可知論者である父が、仏教を真剣に受けとめる日が来よう
とは夢にも思わなかった。久しく顔を会わせないのは当り前で、父のほう
からダージリンブータンまで足を伸ばして会いにきてくれたこともあった。
記者の質問に対して、「息子との間をさえぎる雲があるとすれば、それは
アジアのモンスーンだけだ」と応じている。
 こうして私が発見したものは、盲目的な信仰心の強要ではなく、
豊かで実際的な心の科学、利他の心に基づいて生きる技術、深遠な哲学、
内側を本質的に変革する精神的鍛錬などと表現できるだろう。この35年間、
私が理解してきた科学的精神と矛盾すると感じたことは一度もない。
<仏教とは要するに、経験主義的な真理の探求に他ならない>のである。
こちらに来て、「常に幸福」な状態が続いている、という人物に何人も
出会っている。これらの人たちは、一般的に考えられている幸福な人とは
異なり、現実とは何か、何が心の本質か、などを深く洞察し、他者に対する
慈悲心に満たされた状態にある人たち、と呼ぶに相応しいだろう。生まれつき
人一倍幸福を感じることのできる人は世間にたくさんいる。だが、彼らの幸福
は脆くて不完全なものである。これに対し、永続的な幸福を体得するには技術が
必要であること、内側の平静さ、今この瞬間の気付き、利他の心に根ざした愛、
といった人間に本来備わっている能力を開発するには、それなりの努力と訓練が
必要であること、などが次第にわかり始めた。深遠で静寂な観想の方法論と
英知を言葉と行動で具体的に範を示してくれる生きた見本に直に触れる、
という経験は、間違いなく充実した人生を歩むためのお膳立てができた、
といっても過言でない。「私の行動は真似せずに言葉にだけ従え」といった、
真理の探究者を失望させる、多くの教えとは一線を画す本物の教えに
出会ったのだった。 》
▼ 「意味ある偶然の一致」としても、前年の新年明けの
 同月同日に、この幸福論に丁度良い回答をテーマにしていた。
<「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。>
このことに気づくため瞑想をし、「永遠のいのち」に宿る「わたし」に
気づいた状態が幸福という。これ以上の明快な答えは見当たらない。
 これを知り、〔「わたし」<「いのち」〕という発想に私も、少し近づけた。
「遺伝子は生物の体を借りて、代々、生き延びてきた」という遺伝子の科学者
のいうのが、遺伝子の「いのち」が、生物のからだ(いのち)に例えると、
少し理解できる。「わたし」が80年の人生を終えても、遺伝子という
「いのち」が生き延びていく、と思えば、死の恐怖は減る。
 「いのち」-「わたし」=「永遠のわたし」 か?
 「いのち」+「わたし」=「有限のわたし」 になるのか?
何か、岸本葉子と、リカールの妖術にかかったようである。

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3948, 未婚時代の婚活
2012年01月16日(月)

  * 普通の男性は1パーセントしかいない!
 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタントが分析をしていた。
それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。
伴侶を決めるのは、女性も男性も、一生の一大事である。そうそう、満足できる相手には巡りあえることはない。
そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。この歳になっても、今だ・・・
著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、
「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 「いい男は、なぜか皆んな早婚」
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」
確かに、現象面から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。
 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしかいないことになる。
普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。:普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長
:普通の清潔感:普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。「普通」というからには50%、
それらの全てを満たすとすると、 :会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。
それぞれを高望みをしなくとも、全てを満たす人は100人に一人になる。そこに社会情勢からして男女とも
年収が激減している。このレポートでも取り上げているが、グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、
縦軸に既婚か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が一目でわかるもの。 ここでは、
30~34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。200~400万の6割が未婚。200万以下は
7割以上が独身だった。「いい男が早婚」なのは、年収だけの条件だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。
女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。一見、少し地味な印象で口下手で、
華やかな女性にはモテるわけでないが、それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、
若くして年貢を収めてしまう。また女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢を重なるたびに
良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに目立たないうちに刈り取られている。こうして
「いい男はみんな早婚」になるのである。     ーつづく
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3583, アート画像転換システム
2011年01月16日(日)
 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の広告記事をたて続けに出している。
そこで会員登録をして、HPのソフトを使って驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に
転換してくれる。それが思いのほかに良い。デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に転換できる。
それがプロが書き換えたと思えるほどの出来栄えで、ここまで来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。
これではプロがカタナシである。この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも通わなければならない。
それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。デジカメで撮った過去の写真を転換する度、その出来栄えに狐に
つまされた思いになる。 まだ、その機能が入ったデジカメを手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 
タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、これまで一部の人しか出来なかった
各種のアート画が、現地で可能になる。 他のHPにも自由に使えるソフトが幾つもある。そこには美人、線画、
版画、漫画、スケッチなど100位の写真加工転換ソフトが使える。私にとって、これは夢のようなソフトになる。 
これまで、多くの写真がCDカードやアルバムに眠っている。この中で、気に入ったものを画像転換すれば、私に
とって素晴らしいアートが出来上がる。おそらく、セザンヌゴッホピカソなど世界的な画家の筆致のソフト
が出てくるはず。 それだけでない、彼らの絵画を自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った
作品が出来る。それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。実際にゴッホの「ひまわり」を加工して
みたが、水彩画などに転換したものは、何とも味がある。カシオは、これに膨大の開発費を投入したと思われるが、
それをフリーソフトで公開し、出来上がった作品をパネルや、装飾品に印刷、販売するサービスを始めるようだ。 
再度、書くが、「この写真が、こんな風に転換してしまうのか!」の、驚きの連続である。iPadの次世代機種に
カメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもりである。
観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描きソフトで書き加えることが可能になる。
 いや、書き加える必要もないほど最良に近いソフトが、それを許さないか?  これは、凄いソフトである。
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3208, Twitter の意味すること! ー3
 2010年01月16日(土)
* Twitpic 
Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。
直ぐに「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然のようにあったのである。そこで早速、
デジカメで撮った通勤途中の福島江の桜の写真を載せてみた。なるほど、これなら雪桜を知らない人でもわかる。 
そのサイトには世界各地の人のTwitpicの写真が羅列してあった。「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに
出たが、数言の英語なら状況から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉なら分からなくても 
写真なら世界中の人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。
それが、また面白いのが多い。 このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、普通の
女性?二人が胸を露出した写真だったり、黒人の男のヌードもあった。 構えてないところが良い。当然、Twitbideo
というのもある。 写真もビデオも、パソコンでもモバイル端末で、何時でも何処でも見ることができる。ハイチ
の大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。TVのニュースでも、かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。 
情報化の事例の一つである。数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。グーグルが
千五百億円で買収したことで話題になった。これも手軽に何処からでもビデオを配信できるからよい。 
Twitterも、三年で既に九百億円の値がついているという。 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと
指定した言葉の前に‘♯’をつけると、それがネットでグループ化される。「藤の花」を知らせたい場合、
‘♯藤の花’と入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。
*長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる、等々、幾らでも発進できる。
全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」とか、直ぐの反応があるはず。
初めキーワードをコンピューターが選定すると思ったが、実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の
「つぶやき」が繋がる。 もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、この銀行の怒りを持った者同士が、
怒りを共有することが出来ることになる。 世界の情報の網目が小さくなり、かつ鋭敏になるのである。更に、
情報を送りたい相手のサイトの前に@をつけると、自動的に送信される。これが携帯で飛び交うから驚くのである。
ブログがマイクロ化し、互いにキーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。
若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。 情報格差は、無限に開くばかりになる。
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2843, 雲屯庵 -3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。 外見は茫洋としているが、この男がなかなかの博識で、俗にいう玉。
 最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の養子になったか?、名前だけ継いだのか?
 この人が語った「異世界」の話しが面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。 そこで僧侶の感覚で、朝6時に出社。
 他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 三時間も前に来て働いているのだから、
 上司に直ぐに認められ、一~二年もしないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。
 別に、必死に働いたのではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、激務で疲れ果て憔悴して
いた私にとって、ショックであった。何時の間にか、周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言
一言が鋭いナイフのようであった。また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。
その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと「何?の方の世界」はシステム(風習)としてあるという。
もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚のシステムがある。(もちろん地域的なものもあろう。
そういえば「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と能力が十分にあったが、
それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。この歳になっても、少し綺麗な女性が
 身辺に来ると 「直ぐに手をつける?」等々、なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。 
 更には、預金通帳には?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 
 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、この位にしておくが、
 40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して変わらない。
 名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの存在なのだろう。
  ーー
 ー9月01日 1969年
その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大のビジネス・スクールの学生がいた。 
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう? 禅師に昼間真っ二つに甘さを
指摘され、夜は夜で二人の議論についていけない自分が、そこにいるのだ。 何だろう、何だろう、何だろう!
実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分がいる。実際のところ濁流の中で、もう水を
飲んでアップアップしているだけの自分が、神戸で一人呆然としているだけだ。どうしたのだ、どうしたのだ。 
適当に真面目に考えることもないが。
  2005年 ー1月14日記ー
 ーこの時のショックは計り知れないものがあった。身近で、これだけの知的水準の高い、同年代の
ハーバードの人と接したのは初めて。 会話さえついていけないのだ。一言一言の言葉が宇宙語のよう。
その逆の環境の真っ只中にいたから、その段差がなおのことあったのだ。
「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま卒業をしたこともあり、
「いま一度一人になって知識の再構築したい」という気持ちが芽生えたキッカケになった。
(字数の関係でカット12年01月16日)
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2008年01月16日(水)
2478, 「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 -1    b(^o^)d w(^0^)w オッハー♪
 昨日の毎日新聞の -記者の目:黄昏の米国「多元的世界経済」へー(内野雅一)が刺激的である。
 サブプライム問題の深刻化と同時に、景気の減速どころか、「恐慌」が現実化をしてきた。 
機軸通貨ドルへの信頼感からアメリカへ 還流していた資金が原油と金、そして穀物にも向かっている。
またアメリカ一極から、資源大国ロシア、中国、中東諸国へと、「多元的世界経済」へ変化を始めた。
その移動過程で、一番影響を受けるのがアメリカと日本であるのは自明。年末年始にかけてサブプライム
や社会的格差の実態をNHKが ゴールデンタイムに放送した。 それだけ事態は深刻ということである。 
  =まずは、その記事である=
東証一時765円安」「大発会で最大の下げ」「原油高で大波乱」。1月4日付主要各紙の夕刊1面
の見出しである。普段ならご祝儀相場となることが多い年頭の株取引・大発会が「波乱の幕開け」に
なったことを伝えている。
  (字数の関係でカット09年01月16日)
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アメリカのドル基軸は、サブプライム問題で瓦解したのだろうか?その結論を出すのは早いかも
しれないが、今までとは違ってきたのは間違いない。 アメリカの衰退は日本の衰退を意味する。  
ヾ(=・ω・=)o☆バイバイ
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2007年01月16日(火)
2114, セレブ殺人事件ーロスト・ジェネレーション  
現在を象徴する事件として多くの意味が含まれている事件である。
(字数の関係でカット09年01月16日)
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2006年01月16日(月)
1749, 心のままに生きてごらん-3            (゜Д゜*)ノ⌒【おはよう】
鳥はよけいなものを背おわない。 だから、とべるんだよね。        -87
過去は記憶のなかにしかない。 記憶はあくまであたまのはたらきで、
あたまはきりかえがきくから、過去も自分でかえられる。              -91
ほんのすこし時間をさくだけで、よろこんでくれるひとがどれだけいることか。
それなら、それをいとわないこと。 -96 
(字数の関係でカット09年01月16日)     ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪  
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2005年01月16日(日)
1384, 生きる2004~森山良子コンサート
 昨夜、何げなくTVの番組表を見ると「生きる2004~森山良子コンサート」があった。
森山良子のコンサートを学生時代に見たこともあり、ジックリ見た。加山雄三さだまさし
平原綾香の4人がそれぞれの時間を受け持つもので、彼女のワンマンショーではなかった。
誕生日に心に残る何かがないかと思っていたが、良いメルクマールになった。かわいいものだが。
何げなく皇后の来賓席の姿を映し出していた。そのためか全員の歌に熱が入っていたようだ。
加山雄三と森山良子は、学生時代の思い出の歌手。さだまさしも心の歌をジックリ聞かせてくれる。
自分の誕生日の贈り物と勝手に思って聴いたが、部屋の電気を消して真っ暗の中で聴いていると、
実際の会場にいるようであった。特に、森山良子の歌の全てが心に響く。「今日の日はさようなら」
は学生時代、また加山雄三の歌も当時を思い出させてくれる。昭和40年代は経済の高度成長期の
よい時代だったということだ。歌は時代背景を、そのまま反映する。
まあ誕生日に丁度よい番組みに当たったということだが、小市民そのものだ。
・・・・・・
2004年01月16日(金)
1017, 足の話-2
 前にも少し書いたが、野球のスカウトがまず注目するのは足である。リトルリーグから大学を
経て社会人になるまで観察し続けることもある。まず足が速いこと、それによって体のバネや筋肉
や関節の柔らかさが分る。野球はランニングに始まり、ランニングで終わる。大リーガーのスカウト
は、特に足にうるさいという。イチローや、二人の松井も脚力は並外れている。大相撲でも、入門を
すると徹底的に下半身ー脚を鍛え上げる。股割りから始まり、すり足、四股を教えていく。そして、
足指で土を掴まえるようになるまで足を鍛える。本場所の相撲を見ていて、足に目があるのでは
ないかと思うくらい微妙なところで俵の上で残ったりする。そこまで鍛え上げているからだろう。
足を辞書でひくと、「体を支え移動させる機能。たとえば、動物の下肢、立ちまたは歩行の用を
なすもの、タコなどでは遊泳の用をなすもの」等が書いてある。 足といえば、「足が付く」
「足が出る」「足を洗う」「足を引っ張る」「勇み足」等々、慣用句にもなっているほどだ。
(字数の関係でカット12年01月16日)
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2003年01月16日(木)
 648, 流通業界を考える
実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。一般小売店と地方百貨店は
ほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と
西武百貨店の再生法。東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。これからは高島屋の隠れた問題
が吹き出るはずである。百貨店といっても、その実体は不動産業でしかない。問屋とアパレル業や
メーカーの場所貸しでしかない。
 (字数制限のためカット 2011年1月16日)
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2002年01月16日(水)
302、事前の一策は事後の百策に勝る
 生きてきて、事業を通してつくづく感じる事である。これは準備の大事さ、計画の大事さを
いっている。ビル計画の場合、出来上がった後「こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」
ということが出てきても、その修正に莫大の費用がかかってしまう。従ってアアでもないコウでも
ないと仮説を立て、あらゆるケースを考え設計にエネルギーを叩き込む。これ以上もう考えられない
ところまで、考え尽くす。それをどこまでやれたかが、10年~20年後に結果として出てくる。
宮大工は、自分が死んだ数百年後の修理のことまで十分意識して建物を造るという。数百年後の
宮大工を意識して仕事をする。以前何かに書いたが、成功の言葉は「練り上げ成す」という。
事前の一策を練る事といえる。
(字数の関係でカット12年01月16日)
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1月16日  1969年
9時起床。10時前に大学にいって卒論提出。万歳!これで頭を痛めていた難問をクリアーする。
内容は満足のいく半分のできであった。あれだけ努力をして、内容はこのレベルでしかない。
基礎ができてなかったのだろう。あちこちの文章を切り抜いて、自分の言葉に言い換えただけでしかない。
そこに新しい視点を見つけることは不可能であった。甘さといい加減さが、この内容が物語っている。
以前の自分はもっと自分に厳しかったはずなのにどういうことだろう。
そういえば今日試験があったのを知らなかった。これをとらないと単位が取れないという。
欠席届を出して、後はどうなるか様子見である。一つ大きな心配が増えた。ゼミの河村と石川と外山と
4人で研究室に行き、助手の横浜さんと話をする。その後、寮に帰りTVをつけると、東大の校舎で
反代々木系全学連安田講堂にたてこもって8千人の警察官と攻防を繰りひろげていた。まるで戦場。 
講堂の屋上からは火炎瓶、空からはヘリコプターが三機もいてサイリュウガスを撒いている。
驚くばかりである。駒村の部屋に行く。彼とは大きな距離を感じる。その後風呂に行く。その後部屋
に帰ってくると、先輩の永田さんくる。先日、飲みに行ったばかりだが、また彼と飲みにいく。
先日よりズット落ち込んでいた。あれだけ強気であった人が、何があったのか弱気なのだ。
もう秘書は辞めて田舎に帰るとか、鼻ー蓄膿症ーが悪くてどうにもならないとか。
 午前一時過ぎに帰って、就寝。