つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

今日のYoutube

 さて、もう木曜日。一週間の経過するのの早いこと。
充実をしているとはいえ、簡潔な日程だからである。
シネマ館で、TVで、映画をみても、直に、その世界に同化できるし、
本を読んでも、対象の世界に抵抗なく入りこめる。幸せなことである。
 


・・・・・・
・・・・・・

4662, 米国社会の貧困問題
2013年12月21日(土)
先週、何気なくBS/NHKをみると{アメリカ冬の時代~転落する中産階級~前編}
の再放送をしていた。二日続けての再放送だったが、深刻な内容。 この春、
NHKで「シリーズ 貧困拡大社会―奪われたアメリカン・ドリーム―」を
放送していたが、この続編的な内容。遅かれ早かれ、日本にも生じてくる問題。 
いや、既に部分的に起きているが、生活保護が手厚いので大部分が救われている。 
しかし地方経済の惨状は厳しい。一つ間違えば、ドン底の事態が口を開けて
待っている。 ー内容といえばー (NHKのブログより)
《(前編)ー金融危機の余波を受け、かつての中産階級が貧困にあえいでいる。
 オレゴン州ポートランドで、負のスパイラルに陥っている人々をひと冬に
わたって見つめるドキュメンタリー。生活に行き詰った家庭を支援するNPO
団体「211」のホットラインには、毎日、せっぱ詰まった電話がかかる。
 その多くが、金融危機前、念願のマイホームを手に入れてアメリカン・
ドリームを実現しつつあった人々だ。
・3人の子どもを育てながら失業したある夫婦。家のローンに追われる中、
 ついに電気代が払えなくなり、寒い冬を暖房なしで暮らしている。
 なんとか仕事を見つけようと奔走するが・・・。
・銀行の保証制度を利用して住宅ローンの負担を減らそうとしたベン夫妻。
 審査の結果「まだ支払えるレベル」と却下された。しかし、本当に支払う
 余裕がなくなったときには、手遅れだとして立ち退きを言い渡された。
 こうした家庭を支援するべき公共的なセーフティネットは、どこも
 財政難で弱体化し、機能を果たせなくなっている。これがアメリカで
 進行する貧困の実態の一部。  
  (後編)オレゴン州ポートランドで、負のスパイラルに陥っている
      人々をひと冬にわたって見つめるドキュメンタリー。
・住宅ローンの支払いに追われ、電気を止められてしまったある夫妻。なんとか
 パートタイムの仕事を見つけたが、新しい職場で人種差別に遭い、解雇される。
・最近夫を亡くしたジャネットは、11歳の息子とシェルターに身を寄せるが、
 生活のあまりの変化に息子は情緒不安定になった。
・5人の子どもたちを抱え、電気も水道も止められたマイクの一家。親切な隣人の
 ガレージから電源を使わせてもらっているが、子どもたちは勉強に集中できない。
 こうした子どもたちがドロップアウトし、貧困が次世代に連鎖する事態が深刻に
 なっている。生活支援のNPOのホットラインに電話をかけてきた家族を定点観測し、
 普通に暮らしてきた人たちを初めて襲う貧困の実態を描く》
▼ TPPは、太平洋沿岸地区の各国が、アメリカンスタンダードの基準に
従い垣根を低くしましょう!ということ。確かに競争力は弱肉強食の方が強く
なるが、それは近未来に一強多弱社会になり、中産階級が崩壊し、貧困層になる
ことを意味する。が、今さら鎖国は無理。 アメリカは、全人口の16%にあたる
5千万人の貧困者が存在し、その予備軍が同数あり、人口の三分の一が、貧困と
貧困予備軍に入っている。ちなみに自宅を除く資産が1億円(百万ドラー)を
超える数は2009年には780万人(2・7%)に、資産4億円を超える人の数は17%
増加の98万人、存在する。米国民全体でトップ1%の収入(年収約3200万円以上)
の家庭収入は全体で6.8%アップ。このトップ1%の人たちがアメリカ全体の
23.5%の富を所有。日本も、残念ながら貧困国に陥っていくことになるが、
この国の体質では当然である。 今さらアベノミクスじゃないだろう! 
  ーで、去年の以下の文章に続くー  
偶然だったが・・ 成るほど、頭と尻尾から腐るというが。
・・・・・・
4297, 知らなかったミスと、知ってて犯すミス
2012年12月21日(金)
「知らないで悪いことをしてしまうのは、知っていて悪いことをするよりも、
 良くないことだ!」
ふと目につき頭に残っていた言葉で、考えるほど面白く深い問題である。
学生時代になるが、ある人物が近づいてきた。純粋でフレンドリーの都会人で、
地方出のアウトサイダー?の存在の珍しさに、新鮮な驚きを感じたようだ。
しかし直ぐにハッとし、その人を遠ざけた。気を許し何か変わったことを言うと、
純粋?のため新鮮なのだろう、彼ら都会仲間のネタにされているのに気づいた。 
他の友人の家庭内や、個人のプライバシーを、本人が居ない時に、聞いたまま、
悪気なく話をしているのを聞いた時に、これは付合う人物でないと確信した。
問題は悪気がないことである。今回取り上げた、「知らないで悪いことをして
しまうのは、知っていて悪いことをするよりも、良くないことだ!」と同じ。 
それを、そのまま書いていること自体、書かれた方からみたら同じ誤りを私が、
ここでしていることになる。人生を一歩ひいて振り返ると、この言葉の重みを
実感する。知らないため、あるいは逆上せ上り、甘い見通しで、多くの失敗を
してきた。それらの失敗原因を、数十年も経った現在でも気づくことが度々。 
以前、卸業をしている知人が「小売をやりたいが助言をして欲しい」と言ってきた。 
 「倒産した店の店長をしていた人物を採用しようか判断に迷っているが、
どういうものですか?」という。そこで、「その経験がプラスとマイナスの
場合がある。思い切り違う分野の人も面白が、素人は、やってはいけないことを
平気でどんどんする危険が大きい。その点で、その人物が持ち込んでくる経験を
上手く誘導できると思えば、採用すればよい」と答えたことがある。 
それにしても知らないことが、あまりに多い。それより、知らないことを
自覚できないで、失敗したミスが多かった。先日、取り上げた「しまった!」
に、その心理が書いてあった。若気の至りの失敗は、知らなかったミスだが、
若気の至りの失敗を多くしなかったことこそ、最大の失敗になる。
ミスは、実践する上で必ず付随するが、要は、ミスの要素を潰しておく
事前準備と、その対処になる。それにしても、震災型の経済変動が、
これほど激しいとは、知らなかった。いや、知りようがないこれは。言い訳か!


・・・・・・
3182, Twitter の意味すること! ー2
2009年12月21日(月)

 私の、この随想日記の一行が大よそ50文字である。ということは、140文字といえば三行になる。
そうすると、「要するに」「つまり」の要点か、本音のツブヤキしかない。だから、面白いのである。
新聞は、500~1000文字が、雑誌は、1000~2000文字が記事としての目安。
相手に大よその情報を伝える場合は、200文字という。それを三分の一の140文字にするのは大変である。
だから「思考の断片」か「自然にでた本音」を書くしかない。「つぶやきしろう」とかいうのもいた。
小泉元首相が一言コメントで、国民の心を捉えたこともあったが、今からすれば、国民にたいする
ツブヤキでしかなかった。
 ところで、著者はTwitterマーケティング活用の可能性について言及。
その目的を「情報発信・PR」「ユーザーサポート」「ブランディング」の3点と整理。その上で、ユーザー
から得られるものとして、「ダイレクトでリアルタイムな反応」「ユーザーがどこでつまづいてるのか」
といったサポート的な情報、「Twitter上でブームが起きる過程」が調べられるという3点を挙げている。
 またTwitterを「マーケティングには間違いなく使える」と断言。
取り組むべき最大のポイントとして、
・コストが安いことを挙げた。無料でアカウントを開設でき、担当者が1人いれば情報発信できる。
・さらにTwitterには「ゆるい雰囲気」があるので、企業もできる範囲で取り組む“ベストエフォート”
が許される環境にあるという。 Twitterには面白い発言がフォローを集め、クチコミで広がるためサービス。
「社内で面白く、トラブルに対応できる人間にTwitterをやらせる」ことで色いろなノウハウが得られる、
という。グーグル社が「ユーチューブ」を1500億円で買収されたが、現在の米ツイッター社は900憶円
の価値というから、如何に数秒で発信できる、この手軽なミニブログの凄みの大きさに驚かされる。
「今の六本木の映像が見たい」と入れれば、六本木のあらゆる場所から、携帯電話の生映像が見ることが
出来るのも一年以内に可能ということになる。 まあ、面白い時代である。

・・・・・・・・
2817, ケインズの「相場は『美人投票』論」」
2008年12月21日(日)

 ケインズは以下のように、相場と『美人投票』の類似性と、相違から、相場の本質を述べている。
「玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を
選び出すことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に賞品が与えられるという
趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。このようなコンテストでは、それぞれの参加者は自分が
 いちばん美しいと思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心を最も捉えそうだと思われる顔を選ばなければ
ならない。全員が問題を同じ観点から見ているのである。」と 述べている。結果としてどうなるかというと、
他の者は誰を選ぶか、という観点から予想される者が選ばれることになる。この点に関し、岩井克人東大教授は、
「その結果選ばれる『美人』とは、皆が美人として扱うから皆が美人として扱うという『自己循環論法』の産物
にすぎない」という。 解りやすい例えである。ソローの論は、この辺もヒントになったのか?。
自由経済資本主義のフリードマン的な考え方には、 再び戻ることはないとしても、時間と共に再び規制が
緩和され、同じような大規模な金融危機が発生する可能性もある。 それはさておいて、投資と、投機は違う
もの、投機は美人投票論に近いだろう。『儲かると信じて買い、結果として損をして売る』パターンが一般人の
結果としてなる。上がり切ったところで、逆張りをして反対の流れをつくって暴落させる、これもあるから、
素人が儲かるわけがない。「賭場の八百長ツボふり」と、同じである。 それもNTTの株売却時のように、
国家単位で仕掛けてくる。このケインズ美人投票理論を応用したものが、GooglePageRankだと言う。
よく考えるものだ。検索エンジンが、勝手に独自の評価項目を作り上げて選んだページではなく、Webページ
同士のリンクという投票行動を、ページのランキングスコアとして採用したのである。 これによって、
検索が原始時代から抜け出すことができるようになった上に、広告効果が飛躍的に伸びたのである。持って
いるお金さえ、国家間では相場で決まることから考えても、金を持つこと自体が投機行為である。
その貨幣が現在、一番不安定ときているから・・・・

  ・・・・・・・・・
 2007年12月21日(金)
2452, 居場所を見つけたときに人間は変わる -1
                  (。´_`)ノおはぁ。
人生の中で、しっかりした家庭で育った人は結局紆余曲折があっても元に戻るものだ。人間には何が
あっても、あなたを受け入れてくれる家庭を必要とする。そこが本人にとっての居場所なのであろう。
以下の短い文章の中に、家庭、夫婦、人間に必要なことは何かを考えさせられた。強い父、優しい母、
そして喧嘩する兄弟が必要である。親、教育者、上司として、考えさせられる示唆が多く含まれている。
そういえば、ヘレンケラーの恩師のサリバン先生の指導に似ている。
そうこう考えると、人間には最低の教養と、暖かい家庭が必要ということだ。
ーーーーーーー  「存在の大地」高史明・芹沢俊介上田紀行
 芹沢:
いまの話にも関わってくるような象徴的な話を聞いたことがあります。それは、一人の青年の話なのですが、
物を盗んで仕方がない二十歳ぐらいの青年がいて、月に何回となく物を盗むのです。それで何回となく捕まる。
ところが警察はちょっとした盗みぐらいでは刑務所へ送らない。裁判にまで持っていくことはないのです。 
彼も「もう二度とやりません」と言っては、また盗みをやる。それでまた捕まるということを繰り返して
いた青年がいました。この青年に対して、ある施設で、二つの対応策が出てきたのです。
・一つは、警察や裁判所をうまく使って、彼を一度きつい場面へ追い込もうと。
強い規律と訓練と指導とがあるような場所を通過させて、その後に自分たちが引き受けようという
方策を提案した人がいました。ところがもう一人、その案に対して「ノー」と言った人がいるのです。
そして結局、その施設では後の人の案を採用して、青年に対応することになりました。
・彼と対応したのは一人の女性だったのですが、その人が彼にどういう接し方をしていったかと言うと、
とにかく特別扱いをするということをしたのです。その青年は、いまの言葉で言えば非常にキレやすい人
なので、キレたときには、すぐ一対一になってとことん彼の言い分を聞くということがひとつ。
もうひとつ、その青年は人に殴りかかったりすることはないけれども、大声を出したり、
物を投げたり蹴飛ばしたりして人を威嚇することがあるのです。その場合は、とことんやりあう。
つまり、彼が大声を出せば、それに負けないぐらいの大声でどなり返す。相手が物を蹴飛ばせば、
自分も蹴っ飛ばす。要するに、喧嘩の相手をきちっとやる。その二つを徹底するのです。
・そして最後にもうひとつ、これがとてもすごいことなのですけれども、
「あなたのことが好きだ」ということを彼に伝えるのですね。「あなたのことが好きなので、
あなたがどんなことをしても、私はあなたのそばを離れない」というのです。
そういう対応をしながら、その女性は彼の過去を探っていくのです。
そうすると青年が母さんに捨てられたことがわかってくる。生まれてすぐに捨てられ、乳児院に預けられる。
乳児院から養護施設を経て成長していくのですが、記録を見て驚いた。乳児院と養護施設で代わるがわる
彼に関わった10人の職員の中で、誰として彼の長所を挙げた人がいない。欠点ばかり書かれたデータが
残っているだけなのです。あらためて彼女は、彼を特別扱いして一対一で対応することと、喧嘩を
きちっと一緒にやるということ。そして「あなたのことが大好きで、どんなことがあったって離れない」
ということを伝えるという三つの対応を続けることを心に決めた。さてその結果どうなったかと言うと、
警察に逮捕される回数が激減していくのです。毎月のように何度も捕まっていたのが、
去年は年間を通して四回、今年は10月までに1回といったように、次第に減ってきた。
ーーー
以上だが、夫婦関係にも似ている。どんなに喧嘩をしても、何があっても別れない。
相手を必要としている、というメッセージを出し続けることである。 相性の悪いのは、仕方がないが、
しかし少なくとも対話の訓練、いや、相手の話を聞く訓練はしておくべきである。でも、相性もあるか?
後記)たまたま、このテーマを取上げたら、去年の同日、家族について取上げていた。 不思議なことだ!           
            つづく  (。・∀・)ノ゛
・・・・・・・・・
2006年12月21日(木)
2088, 14歳からの哲学-1      才八∋ウ_〆(∀`●)   
   「14歳からの哲学」 池田晶子著 
                   - 読書日記   
「知ることより考えること」と、「人生のほんとう」と、「41歳からの哲学」と、
この「14歳からの哲学」の中から、その都度目についたテーマを考えてみる。
人間として、社会人として、家庭人として、色いろな問題を地頭で考えているから、
そして子供向きに書いてあるから、解りやすく、深いところが考えやすい。
 今回は、
    ー「家族」ーである。 
「家族」については、家庭崩壊が大問題になっている現在、その本質をつかまえておかなければなるまい。
家庭内離婚の含めたら半分は家庭崩壊というが、その中で一人一人が夫婦とは、親子とは何かをしっかりと
把握しておかないと両親の犠牲になったり、子供の犠牲になってしまうことになる。カナダでは親の責任は
高校卒業するまでという。卒業したら学費を夏休みと冬休みにアルバイトで稼ぎ出すのが常識になっている。 
観光地の若い従業員は殆どが大学生の学費稼ぎである。首相の子供でも、大金持ちの子供でも、もし親が
出しているということが知れると、一人立ちできない人間として軽蔑されるという。
どこかの国の、いい歳をしたフリーターとは「独立心・自立」という面で雲泥の差がある。
動物の母親の責任は子が外敵に襲われても個体で対処できる時点という。
その時点を過ぎると、親は子供を冷たく突き放す。これは殆どの動物に共通の親子関係であり、
例外は人間位のもの。 本来、人間も当てはめることが自然である。
    
ー著者の「家族」についての章の中の要点を抜粋してみる。なかなか面白い!
 ーーー
世の中にはたくさんの他人がいるが、その一番近い他人が、家族である。
その痛みや心が解らないという意味で、たしかに他人である。
君が君のもともとの君は、誰から生まれたものではない。もともと君自身なのだ。
両親は、あなたの両親ではないというなら、いったい誰なのだろう。彼らのほうから考えてみよう。
彼らにしたって、あなたが生まれたから君の親になったのであって、はじめから君の親としていたわけ
ではない。あなたが生まれなかったら、彼らはただの彼らであって初めから親という彼らではない。
この事実を、多くの場合忘れている。誰が生まれるかわからなかったのに君が生まれたという、
他人と他人のこの不思議な出会いの感動を忘れて、君のことを自分の子供だと思い込んでしまう。
親の役割は動物では、子供が独り立ちできるようになるまで、危険から守って育てることだ。
子供が独り立ちできるようになれば、それ以上手を出そうともしないどころか、逆に突き放そうとする。
それでは動物の親でない人間の親の役割があるとすれば、それこそが、他でもない、
人生の真実を教えることのはずだ。子供より先に生きている者として、何が危険で、何が大事か、人はどの
ように生きるべきかを教える役割がある。真実とは何かを考え、教えることができるのは人間だけなんだ。
両親が全知全能と思っていたかもしれないが、君が生まれることによって、初めて親になったんだ。
完全な親なんて、人間の中には存在しないのだ。完全な親であることができるのは、動物の親だけなんだ。
≪以下、字数制限のためカット、09年12月21日≫
・・・・・・・・
2005年12月21日(水)
1723, ベルグマンの法則
             オハョョヨヨ∃"ヽ( ゚∀゚)ノ"ョョヨヨ∃ゥ!!
 生物学上の法則に「ベルクマンの法則」がある。
 哺乳動物の分布と体の大きさの関係を表した法則で「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
 寒い地域に生活するもののほうが、体が大きくなる。」というもの。
 例えばクマでは (。'(ェ)'。)ノ♪北海道のヒグマと本州のツキノワグマではヒグマの方が体が大きい。
 ホッキョクグマ 体長3.5m 体重400~500kg
 ヒグマ 体長 2m 体重300kg     
 ツキノワグマ 1.5m 体重60~150kgと、極端に北にいくほど大きくなる。 その理由は、
 体重の大きなものは小さいものに比べて体表面積の割合が小さく、それだけ保温効果が大きいから。 
 もっっとわかりやすく言うと、大きな鍋と小さな鍋ではどっちがさめにくいか、考えてみるとよくわかる。
 他にも「アレンの法則 」というのもある。 キツネやアメリカのウサギ類の耳のように  m9(`ω゚)  
「より寒冷地に行くに従って体の突出部が小さくなる傾向がある」というもの。
 突出部が小さいと熱の放散量が多く、突出部が小さいと放散量が少ないためだ。
 さらに「グログラーの法則」というものもある。哺乳動物の分布と体の色との関わりを表した法則。
「近縁のものが南北に渡って分布するときは、北に生活するものがほど体色が薄く白っぽくなる傾向にある」
 というもの。人間もほ乳類だから、この原理は当てはまる。確かに北国の人は色が白い。中間のアジアは
 黄色で、南にいくほど黒くなる。 旅行してきて気がついたことは、カナダや北欧で黒人やインド人を
 ほとんど見かけない。 体質的に合わないのだろう。
    
 ・・・・・・・・・
 2004年12月21日(火)
1358, あなた、ここにお座りください
「あなた、ここにお座りください」夫に出て行けといわれた妻が、
「私の大切な物を一つ持って行きます」と風呂敷を広げた後にこう言ったそうです。 
 昨日の朝日新聞の一面広告の中の、思わず手帳にメモをしたくなる
「身近な人の名言・格言」と「手帳・日記・家計簿の商品企画」の大賞受賞作である。
他にも幾つかあった。
ー字数の関係でカット(2008・12月21日) 
         
・・・・・・・
2003年12月21日(日)
991, 離婚事情ー2
2日前に長岡の大手通りの市役所サービスセンターに印鑑証明をとりにいった時、
 隣りの市役所相談室という小さなコーナーに電話がかかってきた。老齢の相談員の話し声が聞こえてきた。
 「ハイハイ、・・・・・、ところで貴女の年齢は幾つなんですか? エッ74歳!その歳で離婚ですか。
 何をいっているのですか、いいを歳をして」その声を背にして帰ってきたが、何か切ない思いが残った。
 数軒先の近所の人が最近60歳を過ぎて二組離婚をしたとかいう。以前も離婚について書いたことがあった。
 家庭内離婚を含めて、5分5分とは恐ろしいことである。ということは、この文章を書かない方がよいのだが。
 一番に身近にいる他人が連れ添いである。それが一つ屋根に住んで、舅姑などの圧縮された人間関係の中で
 二人の権力闘争が絡んでくるから一層難しい問題になる。その人の全て圧縮されたのが夫婦問題といってよい。
 一つ間違えばお互いの人生の破滅も待っている。以前、取引をしていたメーカーの社長は玄人向きの女好きだが、
 その結果として奥さんに「?病」をうつしてしまった。離婚はしなかったが、酷いものだ。この人の過去を
 みていると、一番世話になった人の裏切りの積み重ねであった。勤めていた会社の取引先や同僚を奪っていた。
 「自分とは何かを考えるということは、他人とは何かを考えることである」その一番身近な他人が連添いになる。
 浮気や、可処分所得の分配、互いの身内との人間関係などで、自分と他人の関係の接点でトラブルが生じてくる。
 ある仲睦ましい老夫婦にその秘訣を聞いたところ「我慢、我慢、我慢・・ただ我慢!」と答えたというジョーク
 のような話しがある。子供の頃両親の喧嘩も何回か見てきた。親の喧嘩は一番子供の心を傷をつけるものである。
 子供の神経症は、殆ど両親の不仲からきている。以前、遠い親戚の老齢にの離婚のことを書いたことがある。
 やはり、その子どもは神経症で病院通いをしていた。スナックのママさんを見ていると、結婚は大事に
 しなくてはならないものだと実感する。しかし「合わないのは合わない!」のはよーく解るが!
 当たり外れは5分というのも神様は酷な課題を与えたものだ! 本当!
 以前書いた文章です。
 ーーーーー
533, 離婚事情
2002年09月28日(土)
ー字数の関係でカット(2007・12月21日)
・・・・・・・
2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
アルゼンチンタンゴがすばらしい!昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため
船員同士が女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。それが波止場近くの娼婦の
売り込みの踊りと変化していった。そして、その踊りが西欧の人達に認められていった。従って内容はエロチック
で情念丸出しのものであった。ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが2時間以上にわたって
繰り広げられた。全く期待をしていかなかったのが良かったのか、初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしい
ショーであった。
お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。この旅を締めくくるに最高のイベントでもあった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。心に多くのものを残してくれた。

・・・・・・・
2001年12月21日(金)
276、べきことを、べき時に、べくすべき
  ーべきことを、べき時に、べくすべき
 昔からこの言葉が好きだった。「時節到来」ということか。その時その時の何かの時節がある。
 それを見つけ、積極的に挑むということだ。 昨日書いた「後回し」の諌めでもある。
 学生時代は勉強を、働く時期には働き、引退すべき時は引退をという事だ。
 これがこのまま出来ないのが人生だ。あるいは社会だ、それだから面白いのだ。
 その時のすべきことが見えなくなってしまうからだ。その意味で家族、親の果たすべき役割は大きい。
 結局それを刷り込むのが親の教育だからだ。親として耳が痛いが。その世界に埋没してしまうと、べきこと
 が見えなくなってしまうケースが多い。常に変化に対し、チャレンジと闘いをしつづけていく姿勢が必要だ。
 その時々、基本としてウオームハートとクールヘッドが必要だ。いつもウオームヘッドとクールハートに
 なっているからだ。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月21日  ー1968年
 昨日に続き、今日も空白になっていました。 明日からは続いています。
(おそらく卒論の最後のまとめで、書いている余裕が無かったと思います)