つれづれなるままに

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 昨日、一昨日と二日続けてのシネマ通い。
なぜか、シネマ館の椅子が腰に悪いようだ。
で、昨日は、少し重みの腰痛が出た。 

 明日からは、大相撲秋場所が始まる。
白鵬は休場で、少しつまらないが、それでも、
幕下上位から十両にかけて、若手の個性的な力士が
多くみれれる。

 昨日は、恒例の飲み会。 21時半に早々、帰ってくる。
金曜日にしては、人出が少ない。



・・・・・
3820, 哲学人 ー?
2011年09月10日(土)
  * 現実と経験と言語は一緒ではない 
             ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  ーまずは、「現実把握は、言語的分類次第で決まる」という部分からー
【 言語が経験を構成するというのである。この見解について
  ジョーン・サールが、明快に述べている。
≪ 私は言語が現実をつくると言っているのではありません。とんでもない。
 むしろ、私が言おうとしているのはこういうことです。何を現実とみなすか
 ーどういうものをグラス一杯の水として、一冊の本として、一脚のテープル
としてみなすか、どういうものを同じグラスとか違う本とか二脚のテープルと
みなすかー は、私たちが世界に押しつけるカテゴリーしだいなのです。
そして、こうしたカテゴリーはたいてい言語的なも。それだけではありません。
世界を経験するとき、私たちは経験そのものを形成する際に役立つ、言語的な
カテゴリーを通じて世界を経験しているのです。世界はもとから物体と経験
に分かれて存在しているわけではありません。何を物体とみなすかは、
もともと私たちの表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう
知覚するかは、その表象体系に影響を受けているのです。 言語を世界に適用
することを、いわばみずから独立自存する物体にラベルをつけることだと想定
するのは間違いです。私の考えでは、世界は私たちが分類するとおりに分類
されるのであり、事物を分類する主な方法は言語によるものなのです。
 現実の把握は、言語的なカテゴリーしだいなのです。≫
この考え方はいまなお、哲学者ばかりか、文学や言語学をはじめとする
他分野の専門家たちによって、さらには、一部の社会学者や人類学者たちに
よって唱えられている。「何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の
一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、その表象体系に
影響を受けている」という点について、私もサールに賛成したいし、誰もが同意
しなくてはならないだろうが、私としてはこれをカント哲学的な意昧に解釈
したいと思う。 ただし、その表象体系に含まれるカテゴリーが基本的に、
もしくは第一に言語という性質をもつとする点は認められない。考え方と
してはわかる。 わからないのは、そしてこれまで一度として理解できた
ためしがないのは、どうしてそんな考えを抱けるのかということだ。
というのも、それは私の直接の経験によって真っ向から否定されるように
感じるからである(この点に関して私が特殊であるとは思えない)。】
▼ 事業が、この結果(倒産)で終わった。総括は頭を冷やした来年早々にする
 つもりだが、それが、この30年の構成の提示になる。創業10年、中間期
10年、最後の10年、そして最後に、どのような終わり方をしたか?、
その時の断面は、どうだったか。それを、どういう切口で分類し、評価するか。
30年、人生の事業生活の大部分を注ぎ込んだ、この結果は? 要は、倒産で
終わったということ。その視点を失うと、総括は不可能になる。炎上している
世界経済と、ネット社会の移行の中で日常が音を立てて変化している。
その中で、言語的分類の枠組みを立て直すことが、まず求められる。
「3つの震災が何もかも飲み込んだように見えるが、実は情報化の潮流に飲み
込まれたのが真の理由だったのか?」これも言語的分類。分類は分析の第一歩。
そのプロセスが総括。そこで価値(意味)を自ら下げることもない。
今までの価値観のコペルニクス的転換の時。ここの小テーマが「現実と経験と
言語は一緒ではない」である。 当然、この小テーマが問題になる。
「言語は、それを構成する」だけ。消滅してしまった事業の総括。
ただ、それだけだが・・あと講釈でしかない、だから冷静に見つめないと。
意思決定から45年である。
・・・・・・・
3455, 渥美俊一氏死去
2010年09月10日(金)
 ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの渥美俊一氏が亡くなった。
チャーンストアの時代の大きな転換期の目安になる。 そこには、桜井たえ子という
渥美先生の片腕の女史がいるが、彼女がペガサスを支えることができるかどうか?  
昭和30年半ば、大手スーパーや専門チェーンの創業経営者のほとんどが
渥美先生の元に終結、成長・拡大し、そして消えていった。現在でも流通界に
おけるカリスマ的指導者で、亡くなる直前まで講義を続けていた。
氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。
日本の高度成長を流通面から支えた貢献は多大である。バブル崩壊後は、ダイエー
・マイカル・西武流通グループの倒産が象徴するように、チェーンストア理論が
必ずしも有効に機能しない側面が表面化し、これまでの勢い失っていった。 
最近ではユニクロのように、ペガサスに創業当初から属さない成長チェーンも出現
してきている。 学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の「販売革新」を手に取り、
渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立ち上げ、ダイエーヨーカ堂などのチェーン店
コンサルタントをしていることを知った。そして、「チェーンストアへの道」という
10巻シリーズのチェーンストアつくりの戦略、手法が書かれている理論を貪り読んだ。
そして、それをベースに卒論「流通革命」を書いた。 それもあってジャスコの創業
一期生として入社をした。 そうこうあって渥美先生には、大きな影響を受けた。
そして現事業の立ち上げでは、その裏づけとしての理論的背景にチェーン理論があった。 
セミナーだけで、50~60回は出続けた。 その費用は、長岡市郊外の二つの土地
転がしで直ぐに元は取れた。立地論から、バイパス沿いの若い土地の短期転売で利益
を得て、その理論の正しさを確認した。
 しかし20年前にバブルが弾けた瞬間、彼の理論は、時代とはかけ離れたものと
なってしまった。「バランスシートの右と左を拡大しながら店数を増やしなさい。
それも町のバイパス沿いのヘソ(要所)を見つけ、自店舗を建てることで価値をあげ、
それを担保に拡大出店を続けなさい」という理屈である。またアメリカの流通事例を
見せるため、店舗見学ツアーを組んで、200人、300人と連れて行くのである。
私も二度、参加したことがある。 大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く
旧態だった日本に、新しいバイパスとして、スーパーや、総合量販店、専門店を、
チェーン化で、販売経路の拡大戦略を指導してきたのである。彼は死ぬ直前まで、
「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、
やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証である。ご苦労様。ご冥福を! 
 
・・・・・・
3080,再び死について考えてみる
 2009年09月10日(木)
 一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。 地元の米屋に嫁に行ったが、
小姑が多くいて難儀をしていると聞いていた。「この世に、今時にこんな厳しい
嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負っていたようだ。
 その10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に
亡くなったと死亡広告にあった。一度、当方の事務所に来たことがあったが、
創業時にホテル業についての話を聞きに行った事があった。暗い顔をした
気難しそうな人だった。「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをしている
のを知らないね」と言われ、それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 
三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、子供たちに一棟ずつ
与えるのが夢だったというから、それはそれで・・。 
 ところで、身近な知り合いと、第三者の中間の立ち位置の「二・五人称の人」
が死を考えるに最適という。第三者と第二者=知人と中間の立場の立場の死から
多くのことが見えてくる。知っている程度の人である。「死ぬ=無になる」、
という論理の矛盾(無になる~無には成りようがないー無いものに何故なる?)
という池田晶子の言葉の通りに、死という言葉のイメージが刷り込まれる立ち
位置にあるのが2・5人称の人である。10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した
時に思った、「何で人は周囲の眼を気にして好き放題生きないのだろうか?」と。
子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、
次の疑問は父親の死に接した時である。 
 死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。
死に際で、「あと、せめて三年、生きたい」という生への渇望の言葉を聞いた。
それが日々強くなっていった。その時に「人間は生きているそのことだけで
ベストである」ことを肌で感じ取った。そのためか、父親が亡くなってから
全く人生観が変わってしまった。「一日一日を生ききること」が人生から
与えられた責務と思うようになった。 知人の死だけでなく、身近な人の死も
多く教えてくれる。生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 
般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか! 
・・・・・・・・・・
2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
 島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく
手短にまとめていた。
  ーまずは、その箇所である。
 ~~
【物事を深く理解しようと思うと、考える枠組みをよりシャープに細かく
とっていかないと、解くべき問題を設定することすらできない。それがわれわれ
の脳の仕組みと合っているのかもしれない。だから、時代とともに、より細かく
対象を分け、より細かい領域で物事を明らかにしてきた。それが要素還元論です。
しかも自然と人間とを分ける。考える主体と認識される客体を、とりあえず分け
なければ思考はスタートしないわけで、それが二元論でしょう。 
現代を生きる人は、これまでの教育でそれを徹底的にたたきこまれているわけ。
「わかる」とは何なのかについて、それ以外の「わかる」ということは考えられ
ないわけです。ぼくは今、地球学とかアストロバイオロジーとかで、二元論と
要素還元主義の枠を超えて、昔のようにとりあえず現代の知の体系のすべてを
認識しましょうということを主張しています。何か新しい方法論が出てこないと、
「生命の起源と進化」という問題は解けないと思うからです。
そういう過激な認識を持っているわけです。 とりあえず、二元論と要素還元
主義に対抗する方法論として、「システムと歴史」という見方で、もう一回
すべてを見直そうとしています。宇宙も地球も生命も人類も文明も全部一緒に
論じようとしています。数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが
数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。 
そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語は
すべて経験によって意味が裏付けられている。
そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう。】
 ~~以上である。
なるほど、こういう思考の捉え方があるのには驚いた。
帰納法演繹法」発想法として「KJ法」、「テーゼ、アンチ・テーゼ、
ジンテーゼ」とか、情報収集の中での発火(発想)方式などあるが、「要素還元法」
「二元法」も、上記の中でしていたことである。この年齢になって初めて初歩的な
知識を得ることの、何か恥ずかしいような、無知の再確認をさせられているようである。
それに加えて、松井教授は、「システムと歴史」という考え方を提示している。
これは宇宙、地球システム、人間の歴史、個人の歴史、全てに当てはめて考える
ことができる。要素還元法、二元法の限界を、一度「システムと歴史」という
視座に入れて考えると、限界を超えることができるという。「システムと歴史」
の意味が理解できなかったが、人間の歴史、個人の歴史に置き換えて考えてみたら
理解できた。「システムと、これまでの始まりとプロセス」ということ。
「数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。
宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。そういう現象を語るためには
数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付け
られている。そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう」など、
非常に新鮮に驚かされたことばである。そうこう考えると、中学校時代の教科書
の内容は、全ての基礎であった。昨日、図書館で「やりなおし教養講座」村上陽一郎著 
を借りてきた。学校を卒業して、平均2~3時間は、本を読んできたが、これで、この様。
カントがいうに、「犬は犬の理解しか出来ないように、人間も人間レベルしか理解できない」
というと、私は私レベルしか、理解できない!ということ。 悲