つれづれに

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  今日のYoutube

毎日が淡々と過ぎていく。それが、一番良いのだろう。
中国人の日本の一流校への入学が殺到しているという。
中国内では競争が激しくて、勝ち目が少ないが、日本は緩いとか。
アメリカでは中国、韓国人がハーバードなどに目立った存在というr。
そこさえ卒業すれば、世界的に通用するとか。 
その矛先が日本にまわってきたようだ。 グローバル化は、
厳しい!ということ。



・・・・・・
3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか
2012年01月29日(日)

 あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というテーマがあった。
私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、身につまされるテーマである。その子供たちが
ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として現在の社会の中核を占めている。
そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の人材の
比率が少ないことが深刻な問題になっている。その中で団塊世代の母親は核家族化の
中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内離婚を含めて過半数
以上が家族崩壊をしているのが現状である。ー 次の部分は考えさせられる内容である。
≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、男性のことばかりが
語られるので、団塊女性の老後の生き方に提案はあるか、と質問した。ある男性の大学教員
がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに失敗した世代なので、その贖罪のために
孫育てに励んで、働く次世代の女性を支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。 
不登校や引きこもり、児童虐待、少年犯罪、DVなど、家族を巡る現代の問題は、戦後の
核家族を専業主婦として支えた団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。
 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の伝統的な
家族の機能を次々と失わせてきた。これまでは、自然に生まれていた地縁による共同体を
都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の荒波から個人を守る防波堤、
いや、高度経済成長期には産業戦士である男性たちを企業に送り出すための最小単位の
基地と化していった。それは日本社会独特の家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に
会社からプレゼントが届いたりした。今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年
以降の日本の男性たちは声をそろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。
だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。
そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、子育てである。 なぜ、
人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」に集約されると
言ってもいいかもしれない。そして、その子育ての目標は、すべての生物がそうで
あるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波へと押し出す役割である。
けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、この重要な役割で躓いた。
子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなすことと、子供を突き放し、
荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうとしたのは、結局、無謀な話
だったのだ。 そして、親の介護。 長寿社会では、介護もまた、重要な家族の機能
として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、担いきれなかった。・・・
目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族まで下落していて、単身者世帯
ばかりが上昇を続けている。・・・ 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年
には約33パーセントが「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を家族
の進化と考え、知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務
こそが、本気で求められいると考えるべきだ。≫
 ▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。一見リッチだが、
実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない
  男女関係を含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の
崩壊を示唆をしている。あまりに価値観が多様化したこともあるが。
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3596, お絵かきロボット
2011年01月29日(土)                                
   * 画像転換ソフト
 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で加工に凝っている。
カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を一度アップすれば、画像が水彩画や
水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。
色いろの過去の映像を転換すればするほど、その出来栄えに驚いている。
これは人間のカタチはしてなくても、「お絵かきロボット」である。面白いのは実際
の写真は平凡に見えても、絵にすると、別ものになること。フリー(無料)のソフトで、
これだけ素晴らしい加工をするのだから、有料のものを使えば・・
特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、
既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、イラストに転換してくれる。
旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思って
いたのが、そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。 何故に、
この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?というと、秘境の一番の
ポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った写真が、数年を
経った現在でも水彩画や、クレヨン画に変換出来るのが不思議で、奇妙な感覚になるためだ。 
そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、当時の生々しい現場に引き戻される思いである。
それと当時の画面の色彩の美しさを改めて意識させてくれる。 気楽に使っている転換ソフト
には限りないノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の中に
流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。現在のネットと、電子機器の
進化には日々驚きである。
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3231, フリー  -6
2010年01月29日(金)
  * フリーミアム
 この本は大きな波紋を示している。 新聞や月刊誌などで「デジタルのものは、遅かれ
早かれ無料になる」という指摘が多くの議論を起こしている。 前に取上げた家の不用品
をネット上で欲しい人に着払いでタダであげれば、両者とも良いことになる。 
これはビットだけでなく、アトムの無料化の事例である。 贈与社会化である。
・同書のキーワードの概念は「フリー(無料)」と、プレミアム(割増料金)」を組み合わせた
フリーミアム」という造語。無料で基本版を配布して広く顧客を集め、その中の一部が
 有料・高性能なプリミアム版に移行することで利益をあがるという、デジタル時代のビジネス
 モデルをさす。
・試供品配布などに代表される従来型の無料サービスが、5パーセントを無料で提供し、
 95パーセントを買ってもらうとう形に対して、「フリーミアム」の新しさは、95パーを
 無料で配布して、5パーから利益を上げるという点にある。 大量に複製配布するコストが
 ほぼゼロになるデジタル化が、それを可能にしたとする。 その上で同書は「デジタルの
 ものは、遅かれ早かれ無料になる」と、「フリーミアム」化の流れが不可逆であると述べている。 
 同書は昨年7月に、二週間の予定で全文を無料公開。30万ダウンロードされたにかかわらず、
 ニューヨークタイムスのベストセラーにランクインするなど好調だった。
 日本も一万限定で無料配布を始めたところ、ツィッターなどを中心に反響が大きく、二日で定員をオーバー。
 販売も好調だった。 自分で、それを自己証明したカタチになった。
 若い世代は当然という反応に対して、メディア関係者からは反発が多かったという。
▼ ブログなどは、取っておきの自分の情報を無料開放することで、それに反応してきた
 数パーセントの、専門の人との出会いがある。 (字数の関係でカット2012年01月29日)
  
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2856, つれづれなるままに
2009年01月29日(木)
  ー 当てごとは向こうから外れるー
「当てごとは向こうから外れる」とは「期待事は、自分の都合だけを考えてしまうので外れる
ことが多い」ということ。投機をしている人は、この意味の深さを十分に知っている。
それから逃れるためには、「当てごと」をしないことだ。事業も全く同じである。つ
いつい、自分の都合だけを考えて市場をみてしまい外してしまう。実際の諺は「当て事と
越中)ふんどしは向こうから外れる」である。成るほどよく言ったもの。 今回のサブプライム
問題で世界中の金融機関が破壊的な大打撃を被った。それもアメリカの金融機関が格付け機関
太鼓判を押した債権が紙切れになるのだから、詐欺そのものである。彼らは決して「当てごと」
を外したつもりはなかった。間違いないと信じていたのである。日経金融新聞の08年1月4日号
が手元にある。その去年の予測は、日経新聞のプロの予測が「米景気後半から回復」
「事業法人の買い期待」である。「今年の株式相場」の専門家69人の予測は、年末に
一万八千円超えが大多数。一番低いのが一万二千円である。いかに予測が難しいかを示している。 
    ( 字数の関係でカット2010年01月29日 )
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 2008年01月29日(火)
 2491, 無くてはならぬもの -2              YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
                「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著        
 まずは?の 生きる意味の創造 -から考えてみよう。「人生に目的があるかどうかではなく、
 自分はどのような目的をめあてに生きているか、というふうに問うべきである。」
 これを考えてみよう。
  ▼ 生きる意味の創造 ー本当の生きかたー
 人生に意味があるかではなく、いま我われひとりひとりが、生きることの中に、どういう
 問題を見出しているか、感じているか、ということが大事なことである。ここでは二つの
 生きかたを示して、その一つの生きかたを勧めている。
・人生にもともと意味などないという自覚に徹して生きるということである。この宇宙に、
 そして地球上に、一定条件の一つの結果として、たまたま生物なるものが生まれた・・  
 人間もその生物の一つでしかない以上、創造のの頂点として生まれたものでもない。
 その人間に人生の意味など、あろうわけがない。われわれが生まれようが生まれてきまいが、
 死のうが、一切なんの影響もない、生も無意味、死もまた無意味!という生きかた。
・いま一つは 人生の意味は先験的に私たちの中にあるのではない。虚無の中からの創造である。 
 私たちがつくり出していくからこそ人生に意味が生じるのである。どのような条件の中で、
 意味を見出しうるのか、を考え生きるべきであるということである。人生の意味とは、他者
 との力強い連帯がいきいきと成り立っているときのみ、生まれてくるのでないか、という。
 ー この二つの生きかたを通して、プロテスタントの佐古は、後者の生きかたを肯定している。
 私に問われれば、両者をコインの裏表として冷静に己の中に整理しておくべきと、現在では
 言うことができる。しかし当時の私には、「生きることの中に、意味を 創造していくべき」
 を当然のことと受けとめていた。また、その生きかたを良しとしてきた。当時の何人かの
 友人は、この二つを冷静に見ていたようだった。前者の生きかたも、この歳になると理解できる。
 上を見れば、きりがない。横を見れば情けない。下を見れば底がない。宇宙を見れば果てしない。
 こういう心境になっていくのである。後者は若者、前者は老年の心境といえるのではなかろうか。
  意味とは価値という意味もあるからだ。 そういえば心理学者のフランクルは、3つの価値を
 上げている。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味=仕事・子育て・芸術を創造する
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味=自然にふれあう・芸術にふれる・愛する
3・態度価値: 状況・運命に対し【自分としての態度】を取ることで得られる価値・意味
 当時は日本ではフランクルは殆ど知られていなかったが、こういうこと!生きる意味とは。
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 2007年01月29日(月)
2127, アパ・マンション/ホテルについて  (o_ _)o.。o○グー   オハヨ~
(字数の関係でカット2009年01月29日)        (*^_^*)ノほんじゃ!
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2006年01月29日(日)
1762, 愛のアフォリズム-2      ♪オハ(b´∀`d)ヨォ♪
ランダムに幾つか面白い順に抜粋していく。特に「結婚」に関する章が面白い!
「第八章 ああ結婚!」から面白そうなのを抜粋してみた。 人間形成の基本ベースは家庭にある。
その始まりが結婚というキッカケから始まる。 そして、その半分が家庭内離婚を含めて破綻する。
破綻した両親の下で半数の子供たちは悲惨な生活を強いられる。
人生の最大の決断は結婚といってよい。「その人物を判断するには連れあいをみよ」というが、
ほぼ間違いなく言い当てている。クサンチッペをみて、ソクラテスを判断はできまいが。                  
 =第八章 ああ結婚!=
結婚して最初の一年間、夫は支配権を手に入れようと努力する。
二年目にはいると、同権を求めて闘う。三年目にはいると、せめて身ひとつの生存を求めて
悪戦苦闘する。 (読人しらず) 
結婚生活が神聖だといわれるのは、きっと殉教者がたくさん出ているからだろう。
                              (ルートビィヒ・トーマ)
恋愛とは短期的愚行。 結婚生活とは、短期的愚行にピリウドを打つ長期的愚行。(ニーチェ
結婚すると妻は夫の姓を名乗る。これは、戦勝者が会戦名を名乗るのに似ている。