つれづれに

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今日のYoutube

 PM10:00の時点で、今朝のニュースからして、クリントンの勝ちだろう。
トランプが悪すぎ。 とはいえ、二人の罵り合いから、アメリカ白人の本質が、
丸見えになった。 属国日本にとって、トランプになれば、隷属度が数倍、
あがっていく。 それでも、まだ、何が起きるか、終わるまで分からない。

 トランプにとって、死に際の阿波踊りとして割り切っているから、負けても勝っても、
本人には、プラスになる。負けても勝ったも同然である。 それにしても、
アメリカの弱体化が、そのまま現れた大統領選挙になってしまった。


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3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7
2010年11月09日(火)
                 「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 * ユダヤ人の考え方から何が学べるか
 ー 日本人は、第一人称不在である。
 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。
「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」
という主張が欠如している。つまり「自分自身は」という一人称が不在である。
日本人の、無思考シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義が
まいた種子の結果である。学校時代のまる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が
社会に出てからも続いてきたからである。ベストセラーなど名著を読んでも、その本に
感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、消化器の胃腸を持たない食道だけの
状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。ソクラテスもカントもニーチェも、
自分の時代の問題を自分のことばで考えたのであって、他人の言説の解説はほどんどしてない。 
対照的に、日本の知識人は、あたかも自分の考えであるかのように海外の思想を引用し、
それを基準に世間の動向を批評している。 
 ■ここで考える四段階とは?を説いている。
△第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、
△第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ
△第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて
△第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べる これを徹底的にすることで
       思考力を高めている。
 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、
先生にあまり質問をすることはない。それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。
先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、自分で解答を見つけるように仕組むのが
教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成とディスカッション
を進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5~6名で、生徒たちは議論を
しながら進める。自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで質問しあい、自分たちで
答えを出す作業をしている。
 ~~
 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。
疑問を持ち、何が問題かを見つけ、解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。
特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。島国の中で、外敵から攻撃の心配がない
ことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。
 坂本龍馬高杉晋作吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。
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3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT
 2009年11月09日(月)
 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソンTHIS IS IT」ーを観てきたが、期待した
以上の内容だった。長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで
内容を調べ納得し観ることにした。
亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから何かがあるはずと・・・。
ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので丁度よいタイミング。
映画館の前から4番目の真ん中の席をとって、館内は私一人だけの気持ちでみたが、上映
時間の二時間は、アッという間に過ぎてしまった。 練習とはいえ、完成前の調整段階のもの。
マイケルと、指揮者、そしてダンサーやミュージシャン、などが一体になり、それぞれの歌の
場面を知恵を出しながら練り上げていた。 彼の歌の隠れテーマは『愛と自由』ではないかと
直感したが、正しく、その通りであった。 
 ー以下は、HPの紹介文ー
 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
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 2775、仮説思考 -2
  2008年11月09日(日)
   ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー
 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネス
パーソンは多い。そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析して
から、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。実際に起こることは何か? 
情報収集しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざる
をえないことになる。徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。
では、どうすればよいのか? 仮説思考を身につければよい。仮説とは、十分な情報がない
段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。
常に仮の答えをもちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。
「仕事が速く、優れた成果をもたらすコンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」
と著者は言う。
 ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
 *仮説思考の効用
   著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
(1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけ
   たくさんの情報を集めて分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中に
   なって重要な点を調べ忘れたと気が付いたりする。その結果、その部分は穴をあけた
   まま提出することになる。情報収集に時間を取られた結果、思考する時間がほとんど
   取れなくなってしまうのは最悪だ」(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、
   時間の無駄となる。「最初に答えを決めておいて、それに必要な部品を集めていけば
   いい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
   仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
(2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事を
   した気にはなるが、実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、
   「100のうちの3に絞って考え、それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は
   加速度的に素早くなる」。作業のスピードを向上させるのではなく、
   仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけだ。
(3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認
   しようとしても、頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。
   作業の状況よりも着地点を先に決めている人への方がアドバイスしやすいし、上司も
   安心できる。ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
   同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な
   作業をしなくてすむ。「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、
   結果的に間違ったものが出てくる」という事態を避けられる。
   もう一つ事例を挙げると 「実験をする前に論文を書く」ケースがある。
   最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。
   そのため、その結論に至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な
   実験を行わなくてよくなる。 失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で
   分かるため、それほど時間の無駄にはならない。
 *自分より1つ上のポジションの立場で考える
   仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
   全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。
  「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえてやる方が大事だ」
  「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。
   新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、プロジェクト修了後に
   出した結論を比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。
   著者は仮説思考を訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の
   立場になって考えてみる」ことを勧める。
   また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
   ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し
   出す方法である。次回は、この本で紹介している、天才棋士の羽生の話である。
   棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に立て決断しなければならない。
   彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。   ーつづく
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2007年11月09日(金)
2411, からだのままに      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社   ー読書日記ー 
 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。
図書館で見つけた本だが、その著者の随想なら読む価値は充分にある。2004年から2006年
にかけて種々の媒体に発表された随想である。臨床医師として、文学界新人賞芥川賞
受賞した医師だが、終末医療に携わる中でストレス障害から体調を崩し38歳の時に
パニック障害から欝病になる。書くことも読むことも出来ない中で、生かされている
自分を見つけ出し、医師として、また作家として復帰する。
  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》   ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
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2006年11月09日(木)
2046, 教養について -2
     (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん
数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。
<前回の要旨>は、
・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味する
  Bildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験をいう。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであり、
   市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、それは地域差別のコントローラーとして機能しており、そのことを客観視できる
  素材が教養である。
・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、
 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。
 * 私にとっての教養とは、
「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための
 知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、それらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」
『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』というのが結論。
ーー
先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が「今、教養とは」であった。なかなか納得
しやすい言葉で各自が語っていた。 印象的な発言を集約してみる。
日本画家の千住博の講演がユニークである。 {サルにとって、進化するための教養が壁画だった}
という説が面白い。西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものにアリタミラの壁画がある。
約1万5千年前、時代は氷河期であった。その時期、氷河を前に旧石器人は洞窟に引きこもる
しかなかった。そこでやることはなく、絵を描いたのです。絵は洞窟の奥ほど古く、出口ほど
新しく次第にリアルになっていった。(数千年かけて書き継がれていた)これはなかなか良い
とか、こう描けば良いとかといったコミュニケーションが生まれていった。
彼らは絵を描くという行為によって一歩ずつ人間に近づいていった。 その過程で、
イマジネーションや観察力、知識、理解力、コミュニケーションが、当時の旧石器人に芽生えた。
つまり芸術がサルをヒトにした。それがアルタミラの壁画の持っている意味。サルにとって、
進化するための教養が壁画だった。芸術を料理にたとえてみる。つくり手が材料から、美味しい
料理を作ろうというイマジネーションが、他人に食べてもらおうという、コミュニケーション
になります。 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 

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2005年11月09日(水)
 1681, うそつき-4
「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』
という随想に、子供の嘘がある。
ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って
逃げたのだと言い訳をした。泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかった
のかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、実はお巡りさんだという。 
お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。
ーこのような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をする。
ー次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので
好かれていた。その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の
働き手が仕事を終えた後に、彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと
『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、その男は次の話をしたという。
「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」
『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛
で髪をとかしていたよ」 ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。
しかし、その夜、帰ってきて村人に『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、
彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
 ーー
見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、と
いうことだ。嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。

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2004年11月09日(火)
 1316, まさか、地震が地元で!ー12
昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。
新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。
中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。新幹線がストップなら、
駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、復興の為の手伝や、役所が全国から当分は
集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。イベントも殆どキャンセルに
なっている。お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。
今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、新潟県の経済は大打撃を
受けたことは間違いのない事実だ。建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。
何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。昨日も震度
4~5の余震があった。通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場
を除いて閉鎖をしていた。今朝の4時前に震度4弱の余震があった。余震がいつまでも
続いている。今では余震の度に、震度の当てあいをしている。
 メルクマールの日記内容である。
 ーーー
メルクマール  堀井
  ー11月08日
・今日、会社に来ると、国土省の延べ400人の予約が入っていた。これからも
震災関係も入ってくるから、予測していた動きが、でてきたようだ。殆んどが事務方。
長岡では宿がとれないためだ。といって、これは一時的なことでしかない。
東京~長岡間は4時間15分~5時間半はかかる。高速道バスで6時間だから、
値段から考えたら、バスが多くなる。新幹線の脱線の工事は、11月10日からと
いうから、当分開通はないが。しかし亀裂をおこした立柱は、もう工事に入って
いるだろう?から、年内は無理としても最短年越し直後辺りではないか。
長岡の奥座敷といわれた、蓬平温泉の「イズミヤ」など、三つのホテルの
従業員全員-100人あまりーが解雇されたと、新聞に出ていた。 
失業保険で急場をしのいで、一年後に再開するのか? いずれにしても、
経済は生きるか死ぬかの大打撃であることは間違いのないことである。
  ー11月7日
・朝8時過ぎに、震度3の余震があった。ドッスンという縦揺れのドキッと
する地震だった。当分はこの状態が続くだろう。
・「男はつらいよ」DVDを借りてきた。 こういう時は、これにかぎる。
・・・・・・・・
2003年11月09日(日)
 949, 流通大戦争
 長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター「PLANT5」
が開店をした。10月29日に開店をしたがチラシをまかなかったのでオープンを
している事に気がつかなかった。規模もさることながら、それぞれのアイテムの
多さと値段の安さに驚いた。 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。 
お客の立場からみればアイテム数が多く、廉価であることが第一である。
ただただ「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。
  (字数の関係でカットー2009年11月9日)
  ーーーーーー
 648, 流通業界を考える
  - 2003年01月16日(木)
 ー字数の関係でカット(2007年11月9日)ー
ーーーーーー
516,デフレと流通大乱
 - 2002年09月11日(水)
夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。 店内を3~40分歩いて
帰ってくると、1時間の散歩コースに丁度よいからだ。 クーラーもきいているし
面白いし。それにしてもお客が少ない。 商品はそんなに悪くはない。
ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、
ホット商品が少ない。でも安いし、面白い事は確かだ。家内もダイエーヨーカ堂
と専門店の特売を使い分けている。それにしても消費物価が信じられないくらい
安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい良い商品がある。
 《以下字数の関係でカット2008年11月09日》
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575, つれづれに学生時代のこと ー2  
 - 2002年11月09日(土)
現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。その価値観は
まるで違う物差しになる。今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の人生の設計の
基礎を考えようとしている」事になる。若い時には仕事や家庭創りや物質など
外に見出そうとした。午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。そのことは「夜と霧」を書いた心理学者の
フランクルもいっている。「コペルニクス的視点の大逆転、『人生に何を求める
のでなく、人生が何を求めているか』の追求」である。 
人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を余白でなく
新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。その意味で学生時代を
省みるのは理のある行為である。可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓
していく設計図の再構築が必要ということだ。その下敷きとして学生時代の
日記を見てみると違う視点が生まれる。別に難しい事をいっていない。 
両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。

・・・・・・
2001年11月9日
ベトナム旅行中