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* ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>
* ジャングル・ブック 
 の、どちらかになる。明日なら、<後妻業> になるが・・





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3440, 再び、死について考えてみる ー4
2010年08月26日(木)
  * 死を喩えると
 死を喩えると、旅と、眠り、とされる。 「死ぬ」が旅と、眠り、に
喩えとされることは、プラトンソクラテスの弁明』の一節にある。
ー「つまり死ぬということは、次の二つのうちの一つなのです。あるいは
全く何もない.無」といったようなもので、死んでしまえば何も少しも感じない
といったものなのか、あるいはまた言い伝えにあるように、それはたましいに
とって、ここの場所から他の場所へと、ちょうど場所をとりかえて、住居を移す
ようなことになるかなのです。そしてもしそれが、何の感覚もなくなることで
あって、ひとが寝て、夢ひとつ見ないような場所の、眠りのごときものである
としたならば、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになる。
・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅に出るようなもの
であって、人が死ねば、誰でもかしこへ行くという、あの言伝えがが本当とする
と、これより大きい、どんな善いことがあるのでしょうか、裁判長諸君。」ー
 葬式で、「故人は旅立たれました」というが、夢なら醒め、旅なら帰って
くるのが前提にある。永遠の眠りというと、そこで夢を見る可能性がある。
無に帰した者が夢の見ようがない。あくまで心象風景でしかないのが、これで
わかる。 最近、ブラックホールに喩えることがある。その人の全てが、
その中に吸い込まれ、再び戻ってくることはない、という意味で、喩えとして
科学的風である。 ブラックホールは生命を終えた星が爆発をして、その重圧で
空間の歪が生まれ、穴が開いて異次元?の時空に周辺のものを吸い込んでいく。
これを死に喩えることは、これはこれで、説得力がある。最近、ホワイトホール
も、存在も云われるようになってきた。何処かの歪から何が噴出している空間の
存在。それは生命ということになる。 面白いのが、死の喩えを、生そのものに
している説がある。 これまでの死の喩えのは、生のうちで経験される現象=旅、
眠る、去る、失う、等々である。それらは再び我われの元に帰ってくる可能性
がある。死は絶対性であるから、「死ぬ」に永遠性が現われてくる。そうすると、
永遠に眠る存在になる。こんなそんなで、結局、死は喩えると分かりやすそう
だが、生きている人間の論理というのが露出するだけ。同じ動物の牛に喩えると、
先ほどの喩えは不自然である。死も、生きていることも、幻想でしかないなら
喩えでイメージするのも良いではないか。 少し、眠たくなってきた。
  (字数制限のためカット2011年8月26日)

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3065,ウワサを考えてみる
2009年08月26日(水)
   * オルレアンのうわさ
『オルレアンのうわさ』とは、1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性
誘拐の噂。オルレアンは、パリの南方100kmのところの人口十数万人の地方都市。
この街のブティックで、女性が消えると言う噂が流れたのは、1969年5月。
若い女性がブティックの試着室に入ると、催眠性の薬品を嗅がされたり薬物を
注射されたりして、前後不覚になったところを誘拐され、地下道から外国の売春宿
に売り飛ばされていく、というもの。 初めは1軒だけだとされていたが、最終的
には6軒のブティックと靴屋が、この風聞の対象とされた。この6軒の店舗うち、
5軒までがユダヤ人経営の店で、残る1軒も、噂の少し前にユダヤ人の前店主から
引きつがれた店。『オルレアンのうわさ』の著者のモランは、この噂が、思春期
の少女にありがちな、性的なものへの恐れと憧れの中から生まれたと指摘。 
初期の噂は、『神話』化し、社会問題となった後期型の噂と違い、いかにも
根も葉もない世間話程度の内容。 少女の次にこの噂に反応したのは、母親や
女教師など、少女達との接点がある大人の女性と指摘する。この反応が、それ
まで女学生の間にのみ広まっていた噂話が、より多くの人に広まる契機になった。 
この噂が広まるにつれ、新しい要素が付加される。
『誘拐を行なっているのはユダヤ人』という民族差別的な内容。ユダヤ人という
触媒を得たことで、オルレアンの人々にとってより現実的な脅威として認識され、
急速に拡大する。噂が爆発的に広まった時期、新聞報道などでアンチキャンペーン
が行なわれたが、騒動を終息はしなかった。
新聞で取り上げられたことで、人々の関心は更にこの噂に向けられた。
試着室から派生した、様々な噂もまた、新たにささやかれるようになった。
警察や報道は疑惑の店舗の店主たちとつながっている、などの陰謀論や、ネオナチ
など、反ユダヤ主義者がユダヤ人迫害のためにデマを流している、などの対抗神話
が数多く生まれた。これが最終的に火消しになった。
 日本でも、これに似たデマが幾つか流れたことがあった。「関西の暴力団
グループが車で接触事故を起こしてゆする手口で県内を稼ぎまわっている」とか、
志村けんが亡くなった」とか、以前のことになるが、長岡で、和服の女性が地元
の数人の社長から美人局で金を脅し取ったとかで具体的の名前が出たことがあった。
背後には暴力団がいて云々。一年間以上も続いたが、噂をしている連中のバカ面が
今でも目に浮かぶ。 日本には一神教の神はいないが、世間様という「うわさ」
による恐ろしい陰湿な虐め=罰則がある。したがってアウトサイダーに徹する
ことも一つの生き方の選択肢になる。 馬耳東風、そういう内内のことは
我関せずにするしかない。 「世間様に笑われないように」という大きな足かせ、
その鎖を外さないと!
 
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2700, 「レンタルの思想」-6
2008年08月26日(火)
                        ー 読書日記
 進化生物学者長谷川真理子との対談が面白い。ネアンデルタール人と、
現生人類が重なってた時期があるが、何故に 現生人類が生き残ったのか?
脳の大きさよりコネクションが違っていて、そのことが多くの道具を使うことを
促して生き延びたこと、言語能力が格段と上だったこと、更に病気に対する抵抗力
の差があったという。そして「おばあさん」の誕生が現生人類の特徴という。 
それまでの色いろな人類のメスは排卵が終わると直ぐに死んだ。しかし現生人類
の女性はその後も生き延び、お産のノウハウを娘に伝授したので人口が増えたという。
人骨から「おばあさん」の骨が多く発見されたことから分かったという。 
面白い節である。
 ~~
ーおばあさんの誕生ー 長谷川真理子×松井孝典
  *おばあさんの不思議
長谷川: いまある限りの現生人類の骨から年齢を測ると、おばあさんの
骨が含まれているから、長生きしたのだと思います。
松井: それは現生人類が繁栄するという意味で、非常に本質的な点ですね。
 なぜそうなのかについて何かアイデアはあるのですか。
長谷川: 「グランドマザー仮説」というのがありまして、祖母の知恵が、
娘が母親になるときの孫の生存率を上げたのではないかと言っています。
松井: それはそう思いますね。出産の経験がまったく蓄積されないで単なる
生物として初めて出産を経験するのと、出産とはこういうものだという
ことをあらかじめ意識として持っているのとではすごく違いますよね。
長谷川: 全然違いますね。
松井: それで人口が増えることに加えて、寿命も長くなるわけで、
環境には二重の負荷がかかる。
長谷川: そうですね。でも流行病とかが時々ありますから、長いこと人間
の人口はそんなに増えませんでした。だけどまず一万年前に増えて、それから
産業革命から増えて・・。でもそれから豊かになると出生率が減るでしょう。
 進化的に生物として考えると、 自らの繁殖率を減らそうとする生き物は
いないわけです。豊かになるということは条件がよくなるわけで、条件が
よくなると普通はもっと産むので、だから人間がどうして豊かな暮らしに
なればなるほど持ちたい子供の数が減るのかなと。
松井: おばあさんが存在するという不思議と、もう一つは豊かさがある
ところに達すると産まなくなるという不思議と。
長谷川: 全世界的にそうです。それがどうしてそういう心理状態になるのか。
松井:やはり出産が大変じゃないのかな。産みたくないんじゃないのかな。
長谷川: それもあるかもしれませんが、進化生物学的に考えれば、そんな
心理を持つこと自体が 不思議なことですから、いろいろモデルをたてて
研究している人がいます。そこから見えてきたのは、べつにこういう先進国
だけではなく、牧畜民の社会とか、農耕社会とか、少しでも富の蓄積が
できたあとには、 子供だけではなくてー子供も富と数えてー
持っている富全体を最大化しようとするみたいなのです。・・
  ~~
 (-対談を終えて) 松井孝典
これまでの人間論には、生物学的人間論と哲学的人間論があった。
今回は生物学的人間論とはいかなるものか、ということで長谷川さんと対談した。
人類の起源には、多地域進化説と出アフリカ説があり、後者が有力になりつつある。
現生人類はなぜアフリカから拡散したのか?あるいは数万年前、同じ地域に存在した
ネアンデルタール人が絶滅し、ホモ・サピエンスが繁栄したのはなぜか?現生人類は
なぜ人間圏をつくって生き始めたのか? など、生物学的人間論には興味ある問いが
数多く残されている。そのすべてを議論するには紙面が十分ではなかったが、
今回の対談で、少なくとも上に挙げた問いへの答えは出せたと思っている。なぜか
知らないが現生人類には、おばあさんが生存できるという特徴と、言語能力が
格段に高いという特徴がある。この二つの特徴が、現生人類をして短期間に世界へ
拡散させ、それぞれの地域での繁栄をもたらし、一万年くらい前の環境変動に対し
農耕牧畜という生き方を選択させた。今回の対談で明らかになったように、右肩
上がりを前提とし、共同幻想を抱いて生きるといういまの生き方は、現生人類の
誕生以来の生物学的特徴なのだ。宇宙からの傭鰍的視点はこの特徴に対し、
何らか有効なフィードバック作用をもたらすだろうか?  (松井)
 ~~
言語能力を高くして、より良い情報手段を獲得して長生きする。
 それが現代の特徴ではないかい?? 私もか!

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2007年08月26日(日)
2336, ホッファー  -3
                (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
一昨日、アマゾンで注文をしていた中古本の、ホッファーの自伝が送って来た。
一昨夜半、二時間かけて読破したが期待したどおりの内容であった。 ミス・フィット
や港湾労働者の立場で、何故独学であらゆる分野の知的好奇心を持ち続けることが
出来たのだろうか、まず疑問を持った。それは7~15歳までの盲目体験である。
そして、彼の父親がやはり労働者に係わらず、読書好きの教養人だったことが
彼の勤勉性を培ったようだ。さすらいのホームレスから見た、ミス・フィットの
人たちの生態も克明に書かれていて、時空を越えた当時の生身の生活が垣間見れ、
彼と一緒に20世紀前半のアメリカを彷徨っているような気持ちになってしまった。 
ホッファーの言葉を幾つかのHPから拾ってみた。
なかなか含蓄の深い言葉ばかりである。(ー ~~ ー は私の内語である。)
  ーーーー
<世界で生じている問題の根源は自己愛にではなく、自己嫌悪にある。>
 ー自己嫌悪を無くすには、他人への愛が必要ということ!
  自己愛は、人への慈愛から育てるのが近道。それが出来ないのが人間か~
  でも、半々と割り切ってしまうしかないか、自己愛と自己嫌悪!
  他人が嫌ってくれているのに、自分まで同調することもないだろうにー  
<驚くべきことに、われわれは自分を愛するように隣人を愛する。
 自分自身にすることを他人に対して行う。自分自身を憎むとき、他人も憎む。
 自分に寛大なとき、他人にも寛大になる。自分を許すとき、他人も許す。
 自分を犠牲にする覚悟があるとき、他人を犠牲にしがちである>
 ー{これはホッファーの「思いやり」についての最も深い部} というが、
  自己犠牲という奴ほど、自己というエゴがヘバリツイテイルということに
  注意しないと、軽い?人間のボランティアになってしまう。解る?その意味ー
<私の言う知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに
 方向と形を与える教授の権利を持っていると思っている人たちである。
 知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要
 はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである>
 ーそういうこと!「教育のあるエリートの一員」か~? 
  エリートなんぞ対比の問題でしかないのが解らないのは、単なる馬鹿!
 ある本を読んでいたら、何処かの大学の教授が自らを日本を代表する教養人と 
 のたまっていた。