つれづれに

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   今日のYoutube
 
 今日で、リオのオリンピックが終了。 後は、4年後の東京オリンピックに。
ちょうど、私の年齢が生きていれば75歳で、私の寿命の目安の時になる。 
どうなることか。

 高校野球も「作新学院」が優勝。 これから晩夏になっていく。

 暑さのせいで、水分を多く取っているためか、腹が出てきた。
今まで、あまり無かったこと。体重は、変わってはないが・・・ 
 





・・・・・・・・・
3801, 哲学人 ー?
2011年08月22日(月)
      『哲学人』ブライアン・マギー著 ー読書日記
 ー 第一章 子供のころの記憶  
         ~時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?~?
【 何かが存在するためには、その何かは「ほかのものとは違う何らかの個性」
 を備えていなければならない。つまり、その何かは「異なるもの」も存在して
いなければならないのであり、その「何かに限界がなければならない」のである。
したがって、いまあるものに終わりがないということはありえず、いまあるもの
に始まりがないということもありえない。私は始まりのない時間も終わりのない
時間も不可能であると確信するようになった。かといって、始まりや終わりが
あるという可能性をつかめそうにないわけでもなかったが。さらに、似たような
問題が空間に関して存在することにも、私はすぐに気づいた。いまでも覚えて
いるが、ロンドンからイングランド中部のマーケット・ハーボロに
疎開していたころ(確か十歳か十二歳の頃だった)。公園の芝生に横になって雲
一つない青空をずっと奥まで見通そうとしながら、こんなふうに考えたことがある。
『 もし僕が空のなかにまっすぐ、昇ってそのまま突進んでいってたら、
どこまでも進んでいけたっていいはずだ。でも、そんなことはできない。
どうしてできないのか? きっと最後には終わりみたいなものに突きあたるから
だろう。だけど、どうして?最後に何かにぶつかるのだとすると、その何かは
空間のなかにないといけないんじゃないだろうか。そして、その何かが空間に
あって、空間ももっとあるとすると、その向こう側にも何かがあることになる
んじゃないか。ただ、そうすると限界がないことになるけれど、終わりのない
空間なんかあるはずない。終わりのない時間がありえないのと同じである。』
 こうした問題にしきりと頭を悩ませた末、私はこう考えるようになった。
最大の間違いは、自分に想像できないものがあるはずはないという仮定にある
のだろう。 考えられることと、実際にありうることとは違うのかもしれない。
結局のところ「つぎはどうなる? そのつぎは? そのつぎは? そのつぎは? 」
と、ずっと問いつづけていれば、確かにある意味では、永遠につづいていく
ものがあると考えることはできる。しかし、その永遠につづくものは考え
られるだけで、実際には存在しないということも、当たり前のような気がする。 
無限というものは、考えることはできても、存在することはありえない。
たとえば星の敗が無限であることなど実際にはありえないように・・。
それとも、自分は落とし穴かち抜け出そうとしているのに、いままた落ちつつ
あるのだろうか? ともかく、真相がなんであれ(考えられるものが存在できず、
考えられないものが存在できるとしても)、それは自分が現に抱えている問題を
解決する役には立たないだろう。 時間に始まりがあるのかないのかについて、
それは真相を教えてくれないからである。いったい、このふたつのうちどちらが
本当なのだろう? 】    (字数制限のためカット 2015年8月22日)

・・・・・・
3436, 人生で後悔することとは? 満足していることは?
2010年08月22日(日)

  * 私の人生で後悔することを、まず3つ挙げるとしたらと先日、
「死ぬときに後悔すること」を取りあげた。そこで私はどうか、考えてみた。
 ● 人生で後悔すること
・酒の飲みすぎと、それからくる失敗の連続
・身近の人たちへの配慮の不足
・NTT株やカラオケ事業など中途半端な準備で大失敗したこと
・100年、250年に一度の世界的変動期に遭遇してしまったこと
 (自分の問題ではないが)
・大学ノートに絞って生情報・知識を整理したおくべきだった。 
 記録のパターンの統一の不徹底
 ● 人生で、本当に良かったと思えること
・幼児期・少年期に、両親の創業を家族として体験できたこと
 (両親が必死に働いている姿がみれた)
・大学時代に多種の経験ができたこと。 最も充実した学生生活を送れた
 と言えること《ゼミ、一ヶ月間の欧州旅行、寮生活、クラブなどなど》
・30歳までに、問題の大部分を吐き出し、乗り越えたこと。
・26歳から、四十年近く独立独歩で事業ができたこと。
・55歳からHPを開設、公開し、一日一テーマで9年3ヶ月、休むこと
 なく書き続けたこと。 その結果、ネット世界に乗り遅れなかったこと。 
 まる『10年』に9ケ月になった、その結果、情報化社会の一端を垣間見れた
・好きな秘境・異境ツアーを中心に海外ツアーを47回、続けて旅行できたこと
・両親などの家庭環境に恵まれ、時代背景が歴史的にみて日本がベストの
 時代に20、30、40歳代を過ごせたこと
・人生で致命的な場面に遭遇しなかったこと(今までは、だが)
 ~~
 実際は後悔することだらけなのだろうが、やりたいことは、やった
実感がする。「人と比較をしない」のがポイント。何度も書いてきたが、
「上を見ればきりがない。下を見れば底がない。横を見れば情けない」の
最後を「ありがたい」にすればよい。 後悔か~ やはり、感謝が足り
ない分、後悔することになる。 一日、一回でも心を込めて「ありがとう」
というか。
 ・・・・・・・・
3061,階級社会だと! -1
2009年08月22日(土)
 
 世の中には、露出されてないが、階級社会が歴然と形成されている。
地方などでは、あまり表面化してないが、都会などでは住む街からし
歴然としている。千葉・総武線沿線界隈などの下町と、自由が丘などの
山の手界隈と街並みからして違うのは今さらである。世の中に平等など
考えてみたら有得ないのは当然のことで、有るとしたら選挙権とチャンス
の平等位のもの。 仏の社会学者のブリデューが、「プラティーク」と
ハビトゥス」という概念で社会階層のあり方を分析している。
・「プラティーク」とは、習慣行動と訳されるもので、我われが
 何を好み、色いろな場面でどのように振舞うかである。
・「ハビトゥス」とは、その習慣行動を派生させている規範システムをいう。 
 高校受験で、まず分類され、高校のクラスも成績順に分類され、大学で
ふるい分けられ、次は就職、そして、それぞれの組織の出世競争でランク
つけられる。  ブリデューは、「それぞれの階層の含まれる人間は、
全てでないにしても、同じような習慣行動をとる」このような構造を発生
するものとして「文化資本」という概念を示している。
 そういえば父が私を道具屋に幼児の頃から連れて行き、色いろな茶碗や
仏像を意識的に見せていた。母は、ことあるごとに倫理的な話や、商売の
原理原則の話をしてくれた。 第二次大戦前まで、何代か続いた古美術店を
営んでいて、戦中、戦後に色いろな商売の立ち上げなどの経験を具体的に
聞かされていた。 また、山本五十六や、地元の「ツガミ」の津上退助や、
野本互尊との親交の中で学んだことなど聞かされて育った。 それが、
ハビトゥス」のベースだったのだろう。それがあったから、どの場面でも
偉そうな何を見ても、それがどうしたで、相手から威圧を感じたり、仰ぎ
みることはなかった。文化資本の一部分の引継ぎがあったのだろう。
その文化資本は決して親だけでなく、自分で長年かけて形成しなければ
ならないことも両親の生き様をみて分っていた。 毎日の早起きであり、
読書であり、下世話な話をしないことであり、日常の贅沢をしないことで
あり、死に金を使わないことである。「で、御前さんは、その程度か?」
と言われれば、それまでよである。 まあ、いい。 ただ、私たちは、
その文化資本の匂いは嗅ぎ分ける。その文化資本は、倒産などで一瞬に
崩壊してしまうケースを、あまりに多く見てきた。それぞれの階層は、
その匂いには敏感である。特に腐った匂いには。 
「習慣は第二の天性」である。 だから自分で良い習慣を一つずつ作り
上げれば、ある日、突然違う自分を見出すことも可能である。 
その反対もある。
・・・・・・・・・
2696, 「レンタルの思想」-4
2008年08月22日(金)
  ー人類を救う「レンタルの思想」松井孝典対談集ー
どの対談を読んでも、なかなか難しいが、何度か読むと解かってくる
から不思議である。対談でないと、専門家(特に学者)の書物を読む
気にはならないが、対談の場合は意識的に難しい部分を、噛み砕いて
対談をしてくれるから、話しの内容についていける。
私が、この二人の対談で理解できたことは、
・「『人間とは何かを考えたとき』 言語・法・貨幣 という本能と
 理性の間にある媒介物こそ、人間を人間にしているのだ」ということである。 
 しかし、その貨幣が欲望の肥大を生むのである。
・「貨幣という概念の誕生によって初めて、グローバルな人間圏が定義
  されるのではないか」「所有という欲望の具体的なカタチを貨幣と
 いう抽象化し、それがグローバルな人間圏を形成させた」という点である。
 これにインターネットで電子マネーが瞬時に世界を駆け巡るのだから、
 世界がグローバル化するのは必然。まずは、一番印象に残った部分を
 抜粋してみた。
 ---
ー欲望の倫理学ー  
           ー 松井孝典 × 岩井克人
岩井克人: 法のない社会では、たとえば他人に殴られた人間は、
 その人間を殴り返すか、または直接賠償を要求しなければならず、
 そこでは個人の力の大小や属するグループの強弱によって人間関係が
 支配されてしまう。しかし、法があれば、その法を媒介として、殴られた
 人間と殴った人間との関係は抽象的な権利と義務の関係に還元されることになる。 
 それが人間社会を拡大する。さらに貨幣が導入されると、人間と人間との間の
 交換関係がグローバル化する。贈与交換にもとつく共同体では、交換の範囲が
 お互いに顔を知っている人間同士に限られるのですが、貨幣の媒介は顔を
 知らない人間同士でも交換を可能にする。地球上にちらばっていたローカルな
 人間圏が統合され、本来の意味での人間圏というのができることになる。
松井孝典: 地球システムのなかの人間圏という概念を定義する仕方に、
 二つあると。一つは物質エネルギー循環的に定義する方法、もう一つは貨幣と
 いう仮想的概念のもとに、一つの共同体として成立するか条件から定義する方法。
岩井克人:そういうふうに考えると、じつは『人間とは何か』と考えたときに、
 それは、言語・法・貨幣 という、自然でもなく人為でもない人間関係の媒介物、
 ハイエクの言葉を借りると(本能と理性の間)にある媒介物こそ、人間を人間
 にしているのだということになる。 それは同時に、人間を普遍化させること
 になります。
  《対談を終えて》 松井孝典
生物圏から人間圏が分化したその時、人間の欲望が解放された、と私は考えた。
欲望の具体的表現が所有であるから、その時に人類の地球の所有が始まった、
と以来考えている。しかし、主流派経済学では所有権という概念を用いて、生物圏
の種の一つに過ぎない段階でも、人間の行動の全てを解釈する、という。 
貨幣という抽象的概念の誕生によって初めて、グローバルな人間圏が定義
されるのではないか、という指摘と共に頭の中が刺激される。
ただし、未来という時間軸は、所有権という概念をもってしても、その議論に
組み込めない。私風に言えば、歴史を規定する境界条件が変化するとき歴史に
基づいて未来は予測できない、ということであるが、問題の難しさはいずれに
せよ、この問題に帰着するようだ。(松井)
 ~~
後記:電子マネーとか、地域マネーとか、ポイント制などの企業内マネーとか、
これまでとは違った貨幣が生まれだしてきた。特に注目するのはネット内の仮想
世界のマネーである。ネット内では、共通ルールと、共通マネーと、共通言語が
必要となる。それを前提としてネット内の仮の個々人が成り立つ。そして、
リアル世界では実現できなかった欲望が解放される。
 金か~ 使ってこそ金、貯めるものじゃない、欲望を開放するもの。
ただ仮想的概念でしかないことを忘れないことだ。
・・・・・・・・・・
2007年08月22日(水)
2332, ホッファー -1
                       オノヽ∋―_φ(゜▽゜*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。彼の文章を読むと、
深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。彼は自分の生きかたを通して人生の何たる
かを考え続けている。知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想。
日本でいうと中村天風のような人物である。「ホッファー」で検索をして、
日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから発注をした。
「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、今から読むのが楽しみである。
HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。これからみても彼の哲人ぶりを垣間
見れる。生きていく上で真の「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
 ーーー
・ホッファーは(1902年7月25日~1983年5月20日)は独学の社会哲学者。
 ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
   (字数の関係でカット09年08月22日)