つれづれに

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今日のYoutube

 今日から三連休になる。
そろそろ一mの積雪になるのだろうが… ともかく寒い。




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3938, 閑話小題
2012年01月06日(金)

 * 車修理
 去年の暮れ車庫のブロック塀に車の後部をぶつけてしまった。 経験からみて最悪の場合10万円以上、
少なくとも7~8万はするはず?だが、あくまで業者が判断すること。そこで三ヶ所の見積もりをとったが、
5万4千、8万5千、20万円と出た。よくぞ、これだけの差が出たものと驚いた。20万円のところは、
「修理不能で、その部分のパネル全体を取り替えないと無理」というが、他はそんなことを言ってない。 
当然、5万4千円のところに決めたが、20万とは、いい加減なもの。そこで思い出したのが以前も
見積もってもらったこと。 高いので他にしたことを思い出した。高くなる算段で修理を考えるのと、
安くなるように算段して何とか注文を取ろうというでは4倍近くも違うということ。
そこはバイパス近くにある車社会では一等地。高くなるように見積もっても、客は絶えないのだろう。 
今回決めたところは川崎のカーコンビニ、高いところは? ネット上では書けない。 家電でも何でも最低、
三軒の見積もりは必要である。ところで、年末年始で修理工場が忙しいということもあり、三週間も、
そのままの状態で車を走らせていたことあり、他の車の傷が気になり見ていたが、本当に少ない。そういえば、
街で車が凹んんだまま走っているのを殆どみかけない。 これまでも、たまに見かけると振り返る程だった。 
無傷が当たり前と思っていたが、外国では平均的に見ても多く見かけられる。考えてみると、その国の豊かさ
に比例している。 服装と同じ感覚である。 まだ修理待ちでヘコンダ車に乗っているが、あまり気になら
ないのは? いや、やはり気になる?
  * 男はつらいよ
 以前も、ここで何度か「男はつらいよ」について書いたことがあった。年末年始は必ずといってよいほど、
48シリーズの幾つかを再放送するが、今年は全シリーズの放送をしていた。その何本かを見たが、家内が
大嫌いで、私が見るのも嫌がる。しかし何度見ても、その都度、考えさせられる。 少し頭の軽い気の良い
流しのテキ屋。全国各地の祭りを追い旅をしている。美人に惚れっぽくて、その見返りで、やたら女性にモテる。 
見境なく惚れるから、女も悪い気がしない。そこで、ヤクザ者のペースに嵌っていくが、実は他に目星の男が
いて振られるか、上手くいきかけても本人が自分の立場に気づき身を引く、という物語。テキ屋の世界は、
甘い世界ではない。 社会からは一歩食み出でた悲劇と喜劇の屏の上の際どさに味わいがある。人間社会の
悲哀を、主役の寅さんを通して表現している。その素朴な女性への憬れが、仏の温かさと二重写しをしている。
それと時々帰る親戚の家族の温もりが、今は無くなりつつある家族生活を疑似体験させてくれる。
 私が社会人になった年に映画化が始まった。 四日市、神戸、東京、金沢、そして千葉と転々としていた頃、
擬似家族の温もりを、あの映画の中に求めていたようだ。家族の絶対のベースがあればこそ、人間は正常で
いられるのである。ネットの擬似家族もあるか?
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3573, デジタル進化論
2011年01月06日(木)
 日経新聞がデジタル進化論の連載を始めた。ークラウドが迫る転換ーがサブタイトルである。
iPodの登場から10年、これがiPhone、そしてiPadと、直感操作型情報機器へ広がりを始めてきた。
パソコン登場から30年が経ち、次の展開として、スマートフォンとか、タブレット式パソコンなどに
軸足を移し始めてきた。iPhoneの登場から僅か4年で、パソコンの売上げ台数の3億8千万台を、今年中
に直感式情報機器が上回るというから、尋常ではない。特にタブレット式無線パソコンが、この数年で
爆発的な普及が予測される。 シャープもキーボード付パソコンから撤退を表明、タブレット端末に集約、
電子書籍サービスで稼ぐ事業モデルに転換する。「アプリ」もパソコンソフトと同じぐらい揃っており、
数十万本もあるというから、これも成功すると見てよい。 ソニーも、ドコモも、auも、それぞれの特性を
生かした戦略で進出を始めているので、数年で、市場は激変する。 昨年だけでアップルは。 iPhone
3300万台、iPadを1800万台を売ったという。今後、世界中の大手が直感式情報機器の販売に入る
ため情報化は更に進むことになる。そのため情報の量と質が格段にアップする。それと比例して世界に
情報が行き渡り変化を加速させることになる。 それが、更なるグローバル化、平準化、一極化が進む。
そうこう考えると、時代は激変を止めることは不可能といえよう。デジタルといえば、数ヶ月前に入れた
テレビである。値段は、一般の二倍以上したが、テレビの画質、音質、機能等は、明らかに数倍のもの。
で、何が変わったか?というと、映像対象の内容が違って見えるようになったこと。これらデジタル化は、
間のあり方まで変えていく、良いにつけ、悪いにつけ。
 経済も含めて今後10年で世界は、日本は、どのように変化していくのだろう?10年前からみて現在は
想像を遥かに超えている。 問題先送りになってしまう大きなマイナスもある。 
「心配ごとは、明日に!明日はこないのだから」で、手遅れに?か。
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3198, 句読点とは妖精のようなもの! ー2
2010年01月06日(水)
 * 検索で「句読点の打ち方」と入れたら、次のようなものが出てきた。
・文の息の切れ目に読点を打つ  ・対等に語句を並べる場合に打つ  ・難読、誤読を避けるため使う
・文の構造を分かりやすくするために打つ  ・節と節の間に打つ(彼も喜び、私も喜んだ)
・前置きの節や語句を区切る(その夜、あなたはいなかった)
・挿入された節や語句を区切る(私はそんなことは、前にも言ったように、していない)
・主語を明確にするために打つ(私は、彼はそんなことはしていないと思う)
・修飾する語とされる語の関係を明確にするために打つ  ・読点と他の符号との連続はなるべく避ける
・会話の場合は「 」の外側に句点を打たない ・会話以外の場合で、「 」や( )などで文が
終わるときは句点を打つ
・「 」や( )などのなかに入る最後の文については句点を打たない
・「――」や「……」で終わる文には句点を打つ  ・箇条書きには句点を打たない
 ー以上だが、本を読み込み、自分の文章を書き続れば自然と身につくものだが、上記は、ほぼ実行。
(会話の場合は、どうだったか?) 上記の句読点の打ち方を見る限り「妖精のようなもの」には疑問だが。
チャンとしたルールがあり、別に神秘的ではないし、神のシモベには思えない。文の息使いは、それぞれある
から、上記のことを守っていれば、あまり意識をすることはない。 文章の(、)と(。)は、書くほうも
読むほうも、相互の呼吸あわせになる。だから校正で一番、気を使うことになる。と同時に、書きなれて
ない人は、この方が最も難しくなる。
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2833, 年始のTV 討論で印象的だった世界経済の論評
 2009年01月06日(火)
 年末年始のワイドショーで経済学者等の金融危機に対する論評を可能な限り聞いた。
 一年以上かけて十数冊の関連の本や新聞の解説や論評を読んでいたこともあり、
 目新しい内容は少なかったが、それでも、「おや!」と思う部分を紹介してみる。
・岡崎元大使がアメリカで驚いたという次の内容が面白い。 「アメリカで感じたのが、日本で感じるほど
アメリカ全体として暗くない。一部の勝ち組と称す連中がサブプライム入り債権を買って大損をしていてのを、
大多数が傍目でみて喜んでいる雰囲気がある」という。日本のバブルがハジケて北海道拓銀が倒産したときに、
札幌に講演に行った将棋の米長邦雄がタクシーの運転手から意外な話を聞いたという。「北海道の道民は、
本当は心の底で喜んでいるんですよ。あいつ等、特権意識を持って威張り散らしていたのが、あの様でしょう。
確かに辛いけど、あいつ等の姿を見るのが嬉しいのが道民の実際の感情です」。 この直後に彼の講演で
聞いたので、社会とは、こういうものかと驚いた。それと同じことがアメリカの多数の感情とみれば理解できる。 
ビッグスリーの首脳がジェット機で議会に乗りつけ政府に資金援助を要請するなどは、国民感情を逆撫でる
ことを彼等は気づいていなかったのである。アメリカではサブプライムローンを払えなくとも物件を手放せば、
それ以上の追求を逃れることが出来る。借りている被害者は、日本の立場とは全く違う。 元々ほとんど資産
がない連中である。本当の被害者は、その毒入り債権を買ってしまった中産階級以上の国民と銀行である。
それが恵まれた連中と金融機関とくれば、マイナーの大多数?の心中は拍手喝采が人間の心情である。これは
マスコミには載らないニュースである。少しは日本にも、その感情があるのだろう。 
 数ヶ月前までは、日本はバングラデシュ並みのマイナーの国として金融立国とかで謳歌していた
 連中に蔑視されていた。しかし、これで全てが日本以下になる。但し5年後は、その下に陥るのは間違いないが。
アメリカ国家の借金は国民一人当たり1600万、総額4600兆円という。ちなみに日本は莫大と言われても
一人640万円で、800兆円。これでは国家経済は破綻状態である。アメリカ国民3億人のうち、飢餓?
状態の200万円以下の人たちが12%にあたる3700万人もいる。1929年の世界恐慌が収まった 原因
はニューデール政策といわれいるが、実は第二次世界大戦で、一度世界のマイナスが清算されたためという。
1929年の時のアメリカの失業者は労働人口の25%であった。
 それより、今回の恐慌は遥かに大きいというから、最低でも十数年は大混乱が続くとみてよい。
・日本はバブル崩壊後に「輸出立国」のモデルをつくりあげ、何とか経済を維持してきた。
 それが根こそぎ破壊されたのだから、日本はアメリカと同じように破綻の道を歩む運命?
  ーーー
 毎日毎日、恐慌のニュースである。 マスコミは自制しても、ネットで事実が一瞬に流れる。
 そうすると、その差を国民の方が見てしまう。そこまでネット社会がいっているのを、役人も政治家、もっと
言えば、マスコミボケをしているマスコミの連中がネットの凄みに 気づいていないと思いざるを得ない。
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2008年01月06日(日)
2468, サブプライムとは何か -2   (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
サブプライム問題とは何か』春山昇華著    宝島社
サプライム問題はアメリカの覇権主義の正体そのもの!である。その実態は、日本がこの十数年の間に犠牲に
なったムーディーなどの「格付け機関」という怪しげな格付けというマジックを使った債権詐欺?だった。
まだ、あの格付け機関を日本の一部マスコミでも信じているようだが。このマジックで、日本の企業はアメリ
に買いたたかれたのである。日本企業を買い叩くために「格付け機関」を作ったともいわれている。去年の末
からサブプライム問題が問題になり、週刊誌や月刊誌に大きく取上げられた際に随想日記にも取上げた。先日、
知人からこの本を借りて読んだところ、より深く問題を掘り下げていた。TVで解説しているほど、実態は甘く
ないようだ。ここで、そもそもサブプライムとはどんなローンなのか、その融資を受ける「信用力の低い個人」
とはどんな人たちか、彼らにローンを組ませるためにどんな金融業者が暗躍したかが生々しく書かれている。
その露払いが、さきほどの「格付け機関」である。 屑のような債権を、格付けAやトリプルAを付けて世界中
にばら撒いた。プエルトリコや、黒人などの所得が低かったり、過去に住宅ローンの返済が滞ったことがある
という理由で、一般の住宅ローン(プライムローン)を借りることができない人向けの融資を金融機関は積極的
に債権化をしたのである。一般のローンより金利が高いが、初2年間だけは返済額が小さく抑えるなどの特徴が
あり、低所得者に広がっていった。この背景は住宅価格つまり担保価値が上昇し続けることが前提になっている。
しかし信用不安などで値下がりが始ると雪崩をうって崩壊を始ったのである。この中では、住宅価格上昇の
絶頂期だった2005年ごろに登場した忍者をもじった「ニンジャローン」を取上げている。ここまで来ると
芸術的犯罪に近くなる。NINJAとはノー・インカム、ノー・ジョブ・アンド・アセットの略で、所得がなく
仕事も資産もなくても借りられるというものだ。このローンの背景には住宅価格が上昇すれば、担保余力が
生まれるため、自動車ローンや消費ローンなども組みやすくなる。ローンを借りたい人たちにとって、
これほど良いチャンスはない!まず家を持ち、自動車や家電製品を買いまくっていた。
債権の買い手さえが、自分がどこまで被害にあっているか解からないところが、問題の深刻さを現している。 
この実態を知れば知るほど深刻である。もともと、アメリカが国家単位でしていることを、民間レベルに切り
替わっただけと言えるところが皮肉である。これをキッカケにアメリカ国債やドルに対しても不信感が重なる。
その意味で、今年はこの問題は大きな波乱要素になることは必定である。   ヾ(●゜ⅴ゜)ノ バイ!               
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2007年01月06日(土)
2104, 勘違い!
  オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
先日のモーニングショーで、TVで勝ち組?の六本木ヒルのマンションに入居の社長と、月十万円を稼ぐのに
必死の三万円のアパートに入っている漫画本講談師との、二人の年末の日常を、同じ時間軸を対比しながら
映し出していた。共通点は20歳代後半と、フリーター出身である。私の目からみれば月十万円の漫画講談師
のほうが遥かに良い一日を過ごしている。それが画面にはっきりと映し出されている。地に足をしっかりつけて
一日を過ごしているのはどちらか歴然としている。しかしディレクターの素材の問題だろうか、それとも実際は、
私の指摘した隠れ真実を?ディレクターは言いたかったのだろうか。モダン主義と、ポストモダン主義の問題
そのものである。誰もが認めるような大きな成功物語を良しとするか、それとも、自分がしたいことを傍の目
をものともせず生きる物語を良しとするか。コミックなのは、成金の方が一時代前の価値観で生きていることだ。
だから漫画講談師と対比させたのだろうか?いや違うだろう。何が六本木ヒルか笑ってしまう。あれが何だって
いうのだろう。気の毒な連中の収容所でしかないと思うのも私だけだろうか。満足感の問題だから敢えていう
こともないが、ただ単純に、こちらは良い、あちらは悪い、と決め付けることに問題がある。たまに泊まる分
にはよいが何じゃありゃ!でしかない。これは私の立場。 村上某とか、ライブドアの某とかいうパンダが、
証明したではないか。自宅から歩いて数分の所の土手の彼方此方に鴨がいて、セキレイが飛び交っている。
どっちが素晴らしいというのだろうか。そんなこと決まっているじゃないか、というのは年齢のためか。
下の息子も一昨日鉄骨ジャングルに帰っていった。嬉しそうなところが、痛々しいが・・
彼の方は、小さな世界に安住している地方の両親!と位にしか、見えないから、それは年齢と適正の違い
もあるが話が逸れたが、漫画本講談師の男、毎日がスリルとサスペンスだろうが、決して楽しそうでない
のが気になったが・・・
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2006年01月06日(金)
1739, 人生の自己採点
   ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ
 私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。
その中でも特に顔色を変える質問がある「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」 
思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。 おそらく、その後かなり悩むのではない
だろうか。 それも次の言葉を加えるから厳しい。「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘で
よいから感覚的な数字をあげてみて」と、一瞬の間を置く。大体、70点以上の人は直ぐに答えるが、
それ以下の数字を頭に描いた人は黙る。    (字数制限のためカット 2011年1月6日)
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2005年01月06日(木)
 1374, キュープラ・ロスー2
ロスに関して、もう少し詳しく書いてみる。
ターミナルケア(終末期医療)のテーマにおいて最も愛され、尊敬される第一人者の存在である。
若き日の勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに彼女は愕然とした。〈彼らは避けられ、
粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった〉 彼女は他の同僚達とは違い、いつも末期の患者と
供にいて、彼らの心の声を聴いていた。そして彼女は「自らの経験を語る瀕死の患者についての講義」
を始めた。1969年の最初の本「死ぬ瞬間」はキュブラー・ロス博士を世界的に有名にした。
   (字数制限のためカット 2012年1月6日)
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2004年01月06日(火)
 1007, 激突!エコノミスト-今年の景気予測
(以下、字数制限のためカット 2010年1月6日)
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2003年01月06日(月)
633、「不幸論」ー中島義道
 図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い。
幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて不幸論を書いている。
しかしあくまでも幸福論の批判であって、不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。
 不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること 2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること 4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと 
 特に1~3までの実現に4が生じてしまう。
 幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。最近の幸福論としてヒルティやアランである。
ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう集約するとこんなものだろう。
私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという達成主義である。
それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成の
プロセスが=幸福という単純なものだ。しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるか
と考えると、その前に粟粒でしかない。この不幸論の一番気にいったところを抜粋した。
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
 彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
(字数制限のためカット 2012年1月6日)
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2002年01月06日(日)
 292,システム・エンジェニアーSE
  (字数制限のためカット 2011年1月6日)
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ある時間の断片
 1月6日 1969年
10時起床。 食後、11時から16時までジャスコに出す論文の下書きを完成。
それにしても集中力が足りない。構想力や文章力のなさに自分でも情けない。絶対量の本を読んで
なかったツケがこういうカタチになって出ている。独りになる時間が少なかったのだろう。その為に、
独りになると逆に縮んでしまうのだ。焦りと、動揺がここにきて出てきた。リラックスをして自分を
もっとしっかり見つめないとダメだ。このように家に休暇で長く居れるのも、これが最後。
こうしてみると、やはり学生時代は人生で一番良い時だったのだ。