つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

今日のYoutube

昨日は、『オリエント急行殺人事件』をみる。 評価は85点。
内容は、これまで見てきたのと変わりはないが、撮影技術の
進歩のためか、迫力が違って飽きない。 空撮で空から列車と、
景色を鳥観する場面などがシバシバ出てくる。

内容:
≪ トルコ発フランス行きの豪華寝台列車オリエント急行で、アメリカ人富豪の
エドワード・ラチェット(ジョニー・デップ)が刺殺体で発見される。偶然列車に乗り合わせて
いた探偵のエルキュール・ポアロケネス・ブラナー)が、鉄道会社に頼まれ密室殺人事件の解明
に挑む。乗客のゲアハルト・ハードマン教授(ウィレム・デフォー)やドラゴミロフ公爵夫人
ジュディ・デンチ)、宣教師のピラール・エストラバドス(ペネロペ・クルス)、キャロライン・
ハバード(ミシェル・ファイファー)らに聞き取りを行うポアロだったが……。
これまで幾度も映像化されてきたアガサ・クリスティの傑作ミステリーを映画化。
ヨーロッパ各地を巡る豪華列車を舞台に、世界的な名探偵エルキュール・ポアロが客室で起きた
刺殺事件の解明に挑む。『ヘンリー五世』『世にも憂鬱なハムレットたち』などのケネス・
ブラナーが監督と主演を兼任。さらにジョニー・デップミシェル・ファイファーデイジー
リドリー、ジュディ・デンチペネロペ・クルスら豪華キャストが集結する。



・・・・・・
・・・・・・

3910, ファイナル・クラッシュ ー2
2011年12月09日(金)
           「ファイナル・クラッシュ!」石角完爾著
 常日頃いっている、リーマンショックを史上稀なる大地震とすると、
ファイナル・クラッシュは「大津波の本体」の言葉の違いでしかないと言えば、
それまでのこと。 何とか今年におそってくる筈だった大津波を先送りをして、
体力の弱い中国・インドに世界中の資源会社を買収させたり、ゴールドの蓄積
をさせて、来る恐慌に対して準備期間を与えている。それを声高々に述べている。 
具体的にシンガポールとかオーストラリアに、泥舟日本からの脱出を勧めている
という面では、読むべき価値は十分にある。恐慌の恐ろしさを99%以上の人は
実際に分かってないし、オボロゲに分かっても手の打ちようがないのが現実。
一億以上の資産があったら、手順を踏んだ方がよいという。これから10年で
日本は豊かな国から貧しい国になる。
 ーこの本には原書のネタ本がある。それを知った経緯の部分を書き出しすー
  * 原書のファイナル・クラッシュとの出会い
 ファンド、とくにヘッジファンドが行っているデリバティブ金融派生商品
CDS(信用リスクを移転する取引)の売買は、基本的に相対取引であり、なお
かつ口頭か、紙ベースで行われている。コンピューター時代の今も、一般人が
アクセスで計るパソコンのスクリーンには一切出てこないのだ。誰がどういう
動きをしているかは、そういう閉ざされた情報交換の中に入らない限り、
わからないしくみになっている。日本の金融関係者でそうした場に参加できる
者はほとんどいない。この秘密の会合の一つを組織しているクラブの本部が
ロンドンにある。私はその会員となった後、クラブの主催者から「カンジ、
これはすごい本だから、ぜひ読んだほうがいい」と勧められ、一冊の本を
プレゼントされた。 それが「TheFinalCrash」だった。主催者自身、一冊
しか持っていないという貴重な本。主催者は女性であった! その本を入手
できたのは、著者もまたこのクラブの会員で、自著をクラブ主催者に直接
プレゼントしたからだった。主催者の勧めに従って一読し、私はその内容に
驚愕した。「これは本物だ。大変なものだ」そう感じた私は著者に直接話を
聞きたくなり、本をくれた主催者に「会わせてもらえないか」と頼んだ。
そして彼女は、イギリスとフランスの間にあるタックスヘイブン、ガーンジー
島に住み、そこからほとんど出てこないという著者に連絡をとってくれた。
ガーンジー島は、ロンドンから空路で一時間ほどの距離にある。
対岸のスウェーデンに住む私と互いの予定を合わせ、クラブの本部がある
ロンドンで三人で会うことになった。二〇〇九年のことである。本で紹介
されている簡単な経歴によれば、著者はイギリスの全寮制の名門パブリック
スクールの一つ、ラグビー・スクールを出ている。ここは、数学者で
不思議の国のアリス』著者・ルイス・キャロルや、五九代イギリス首相
のネヴイル・チェンバレンなどが輩出した有名校である。
  ー 目次 ー  
 第1章 借金が市場を炎上させる    第4章 日本経済の行方
 第2章 世界経済ブラックアウト    第5章 自分の資産をどう守るのか 
 第3章 迫り来るメルトダウン     第6章 クラッシュ後の世界


・・・・・・
3545, 「そう思う」と「本当に、そうである」とは違う
2010年12月09日(木)
 これまでの人生で、「そう思う」を、「本当に、そうである」と勝手に思い込んで失敗した
ことは数知れず。これは、人間の判断を大きく間違えさせてしまう。 行動するの「行」には判断
という意味が含まれている。判断し、動くのが行動である。その判断の基がいい加減になっている
ことに人は気つかないで、大体が「そう思った」で、 「そう動いてしまった」ことになる。
 ー池田晶子は、そのことを以下のように述べている。
【 「本当に、そうである」とは、如何いうことか? というと、間違っていたとしても、それが
 正しいと思えば、「本当に正しい」と思うようになる。だからといって、それが正しいということ
にはならない。正しいことは正しいし、誤りは誤りである。 では、正しいとは何か?というと、
考えつくし誰もが認めることが正しいということになる。「そう思う」から「本当に、そうである」
にいきつくには、「考える」ことによって、はじめて可能になる。誰にとっても正しい定規、たった
一つの正しい定規である。・・・ 】
 振り返ってみて、考えて生きてきたつもりだったが、まだ考えが足りなかったと、この歳になって
シミジミと思う。10年前から真剣に哲学書を読むようになってから、その思いは深まる一方。考えて
考えてきたつもりだったが、振り返ってみれば、まだまだ考えが足りなかったことに気づく。
良書との出あいが少なすぎたということか。 「そう思う」を一度、「そう思っている、このことは
本当に正しいのか」と一度、考えて、「そう考える」まで、練ってから判断をしないと、大きく間違う
ことになる。事業計画がそうである。「本当に、そうである」と信じて実施したことが、時代の激変で、
「そんな激変するとは」に様変わりしてしまう。 それより、日常の情報も同じである。
「そう思わせる情報操作」で、簡単に「本当に、そうである」に一般大衆は洗脳されている。情報化
社会で、情報が溢れている現在、それぞれが考える能力を養っておかないと、気の毒な大衆に陥る。
 ・・・・・・・・
3170,つれづれに ー閑話小題 
2009年12月09日(水)
* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。
取引先からの発注の取消しのイザコザで殺害したものだが、業界不況が背景にある。
このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。
本人は納品したといっていたが、集金はまだということになっていたという。
何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、
それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に
支配されているのではなく、ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような
線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの
物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、マンダラの中に翠点を発見した。 
分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、一点に交わるところ
(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
もちろん、それを株式や、為替の相場は織り込んでいる。 その最後の予算が、これ。
株は半年先を読んで動くというから、来年春から夏にかけて株式と国債の大暴落があることになる。
デフレスパイラルの行着く先は、ハイパーインフレである。その時にデノミが行われる可能性がある。
来年も大波が襲ってくる。 二番底である。 本格的な世界恐慌のウネリが貨幣価値の下落という
カタチで現れてきた時が、恐慌と表現される。 事態は深刻である。
・・・・・・・・・
2805, オバマという人物
2008年12月09日(火)
 オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 
しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、史上初の大統領にまでなった人物。
しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを産経新聞の「世界を斬るーオバマ
アメリカ」の岡本行夫佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、
何者でもない。よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。
国民の能動性を引き出すのもうまい。勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に
感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。
アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、アメリカのために行動する人が
アメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
   (字数制限のためカット 2010年12月9日)
・・・・・・・・・
2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?
              ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は~♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、
還暦を過ぎた為と思っていた。 しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!
中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。
世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。
考えるということは、驚き、感動し、根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。
元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
(P・228)     -中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。
この言葉は、先に挙げた(第2章第3節)プルーストの言葉「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれが
もっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところにあるのではないだろうか」に比べると、
やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、「思索しなおす」とか「解釈しなおす」
とか言っているのでないことがミソです。次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと
思いたち、大森荘蔵先生のお宅に伺ったとき「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のような
ことを聞いたことがあります。その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察した
ような哲学の問い「時間」「因果律」「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して
「よく見れば」足元にころがっているものです。私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、
じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは~」とか瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道。
哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。
とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが
詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からもいろいろヒントを受けることができます。
さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、こうした言葉を使うとき前提されている底を
打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。つまり、哲学はすべてのことを
徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか
「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といったレベル
の議論に照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と
思っているわけではなく、殺人犯をえらいとは思いませんが、ありとあらゆる論調が殺人を当然のごとく
非難する現状を見ますと、そこに思考の停止を認めて揺さぶりをかけたくなるのです。
 ーー
世界の見方が変わってくると、過去の自分が恥ずかしくなる。 「おい、お前、何を考えていたんだ!」
「あの時の、あの人は、こういう考えではなかった」とか、違う視点で己を振り返ることになり、
ある意味では辛いことになる。 それだけ自分が拡がったと言い換えることもできる。
情報の溢れかえる時代に、逆に独りジックリと考える時間こそ求められる。 w(′┏▽┓`●)w
・・・・・・・・・
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察
       オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』
をさす。それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。
「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。経験は、過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。
経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」と
いっている。経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」。人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 
忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過れば何とかで、経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性。 
汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!こそ経験を無駄にしないことになる。汝自身を知れとは!
とは、この意味で考えると腑におち、納得できる。消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、
ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 
他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に織り込むことが可能になる。これが「合理的・
合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、他人の経験則の吸収と、自らの
経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口。 
失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 
しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 
砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など
今さら考えても仕方ないが。意味は価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、
裏づけが無いから、記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!         (。^0^。)ノサイナラ!
・・・・・・・・・
2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   
 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 (。・ω・。)】ゝモシモーシ (*´o)8 ohisasi
  あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題である。
 ・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
 ・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。その時の電話で、現代新書から
 「道路の経済学 」を出版したところ、半年たらずで3万部も売れたので是非読んでほしいという。       
 そこで、先日ネットで発注して読んだが、道路に対して全くの素人の私も理解できる内容であった。
 彼が不動産鑑定士をしているという話は10数年前のゼミOB会で会ったときに聞いていた。
 現在、不動産鑑定士だけでなく、明冶大學や母校の大学院で講師をしているという。 【dou ro】
 私がまとめた概略を記してみる。その前に、この本をネットで調べた内容をコピーしておきます。
                           マ ~~匸Pヽ(・ω・`) coffe ーデモ…
著者: 松下文洋  現代新書
ー私の概略と感想を書いてみるー
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~
・・・・・・・・
2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記-5
実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。
何か焦りと焦燥感がつきまとっていた。黒い影に常に追われている気持ちであった。20代は毎日が変化の激しい
息詰まるような日々であったようだ。もっとも誰もがそうだろうが。それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時はそれでもよいのだろう。
パンドラの箱を開けて、覗き込んでいるような気持ちである。
4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。それを乗りこえなくてはなるまい。それに
しても、週に一回同期と飲む酒の上手さも格別だ。二軒の店を開拓した。我われに丁度良い居酒屋があるものだ。
自分の考えが、あまりに理屈っぽいということは解る。 一日一日を毅然としているしかないが。
「転ぶのはそれでよい、立ち上がる事が、立ち上がるその姿勢が、良いのだ。」転ぶのを恐れてはいないのか。
4月26日(土曜日)
現在、会社の一端を知ってきて、不安と不満と安堵感が入り混じった状態である。8割が女性社会ということは、
はっきりいって知らなかった。働いている女性の生き生きした姿を身近で見るのも初めて。それにしても、
いろいろな人がいるものだ。 自分はハッタリだけでないかと自己嫌悪に陥る。
  ーーー
字数の関係でカット(2008年12月9日)
・・・・・・・・・
2003年12月09日(火)
979, 結婚30年
 一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
(字数制限のためカット 09年12月09日)
・・・・・・・・
2002年12月09日(月)
 ある時間の断片-19
10月12日 1968年
8時起床。 11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行っていたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていた
ため会えず。夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。小学生の頃のメルボルン
大会をラジオでやっと聞こえたのに。12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。
・・・・・・・・・
2001年12月09日(日)
 264,税務調査ー2
野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察の場合大部分が内部告発だ。
全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、
脱税が行われているからだ。「ことを大きくすると全てばらすぞ!」それがあるから、足元を見て不正をする。
国の政治家があれだけ悪い事をし、官僚もたかり放題。やりたくなるのも解るが、それをいちゃーおしまいである。
それにしても今まで、税務調査に入らないのもおかしい?野村監督も知らないではすまないはずだが、ここが日本の
甘い体質がそのまま出ている。うちの会社の税務調査の一年後の去年に、至近のホテルに税務調査が入った。
そして一億数千万を追徴されたという。税務署も当社の数字を参考に、調べあげたと予想される。敵もさるものである。
旧約聖書に税のちょう収人が、かなり身分の低い人としてイヤシメられて書いてあるが、嫌われる仕事だ。
中国に旅行した時、定年退職したばかりの税務署所員が4人できていた。中国の金で一万円相当を貸してやったが、
帰国した新潟空港で円が下がってると9500円を返した返した。こうなると卑しいと卑下したくなる。
いや、その職業でなく人間性か!
・・・・・
12月9日 1968年
  9時半起床。11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、軽井沢で知り合った、
  小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。やはり方向に迷っているみたいであった。
  その後、正子さんの希望で京成電鉄で「成田」へ行って、お札を納めてくる。17時にニューオータニに着く。
  姉がチェックインをした後、18時に川崎達と会うため赤坂見附へいく。18時20分に彼等と落ち合う。
  車が四人乗りで、横浜は無理である。以前石川と行ったレストランで食事をする。その後、ゴーゴーバーへ行く。
  赤坂見附の近くの「ムゲン」という店である。このような店で踊ったのは初めてである。 姉とその友人とも踊る。
  サイケ調でその世界に引きずり込まれてしまった。 その後、「アシベ」というクラブで飲む。
  遠藤周作がいた。 22時半に姉達を送っていく。