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今日のYoutube
今朝の7時頃、自宅の前に救急車が停まった様子。
前の家の80歳位の主人が、救急搬送をされていった。
脳梗塞か何かだろう。市役所の元職員だったが・・
このところ、姿が見えなかった。
・・・・・・
・・・・・・
4568,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー4
2013年09月18日(水)
「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
* 幸せな人生とは、本人が決めること! 幸福感は、それぞれの人の核となる
魂の問題で、他人がとやかくいう問題でない。「不幸の極みと思っていたことが、
実は幸運の仮面を被っているにすぎない」と思えば、そう思えてくる。
実際に経験してみると、そこに多くの視点が見えてくる。本当の幸福感は
不幸の真只中にこそ、現れ出てくるのは人生経験を積むほど分かるはず。
ー以下の箇所はなかなか含蓄があるー
≪『サザエさん』の原作者の長谷川町子のマンガで、小学四年生のときに読み、
今なお覚えている作品がある。それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と
悪い神様の話だ。 何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。
これを知った悪い神様は、どうもこれがおもしろくなく、この男の子の人生を
惨憺たるものにしようとシナリオを練る。そして、「男の子の身に次々と不幸
が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な嵐に遭遇して、最後は
絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」いうシナリオをつくりあげた。
はたして、男の子の身には次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様が
それに気づいて彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。
ところがその臨終の場で彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生
だったと言い出す。そして、自分の夢は船乗りになって、どこかの島で人生を
終えることだったと述懐して息を引きとるのだ。二人の神様は、人間 とは
よくわからないと言いながら、去っていく。こんな話だ。このマンガが
私の人生の原点。幸せな人生とは、あくまでも本人が決めることであり、
まわりがとやかく言うべきものではない。もとより、記憶のさまざまな
性質や、その生かしかたを知ったからといって、幸せになれるわけではない。
ただ、何も知らないよりは、知っておいたほうが、みすみす損をしないだろう
と思われるだけだ。この本に書かれている「ヒント」をもとに、どのような
人生を生きるかは、最終的には、みなさんが決めることである。》
▼ 以前に取り上げた「幸福の4階建」に、当てはめると分かりやすい。
4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する中に幸福感が生まれる。
そこに自己実現の要素が入っている。
2階:獲得した「快」を永続させる。 そこに時間的要素を入れ、
いかに長続きさせる中に幸せがある。
1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
苦労に苦労を重ねて得た幸せこそ、その最たるものだが、得てしまった
幸せより、不幸に見えた苦労の中にこそ、真の幸福の含量が多くある。
私のケースは、『サザエさん』の作者の物語とは真逆である。
思いもしない3つの大津波に飲み込まれて、この結果に終わった。
しかし、これこそベストでは?の、心の奥からの声に我ながら驚いた。
この「幸福の4階建」の意味が、いやでも実感をせざるを得ない。
現在の私は、この建物の3階辺りで、日々を過ごしているが、いつ何どき、
4階に駆け上がり、幸福感を味わうのだろう。その屋上のテラスからの
景色は、どんなものか? それもこれも、生きているうち!
今日一日を楽しむしかないか。
・・・・・・
4193, 呪いの時代 ー10
2012年09月18日(火)
* ペルソナ(仮面)の品不足 ~「呪いの時代」内田樹著
結局、人は、それぞれの場面に色いろな仮面を被ることで生きている。
ところが一つの理想的な仮面に限定すると、それに対して真逆なペルソナが現れ出る。
「弱くかわいい僕」以外のペルソナの品ぞろいがないと、危機的状況になった時に、
思いもよらない凶暴なエゴの男が顔を出してくる。人間は面白く、哀しく、弱い。
我が内なる他者とは、よくいったもの。 秋葉原の無差別殺戮などは、その典型である。
仮面の品不足だったのである。 ーその辺の記述からー
≪ 人間の攻撃性のコントロールは容易ではありません。完全抑圧してしまうと、
かえって思いが違ったかたちで暴発する。ひとりの人間が抱え込んでいる攻撃性の
絶対量は、変わらないあるところで抑え込めば、違うところからかたちを変えて
噴き出してくる。だから、攻撃性はいろいろなかたちで管理して、「小出し」に
するしかない。小出しにしておけば破局的事態は避けることができます。だだし、
そのためには、「攻撃的なペルソナ」にしても「防衛的なペルソナ」にしても
何種類か品ぞろえしておく必要があります。そして、状況に応じて、その場に
もっともふさわしい仮面をかぶる。
・・・ 草食系男子が採用している「弱くてかわいい」ペルソナというのは
たしかに多くの場合に有効だと思います。とりわけ、今の日本のように「弱者で
あることの利益」がつよく意識されている社会では。でも、当たり前ながら
「弱くてかわいい」だけで対応できる状況は限られています。対応できないとき、
彼らは一気にしばしばまったく似ても似つかない別のペルソナ(凶暴で攻撃的)に
切り替わってしまう。この二極のペルソナがあまりに隔絶しているので、
人格が統合できないまま、まるで別人のようになる。卑屈なほど恋人に尽くして
きた男が、結婚と同時にいきなり荒れ狂うDV男に変わってしまったという
事例は実際に僕も知っていますけれど、このような人格解離現象はペルソナの
「数不足」で起きてしまうのではないか。・・・
・・・「他者との共生能力の劣化」ということを問題にしたが、他者との共生
の基礎となるのは、実は「我がうちなる他者たち」との共生の経験なのだと思います。
僕自身にも、「さもしい私」、「邪悪な私」、「卑劣な私」がいる。それらもまた
僕の正規の「ペルソナ」の一つであり、それなしでは僕は僕ではない。自分自身の
中にある(ろくでもないものを含めて)さまざまな人格特性を許容できる人間は他者を
許容できる。僕はそうだと思います。世間で言われる道徳訓とは言葉がずいぶん
違いますが、僕は自分を許すことのできる人間だけが他人を許せると考えています。≫
▼ ー「他者との共生能力」をつくるには、他者を構成する複数の人格特性の
うちに幾つか「私と同じもの」を見出して、この他者は私自身と同じであること
を認めるべきである。その共通部分をどうすれば増やせるか、とりあえずは、人格
特性を「切り出す」ユニット数を増やすしかない。ーという。要は、その切り方。
可能な限り、自分を割っていく、割れば割るほど他者との共有部分が増えていく
ことになる。人生の経験とは、そんなものである。
・・・・・・・
3828、 もう、あれから半年
2011年09月18日(日)
3月30日から、あと二週間足らずで半年になる。そろそろ30年、いや仕事人生の
40年余りの毒気も抜けてきた。そこで、「何だったのだろうか、これまでの日々は?」
と、定石通りの思いが浮かんでくる。「男なら、条件が揃えば事業を興すのは当然」
と信じてきた。 ふと気づくと9・11、9・15に直撃、その大波が地方経済を直撃。
更に情報化の進展も加わり売り上げが激減。 ここまで、経済状況が悪化するとは、
実のところ思いもよらなかった。ここまでリアルに売上減になると、諦めるしか
ないと納得する。 で、一歩、娑婆から身をひいた半年後の実感は、「世の中で
揉まれているうち、大きな歪みの塊になっていたのでは?」という疑問である。
それが気づくのは、娑婆気から抜けた時。特に家庭の柱としての働き手の男の場合、
その歪みが大きい。その断面を大きな節目になって気づくことになる。
誰もが、社会や会社の柵に捉われたくないが、競争社会では肩肘も張らないと・・
とはいえ、それだけに目がいき過ぎて、他の大事なことに目がいかなくなり、
最終章に近づいて、慌ててしまうのが大半。 半年で、この40年の歪みを改めて
振り返っている日々でもある。 もしかしたら、一生、気づかないで終わる人もいる。
それに気づいて悶々とする人もいる。 先日、近じか定年になる友人に、この話しを
したら、全く同感という。小さな、しかし、かたい勤め先を、こともなく48年間
勤めあげた実直な男が、自分の人生の歪みを認識していたのである。
私なら自分で納得するが・・ でも、その歪みも後悔は全くない。 ここで、
「良い人生、悪い人生でなく、充実していたか、してなかったか?」という言葉で、
自己納得するしかない。 状況が状況だったので、苦悶はあるのは仕方がないが、
充実感が、何とか支えになっているというのが、正直のところ。 準備、15年も
含めた事業人生の45年の終わりは、三連発の経済・自然大災害の直撃で終わって
しまった。 そして半年たった現在、静かな心境でいられるのが、救いである。
少なくとも、自分の人生の歪みに後悔はしていない。この歪みが自分でもあるから。
その歪みに七転八倒しているのがいるが・・ それも人生。 穏やか過ぎる人生
より、遥かにましである。 それも歪みか ー 偶然、この内容に滞欧する文章が
以下の去年の同月同日に書いてあったー 面白いもの。いや、数年分が関連している。
・・・・・・・・
3463, 9・15より二年
2010年09月18日(土)
リーマンショックから、二年経過し三年目に入った。100年とも、250年に
一度の激震と言われる。アメリカでは、証券大手の殆どが瞬時に消滅、シティー
バンクなど幾つかが大手銀行も政府管理会社になり、ビッグスリーのGM、クライス
ラーも政府管理の事態になっている。日本のバブル崩壊で、大手銀行が20社から
三社に集約されるまで10年も要したことからみれば、迅速である。日本では今の
ところ目だった大手では日本航空ぐらいなのは不思議と言えば不思議である。
まだ表面化はしてないが、まずは関東・東海ベルトラインを除いた地域経済は惨憺
たるもの。悪いことに政権が民主党に移行し、人間に例えれば脳がマヒ状態で、
この難局に国の方向が定まらない無政府状態。このまま、この激震のクライマックス
に入る2012年を迎えることになる。デフレから悪性のハイパーインフレへの転換。
現在は円高だが、さらに恐ろしい円安が日本経済を襲うことになる。まだ表面化して
ないが、ある日、株と国債の暴落から始る激しい恐慌の本番は、激しく我われの生活
を襲ってくる。悲観的だが、それが事実なら認めざるをえない。
これに情報化社会の進展によるグローバル化が、世界をフラットにしていけば、
これまで東西冷戦の狭間で、大きな恩恵を受けてきた日本が、普通の国並みに豊かさ
が損なわれるのは当然である。それが、現在の日本の衰退である。 情報化、
グローバル化、フラット化の流れは、もう止めることは不可能である。これまでの
常識は根底から破壊され、全く違った価値観が通用する時代に既に入ってしまった。
情報、軍事、金融を支配しているアメリカは、当面は勢力を保つだろうが、中期的に
みれば衰退は免れない。それに対し、中国・インド・ブラジルなどに覇権の重心が
移動するのは避けれないこと。その中で、日本はアメリカの更なる植民地化が
進むことになる。毒素が脳までやられてしまったのである。その一つの現象が、
現政権のトップ達に、そのまま現出しているとみると、ニヒルな笑いが出てきざる
をえない。
・・・・・・
3088,挫折を考えてみようか -3
2009年09月18日(金)
ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、
貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。そこで改めて考えてみた。
大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない?
金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという
実感はあった。創業を目指して彷徨いながら準備をしていたという明確な絵図が
あった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」という指摘も正しい
ことになる。先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。
そうこう考えると、挫折と軽々しく言わない方がよい!ということ。
ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」
とあった。挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンス
になり、竹の節目に譬えることが出来る。 そこに大きな鍵が隠されている。
超越者の声に敏感になることもある。それまでが横時間なら挫折の時節は縦時間。
「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 物語なら、
そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の「転」の時になる。挫折の状態は、
追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語りかけに鋭敏になる。
「予定挫折」という言葉がある。挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場に
するのである。 そこは枝葉を切って根を養う時節であり、超越の時節になる。
「そうか~挫折と思い込んでいただけか~」と思ったが、それでは、挫折が無かった
かというと、勿論ある。実は見落していたのである。 大学浪人や創業時の準備は
勘違い? しかし深傷だったが。最近になって「自分は中学浪人だった」と、
何人かの知人から聞いて驚いたが一番傷つきやすい時期の、それから見れば、
当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でない。また私の姉夫婦と実兄夫婦
の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。
最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 他人事ではない。
予定挫折ともいかないし。
幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 挫折を茶化す
こともないが・・「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」
か~! なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。
「日々是挫折」 =「日々是口実(好日)」
・・・・・・・・・・
2723, アメリカ発、金融危機の始まり!
2008年09月18日(木)
AIGが一昨日、1ドル台まで下落したが、アメリカのFRBが昨日になって9兆円
の融資を決めたことで、当面の倒産を回避した。FRBがリーマンと同じスタンスを
とれば、倒産になるところだった。世界中が一瞬、息を呑んで見守っていた決定。
NHK海外衛星TVで、ジョージ・ソロスにインタビューをしていた。
「これで問題が解決をしたのではなく、小さな目先の問題が先送りをされただけ、
次から次へと同じような問題が出てくる!」と
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
今朝の7時頃、自宅の前に救急車が停まった様子。
前の家の80歳位の主人が、救急搬送をされていった。
脳梗塞か何かだろう。市役所の元職員だったが・・
このところ、姿が見えなかった。
・・・・・・
・・・・・・
4568,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー4
2013年09月18日(水)
「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
* 幸せな人生とは、本人が決めること! 幸福感は、それぞれの人の核となる
魂の問題で、他人がとやかくいう問題でない。「不幸の極みと思っていたことが、
実は幸運の仮面を被っているにすぎない」と思えば、そう思えてくる。
実際に経験してみると、そこに多くの視点が見えてくる。本当の幸福感は
不幸の真只中にこそ、現れ出てくるのは人生経験を積むほど分かるはず。
ー以下の箇所はなかなか含蓄があるー
≪『サザエさん』の原作者の長谷川町子のマンガで、小学四年生のときに読み、
今なお覚えている作品がある。それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と
悪い神様の話だ。 何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。
これを知った悪い神様は、どうもこれがおもしろくなく、この男の子の人生を
惨憺たるものにしようとシナリオを練る。そして、「男の子の身に次々と不幸
が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な嵐に遭遇して、最後は
絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」いうシナリオをつくりあげた。
はたして、男の子の身には次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様が
それに気づいて彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。
ところがその臨終の場で彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生
だったと言い出す。そして、自分の夢は船乗りになって、どこかの島で人生を
終えることだったと述懐して息を引きとるのだ。二人の神様は、人間 とは
よくわからないと言いながら、去っていく。こんな話だ。このマンガが
私の人生の原点。幸せな人生とは、あくまでも本人が決めることであり、
まわりがとやかく言うべきものではない。もとより、記憶のさまざまな
性質や、その生かしかたを知ったからといって、幸せになれるわけではない。
ただ、何も知らないよりは、知っておいたほうが、みすみす損をしないだろう
と思われるだけだ。この本に書かれている「ヒント」をもとに、どのような
人生を生きるかは、最終的には、みなさんが決めることである。》
▼ 以前に取り上げた「幸福の4階建」に、当てはめると分かりやすい。
4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する中に幸福感が生まれる。
そこに自己実現の要素が入っている。
2階:獲得した「快」を永続させる。 そこに時間的要素を入れ、
いかに長続きさせる中に幸せがある。
1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
苦労に苦労を重ねて得た幸せこそ、その最たるものだが、得てしまった
幸せより、不幸に見えた苦労の中にこそ、真の幸福の含量が多くある。
私のケースは、『サザエさん』の作者の物語とは真逆である。
思いもしない3つの大津波に飲み込まれて、この結果に終わった。
しかし、これこそベストでは?の、心の奥からの声に我ながら驚いた。
この「幸福の4階建」の意味が、いやでも実感をせざるを得ない。
現在の私は、この建物の3階辺りで、日々を過ごしているが、いつ何どき、
4階に駆け上がり、幸福感を味わうのだろう。その屋上のテラスからの
景色は、どんなものか? それもこれも、生きているうち!
今日一日を楽しむしかないか。
・・・・・・
4193, 呪いの時代 ー10
2012年09月18日(火)
* ペルソナ(仮面)の品不足 ~「呪いの時代」内田樹著
結局、人は、それぞれの場面に色いろな仮面を被ることで生きている。
ところが一つの理想的な仮面に限定すると、それに対して真逆なペルソナが現れ出る。
「弱くかわいい僕」以外のペルソナの品ぞろいがないと、危機的状況になった時に、
思いもよらない凶暴なエゴの男が顔を出してくる。人間は面白く、哀しく、弱い。
我が内なる他者とは、よくいったもの。 秋葉原の無差別殺戮などは、その典型である。
仮面の品不足だったのである。 ーその辺の記述からー
≪ 人間の攻撃性のコントロールは容易ではありません。完全抑圧してしまうと、
かえって思いが違ったかたちで暴発する。ひとりの人間が抱え込んでいる攻撃性の
絶対量は、変わらないあるところで抑え込めば、違うところからかたちを変えて
噴き出してくる。だから、攻撃性はいろいろなかたちで管理して、「小出し」に
するしかない。小出しにしておけば破局的事態は避けることができます。だだし、
そのためには、「攻撃的なペルソナ」にしても「防衛的なペルソナ」にしても
何種類か品ぞろえしておく必要があります。そして、状況に応じて、その場に
もっともふさわしい仮面をかぶる。
・・・ 草食系男子が採用している「弱くてかわいい」ペルソナというのは
たしかに多くの場合に有効だと思います。とりわけ、今の日本のように「弱者で
あることの利益」がつよく意識されている社会では。でも、当たり前ながら
「弱くてかわいい」だけで対応できる状況は限られています。対応できないとき、
彼らは一気にしばしばまったく似ても似つかない別のペルソナ(凶暴で攻撃的)に
切り替わってしまう。この二極のペルソナがあまりに隔絶しているので、
人格が統合できないまま、まるで別人のようになる。卑屈なほど恋人に尽くして
きた男が、結婚と同時にいきなり荒れ狂うDV男に変わってしまったという
事例は実際に僕も知っていますけれど、このような人格解離現象はペルソナの
「数不足」で起きてしまうのではないか。・・・
・・・「他者との共生能力の劣化」ということを問題にしたが、他者との共生
の基礎となるのは、実は「我がうちなる他者たち」との共生の経験なのだと思います。
僕自身にも、「さもしい私」、「邪悪な私」、「卑劣な私」がいる。それらもまた
僕の正規の「ペルソナ」の一つであり、それなしでは僕は僕ではない。自分自身の
中にある(ろくでもないものを含めて)さまざまな人格特性を許容できる人間は他者を
許容できる。僕はそうだと思います。世間で言われる道徳訓とは言葉がずいぶん
違いますが、僕は自分を許すことのできる人間だけが他人を許せると考えています。≫
▼ ー「他者との共生能力」をつくるには、他者を構成する複数の人格特性の
うちに幾つか「私と同じもの」を見出して、この他者は私自身と同じであること
を認めるべきである。その共通部分をどうすれば増やせるか、とりあえずは、人格
特性を「切り出す」ユニット数を増やすしかない。ーという。要は、その切り方。
可能な限り、自分を割っていく、割れば割るほど他者との共有部分が増えていく
ことになる。人生の経験とは、そんなものである。
・・・・・・・
3828、 もう、あれから半年
2011年09月18日(日)
3月30日から、あと二週間足らずで半年になる。そろそろ30年、いや仕事人生の
40年余りの毒気も抜けてきた。そこで、「何だったのだろうか、これまでの日々は?」
と、定石通りの思いが浮かんでくる。「男なら、条件が揃えば事業を興すのは当然」
と信じてきた。 ふと気づくと9・11、9・15に直撃、その大波が地方経済を直撃。
更に情報化の進展も加わり売り上げが激減。 ここまで、経済状況が悪化するとは、
実のところ思いもよらなかった。ここまでリアルに売上減になると、諦めるしか
ないと納得する。 で、一歩、娑婆から身をひいた半年後の実感は、「世の中で
揉まれているうち、大きな歪みの塊になっていたのでは?」という疑問である。
それが気づくのは、娑婆気から抜けた時。特に家庭の柱としての働き手の男の場合、
その歪みが大きい。その断面を大きな節目になって気づくことになる。
誰もが、社会や会社の柵に捉われたくないが、競争社会では肩肘も張らないと・・
とはいえ、それだけに目がいき過ぎて、他の大事なことに目がいかなくなり、
最終章に近づいて、慌ててしまうのが大半。 半年で、この40年の歪みを改めて
振り返っている日々でもある。 もしかしたら、一生、気づかないで終わる人もいる。
それに気づいて悶々とする人もいる。 先日、近じか定年になる友人に、この話しを
したら、全く同感という。小さな、しかし、かたい勤め先を、こともなく48年間
勤めあげた実直な男が、自分の人生の歪みを認識していたのである。
私なら自分で納得するが・・ でも、その歪みも後悔は全くない。 ここで、
「良い人生、悪い人生でなく、充実していたか、してなかったか?」という言葉で、
自己納得するしかない。 状況が状況だったので、苦悶はあるのは仕方がないが、
充実感が、何とか支えになっているというのが、正直のところ。 準備、15年も
含めた事業人生の45年の終わりは、三連発の経済・自然大災害の直撃で終わって
しまった。 そして半年たった現在、静かな心境でいられるのが、救いである。
少なくとも、自分の人生の歪みに後悔はしていない。この歪みが自分でもあるから。
その歪みに七転八倒しているのがいるが・・ それも人生。 穏やか過ぎる人生
より、遥かにましである。 それも歪みか ー 偶然、この内容に滞欧する文章が
以下の去年の同月同日に書いてあったー 面白いもの。いや、数年分が関連している。
・・・・・・・・
3463, 9・15より二年
2010年09月18日(土)
リーマンショックから、二年経過し三年目に入った。100年とも、250年に
一度の激震と言われる。アメリカでは、証券大手の殆どが瞬時に消滅、シティー
バンクなど幾つかが大手銀行も政府管理会社になり、ビッグスリーのGM、クライス
ラーも政府管理の事態になっている。日本のバブル崩壊で、大手銀行が20社から
三社に集約されるまで10年も要したことからみれば、迅速である。日本では今の
ところ目だった大手では日本航空ぐらいなのは不思議と言えば不思議である。
まだ表面化はしてないが、まずは関東・東海ベルトラインを除いた地域経済は惨憺
たるもの。悪いことに政権が民主党に移行し、人間に例えれば脳がマヒ状態で、
この難局に国の方向が定まらない無政府状態。このまま、この激震のクライマックス
に入る2012年を迎えることになる。デフレから悪性のハイパーインフレへの転換。
現在は円高だが、さらに恐ろしい円安が日本経済を襲うことになる。まだ表面化して
ないが、ある日、株と国債の暴落から始る激しい恐慌の本番は、激しく我われの生活
を襲ってくる。悲観的だが、それが事実なら認めざるをえない。
これに情報化社会の進展によるグローバル化が、世界をフラットにしていけば、
これまで東西冷戦の狭間で、大きな恩恵を受けてきた日本が、普通の国並みに豊かさ
が損なわれるのは当然である。それが、現在の日本の衰退である。 情報化、
グローバル化、フラット化の流れは、もう止めることは不可能である。これまでの
常識は根底から破壊され、全く違った価値観が通用する時代に既に入ってしまった。
情報、軍事、金融を支配しているアメリカは、当面は勢力を保つだろうが、中期的に
みれば衰退は免れない。それに対し、中国・インド・ブラジルなどに覇権の重心が
移動するのは避けれないこと。その中で、日本はアメリカの更なる植民地化が
進むことになる。毒素が脳までやられてしまったのである。その一つの現象が、
現政権のトップ達に、そのまま現出しているとみると、ニヒルな笑いが出てきざる
をえない。
・・・・・・
3088,挫折を考えてみようか -3
2009年09月18日(金)
ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、
貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。そこで改めて考えてみた。
大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない?
金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという
実感はあった。創業を目指して彷徨いながら準備をしていたという明確な絵図が
あった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」という指摘も正しい
ことになる。先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。
そうこう考えると、挫折と軽々しく言わない方がよい!ということ。
ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」
とあった。挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンス
になり、竹の節目に譬えることが出来る。 そこに大きな鍵が隠されている。
超越者の声に敏感になることもある。それまでが横時間なら挫折の時節は縦時間。
「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 物語なら、
そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の「転」の時になる。挫折の状態は、
追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語りかけに鋭敏になる。
「予定挫折」という言葉がある。挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場に
するのである。 そこは枝葉を切って根を養う時節であり、超越の時節になる。
「そうか~挫折と思い込んでいただけか~」と思ったが、それでは、挫折が無かった
かというと、勿論ある。実は見落していたのである。 大学浪人や創業時の準備は
勘違い? しかし深傷だったが。最近になって「自分は中学浪人だった」と、
何人かの知人から聞いて驚いたが一番傷つきやすい時期の、それから見れば、
当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でない。また私の姉夫婦と実兄夫婦
の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。
最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 他人事ではない。
予定挫折ともいかないし。
幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 挫折を茶化す
こともないが・・「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」
か~! なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。
「日々是挫折」 =「日々是口実(好日)」
・・・・・・・・・・
2723, アメリカ発、金融危機の始まり!
2008年09月18日(木)
AIGが一昨日、1ドル台まで下落したが、アメリカのFRBが昨日になって9兆円
の融資を決めたことで、当面の倒産を回避した。FRBがリーマンと同じスタンスを
とれば、倒産になるところだった。世界中が一瞬、息を呑んで見守っていた決定。
NHK海外衛星TVで、ジョージ・ソロスにインタビューをしていた。
「これで問題が解決をしたのではなく、小さな目先の問題が先送りをされただけ、
次から次へと同じような問題が出てくる!」と