つれづれに

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 今朝は、Wi-Fi環境の不調で、混乱をして、アップが遅れてしまった。
 Vistaのサービスが終了における何かが、作用しているようだ。






3651, 地震 ―つれづれに  ー11
2011年03月25日(金)

    * 凍りついてしまった経済
 
 この地震で、日本経済は凍りついてしまった。 
・ リゾートホテルは、歓送迎会がほぼキャンセル。駅前ホテルもビジネス客は皆無。 
・ 生鮮野菜も恐ろしくて、他の産地物でも敬遠。水はペットボトルしか安心できなく。
・ 知人の子供が住宅の契約直前になって、業者の方から契約を断ってきたという。
  資材が入手出来るかどうか混沌としていて、期限までに住宅の完成が確約できない。
  その場合、遅延金を払わなくてはならないので、当面契約は出来ないのが事由。 
・ 飲食店も期末期首の稼ぎ時に、歓送迎会の予約がほぼストップ。
・ 甥っ子が宇都宮でチェーンのファッション店に勤めているが、全く商品が売れなくなり頭を抱えているとか。
   これでは、経済恐慌になってしまう。
 空中の放射能が雨と一緒に浄水場に注ぎ込み、水道水が汚染されたということは、ただならぬこと。
この福島第一原発の河口付近の海から安全基準の127倍の放射性物質が発見されたと、読売が一面トップで報じていた。
それから連想されるのが魚の汚染。近海ものの魚も危ないとしたら、何を口にしたらよいのか?恐ろしい限りである。
そろそろ農家は田植の準備に入る時期に入ったが、収穫の秋口に、米が売れるかどうか心配だろう。 
売れるのは、外米と古古米だけという奇妙な現象になることすらある。
一日一日が放射能漏れの深刻さを露呈するニュースであれば、景気は悪くなる一方のは当然だろう。

  * 奇妙な数字の一致
 9.11は9時46分、神戸は早朝の5時46分、そして、この3.11は14時46分。
 偶然だろうが、46分が一緒!
 いま一つが  2001年 09.11
       + 2011年 03.11
       =  012年 12.22 は マヤの歴の終わりの日。
          偶然の一致だが面白い!
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3286, デフレの実感
 2010年03月25日(木)
  2月末より本格的デフレ・インスパイラルに入ったようだ。 内容を面白くするため少しオーバーな表現かどうかは??。
・先日、3月でエコポイントのタイム・リミットということで、買って7年半経つ50インチのTVの買い替えを考えて
 大型家電を三店舗まわってみた。 今度は65インチの薄型TVで、4~5年前は100万前後していた。
 数年もすれば50万を割るだろうと思っていたが、何とエコポイントを差し引いて30万円である。隣にあった一番ホットの
 LEDのシャープの60インチが37万円である。 信じられない!である。もし本気になれば、あと数万円は下げられる?
 現在のTVはパイオニアのPDPで充分に満足している。 今でも画質は、現在の店頭のものと遜色ない。
 しかし地上波への変更が(特殊なので)数万のマシーンを入れないと映らないという。そこで、少し心が動いたが、
 このデフレの中で一年後には更に下がると判断し、この機会の購入は止めにした。
 次はデジカメとビデオカメラ、これも値崩れが激しい。新商品になる度に新しい機能が加えられ、値段が安くなる。
・アパートの値崩れも激しい。現在は三万円代の中での価格競争になっており、5万代に入ると、よほど間取りの良いものしか
 入り手がないという。 自宅のまん前の20世帯以上ある二軒のアパートは、この数年で数軒しか入居者が居なくなった。
 築20年は経っている割りに値段が高いためだろうが??。 大東建託とかいう20年入居一括借上げの会社があるが、
 以前から会社が倒産するリスクをオーナーは考えていないと懸念していた。 こういう時節になれば、特に危険である。
・建築関係も、ますます価格競争が激しくなり、ギリギリの状態が続いている。 中小は、特に厳しく、何とか助成金
 食いつないでいるが、必ずクラッシュがあるはず。
店をまわっても、元気の良いところは、業態としてディスカウントを長年かけて作り上げてきたところ。
100円ショップ、ユニクロニトリ、サエゼリア、回転寿司、蔦屋などである。それも店舗がスーパーストア(超大型店)。 
デフレ・スパイラルは、ハイパーインフレの露払いである。 後ろに控えているハイパーインフレが恐ろしいのである。
これが国家破綻という奴だ。一度、ガラガラポンと破綻させないと、あの世界に撒き散らされた猛毒は排除は出来ない。
 それがリアルに動き出してきたということ! 事実は事実である。
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2911,人生は作品である
2009年03月25日(水)
 「 人間にとって、その人生は作品である 」 これは司馬遼太郎の言葉である。 
 「 人間には志がある。その志の味が、人間の味である 」 という言葉もある。
 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品ということが理解できる。
そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 死んだ時に完成するが、その時は自分にとって
関係ないことになるから絶妙。哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 本人の意志に従う物語。
従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると、顔から火が出ることが度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの内容が物語を決めることになる。
だから、問題に対して嘆いてはならない。(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 「死の看取り」から、人生をみた時に
彼女は人生の奥義に気がついたのである。 産まれて、死ぬまでの、それぞれの時節に、それぞれの難問があり、
その難問を解いていく過程で学ぶことが人生であり、最後のレッスンが死であると職業を通して学んだのである。
これは学びというより、修養ともいえる。 解決不可能に近い難しい問題が押し寄せてくるのが人生。それを解決するためには、
問題に対して真正面から真摯に向き合うしかない。目をそむけると数倍エネルギーが被さってくる。それも作品だろうが。
昨夜、女房と「人生など二度とない、思い切って全てを処分して三年ぐらい二人で彷徨ってこないか?」と話している夢をみた。 
現状逃避がありあり!だが。 そういえば、TVの旅行番組で、ある工場を定年退職した人が、全てを処分して買ったヨットで
夫婦して欧州の運河で旅行しながら生きていく姿を映し出していた。 何ともいえない人生の姿(作品)である。 
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2547, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー5
 2008年03月25日(火)       ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚
ギリシャ神話の「ピグマリオンの神話」に登場するピグマリオンという王様。
自分の彫った女性像に恋をする。恋こがれた彼の想いがビーナス神に届き女性像は本物の人間になり、
ピグマリオンの恋が成就するというストーリー。
この娼婦の館の女主人は、ひとりあたり二年かけて、そのような理想に近い女性を作り上げる。
 その幾つかが、なかなか面白い。女性の魅力の作り方であり、真をついている。
(手練手管の熟練が自然と身につけるイロハである。) ・われ関せずの態度をとること。
・彼らが期待するイメージのみを与えること。     ・自分の問題は自分で解決すること。
・巧みなセックス技術を身に着けること。       ・ユーモアと優しさと悦楽を与えること。
彼らの実の妻や娘のできるはずのこと、できなくてはならないことを与えること、つまり、自分の立場と役割を理解できる
女性に仕立て上げることである。彼女たちには、大金を受取るということは、その分だけお客に喜びを与えて、仕事を
正当化しなくてはならないことを知らしめることである。こうして作り上げた高級売春の館と、他の店とはサンローランと、
横丁の洋裁店の差があると、自負している。彼女は、子供時代に育てられた修道院での淑女の教えがあったのである。
銀座のママが新人のホステス教育の現場のドキュメントを見ていたとき、「お客様には、世界で一番大切な人、と心から
思い込みなさい」と言っていた。なるほど、そう思われたら男というものは、何万、何十万もかけても通いたくなるだろう。
 そういえば、ジョークに「娼婦の館」という、とっておきの小話がある
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ー「娼婦の館のとっておきの話」ー ?
ある男、暇をもてあまし、知り合いの娼婦の館の女主人の所に遊びに行った。
「何かオモシロイコトないかね」と言うと、2Fのある部屋で裸になって待っているように言われた。
 (以下、字数制限のためカット 2010年3月25日)
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2007年03月25日(日)
2182, 「ライオン 空前の王交代劇」ー2
            ( ^3)ー♪ オハヨウゴザイマス!
「ライオンの空前の交代劇」を観ていた時に、一年ぐらい前の「三頭の兄弟(放浪)ライオンの物語」を思い出した。
「検索」で調べてみたら「地球・ふしぎ大自然」で、昨年4月に放送されたものだった。インターネットは本当に便利である。
 ーその内容をまずは紹介してみるー
 ライオンは猫科の中で唯一群をなして生活する動物である。しかし一つの群の中のオスは最大でも三頭ぐらい。
それ以外のオスは群に属しない放浪生活をする。だが放浪ライオンの生態についてはあまり知られていない。
今回この番組はその放浪ライオンの生活の記録を伝えている。群の中のオスは、遅くとも三歳までに群を出される。
これは近親交配を防ぐためであるとのことであるが、元来狩が苦手な雄ライオンにとっては、これは試練の始まりでもある。
この番組では、ある三頭の兄弟を追いかけて、その生態について紹介している。ライオンは同時に群を出た兄弟が一緒に生活する
例が多いとのことである。群を出た放浪ライオンは、自らだけの力で生きていくか、どこかの群を乗っ取るか、しか手はない。
まだ力不足の三兄弟は、まずは自分たちの力で生き残る試練にさらされることになる。食料の少なくなる乾期などの試練を
乗り越えて、三頭はなんとか生き延びる。 翌年、やや逞しくなった彼らは、群の乗っ取りを試みる。
しかしながら他の群のメスに全く相手にされない。結局彼らは二回の失敗後、幸運にも雄ライオンを病気でなくした
メス三頭の群と出会い、自分達の群を手に入れる。もっともこれからの彼らは、その群を守る任務に追われることになるのだが・・
ちなみにライオンが群を維持できるのは長くても三年が限度だとのことである。ライオンが群で暮らすことは以前から知っていたが、
あぶれた雄がどうして生活しているのかは当番組で初めて知った。やはり雄が自分の城を築くのは大変なようである。
ところでこれまた私が初めて知ったのは、雄ライオンが兄弟で行動することが多く、群も兄弟で維持している場合が多いという。
ライオンの兄弟の結びつきがこれほど強いというのは、なかなか興味深いものであった。
 ーーー
 解) 前回は、メスのライオン・クループの視点の「王交代劇」 のドキュメントだったが、これは雄の放浪ライオンの立場の
 苦労物語である。(TV局も、制作会社も違うものだが・・・)百獣の王ライオンに、このような弱肉強食の世界があるのである。
 メスのグループにも、オスにとっても試練はどこにもある。人間社会と、似ているところが可笑しさと、悲しみを感じとれる。
 デ・カン・ショ、デ・カン・ショというが、人間の本質は動物とドコガ違うのか。
  まあ、ライオンの世界と人間の世界の違いを論じてもしかたないか?
 追い出されたオスが社会の中で、自分の居場所を確保するのは至難のワザではないのである!
 まったくである!                  (℃゛)/ また、明日ね!
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2006年03月25日(土)
1817, 日暮里界隈 ー2
        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
最近の定宿は日暮里のホテルである。 日本旅行社の元支店長の知人に、「都心(東京?秋葉原)に近くて、
安くて・便利で・気楽で、インターネットもあり、かつ面白そうな居酒屋が近くにあるホテルはないか?」と聞いたら
「自分が定宿にしているホテルが全ての条件を揃っている」という。値段は7千円である。そこが日暮里駅至近のホテルである。
早速泊まったら正しく、ピッタリである。おまけに7?8分歩いたところに谷中銀座という昔ながらの商店街がある。
ところが、たまたま同行した人が谷中銀座近くに10年近くに住んでいて、谷中の飲み屋街を熟知していた。
そのある一角に、タイムスリップしたような昭和半ばの雰囲気を残た路地がある。
殆どの店が、50代後半の少しクタビレタ?ママがやっている。7?10席位の店が両側に十数軒並んだ飲み屋横丁。
そこで4回も通って馴染みになったのが、沖縄料理の店である。少し高い?が、料理と泡盛が美味しい。
先日、長男と沖縄の店の後に入った店がトルコ専門店。谷中銀座を歩いていると、ある飲食ビルの一角から
騒々しい音楽とドヨメキが聞こえてきた。面白そうなので、玄関口までいってみるとトルコ人がいた。
『この騒ぎは何?』と尋ねると、『今、ベリーダン