つれづれに

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 昨日オープンのチェーンの焼肉店
17時までランチありということで、夕飯を兼ねて家内と
16時に行ってきた。 割引券を使って2千円少し。 
肉はそれなりだが、2ヶ月に1度なら悪くない。そこで、
「あと、この辺りで無いのが牛丼専門店だけ」と、話していたが、
今朝の新聞チラシで、近くに<吉野家>が、今日オープンとあった。




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3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2
2009年09月29日(火)

  =著者は日本国家を一家に譬えている。 ~その部分から
・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。
 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。
・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。この結果、この家族は純資産が
 243兆円もあり、世界最大の金持ちである。
・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので(法人税が減少)
 仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。旦那から貰った金を預金をしたり、
 国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。要は家の中でキャッチボールをしているだけ。
・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か? 「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」というが、
 家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。
  ~以上だが、
「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」
 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化可能な資産を全て売り払い、
 金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。
 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。しかし、国家の場合は、世界の国が財政が
 破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。
 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。
 世界は、大不況のため、日本の金融機関が溢れかえっている。その国債中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、
 痛くもかゆくも無い。増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン
 すなわち継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるからである。その点、自国政府の国債残高を
 槍玉に上げる日本のマスコミは、本当に稀有な存在である。 なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは?
 オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。
  *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない
  *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
  *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
  * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち
  *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。
  *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない
  *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。
何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。
しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」
                                   ーつづく
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2734, 米国金融恐慌の深層 -2
2008年09月29日(月)

前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。
 まずは、続きの部分から
 ーーー
 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは
 吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。
 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、どう理解すべきか。
 それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。
 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。
 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。
 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に及んだのが、
 今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。
 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。
 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。
  * 処方箋、どれも不完全*
 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。
 金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。
 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。
 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。
 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」
 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。
 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。
 ーーー
 評)以上だが、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている世界システム
 アメリカ自身が自ら叩き壊してしまった。そして、その大混乱が、この9月15日をもって本格的に始ったのである。
 誰が一番困るか、日本と中国である。 10年、20年スパンで考えると、当のアメリカは均衡縮小するだけで困りはしない。
 ただ同然で刷った札の価値が下がっただけでしかない。 結果として、それを持たされた日本が丸裸同然になるのである。
 日本が汗水流して得た経常黒字を、アメリカ国債を買わせて、ドルを回収してしまう循環をつくり
 強奪する「新・帝国循環」というシステム。 それがサブプライム問題で爆発してしまったという論が、的を得ている。
 ドルという絶対的基軸通貨が、ユーロ、元など幾つかに分かれて行くしかない。
 我われは、それでもマネーを媒介とするしかないのである。アメリ帝国主義の崩壊の後は、欧州、
 アジア、そしてアメリカ、 という多極に分かれた通貨制度になるしかないのである。 

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2007年09月29日(土)
2370, 喫茶店の話

先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種
そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。あったとしても、実体は定食屋だったり、年中休みなしで働くか、
趣味として採算度外視と割り切ったものだったりするのが実情である。チェーン店のそれは、中食ージャンクション食として、
コーヒーにスナックを軽く食べるのを目的としたものである。値段の高い、家では飲むことの出来ないコーヒーを
飲ませる外資系のチェーン店もある。ただし、個人店としては成り立ちにくく、年々店は減っている状態である。
古町のスナックのチー・ママを長年した後に、喫茶店をしていると聞き、今は東京に帰った友人が新潟に来たおりに
一緒に店に行ったことがある。しかし、その苛酷さに全エネルギーをとられ、ダウン寸前であった。
とにかく運営していく難しさは思いの他だという。(その後は、どうなったかは不明だが)
また、二十年来の取引先の営業の担当が55歳を機にコーヒー専門店を開いたと聞いて、新潟市の郊外の店に何度か
訪ねて行ったが、やはり苦戦をしていた。副支配人が飲食業の出身で、カフェレストランに何年か務めていたこともあり、
コーヒーには厳しい目を持っているが、「所詮は素人の域からは出てない!」との厳しい評価。(当社もホテルの開業から
十数年間、喫茶・レストラン店を開いていたが、もちろん赤字であり、体裁で開いていたのが実情である)
「素人が表面的に喫茶店でもと開店して順調にいくのは奇跡に近い」というのが、商売の未経験者には理解できないのである。
事業の立ち上げと、その軌道に乗せるのに大小は関係ない。「血の小便」とは良くいったもので、そのプロセスで死ぬ思いをする。
その経験をしたところで、上手くいくのは奇跡に近いのが実情である。
新潟駅前で何店か気に入った店を通ったが、何年か上手くいくと舞い上がり、阿波踊りを始めるか、
天狗になって手がつけられない状態になり、お客にソッポを向かれてしまうのが殆どの結末。至近の店などで、
そういう多くの事例を見てきた。 喫茶店は、水商売の原型である。

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2006年09月29日(金)
2005, 世界は精神病院!人間みな既知外!
            おはよ~!(*^ワ^*)i

筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。
 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイ差別用語なら「既知外」といえばよい。
 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。
 一番さわりの部分を抜粋してみるー
・・ただ僕の場合、すべての人がちょっとおかしい、そしておかしいところがその人の個性と見ていますから。
(字数の関係でカット09年09月29日)
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2005年09月29日(木)
1640, 個性について

 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、
 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。
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ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります?
ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと
 通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、現実化しているか
 によって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深い
 ところから汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。
 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。
ー今西 個性が浅いということですね。
ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」を
 より広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。
 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、
 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。
 別社会が何も外にある別社会だけじゃないですね。 自分の中にある別社会でもある。
 それは山に行くことで、日常から離れられて、非日常の次元で直感がさえる、はたらくということでしょう。
 ーーー
20年前に、中曽根内閣が臨時教育審議会で、従来の「自由化」に代わり、「個性化」を打ち出した。
それまでの画一的な詰め込み教育・偏差教育からのゆり戻しであった。個性を育てれば、受験勉強一辺倒の価値観が変わり、
登校拒否や校内暴力がなくなり、国際的にみても変形の日本人的な歪みがなくなるはずだった。
(字数の関係でカット008年09月29日)
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2004年09月29日(水)
1275, 書いてなかった旅行記ー3
ーハワイー

ハワイが意外とよいのだ。何が今さらという感があるが。あまりにもハワイ・ハワイといっているので、
そこの良さをあまり誰も言わない。オアフ島のホノルルのワイキキだけが、イメージが強すぎる。
観光化されていて、ツマラナイという感じが先に立ってしまっている。行くまでは、私もそう思っていた。
しかしオアフ島でも、ワイキキから少し離れた浜辺とか、車で回るだけでも思わない自然の宝庫が多くある。
ワイ島も素晴らしい処が幾らでもある。 火山灰が砂になり、黒い浜辺になっている。
波が荒く、サーファーが波乗りをしているのがロケーションにピッタシなのだ。
ジックリと時間をかけて行くだけの、充分の価値がある。高い九州や北海道より、数倍価値がある?ハワイの方が
安いのは皮肉といえば皮肉である。日本のリゾート地の真の競合相手は外国ということを、彼等は知らない。
今から25年も前の話になるが、初めてハワイに行った時のことを書いてみる。
実家の会社で、社員旅行にハワイに行こうということになり、社員の半分近くの総員27名で行くことになった。
これだけの人員を集めれば、一チームを軽く作ることができる。どこに行ってもバス一台貸切である。その時の添乗員が、
後の三条、燕の両方の支店長になった轡田さんであった。彼とは今でも付き合いがある。これで面白くないわけが無い、
6日間の祭り騒ぎの旅行になった。これだけハワイが楽しく面白いところとは想像もしていなかった。
私も若かったし(当時32歳)、若い人(平均年齢22歳)の中での雰囲気がまた良かった。
ビュ-ポイントも、夜のショーも、ワイキキの浜辺も、洗練をされている。そこにいるだけで癒された。何処にいっても、
お客を遊ばせる仕掛けが作ってあるのだ。今のラスベガスがそうだというが、全てがショーアップされていた。
世界のリゾート地なのだ。 学生時代の最後は、ここに来るべきであった。

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2003年09月29日(月)
908, 医師?それとも技師?

 お医者様の話をしてみよう。
そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。
少なくとも、この位のシビア視点を持ってないと、今回の患者のようにモルモットにされて殺されてしまう。
こんなことは元々、日常茶飯事とみなくては、この事件の異常性が理解できない。あのエイズ血友病の放置と根は同じだ。
 ーー
・慈恵医大の医者が、今回とんでもない事件で逮捕された。
これに近いことが日常茶飯事に行われていることは医者仲間では当たり前?だ。
一部真っ当?な医師以外は、?9?いや、せめて?0?がこういう連中とみて、過言ではない世界である(少しいい過ぎだが?)。
こういうのが医師としてまかり通っている。 
      (字数の関係でカット008年09月29日)
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534,「少し早めな遺言」
2002年09月29日(日)

50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。
数年前から書こうと思っていたが、ほとんど書いてなかった。殆んどというと、少しは書いていたのかというと、
会社の机の中の封筒に子供二人と家内に、5年前に数行書き始めてそのままのものがある。
照れくさくって書けないのが実情である。図書館で借りた「少し早めの遺言」という本が面白い。
作家やタレントなどの有名人が面白可笑しく書いている。 実際のところ、こういうタイトルで書けといっても、
ある程度フザケテしか書けないだろうが。でも半数はけっこう真剣に書いている。
ーフザケテ?書いてみると,私の場合こうなるだろう!!
 実感で書いてみる。
・財産は家内半分、息子二人はその半分づつ。
 ー事業は続いていれば価値があるが、そうでなくては価値はない。まあ大した事はないから、
その点は気にしないでいてよい。 大学を出した時点で、親の責務は終わっているので当てはしない事。
・辞世は「恵まれて 面白可笑し 悔いはなし あとは野となれ花になれ」
 「有難う、面白かった悔いはなし 情報社会の 激変の中」
  ーこれ今即興で・・・
・今度生まれてきたら、また同じ両親の元に生まれ、同じ家内?と一緒になりたい 
 ー同じ条件で生まれる事はないから大丈夫だが!
 ー参考のために、家内は嫌だと20年前に宣言された!
・子供たちには怖い父親であったが、あなた方も優しい父親でなく怖い父親になってください。
 ただ困っていたら、その時出来る範囲で優しく助けてやってください。
・ー子供たちにー父親訓として
 真面目な路線の上を、面白おかしく生きてください。性悪説の路線の上を、性善説で生きてください。
 人生二度なし、燃焼した人生を送るように。クールヘッド、ウオームハートで。人と違う人生をプラスに前向きに生きること。
・ー家内にはー
 死ぬときは必ず傍にいるから安心していてください。お蔭様で明るく楽しい人生でした。
 -何事も深刻にならず、鳥の羽毛のように軽く生きる事ができました。
・ー家訓として残しておく言葉はー
 他人との金銭の貸し借りはしない事
 請け判ー特に保証人には絶対にならない事
 小銭を大事にする事ーそうしないと大金が使えない。
 生き金は使え、死に金は使わない
 贅沢は敵、質素に、簡素に生きる
 法事や墓参りは必ずする事ー坊主の布施は最小にーこれは私の意見
 近所の人とは親しくしない事ー但し挨拶だけはしっかりと
 商工会議所や町内会や青年会議所には要注意???!!!
  -業種によるが、同種の情報媒体は避ける事!
 -下記の参加は避ける事ー
 ロータークラブ、ライオンズ、商工会議所ー青年部とかの? 読書などの教養だけは身につける事
 書いていて面白くなってきた。この随想日記そのものが遺言そのものだ!
 更にー
・姉兄には  お世話になりました。
 皆様の分まで生きたようにも思います。 何か真剣に書いてしまった。

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[165] 創業の思い出-20年になるが  
 2001/09/29

 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、
現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。ーどうであれ社長は社長だー名前は!-私もか。あいた口が閉じなかった。
何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。
曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、値段を表示するのは可笑しい」
私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。その皆さんがこうして団体で来るのは
どいう訳ですか」 自分たちは疾しい事をしている負い目が、彼らにあった。おどおどしていた。そこだけはしっかり見ていた。
次の日に垂れ幕を下ろした、そんなことどうでもよかった。一人の強さとはこういうものか、反面闘いのない世界とは
こういうものかと。こんな程度か!地方は面白い!小手先の世界だと。馬鹿にされたのも、気きずいて?なかったみたいだ。
この連中のビジネスホテル協会とか。価格協定談合組合ということらしい。
いまでも残骸として残っているという。長野はその5年後実質解散したという。
5歳の頃、両親から全く同じ話を聞いていた。あの連中のあの感覚を!
20年前のその時期に、新?ビル管理?の馬鹿専務が、気の遠くなるような漫談を言っていた。
内容は可哀想で言えない。それぞれの視点がある。とりあえず楽だった。繊維の世界との差がありすぎた。