つれづれに

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  今日のYoutube

観光バスに対向車が空中から吹っ飛んでくる映像が
圧倒的迫力があった。よくぞ、観光バスに死者が
出なかったのが不思議である。




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3730, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー   ~?
2011年06月12日(日)
          『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
  * 人生を自由に生きるためには?       
【「なぜカエルがジャンプするのか」ではなく、「どうすればこの小さな
 生きものをジャンプさせられるか」である。もちろん、カエルには栄養分が
与えられなければならない。次に、カエルは自由にさせられなければならない。
群集の前に立った時、あるいは上司の部屋に座った時、私たちはカエルになり、
すでに見てきたように、あまりの恐怖心からジャンプすることなど到底できず、
ただ小さく気弱な声で泣言を発することしかできない。カエルを自由にさせる
というのは、私たちが人生を生きることのたとえである。
ほとんどの人にとって、自由になることは怖い。 私は人生のある時期、過去
という不健全な場所にしがみついていた。自分を解き放すことができなかったのだ。 
計り知れない深淵に落ちてしまうのではないかという恐怖をどうすることもできず、
そうしていたら身の破滅につながることが分かってはいても、過去にしがみつく
しかなかった。 この恐ろしい時期のある晩、たった一本の枝につかまって
崖っぷちからぶら下がっている夢を見た。私は何百Mも下の谷底を見下ろした。
そこで、自分が絶対に助からないことを悟った。手は疲れ果てて、ついに滑り
出した。結局は手を離さざるを得なかったが。だが、落ちながら、突然自由に
なったのを感じた。リラックスをしながら落ちていくのを楽しむこともできれば、
落ちていながら叫ぶこともできた。落ちながら、何とも言えない高揚した気分、
完全な自由な気分を味わった。 私たちカエルは崖から飛び降りよう、
経験を信頼をして旅を楽しもう、と私は提案をしているのだ。  
やってみなさい。 手を離しなさい。 ジャンプをしなさい。 】
▼ 海鳥の雛が、最初に断崖から海に向かって飛び出す時の映像を何度か
 見たことがある。本能に従い健気に恐怖に打ち勝ち飛びたつ。人間は、恐怖の
イメージがあるから、なかなかジャンプが出来ない。実際、今回の3つの震災で、
会社が倒産してしまった。どちらにせよ年齢からして、このままの状態は維持
出来ないなら早めに清算した方がよいことは、数字が雄弁に物語っていた。
決断をしてみると、自らの手から離れ、一人歩きをしていく。これもジャンプか。 
「べき時に、べく事を、べきすべき」だった。私の場合、これに似た絶対言明が
ある。「正中心一点無」である。問題の中心を直感で見つけ、気持ちを集中する。
「恐怖の目をにらめつける」も良い。イスラム圏に行くと、目玉の飾りの魔除が
ある。玄関で目の力で、厄を守る飾りである。動物は視線に非常に敏感である。
考えてみれば視線恐怖症は誰にも少しはある。日本は、それが世間の目になる。
恐怖は、ジャンプのエネルギーそのものになる。にらみ返すことが出来ればだが!


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3363, すでに世界は恐慌に突入した ー4
2010年06月10日(木)

  * ロボット・トレーダーとは!
「怪しげな超高速取引のロボット・トレーダーの優劣の戦いが始っている」と、
この本で紹介している。現在、ゴールドマン・サックスや大手ヘッジファンドは、
膨大の資金を投じて超高速超高速コンピユーターを導入し、取引に使っており、今や
ニューヨーク証券取引所における、この高速取引のシェアは七割に達しようかという勢い。
その中で問題とされているのは、フラッシュ・オーダーという取引執行形態である。
 このフラッシュ・オーダーとは一般投資家の注文状況を、一〇〇分の三秒ほど早く
見ることができる。一方、超高速コンピューターは○.○○〇四秒で、注文を処理する
ことができます。一〇〇〇分の一秒の間に何百という注文が執行できる。 これで、
どういうことが起こるかというと、一足先に一〇〇分の三秒早く一般投資家の売買動向
がわかるので、その状況を的確に判断して儲けにつなげるというわけである。 たとえば、
A社の株価は現在四九四円とすると、この株価の売りと買いの注文状況が出たとする。
この場合、成り行きで一万株買ってくれという注文であれば、通常なら四九四円で買う
ことができる。場にある四九四円の売りものを拾う形となるからです。ところが、ここに
フラッシュオーダーの機械がセットされていれば、一〇〇分の三秒早くこの成り行き注文
を感知することができる。 すると一足先回りして、この四九四円の売りものを買い付け、
その後○・○○〇四秒の速さ、一万分の四秒のスピードで、四九五円に売り注文を出す
ことができるのです。こればこの取引でこの一万円を儲けることができます。
一方、成り行きで買いに行った普通の投資家は四九四円で買えるはずだったA社の株式を
円高い四九五円で買ってしまったわけで、一瞬速く四九四円の売りものをフラッシ・
オーダーの取引で拾われてしまう。これは、あくまでわかりやすい形を説明したもの。
 ー
 以上のことは、法的に今のところ押さえ込むことが不可能という。ロボットに、
それを憶えこませて小口に分けたりして、法令を違反しない範囲で取引をしてしまう。
ということは、ほんの一部の超大手以外は、戦いにならなくなっている。
さや抜きロボットで膨大な利潤をあげているが、司法が介入できないプログラムが
入ったロボット・トレーダーの出現である。
 
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2988、「平均」顔は美しい
2009年06月10日(水)
 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   読書日記
 * 面白い実験 ー「平均」顔は美しいー
 世の中には面白い実験をする研究があるものだ。目・鼻・口・額などの部分を、
それぞれ平均して合成した顔が、その中の誰よりも美しい顔になったという。 
考えさせられる結果である。国民の裁判制度が始った現在、特に考えさせられること?。 
アメリカで長年にわたって取り入れられてきた裁判員制度だから、裁判長の1人の判断
より公平かつ、信頼度の結果があるからだ。それと平均顔の方が美しいと同じと考える
のも何だが、裁判員制度も悪くはないような気がする。秋葉原のワシントン・ホテルで
若い女性の幽霊の顔が浮かんでいるのを見たことがあるが、これを読んでいて、あれは
数千人、いや数万人の平均顔に思えてきた。ノッペラした何の特徴もない顔だった。
 ー まず、その部分を書き写してみる ー  P-185
 テキサス大学の心理学者ラングロイスとログマンは一九九〇年、「平均的な」男女の
顔は、その「平均的な」顔をつくるのに使った個々の人びとの顔の誰よりも美しいと
判断される、という結論に達した。二人はこの実験のために、336人の男子学生と214人
の女子学生の顔写真を集めることからはじめた。その後、男女それぞれのグループから
無作為に96枚を選び、そこからさらに32枚から成る部分集合をつくった(男子の集合が
3つと女子の集合が3つ)。これをもとにして「平均的な」顔をつくるのは簡単だった。
リタッチのプログラムを呼び出し、いくつかの写真をクリックし、それぞれのピクセル
に数値を与え、さまざまな写真から詳細部分の平均を引き出す。
 二人の研究者はおおよそこのようなやり方で、女性の平均的な顔を3つ、男性の
それを3つ作りあげた。それから80人ばかりの人に、「平均的」人相を作るのに
使ったほかの写真と比較してもらった。すると男性の「平均的な」顔も女性のそれも、
合成するのに使ったほとんどすべての本物の顔より美しいと判断されたのである。  
なんともうるわしい結果であろうか。しかし、これは「合成した顔がすべて個々の顔
より美しいのは、多数の人の平均的顔には、一つ一つの表情を傷つける様々の欠点が
見えてこないからである」と結論づけている。集団の「平均的」判断としてまとめられ
るてしまうと、個々の間違いや偏見がチャラにされるからである。
  ~~
 以上だが、美はバランスである。 目や鼻や口の形もバランスー均整がとれて
いるのが良いということ。バランスか~、 バランスでしかないのか~、 服装、
化粧は、そのバランスを直すことこと。人間の持つ幻想は、そのバランスに惑わされやすい、
ただ、それだけのことなのか? クレオパトラは、大した美人ではないが、
幻想を活用することを知っていただけ!と言うが。

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2624, いのち楽しみ給え ー1
2008年06月10日(火)
 図書館で借りてきて、直ぐにアマゾンで注文をした本である。長男が吉川英治
本の中から、人生の言葉を選んだもの。なかなか、味わいのある言葉が並んでいる。 
吉川英治といえば「宮本武蔵」「三国志」「新書太閤記」を読んだが、これだけ、
多くの「心に残る言葉」に再び出会えて良かったが、当時読んでも、その深さが
解らないものも多かった。やはり人生の経験を多くしてみないと理解できないこともある。
「いつもの時代でも、亡ぶ者が、かならず抱いている滑稽な信念は、(おれは亡ぶ者
ではない)という錯覚である」  『新書太閤記』が、新鮮に聞こえてくる。
    『いのち楽しみ給え』 吉川英明編(講談社) ー読書日記ー
  まずは、第一章 生きるということ より
 ー
花は、散る支度をし始めるときが、花の一生のうちでもいちばん美しいし、盛りも見える。」 
                                「新・平家物語
幸福とは その人の心の手のひらがそれを持つか持たないかだけのはなしである。
       幸福とはじつにそんな平凡で無味ににたようなものだ 「草思堂随筆」
円(まる) 円   
いくら見ていても、円い線はどこまでも円い。 果てなく、屈折なく、究極なく、
迷いなく円い。この円を、乾坤にひろげてみると、そのまま天地。この円を縮めてみると、
そこに自己の一点がある。自己も円、天地も円。 ふたつの物ではあり得ない。一つである。
                              「宮本武蔵」円明の巻
無為の苦しさは、無為を悶える者でなければ分らない。安楽は皆 人の願うところだが、
安楽安心の境地とは大いにちがう。なさんとして、何もできないのである。
                              「宮本武蔵」円明の巻
平常の取捨は、熟慮のいとまもあるが、生涯の大運は、突として来る。
(右か? 左かり?)は、多くは急場に迫って来るものである。「新書太閤記一むすめに与ふ
         昭和三十六年夏軽井沢にて
                   或る雨の夜
倖せ何とひと問はば  むすめはなにと答ふらん 珠になれとはいのらねど 
あくたとなるな町なかの よしや三坪の庭とても  たのしみもてば草々に人生植ゑる
ものは多かり   「書簡・川柳・緋句・詩歌集」

朝の来ない夜はない           座右銘
「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、
どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変るなと願っても、推移せず
にはおりませぬ。人の境遇も、入お互いの心も」 (麻鳥)
                          「新・平家物語』静の巻
                  ーつづく
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2007年06月10日(日)
2259, 今日、ホームレスになった ー2
      (。・∀・)ノ゛おっは よう!
 ホームレスにも二種類ある。辛うじて簡易ホテルや、深夜喫茶、ネットカフェに泊まって
いる人と、ダンボールや、テントの住人である。駅の構内のダンボールの住人は毎日のように
見かけるが、暗い虚ろな表情が何とも悲しそう。コスプレの可愛い動物の帽子を被った
若い女性が一年以上、新潟駅構内にいるが、服装がドンドン汚れて、
  (字数の関係でカット2008年6月10日)
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2006年06月10日(土)
1894, 不良のための読書術ー2
      おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
「本は見た目だと!」という声も、心の奥から聞こえている。文庫本は幾多出版された中
で単行本として生き残ったではないか。「文庫本の中にこそ良い本が残っているのに、
表装が良い本がよい本を勧めるのはオカシイではないか?」というのも肯ける。
 この本は若者向け、初心者向けの本として割り切ってみないと・・・ 
だからこそ鋭い切り口になっている。
=その面白そうなところを、筆者の方法で拾い書きをしてみた=
ゴダール式読書法の基本とは本を手に入れたら、適当のページを開いて、20~30ページを
読む。ただそれだけである。 読むページ数は決まってない。 小説の場合はやや長めに
 一章まるごととか。短編だと一編丸ごと読む。 それで解らないのは著者か編集者が悪い
 と思う。 ここで一番難しいのは、その本の何処を読むかである。どんな本も本文の
 一ページに力が入っている法則がある。これを「ツカミの法則」という。それと、実用書
 などでは巻末の索引から、関心のあるキーワードを探し出す。
 30~40ページも読めば良い、くれぐれも全部読もうとは初めから思わないこと!
・本はタッチ・アンド・バイである。良いと思ったら買いである。そんな時、
 本の値段を他のものと置き換えてみればよい。 コーヒー一杯500円と、文庫本。 
 居酒屋の突き出しとビールと、単行本。 専門書なら、ジーパンかウィスキー。
 そう思えば、良書は安いものである。
・良い本は見てくれでわかる。 良い本は見た瞬間グッとくるものなのである。
 本は見てくれでないと言うが、本は見てくれなのである。よくない本に見て
 くれを 良くしようとするわけが無い。
・読書は悦楽の狩猟と宝探しと思えば良い!
・本は全て辞書と思えば良い。  適当に見たいところを見ればよい。
・筆者が生み出した「擬似速読術」
 *小説やエッセイを読むときには「  」内の会話だけを読んで、他の文を無視する。
  これは高校や大学入試のテクニックにも応用されているらしい。
 *専門書や実用書を読むとき、キーワードとなるような漢字とカタカナだけを拾い
  読みする。1P全体を見ると何度も出てくる言葉である。それがキーワードである。
 *一つの行の上のほうの10文字だけとか、まんなかへんの10文字だけを読んでいくもの。
  これはどんな本にも応用できる。
   ーー
 一箇所に拘らないで、鳥瞰せよ!ということ。鷲になって獲物を探すように本を
  みればよい! (ω・`) bai
・・・・・・・
2005年06月10日(金)
1529, 「人を動かす」ー1
              ー読後38年目の読書日記
この本は思い出深い。学生時代に出会い、この原則を忠実に実行してみた。その結果、
数ヶ月もしないうちに、私の周囲に多くの人が群れだした。丁度、都会の生活にも慣れ、
脱皮の時期であった時に書店で見つけて読みながら一つずつ実行したのだ。 成る程、
・自分の言いたいことを我慢して相手の話を聞き、かつ認めてやるのは難しい。
・それも相手が自分自身を重要人物と納得するように誘導するのだから。
・人を非難するかわりに、相手を理解するように努め、
・相手の話に興味を持って聞いてやることこそ万人の求めていることなのだ。 
(字数の関係でカット2009年6月10日)
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2004年06月10日(木)
 1164, 哲学について ー1
哲学について、いつか書いてみたいと思っていた。といって、これは簡単に書けるテーマ
ではない。知識の浅さがそのまま露呈してしまうゴマカシがきかないテーマであるからだ。
そうとわかっていても自分のために、まとめてみたいという誘惑にかられる。
挑戦をしてみるが、知識や経験の浅さを露呈しても今更と割りきるが、しかし恐ろしい。
今まで哲学書で、一番納得したのは末広渉の「新哲学入門」である。
「従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって、認識、存在、実践の三つの側面から、
私たちを捉えている近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みている」
と、説明文に書いてあったが。
 ーーー
日常におわれていて、ふと日常のおなじパターンを繰りかえしていることに疑問を感じ、
「このことに何の意味があるのだろうか」と疑念を持つことから哲学が始まる。この随想
日記で「世間さま」を茶化して書いてきたが、これも哲学の初歩的なものだ。
「我々が住む世界の基本的な概念と原理に疑問に持つこと」が哲学の始まりである。
前提そのものを先ず把握して、それを疑ってかかることが哲学の始まりだ。過去の歴史的
な偉大な哲学者が2千数百年にわたり,いろいろな概念を思索して根本的なことを解明
しようとしてきた。いまさら根本問題を深く考えても仕方がないが、といって避けては
通れない問題でもある。
ー哲学そのものについては
 カントの哲学の定義が分かりやすい。
 (一)私は何をすることができるか。 (二)私は何を為すべきであるか。
 (三)私は何を希望してよいか。   (四)人間とは何であるか。
誰もが、漠然と常に考えている問題である。
第一の問いに答えるのは形而上学であり、第二の問いには道徳、第三の問いには宗教、
第四の問いには人間論が答える。人間論に含ませてしまえば哲学も簡単であるが。
学生時代、自分というものに目覚めた時、そして社会を目の前にしたときまず直面する
のが、この問いである。そしてわからないまま、とりあえず社会に飛び出していく。
そして晩年になって過去を振り返り、ふたたび後悔という意味で結果論として問い直す。
 (一)私は他に何をすることができたのではないか。(二)私は何を為すべきであったか。
 (三)私は何を希望すればよかったか。       (四)人間とは何だったのか。
そして、後悔と、自己満足の間をゆれる。 哲学はなけっして難しい問題ではない、
身近な問いかけでしかない。
                         ー つづく
  ーーーーーーー
 書いていて、恐ろしくなってきた。何もわかってないのに、解ったような気になって
適当の文章を書いているのだから。 目的は、それぞれの有名な哲学者の言葉・思想を
何人かまとめておきたい 前段として、この恐ろしいテーマに挑戦する。
やめておいた方がよさそうだが。 「ショーペンファウアーについて」等のテーマを、
何冊かの本からまとめた内容を、 冷静にみるのも面白そうだ。ダイジェストの本は
いくらでもあるが、「哲学について」のテーマで10以上書いたら、やはり世界観が
変わってくるだろう?  何処まで続くか?
 ・・・・・・・
2003年06月10日(火)
 797, 流通業界よりみた時代の変化ー
流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に驚かされる。
  ー10年前は、
ダイエー中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。
西武グループ堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。
・マイカルーニチイも創業者の一人小林某が、マイカルシティーとかいうアメニティー
 など入れた複合の施設をつくっていた。
・長崎屋も駅前型から郊外にその重点を移そうと必死であった。
ヤオハンは香港に本部を置き中国に出店を始めていた。
・ソゴーも大型店を破竹の勢いで出店していた。
その全てが潰れてしまったか解体である!時代の変化の激しさを痛感する。
すべて多角化によるエネルギーの分散による
競争力の低下で自滅したパターンである。当時チェーンストアのコンサルタント
渥美俊一は現状に近くなる事を予言していた。今だに元気のよいのが、イトーヨーカ堂
ジャスコ、それと十数年前に潰れそうになったユニー。今後10年後はどうなっているか?
というと、想像すらつかないのが流通の世界である。もっとも日本そのものがどうなって
いるのかも想像を絶するが!経済的大変動に90?以上は襲われているはずだ。愚民の
選んだ自民党と官僚の利権維持の為である。それとアメリカの毒饅頭をタップリ食べさせ
られたことも背後にある。若い人は本当に大変だと思う。大激動時代を生きていかなくては
ならないからだ。話しをもとに戻すと、この情報革命と、グローバル化により想像もでき
ない流通形態になっいるだろう。ビジネスの宿泊が3分に1に僅か2~3年で激減する時代である。
当面始まるのが東京周辺の百貨店の淘汰。高島屋、東急、松坂屋とか株価欄を見れば
いくらでも候補がある。まだ高島屋みたいに表面化してないところもあるが。
・・・・・・・・
2002年06月10日(月)
 433,自由ほど不自由なものはなし!
自由ほど不自由なものはなし!誰もが経験がある事だと思うが。
 ー至近の例で、
サラリーマン生活をしてきて、待っていた定年がきた時ただ呆然。 こんな筈でなかった、
何もできない自分に直面する。あれだけ求めていた自由に躊躇してしまう。今まで束縛
されていた組織からの自由を求めているだけ。「自らに由る」という言葉の意味さえ考える
余裕も無かった自分に直面する。如何してよいか判らない。仕方がないので、それまでの
行動をとるしかない。会社の近くに同じ時間に出勤。今まで行っていた喫茶店やスナック
などの溜まり場に行きざるをえなくなる。目の見えない首輪がそのまま付いたままなのだ、
紐まで付いたまま。そして紐付き首輪を付けて、それまで出たことのない同級会に出たりする。
「元・・などの肩書き」はそこでは何も通用しない事をそこで思い知らされる。そして
他の軽く軽蔑してきた人と同じレベルまで引き摺り下ろされる。いや彼らの中味のほうが
ズット詰まっていることに初めて気が付く。自らに由るとは何か?自ら判断し責任をとることだ。
ただ群れて、その群れと同じ行動をして、何も考えず判断をしてこなかった自分に初めて直面する。
自由とは本当に厳しいことだ。人に甘く自分に厳しさが基本になくてはならない。普通、人間は
逆になってしまう、自分に甘く人に厳しく。自由、平等、博愛のフランス革命の精神。 
自由に重きを置いたのが資本主義社会。平等に重きを置いたのが社会主義である。 
自由は平等ではなく公平を求められる。それまでの平等の意識が根底から崩される。
もう誰も相手にしてくれない小さな自分にはじめて気づく。公平?社会がすぐに冷たく圧し
掛かってくる。自由はそれに適応できる人には優しく、出来ない人には厳しく反応してくる。
・・・・・・・・
2001年06月10日(日)
 [48] 同じ人生を
全く同じ人生を生きたい!
私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に答えそうだが。
しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思える人生を生きることこそ
必要な事と、ある人生論の本に書いてあった。そういえば父がガンで死を悟ったとき、
母に何回も「もう一度生まれ変わって全く同じ人生を生き直したい」と言ったと聞いた。
その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。
最近そうおもえるようになってきた。