つれづれに

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   今日のYoutube

 さて今日のシネマは何をみるか? 
最近、海外ものドラマが面白いのが多いため、
シネマ館でみるのとさほど格差がない。

 老人の定義で、最近、75歳説がある。
私は長年の腰痛持ちのため、65歳を境に、
年々、体力が落ちてきた感があるが、まだスポーツジムで
週に5日間通っているため、何とか元気で気力も維持できている。
とにもかくも、知的好奇心と、食欲は充分ある。



・・・・・・
3250, 新・マネー敗戦 -1
2010年02月17日(水)

 以前、NHKスペシャルで「シリーズ  マネー資本主義」を放送していた。
■第1回“暴走”はなぜ止められなかったのか ~アメリ投資銀行の興亡~2009年4月19日(日)午後9時00分~ 
■第2回 “超金余り”はなぜ起きたのか? ~カリスマ指導者たちの誤算~2009年5月17日(日)午後9時00分~ 
■第3回 年金マネーの“熱狂”はなぜ起きたのか            2009年6月14日(日)午後9時00分~ 
■第4回 ウォール街の“モンスター” 金融工学はなぜ暴走したのか   2009年7月19日(日)午後9時00分~ 
■最終回 危機を繰り返さないために                 2009年7月20日(月)午後7時30分~ 
ウォール街の“モンスター” バブルは再び起きるのか        2009年12月20日(日)午後9時45分~ 
  再放送も含めて食い入るようにみた。 紙切れ(ドルとアメリカ国債)を刷って、再びアメリカに還流
するシステムを追う番組である。そこには、紙切れで世界中のものを手に入れる仕組みをインタビューや
解説で解明していた。それは正にアメリカが親のネズミ溝。それがアメリカ資本主義というらしい。
その最大の被害者は、もちろん日本。ところで先日、知人から、「新・マネー敗戦」を一時間ほど借りて、
速読をしてみた。大筋は、このアメリカ・ドル本位主義の構造の分析である。 
 * 「新・マネー敗戦」 岩本沙弓著   
 ー この本の概要といえば ー  《 ネット参照 》
 19世紀から20世紀にかけて繁栄した英国は、絶頂期でデフレに見舞われた。しかし金本位制を廃止せず
緩やかな没落の道を辿った。その英国に替わった米国は、ドルを世界中に流通させ金本位制を廃止した。 
実物資産の裏付けのないマネーの誕生である。バブルが起きるたび、その対策として投入された膨大な
ペーパーマネーはさらなるバブルの原因となった。 自国通貨を基軸通貨として世界に流通させ、
ペーパーマネーを溢れさせた米国はさらに原油を用いて、ドルの価値の維持と産油国経由の米国への
還流を図る。 原油決済をユーロで行う機運が出てきた際には、原油決済通貨をユーロに変更したイラク
に対し戦争を仕掛けてまで自国の繁栄を図ってきた。 それでも原油決済通貨の変更がなされる現在では
米ドル需要の減退は時間の問題。6000兆円ともいわれる公的債務残高を積み上げた米国ではドルの減価を
通じて、米国債の返済負担を下げ、さらに新しい通貨発行で再びマネーを呼び寄せることを考えている. 
ドルが減価しつつあるトレンドラインからして、2012年秋口には1ドル=60円になるとの予想。
米国はそれに併せて何らかの部分本位制の新通貨を発行し借金の棒引きを図ることも決して想像できない
ことではない、と。 このような状況の中で、弱肉強食のライオンアメリカとシマウマの日本。
その図式は「米国債を外国に買わせ、その後にドル安にして実質的な借金棒引きにする」こと。 
過去においては日本が被害をうけたが、現在は中国がその流れに乗りつつある。
 ーーー以上だが、このカラクリを知ると、隷属国家の日本の姿が哀れである。 
70年代以降、金に代わって原油とのリンクによって保ってきたドルの価値をなくし、借金を棒引きを
図るアメリカ。 そのためには原油の価値を喪失させ、世界の原油の需要の減退につれてドル需要が
減少すれば、ドルの価値も地に落る。で、オバマに変わったと同時に、電気自動車と原子力、風車、
太陽熱へのエネルギー転換キャンペーンである。 行き着くところは、アメリカにとって都合の良い
結果になっている。 その腰巾着だったのが、自民党と完了である。まずは、そこから、次は
アメリカとの距離を置くこと!  ー つづく
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2875, ポルトガル人のみた信長と秀吉
 2009年02月17日(火)
  「日記をのぞく」ー日経新聞編の一編 ールイス・フロイス「日本史」ー
の中で、ポルトガルフロイスの見た信長と秀吉の姿が新鮮に写し出されている。
現在、「天と地」をNHKで放映しているが、直江兼継の見た秀吉と信長の姿と重ねると面白い。
  ーその部分を要約すると・・・
1569年4月に、信長と京都の二条城の建築現場で引見、信長はフロイスを気にいったようだ。
フロイスは1581年3月、再び会うが、安土城を自慢したかったようだ。
彼の見た信長は「中ぐらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、極端に
戦いを好み、軍事修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった」「酒を飲まず、
食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見識に尊大であった」「その鋭い観察眼で
捉えたこの武将の人物は、他の追随を許さぬ迫力と真実性が感じられる」その信長が亡くなった
後に、今度は秀吉を大阪城に訪問する。フロイスの「日本史」の中の秀吉像は、信長像に比べて
おおらかではない。「彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた」
「身長は低くまた醜悪な容貌の持ち主」「抜け目なく狡猾」「極度な淫蕩で、悪徳に汚れ、
獣欲に耽溺」・・・ 生理的は反発がうかがえる。1587年に九州に遠征中に伴天連追放令を発した。
秀吉の漁色乱交に、キリスタンの女性たちが抵抗したので、暴君の秀吉が怒り狂った、
とうのが彼の解釈だ。
 ーー
この「日本史」では、外国人ジャーナリスト?の目で当時の日本と日本人が体系だって
観察されている。その点では信長と秀吉を現代人の感覚で観察している目に近いと言える。
更に、信長の最期の姿が仲間の宣教師から九州にいたフロイスに詳細な報告が入る。 
それによると、ー 1582年、6月21日、本能寺の変が起きる。明智方は本能寺を襲い、
「手と顔を洗い終えて身体をふいている信長」を見つけて、背中を射た。信長はその矢を
引き抜き、長刀を手に戦ったが、「腕に銃弾を受けると、自らの部屋に入り、戸を閉じて、
そこで切腹をしたと言われ、また他の者は、彼はただちに御殿に放火して、生きながら
焼死したと言った」更に、「我らが知っていることは、その声だけでなく、その名前だけで万人を
戦慄せしめていた人間が、毛髪といわず骨といわず灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼の
ものとしては地上に何ら残存しなかったことである」と・・・ー  
生々しい信長が直に伝わってくるようだ。 
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2008年02月17日(日)
2510, 黒柳徹子

子供の頃から、いつも彼女の声や姿をみてきた。美空ひばり黒柳徹子は私の生きてきた時代
の中で何時もラジオかTVで見かけてきた。現在もTVの『徹子の部屋』などで毎日のように見かけるが、
殆ど彼女の番組はみてない。しかし芸能界の一線で55年も活躍しているのだから、それなりの信条が
あるのだろう。どちらかというと、女性の好みとして苦手のタイプ。彼女は子供の頃からの異端児で、
学校では劣等生だったという。ある本に、彼女の手記があったが、なかなか面白い。 
その概要といえば、
 --
仕事をはじめて5年目に過労で一ヶ月の入院をした。 当時のTVは殆ど生番組で、出ていた
番組では私抜きでもドラマは進行した。その時に、二度と病気をしたくない、と思った。
だから退院をするときに院長に、「死ぬまで病気をしたくないですけで、どうすればよいか?」
と聞いたら、先生はおっしゃった。「長いこと医者をしているが、そういう質問は初めてだ」。
でも、と先生はおっしゃった。この先生は名医だった。「一つだけ方法がある。でもたいがいは、
出来ないんだよね」私は必死に食い下がった。「やります、どんなことでも」
「じゃあ、好きなことだけをして生きなさい」
「え?じゃ、明日は芝居を見て、あさってはピクニックをして、しあさってはショッピング。
そんなお金はないな~」。「誰が遊んでなさいといいました。自分が進んでやる仕事をやること。
身体の疲れは、寝れば直る。でも、嫌だなと思ってする仕事は、少しずつ身体に溜まっていく。
それが繰り返されると病気になるんだと思うんだ。だから、進んでやる仕事はやっていれば、
病気にはならないんだと思うんだ」。 私はそうしようと決めた。だからマネジャーと相談して
よく寝ることは勿論だけど、極力、自分が進んでする仕事をするように生きてきた。もちろん、
若いときは難しかったけど、どんな金儲けの仕事が来ても、気が進まないと、
やめた。その代わり、自分が引き受けた仕事は、すべて、これは自分がやりたくて引き
受けた仕事だから、と全力でやった。そんな風にして、50年間、病気なしでやってきた。                                                     ーつづく
ーー
なるほど、素晴らしい信条であり、それが彼女を、ここまで一線で活躍させた源泉である。
ここで何度も書いているが、50歳になったときに、はて、どうして生きようか?と考えた。
そして、50代で一生分を前倒しをして生きること。その為には、嫌なこと、嫌いな人とは
一線を画する。それと、社会の価値観を徹底的に疑うこと。好きなこと、したいことを優先
することと決めた。そうすると楽になった。そして日々が非常に楽しくなった。
この経験があるから、彼女の言葉が理解できるのである。
 いや、元々してきたが、より徹するようになった!ということ。
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2007年02月17日(土)
 駅前専門学校の時代の終焉!
         才八∋ウ_〆(∀`●)サン
十数年来、長岡や新潟駅前の建設やビルの買収といえば専門学校であった。
しかし、この破竹の勢いはここまで、逆現象が始まるという。 就職難民が体裁を
整えるためと、とりあえず資格取得をめざすのが専門学校の存在意義であった。
就職難民の一時収容所に近い機能が実態?だった。
字数の関係でカット(2010年02月17日)
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2006年02月17日(金)
1781, 他罰の人-2
 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
他罰を理解するために、その対比する言葉を調べてみたら
 ー 自己罰(内罰)
 ー 他罰(外罰)
 ー 非罰    があった。        
 電柱にぶつかって怪我をした時、 w(☆o▽)w
・自分の不注意でぶつかってしまった... と思うのが  内罰・自己罰。
・こんな所に電柱があるからいけないんだ! 誰だここに立てたのは!と思うのが 
 外罰・他罰。    
・この程度で済んで良かった... と思うのが   非罰。
 この喩は他罰を考える時に解りやすい これから見えてくるのは 他罰は責任
 転嫁ということである。 非罰は仏教的な考え方になる。 この全てを考え、
 後は忘れるのを待つ!のがベストであるが。 似た事例として宗教書に
 「お寺におまいりにいき、石に躓いて怪我をしてしまった時に
・信心があったので、この程度で済んだ!と思うか、
・おまいりに行ったのに何で怪我をしなければならないのか!と思うか、
 仏教はこの程度で済んだと考える宗教である」というのがあった。
他罰は外部に原因を見出そうという見方のため、自己欺瞞の傾向が強くなるになる。
自己欺瞞は積み重ねると自己矛盾が生じ 精神の混乱を引き起こす。そして自己と
外部への怒りの温床になる。そのプロセスでトラブルを彼方此方でおこし、深い鬱になる。
他罰の人の傾向は非常に子供じみたところがあり、心に深い傷を負っている人が多い。
小学校、中学校にいた苛めっ子は両親のトラブルの被害者。その腹いせをクラスの
弱者に向ける。この傾向は一生ついてまわるから恐ろしい! 家庭内離婚を含めて
不和の確率が50?というから社会は歪んでしまうのは当然である。   
だから教養が必要なのだ!                
                       ~~~ヽ(^▽^)))さいなら!
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2005年02月17日(木)
 1416, 50肩になった
一月ほど前から、左肩と首が痛む。 通勤時にビジネスバッグを肩にかけていたのが原因?
他に考えられるのはパソコンと、TVの見すぎも考えられた。たまたまNHKの
ためしてガッテン」が、「40・50肩の特集」をしたのをみて、もしかしたら50肩
と気がついた。
   ~字数の関係でカット(2010年02月17日)
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2004年02月17日(火)
 1049, お金の教訓
「お金はむき出しの真実である」というが、これだけ本音と建前とかけ離れている
のも珍しい。今まで随想日記に、お金に関して何回か書いてきた。といって、本当に
解っているのかというと疑問である。一番金にシビアな坊主も[布施の分だけ経を読む]
とかいう。滑稽といえば滑稽である。世の中の悩みの大部分が金の悩みという。
ということは、殆どの悩みは金で解決可能ということになる。金に対する[金言」を
まとめてみようと何冊かの格言集をみたが、な