つれづれに

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  今日のYoutube

今朝は、雨でポタリングは出来ず。
こういう日は晴耕雨読の雨読になる。

 太平洋上を、台風が迂回するのも初めてのようだ。
その間に、水分をたっぷりため込むため、大雨になるのか。



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3809, つれづれに
2011年08月30日(火)
 ▼ 収まる所に収まった民主党党首
最後の最後まで、誰が民主党党首に選出されるのか分からないギリギリの選挙。
しかし、海江田と野田の二人の決戦となれば、どちらが相応しいかはTV画面が
正直に語っている。しかし小沢一郎と鳩山が後盾の海江田が勝つのではと予測
されたが、党員も、その歴然とした差に、野田に雪崩をうっていったようだ
(立候補者の一人が最後の最後に野田支持に回ったのが勝因ともいうが)。
その前にも、彼の立候補の政策を聞いたが、至極自然なもので、他が悪すぎた
こともあり、一人光っていた。 
【 二年前に政権についたが、国民からは期待はずれの結果しか出せなかった。
次の選挙まで残された期間は二年。それまでに捨て身で、この国難マニフェスト
を達成しなくてはならない。大震災の国難を乗り切るためには、 野党との
大連合を考え、かつ党内融和も必要。また赤字の国家財政と、大震災を乗り切る
ためには増税もやむをえない】 
 この当たり前のことを当たり前に述べているに過ぎないが、現在の与野党
含めて、これをいうと世論受けしないとか何とかのジレンマに陥っていた。 
小泉も含めて、この数代の首相の中で、一番真っ当であってほしいものである。 
菅首相の直後では、やりやすいだろうが、この日本の政治と経済の惨状下では、
それもどうか?まさか、海江田とか、あれ、ではね。これで当分は、少しは
政治不信は小さくなるだろうが(いつも最初は期待感でそうだが)・・ 
 この国の体質は、この20年で、あまりに劣化した。
  ▼ あれから5ヶ月

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3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1
2010年08月30日(月)
    * 海外旅行に見せられて
 これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを
思いのまま書いてみる。その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験を
リアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。
人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に
少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。そのために、行き先の選定、
日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。 また日本の遥か彼方
から、逆照射してみた自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 
それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。まずは、思いもよらない
経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った計画に狂いが生じてきた。
それも、なるがままの人生。旅先で、絶対に行きたかったが行けなかった
ところはない。 ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど行きたいと思わない。
秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 
自然そのものが何か波動を発している。その波動に、飲み込まれにいくのである。 
この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 
 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。学生時代の多感な頃に
北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、あの時の下地と、
21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、
ここまでノメリ込んだのだろう。その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処か
のチャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長
のようになる。「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、
そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。

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3069,新インフルエンザの恐怖
2009年08月30日(日)
 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。
どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。
先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでの
インフルエンザ(=B)との違いを説明をしていた。その内容とは、
 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、
  気管支がやられ呼吸などが困難になる。
 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。
 ・5~19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。
 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。
 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。
 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。だから、人の集まる
  ところは何処もかしこも菌だらけ。
こんなところだが、ようは殆どの人が罹ると理解した方がよい。
一昨日の新聞報道では、まず10月半ばに一波のピークが来た後に、一度
沈静化をして第二波がくるという。来年の3月までに3500万人と三割が感染。
その一年後の2011年までに8000万人と7割以上が感染する可能性がある。
世界的にみると、大流行が終わるまでに3割の20億人が感染するとみられる。
 WHOの新インフルエンザの症状として、
・顔が青ざめ ・呼吸困難になり ・休息の間でも呼吸困難になり 
・痰に色がつく(血が混じったり)
・意識もうろう ・三日を超える光熱 ・低血圧  等々。
 当方の商売が商売だけに、これが日本中に蔓延した時の10月以降を
考えると恐ろしい。最悪の場合、数ヶ月間も客が半減し 「   」 現実に
有りえることだ、そうしたら・・・後は天まかせ?。 
 金融恐慌の最中で、更に日本経済は壊滅状態? 特に地方経済は体力が
消耗しているので深刻。当然、ビジネスホテルは直撃を受ける。その上に新潟
国体が中止か、大幅に縮小ということもありうること。現実に身近にも感染者が
出てきている。 盆休みで海外旅行から持ち帰った感染者や、里帰りでの交流で
広範囲で菌が交流し、その子供達が明日から新学期、そこが菌の媒体の場所に
なり爆発的蔓延はあきらか。一ヵ月後の9月末には、日本中が新インフルエンザ
がピークを向かえる。 新潟国体も予断を許さない事態もある。 
明日からは、政変と恐慌と新インフルエンザが重なった大津波が吹き荒れる
スリルとサスペンスの日々!  

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2704、共同幻想を抱いていただけ?
2008年08月30日(土)
 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」である。
一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。そして右肩上がり
人間圏の拡大が共同幻想だったことを、人類は宇宙に出て地球を俯瞰して初めて
知った。資源が有限であり、農耕以来、環境破壊を続けてきたことも、これ以上
の人間の欲望を拡大できないことも知った。
 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。
≪ 欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、
 錯覚していたのである。これが人類の「共同幻想」というのである。
共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に交換可能とか、神様の存在とか、
人間の命は地球より重いとか、民主主義、市場主義経済とか、自由平等とか、
人間を規定する概念すべてといってよい。21世紀の人間圏にとって、その崩壊
の引き金になる最も高いシナリオは、これらの共同幻想が多くの人に幻想と認識
されたときである。 その一つがインターネット。インターネット社会は、
個々人を主体化し、情報が個人に拡散する。 情報が拡散するということは、
社会が均質化していくことになるが、共同幻想という面で理想的かも
しれないが、宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。
それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》
 そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。
 ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー
共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。
日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉。吉本は、自分の
共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢が
ついているから使いたくなかったと述べている。 吉本隆明は、著書
共同幻想論」で人間関係は3種類に分類されると提唱。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。
 他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 
        ~家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合が
 これに当たる。宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、
教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。 この分類は効果的であり、
世界を正しく見るうえでこの3つの幻想領域を混乱、混同させないことが大事
であると主張する。これらはそれぞれ独自の法則で動いているのである。  
例えば、吉本は心理学者のフロイトはリビドーと言う対幻想性を、社会領域まで
無条件に拡大して採用しようとしたところに誤りがあると批判する。
また、1人の人間もこの3つの領域でそれぞれ違う顔を持っている。
* 職場にいる顔と、* 家庭にいる顔、* 1人でいるときの顔や行動は、
それぞれ違うのである。外弁慶、内弁慶という言葉があるように、冷酷な
独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親であったり、逆に職場では物静かな
男が家庭内では暴力的な暴君として振舞うなどということは、充分ありえる。
吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張。
 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、
労働力を売りに来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 
 ~~~ 以上だが、
 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。
地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いていた
小さな生命でしかないことだ。 太陽の惑星の一つの地球、その大気圏の中の、
物質圏の、生物圏の、人間圏の、極東圏?の中の小さな島国の、北陸圏の、
新潟圏の中の、何でしかない私。地球の外から俯瞰すれば、そういうことである。
そして共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である自分を振り返り、
「何?何だったのか?」と根こそぎ、人生観がぐらついている。
恐らく身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに見える
宇宙的な俯瞰の視線は、織田信長が舞ったという敦盛の「人生50年、下天の
内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」
を彷彿させる。