つれづれに

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 「一日は長いが、一週間は短い」と、思う日常が続いている。
<老齢は、一日は長く、一年は短い>から、思ったことだが。
もう、明後日には、シネマの日になる。 さて、今週は何を観ようか?
で、土曜日がきて、日曜日になる、そして・・・
 とはいえ、それが鬱陶しくも、ウンザリするでなし。結構、面白い。
一日のスケジュールが、濃厚だろう。 




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3803, 哲学人 ー⑤
2011年08月24日(水)

 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。
その典型が国家である。その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 
また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞
《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし 
金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる  南楼の月を弄ぶ輩も 
月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、下天のうちを比ぶれば、
夢幻の如くなり  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 

所詮は、幻想のようは儚い 一生を鳥瞰した歌詞。
マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。
  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という
本を学校の図書館で見つけ、好奇心から読んでみた。 この本の中で、唯一、
私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』だった。 驚いたことに
次のような記述があった。
「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで成り立っており、
そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、
 それに対して実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、
我々は直接それを知ることができず、それを明確に把握することもできないー」。 
私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っている
のを見て愕然とした。そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれていた。
それによれば、「私たちの心には無数の多様なイメージが浮かぶが、そのイメージ
を去来させているのは、個々とのイメージと同数の、直接触れることのできない
対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。 私たちは個人として生まれた
ときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。突きつめると、実際には、その大きな
ものしかない。互いに相容れることなく個々に分離しているのは、イメージだけである。
また、イメージはあくまでイメージであって、主観的ではかないものである以上、
そしてとくに、人間には生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向が
ある以上、イメージを幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。
分離した個々の事物、人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということ
になる。現実には万物はひとつである。」 ・・私には、この見解は確認できない
ように感じられたのである。たとえこれが真理であったとしても、そのことを知る
すべが見当たらなかった。とはいえ、この見解は、ある重大な事実を痛感させてくれた。
私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの考えている
ことに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定していたーのだが、
この想定には根拠がないことが明らかになった。 考えてみれば確かに、現実の
本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠がないように思われる。】
 ▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。 
  その対象も物理的に残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的
 残存しているものも、容赦なく変えてしまう。そうすると、残っているのはイメージ。
そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、そこに戻っていくという
考えに、ついつい・・・夢幻でしか!と。 恋愛など、性欲がつくりあげたイメージ
のダンスでしかない。ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。
  ・・・・・・・
3438, 腰痛について
2010年08月24日(火)
 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回書いている。
そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめるほどの腰痛はない。
一年間何もないのは近年には記憶がない。 低反発マットと、海老反りマシーン
による背筋伸ばしと、立振動のバイブレーション・マシーン効果がでているようだ。
四足だったサルの祖先を持つ人間が、両足で立って歩くようになったのが、
腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が長い人とか、立ち仕事の過剰が
腰に負担をかけるのが原因。日常的に心がけることは、
・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、
・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、
・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、
 ものを拾うときは、腰から上は立てたまま膝を曲げる。
・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと
・電車の座席や、喫茶店、居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと
・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による内臓の冷えも危険
・常に自分は腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように注意をすること
・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること などなど、ある。
腰痛と、嫁姑問題は、人類の永遠のテーマのようだが、予防の習慣で、ある程度は押さえ
込むことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を25年間も続けることも出来たし、
姿勢は良くなった。その結果、全身の血の巡りは良くなった。 まずは嫌わないで
腰痛と仲良くすること。
 ――
3063,閑話小題 
2009年08月24日(月)
  * 日本文理高校が決勝だと 
 日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。国体開催の一月前という
こともあり是非とも優勝をしてほしいもの。今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。
昨日は県岐阜には勝てないと踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高
だったから、新潟県にとっては大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力
だったが、ここまで来るとは思ってもいなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 
新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も最悪の事態の上に、この天候で稲作
も期待できない。優勝でもしたら国体までのつなぎになる。たまたま今日は飲み会が
入っているので、酒の味が美味くなる。
  * 新インフルエンザの恐怖
 商売が商売だけに、この新インフルエンザで日本中に蔓延した最悪の事態も考え
なくてはならない。半年も客が誰も泊まらないこともありうること。そうすると「  」 
考えても仕方がないことだが、現実に有りえることである。この恐慌?の中で、更に
日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が消耗しているので深刻の事態になる。
ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需を計算に入れていたので、もし大幅
の縮小となると大問題になる。 困ったものである。
支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。
タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。
 お盆で海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、
10日の潜伏後で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室の教室内で大蔓延する
のは火を見るよりあきらか。一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザで大問題に
なっている可能性が大である。新潟国体の縮小も充分に有りうること。 
これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる!  
そうこう考えると、恐慌も重なった大津波の本体が押し寄せてきたというのか。 
数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本の現実か。高校野球の優勝かどうか
より、直撃を受ける本体の方が大問題である。 不安と不機嫌の日々がつづく。 
・・・・・・・・
2698, 閑話小題
2008年08月24日(日)
 *大曲の花火
昨夜は、秋田の大曲の花火をNHkのハイビジョンでみた。
この数年の年中行事の一つになっている。電気を消した見ていると、自分が
土手で見ている気分になる。プロの花火師の評論が面白い。 
花火には「菊」と、「牡丹」の形があるとか。丸い花火は割りものとか、云々。
大曲は、日本中のプロの花火師が競う競技大会。 その結果が公表される。
開くタイミング10点、 開き具合30点  色彩および配色30点 技術30点 の比率
で評価される。地元の長岡の花火も良いが、大曲の方が華やかで規模(数)が大きい。
 ~~
 *日本野球がオリンピックで敗れた訳
日本が、良いところがないまま、敗退してしまった。結果論からいうと、星野監督
選定ミスである現役を退いて何年もたった監督と、コーチでは勝負勘が無くなっている。
せめて副監督として古田元ヤクルト監督をつけておくべきで、御友達感覚の監督、
コーチで勝てるわけがない。選手が、星野監督とコーチの前で、すくんでしまって
実力を発揮できなかった、ということ。更にG.G佐藤の二回の大エラーも、水を
大きく指した。 本人の一生の傷になる。数年間は針の筵だろう。ニュースに流れた
日本人の観客のヤジ「御前ら、日本の野球はこんなものだったのか?」も厳しいが、
それくらい星野には良いだろう。 あまりにプロ野球の監督とし鮮やかな辞め方を
したのだから。それより、あの二年前のワールド・ベースボール、あれは劇的過ぎ
ただけ。ただ星野は、酷かった。人生は、こんなものだろう。所詮は!+-ゼロ。
 ~~
 *オリンピックが終わるか
これまでは、あまりオリンピックは見ないが、時差のあまりない北京で行われた
ことと、お盆を跨いでいたこともあり、これだけ見るのも珍しい。といって決勝進出と、
注目された試合だけだが。前回の三分の二の金メダルだったが、こんなものだろう。
テロによる混乱も無く、まあ無事終了のようだが・・ 中国にとっては大成功の
オリンピックとは言えないが、そこそこ(65点)だった。独裁国家がオリンピックを
開催すると、何年後かに独裁体制が崩壊するのは、ナチのドイツとソ連の崩壊から
推測出来る。これから10年間は大きな試練が待っている。上海の万博まで持つ
だろうが、火はついたことは間違い。

・・・・・・
2007年08月24日(金)
2334, 離人症体験       オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+
ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。
私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。
 ーー
離人症とは、自分が自分の精神過程または身体から離れて外部の観察者になった
 かのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。
離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。例えば、世界が霧か煙を通すように
 ぼやけて見えるとか、声が遠方からのように聞こえます。ガラスの檻に閉じ込められ、
 それにより「現実の」世界から切り離されている感覚。 具体的には、自分が存在する
 実感がない、自分が見知らぬ人間であるように感じる、 自分が生きている感じが
 しない、などがある。
・身体に関する訴えとして、自分の体が死体・ロボットのように感じる、
 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。
・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、自分の行動を離れたところ
 から自分が観察するという感覚がしばしば起きる。このような分離は、心の中での
 果てしない自問自答、堂々めぐりと体験されたり、 自分の体から自分が抜け出す
 経験(体外離脱体験)と感じられることもある。 トランス状態にあるような様相を
 呈することもある。
・自分以外の人間は自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、これらは心的
 外傷に深い関連があり、自傷行為や自殺企図もある。
 ーー
以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。私自身、色いろな体外離脱や
パニックに陥ったことが度々あった。この「離人症経験」とは違うプロセスで体外
離脱体験になったのである。 人生の大きな変わり目とか、厳しい秘境旅行の帰りの
飛行機の中とか、大きなストレス状態の時などに生じるところが似ている。
過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは少し違う。
(後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。)
一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。
(何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠っていたところ
夢をみた。自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い上がっていく。
みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。「これは危ない、地上に戻らないと!」と、
本能的に夢から我に帰ったところ、そこは地上ではなく空中を飛行中。戻るはずの
地べたがないのである。空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を
飛んでいるのである。それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。
飛行機も、周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。
恐怖で失神?なんてものではない! このような特異の恐怖体験をした人は世界広といえ、
殆どいないだろうと、パニックが収まった時に頭に浮かんだ。(実際は多くいるだろうが、
特異という意味で・・・) バンジージャンプで二回飛び降りているが、落下時の恐怖
より恐ろしい?瞬間であった。その落下としても垂直に空中を飛んだ経験があるから、
その時に実感できたのだろう。数分は続いただろうから、よく心臓が止まらなかったもの
である。離人体験の恐怖を語っているブログがあったが。その類の知識のない子供が、
自分が自分から抜け出た感覚は本当に恐ろしいのは解るような気がする。
 離人症という病があるとは、知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、
正にこれじゃないか?「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団離人症
候群じゃないかい?
{娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡が
あらわれ、キリスト様と出会い・・}  それも、幸せな集団離人症ということ?