つれづれに

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 今朝がたからの大雨、峠をこえたようだ。
  降るべき時には、降ればよい。 
 

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3386, 911・考えない・日本人  ー4
2010年07月03日(土)
 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の
中に、どれほどの偶然が含まれているかを見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、
その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
911 に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取
り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークの
すぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、
 直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者はいなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が
多く入居していて、たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。
たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたま
テキサスの別荘(ブッシュ家のたまたまご近所)にいたビン・ラディンの一家は、他の
すべての民間航空機がアメリカ上空の飛行を禁じられているにもかかわらず、
たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊
することはありえないのに、たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、
同様の崩壊現象を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの著書
には、これらの「たまたま」が羅列されている。 
・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
▼ これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変だが、
 マスコミは、それを取上げようとしない。そういえば真珠湾の攻撃の時も、
明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、
その情報でメリットを上げた投資銀行である。株も為替も、その情報を知った
上での買いが入っていたのは、周知の事実である。


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3011,アンカリング効果
2009年07月03日(金)

「世界は感情で動く」 ー6         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
   
 *アンカリング効果
 船が錨(アンカー)を降ろすと船と錨を結ぶ鎖の範囲し動ごけなくなることからくる
比喩で、最初に印象にの残った数字や言葉に影響されることを言う。店頭で、1万円に
赤線を引いて7千円を見ると、お買い得と思ってしまうことをいう。 「本日限り」
「女性半額」「先着10人限り」等の、色いろなアンカーが待っている。我われは、
知らないうちに自分でアンカーを降ろしている。いま一度、それを点検してみる必要がある。
 アンカリング効果は、偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味の一種である。
・物事の交渉、売買の判断をする際に、初期判断条件として始めに印象に残った数字(値段)
や物(品質・量)が、 その後の判断全体にまで影響を及ぼす心理の傾向を指す。
・アンカーとは、不確実な事象を予測する時に特定の特徴や情報の断片をあまりに重視する
ことを指し、最終的な決断、結論までアンカーを過度に注目、意識してしまい決定される
事象のことをいう
  ーアンカリング効果として、面白い事例があげられる。
「紙を半分に折り、また半分に折り、この動作を100回くりかえす。そうしたら紙の厚さ
はどれほどになりますか?」 大多数の人は1メートルくらいと答え、一番大きな数字をあげる
人でも、厚さ数十メートルである。しかし正解は、地球から太陽までの距離(約1億5千万km)
の800兆倍なのだ。そんなに!と驚くかもしれないけど、計算したらその通りなのだ。
「紙は薄っぺらいもの」という固定概念という脳のトラップに見事に嵌っているのである。
 
初めてついた仕事しか出来ないと思い込んでしまう人が多い。これもアンカリングになるのだろうが、
人は、その仕事に錨を下ろして鎖の範囲を決めて、他のことは絶対に出来ないと決めてしまう。
私の見る限り9割?の人が、そうである。 考えてみれば、自分で勝手に思い込んでいるだけのこと。
転職や転業は、例えると、ある箇所に穴を掘っていて、一度そこから出て他に似た穴を掘るのと同じ。
それは経験を重ねると解ること。一見違うようだが扱う対象が違うだけのこと。
それが理解できないのである。 そして多くの人は、その穴から一生出ることが出来ない。 
 人生は誰も同じだが。 カミサンもアンカリングか。 これは梃子でも動かない。 ったく!
 
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2647, アメリカ狂乱 ー2
2008年07月03日(木)

この本の次期大統領の行方以外のテーマ、アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく
説明している。成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。
ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。すでに述べたように
これまでの不況にくらべると、いまのアメリカには資金があふれている。アメリカの経済
専門家はこう言っている。「アメリカには資金がいまや有り余るほどある。企業もふんだん
にお金を持っている。うまくいっていないのは金融システムだ」この説明はきわめて意味深長である。
これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入ればすべて使ってしまう。
消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。
だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々がアメリカに資金を持ち込み、
アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。
  歴史的にみてもこの事実は明らかだ。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによってドル安を実施した。
 実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビアなど中東のオイル
 マネーをアメリカに取り込み、アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、世界中の資金を集めて
 アメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によってグローバル化した世界の金融界
 から資金を集め、アメリカ経済の好況を維持した。 この強いドルと住宅バブルを続けるために
 アメリカ政府が必要としたのが、サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済
 用語として確立しているかどうか分からないし、この問題について経済専門家が明確に説明をして
 いるわけでもない。 だが政治的に見れば、このサブブライム債券は、ブッシュ政権にとって
 世界中から資金集めるのに役立った。「アメリカが偽札で世界をだました」と私が言うのは、
 このことである。 その証拠にポールソン財務長官はじめアメリカの財政金融当局に大勢の人間
 を出しているゴールドマン・サックスは、MBSをいち早く売り払って難を免れている。
かってアメリカは三つ子の赤字と呼ばれる財政赤字貿易赤字、所得収支の赤字を抱え込んだとき、
せっせとドルを印刷をして世界の人たちに渡した。 受け取った人たちは紙切れになるのではと、
心配になったが、アメリカ経済が拡大したためにそうした事態にはならなかった。
しかし、アメリカがドルを集めるために使ったサブプライム債権が紙切れ同然になった。
次の大統領はブッシュの「偽札事件」の後始末をしなくてはならない。
 ーーー
ブッシュは、最悪の大統領として歴史に残るはずだ。「アメリカ狂乱」は言いえて妙の言葉。

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2007年07月03日(火)
2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪

新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。
(ただし値段は、ネット上の価格の2?3倍する!)その中にフレーム付きのハンモックが
あったが、2万円近くする。 そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
コンパクトのものは一畳のスペースがあれば何処にでも設置できる。
フレームの形が舟型をしていて、その中にハンモックを吊るすようになっている。
土曜日に注文したものが送ってきたが、値段は送料込みで5300円。
さっそく居間のベランダをサッシでガラスを囲ったスペース(幅1.5×7m)に設置した。
そこで寝てみたが、これが非常に良い。一枚の網にスッポリ包まれ浮遊した感じが、
それだけで別世界に移動した感覚になる。 大人の揺り篭といったらよいだろう。
この夏、暑さで寝れない時、かなり頻繁に使うことになりそうだ。
ハンモックは一度、旅先で使ったことがあった。ベネゼイラのエンゼルフォールへの
キャンプ地に、エンジン付きの10人乗りのカヌーでキャンプをした時である。大きな広い屋根
の下に、数十のハンモックが吊ってあった。初めは怪訝に思ったが、まあ郷に入ったら郷に
入れと寝てみた。ところが、これが寝心地が非常に良いのである。 寝返りの必要がないのである。
少し腰を動かすだけで寝返りをしたと同じ効果がある。疲れていたこともあったが、熟睡をした。
一緒に行った家内と次男も、熟睡できたと言う。それ以来のハンモックだが、別世界に移動した
ような気分がよい。サルは木の上で寝ていたので、ハンモックは原始に帰るようでいいのだろう。
それと宙に浮いている気分が、瞑想をしているようである。
買う前から分かっていたことだが、もう少し良いものにしておけば良かった! 
 でも、よい! ますます「お宅」か!         バイ☆(^∀^)ノ~~
 
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2006年07月03日(月)
1917, スペイン画家・堀越千秋ー8 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
 「スペイン七千夜一夜」?読書日記 ービバ、ジョ!(俺様万歳!)

「ビバ・ジョー!」という言葉が、スペイン人を表す言葉なら、「世間様に対して、恥かしい!」
という言葉が日本人を表わすといってよいだろう。 東洋の島国の湿気の多い農耕民族として割り
切ってみると、その特質も理解できる。狩猟民族や、ジプシーなど放浪の民族では、世間様など
気にしては生きていけない。(仲間内があるか?)最近、国内でも「オイラが大将!」という
言葉が流行ったことがあったが。  まずは、「スペイン七千夜一夜」の一節を、ご覧あれ!
  ーー 
誰でも、スペイン人をつかまえて問うがよい。 「あなたは、ふだん誰も口にしないこのひとこと
『ビバ・ジョー』をどう思いますか?」「もちろん」と彼は答えるだろう。「それこそ最も私の
いいたいことです」と。それは「私は神を信じますか?」にハイと答えるスペイン人より、
多いに決まっている。スペイン人は、初めからまっすぐなつもりで線を引く。それは道理や物理に
かなった直線である。しかし現実社会の間違った悪い事件が心を痛めたり道理を歪めたりする。
すると、この正しい直線に外的な力が加わり、多少のズレが生じる。
しかし、彼はそれに気づかず、また気づいたとしても、それは彼のせいではない。
外部の悪いもののせいである。外部の悪いもののせいであるから、彼はひたすら彼の直線を引き続ける。
彼はまとこに正しいのである。しかし、悲しいかな、地球の直線は宇宙から見るとまさしく、らせん、
なのである。ロマネスクの教会などで見られる、素朴な力強い直線的な表現が、やがて渦を巻き、天高き
らせんになって、ついには「悪趣味」「過剰」の代名詞ともなってゆくところの、かのバロック
これこそ、このねじれゆく姿こそ、スペイン人のこころの奥深く潜むエッセンスなのではあるまいか。
あれはれた砂漠のようなスペインの大地に根をおろし、老獪にねじくれて、節くれだって、乾いた
木肌をらせんに巻きつつ天に伸びて繁る、かのオリーブの樹。そのオリーブの樹のように渦巻く精神が、
他に植物の湿り、陰とてないスペインの荒れ地で、どうして同様に人の心に育たないわけがないだろうか。
彼らスペイン人においては、直線は、やがてかならず捩れ、ネジくれて、渦となり、らせんとなって
天へと吸い上げられるように天に昇るのである。 (エル・グレコの絵を見よ)。 スペイン人は、
家族を愛し、故郷を愛し、故国を愛す。自己愛にもとづく、それへの依存度は非常に多きい。
これは、「ビバ・○○(地名)!」の言葉に表れている。
哲学者も指摘する、スペイン人の究極のひとことが、「ビバ・ジョー!」である。 
 ーーー
 「俺様、万歳!」   ヾ(>ω<○)【。゚+.万歳。゚+.】(●>ω<)ノ゙
 これこそ、これからの時代のキーワードになるのか? それとも、500年前にピークを向かえて、
時代から取り残された国の姿なのか? 歳をとると、そういえば俺様万歳!になっていくのでは?
先が短くなると、見えなかったことが見えてくるか?
 思い切って、アウトサイダーになるか?それとも、仮面を被ってインサイダーに徹するか?
 どうでもよいか? 「貴様」どうする?  ε(´',_c')зβyё ☆βyёε('c_,'`)з゛

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2005年07月03日(日)
1552, アウトサイダー

高校の同級会で「お前はアウトサイダーだ!」と言われた事がきっかけで、
コリン・ウイルソンの「カリスマへの道」の中の『アウトサイダー』の章を読みかえしてみた。
これから見ると、私は「アウトサイダー」に確かに重なる部分がある。
しかし全くのアウトサイダーとは違うようだ。自分の人生を大切にしようとするなら、
アウトサイダーの要素を持っていないと自己放棄の人生になりかねない。
彼は「アウトサイダー」の特徴を、サルトルカミュヘミングウェイ、ヘッセ、ニーチェ
ドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、グルジェフ、T・E・ヒューム、
バーナード・ショー、等々の中から引用して共通項を上げて、以下のように描写している。
ー「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、
現実の社会における人々の尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、
不合理なものに艶だしを塗って、何とか文明的、合理的なものに見せかけようとする
欺瞞の試みにしか見えない。 そしてこう述べる。
「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、 これと言って伝えるべき感情もない。 
わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」
 アウトサイダーとは、
・世人や文明規範の価値を受け入れることができず、
・それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、
・それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を欲している者なのである。 
  等々である。
誰でもこの要素を持っている。早くいえば孤高に似ている態度でもある。
孤高は自己を無意味とは思わないところが違う。諸子百家の中では、荘子にも重なる部分がある。鳥瞰、
虫瞰、モグラ瞰という視点の鳥瞰にも重なる。また敗者が社会からはじき出された時の心情にも似ている。
この辺は何度も経験しているからよく解るが。「アウトサイダー」といえば、その逆の言葉「インサイダー」
が思い浮ぶ。株の取引で、内側情報を知りえたものが、その立場を利用して株で儲けることを
インサイダー取引』という。内側でこそ知りえる視点情報がある。 反面、外側からこそ見える視点
情報もある。「アウトサイダー」の視点も、「インサイダー」の視点も人間には必要である。
「和して同ぜず」というが、「同じて和せず」になるのが人間である。小さな世界で生きる知恵と
しての両者の立場が各々ある。

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2004年07月03日(土)
1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6
  ー遺跡編ー

37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが初めてである。
2000年前の動物の臭い?がいまだに残っていたのは驚いた。それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒された
のが今でも記憶に生々しい。十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。 近くの
ベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、2000年前の当時の生活がそのまま完全保存されていた。
ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活がそのまま埋もれており、当時の様子が分かる。鉛の水道管が
施されて水道があったのは驚異だ。 猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが忍ばれる。
歩道もあり、横断歩道もある風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。街の中心の水飲み場で、街の人がそこに
手をついて飲んだところが、回数を重ねたためか、すべすべした当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。
遺跡の虜になったきっかけは、8年前にいったエジプトの遺跡である。
 (あとで、その時の文章をコピーしておきます)
とにかく、そのスケールの大きさに圧倒された。シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。 
今後2000年?5000年先は気の遠くなるほどの彼方と思うが、過ぎ去ってしまえば昨日のように感じるのも妙。
シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。かつて隊商都市として栄華を極め、ローマを向こう
にまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、圧倒的な存在感を漂わせている。 
記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、2000年前にいたような気持ちになった。
神秘的という面では、インカの遺跡である。その中で、やはりマチュピチの遺跡は圧巻であった。
霊界の世界というのが、正にいいあてている。日本と違い石文化は、数千年経ってもそのまま残るから、
当時の痕跡を多く残してくれる。時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。
 ーーーーー
 ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅 ー  ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。まず最初に訪ねたのが
カルナック神殿であった。“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に! 周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、
目を丸くして驚いているのだ。歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
 壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝って
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。そらに天を指すオペリスクと
ラムセス?世などの王や神の像の数々、「今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?」と考えてしまったほどだ。
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
 (字数の関係でカット 09年7月3日)
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2003年07月03日(木)
 820,ある時間の断片ー27
・10月28日 1968年
 午前10時に起床。 深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。
 13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。 その後、江ノ島に行く。
 第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。江ノ島の夕日を浴びた富士山が絶景であった。
 自然のこれだけの夕景は初めての経験である。右手に真っ赤な夕陽と左手に江ノ島
 秋の海岸が何ともいえない。一生の思い出といってよいだろう。 夜3時間、勉強をする。
・10月29日 1968年
 10時起床、洗濯をした後食事だ。12時から13時半まで勉強、その後高橋君の部屋に行き
 コーヒーを飲む。部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。 聴いているうちにうたた寝
 してしまう、一時間半も経っていた。その後、瓜生君の部屋に行き話をする。その後夕食をして、
 21時から本を読む。 深井がまた新橋の自宅から20分位遊びに来る。

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2002年07月03日 スイス旅行中
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2001年07月03日(火)
 [72] 3D-ホームページ延期
三D?ホームページソフト7月2日の予定が富士総業の都合で7月23日に延期。
打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、延期になりました。
ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、大化けの可能性もある為、
徹底的な練り上げが必要のようです。