つれづれに
他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
梅雨もあけ、猛暑が、そろそろやってくる。梅雨は梅雨でジメジメしてしんどいし、
猛暑は猛暑で、大変だ。 冬産まれもあって、猛暑は、どうもこうも。
・・・・・・・
2006年08月01日(火)
1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る-2
Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」という
スナックで飲んだ。そこで、
「阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。
ところが、マスターとスタッフが、そこをよく知っていて、「大きな川の河口は恐ろしい
ところで、あそこではエンジン付きの舟以外は誰も乗らない。知らないだけで、とんでも
ないこと。何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。
翌日、会社で近くに住む人に話たところ、もっと厳しい指摘。「あそこは海の波と川の
波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来るか分らないところ。毎年何人か死んでいる。
そのため誰も泳ぐ人もいない危険地帯。この豪雨の翌日にカヌー遊びなど危険とかいう問題
ではない。」 流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。誰も泳いだり、ボートなどに
乗ってないはずである。松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。さらに
大きな川や、その河口も初めてと言っていた。知らぬが仏だったのか。たまたま、
そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。 カヌーも経験すればするほど深い世界であり、
のめり込んでしまうという。一人でカヌーを持って海・川に行き、組み立て、そこで遊び、
また解体して車に積み込み、一人で帰ってくるのが良いという。 こういう趣味を持って
いるのは羨ましい限りである。おまけに、河口湖に別荘を持っていて、そこでカヌー遊びなど・・
人は人、我は我だが・・・ こういう人の趣味などで羨ましいと思った時、自分の趣味を
持っていると余裕を持てるからよい・・・ 「趣味は、その人をそのまま現す」というが、
そのとおりである。永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・
人がとやかくいう世界とは別物。
*(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。 私の母とマスターの母が
同級生。その上、私の兄とマスターも同級生ときている。こういう老舗が地方都市には
多いが、最近どんどん廃業している。 このテーマと関係ないが)
バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
・・・・・・・
3415, 売国者たちの末路
2010年08月01日(日)
「売国者たちの末路 」副島 隆彦 , 植草 一秀 (著)
ーまずは、アマゾン・内容紹介ー
リーマン・ショックを的中させた副島隆彦と植草一秀の対面が実現。
国民を不幸にする国家権力に対し「共闘宣言」を叩きつける。植草は1990年代、
日本を代表するエコノミストとして華々しく活躍していた。
しかし2001年4月の小泉純一郎政権誕生後、その経済政策(すなわち竹中平蔵氏
主導の『構造改革』路線)に異を唱えつづけたところ2度にわたって「痴漢事件」
の犯人となり、公的な職を失った。2004年の事件は罰金刑が確定したが、2006年
の事件は最高裁で係争中。現在はブログで政治・経済分析を中心とする言論を発信。
副島は早くから「植草氏は冤罪。売国者・小泉=竹中政治の謀略に嵌められた」
と指摘。 同時に植草氏の言論活動を高く評価してきた。両氏が相見える本書
では、小泉=竹中政策の糾弾はもとより、民主党・小沢代表への国策捜査、
「かんぽの宿」問題に象徴される郵政民営化の闇、世界金融危機の行方まで、
新聞やテレビでは触れることのできない
「真実の言論」を展開する。
▼ このところ読み続けている林秀彦氏の著書の叫びと相通じるところが多い。
官僚、政治家、マスコミがアメリカの隠れたコントロールに入っておりそれに
歯向かう者たちを謀略に嵌めてしまう。アメリカの新自由主義の誤りを今さら
ではないが、それに踊った小泉、竹中は万死に値することは事実。私も数年前に、
やっと気づいたのだから遅い。しかし大手銀行の財務内容が改善されたことも事実。
冷戦では西側として、アメリカの傘の中で共産主義から国を守らなければならな
かったが、それが終わった現在では、その構造が変わるのが当然のはず。
それを自民と官僚が売国的行為を続けてきた結果と二人は主張。
植草は【一般国民の大多数は、観念的に「警察、検察、裁判所は中立公正であって、
正義の味方」という考え方しか持ってなかった。しかし一部の人たちから
「いや、そうではない」という考え方が広がってきた。】という。
高橋洋一の万引き事件は、明らかに検察官僚の捏造事件と疑ってきたが、
植草の痴漢事件も冷静に考えると、やはり冤罪と見ると、辻褄があう。
一度、解体的混乱を通ってしか日本は改革できないのか。
頭と尻尾をみると、つくづく絶望的になる!
・・・・・・
3040,卒業40年周年か~ -4
2009年08月01日(土)
昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて
考えた上で判断をした。私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、
自分の人生を心を込めたダイジェストとして書かれた手紙を貰うのは初めて。
私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと勝手に判断させて貰った。
‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’の手紙上の対話だから魂が入った
のだろう。それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような
気持ちである。私にとって一期一会の対話になった。 それだけ良い学生時代を
過ごしてきた証明にもなる。
ーー
* 奥野君からの手紙
お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、
本当にお久しぶりでございます。合気道の道場、同志社や学習院への合同稽古、
合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての佐渡旅行等々
四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。
堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して行くのだろうなと私なりに思って
いました。どうして?と問われれば・同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かった
とお答えします。その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当に
すばらしいですね。プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。
暖かな生活が伝わってきました。 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地
名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、名古屋、広島、東京、仙台と
転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。
最終の役職は支店の責任者でした。50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が
次々と鬼籍に入られるようになりその方々の浬繋のお顔を拝む都度、一度の人生を
思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく
送れた自負しています、が人生の残り時間があとわずかになってきたと感じ始めると、
時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、日ごろより
感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。
日常生活は太平洋の日の出をワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に
沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川の下流域にて
魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、カレイ、海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、
イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが
止まっているように思える一時です。ゴルフはシーズン30-40回といったところです。
自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。
家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 妻は若かりし時、
準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。
現在私のサポートが少々必要な状態です。 そんな事情で立教会や同窓会といった
宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八(しんばち)といいます。 丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買
業務に携わっています。平均睡眠時間は4・5時間との事です。親より出来がよかった
のはカミサンの弟が岐阜大の教授をやっているのでそのようなDNAをすこしばかり
ひきついでくれたのかなとおもってしまう親馬鹿です。
ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情で
それもかなわず拙文とあいなりました。状況が好転したらぜひお会いしたいですね。
堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。
7月28日 奥野和男
・・・・・・・・・・・
* 奥野君への手紙
2009年07月22日
(今日、本人の手元に届く)
学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を
書いています。卒業前の半年間(S43・9~44・2)日記をつけており、それを20数年前に
倉庫の隅から見つけ出しました。書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで
当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 8年前に始めた私のHPの中央の下に
ある分類のブログに書き写してあります。ブログに同月同日に毎日載せたものです。
従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。その時に、貴君が、あの
馬小屋のような寮に卒業間近かに訪ねてきて、これから社会に出るにあたって多くを
語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。
先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの
顔が見受けられました。その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。
三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く
転勤できていて、2~3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。
ところで私は、その後
・ジャスコに一年在社後に、
・産業能率大学に途中編入をし、
・その後金沢の「いとはん」(その後ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、
やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを二年間従事(その当時に結婚)
・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、
何とかやっています。 どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。
30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたという
ところです。ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の
南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。資生堂に入社して、都会に
ドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。実際のところ、東京の
アスファルトジャングルより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観
があるでしょうが) 何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。
それでは、お元気で。 あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。
堀井八郎
追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。
検索に堀井八郎を入れると出てきます。当時の写真や、先日のクラブや、同級の
二次会の写真があります。分類には当時の私の日記があります。
~ 22・23・24歳の日記のコーナー~
・・・・・・・
2675, 東西が逆転を始めた! だと
2008年08月01日(金)
十年前、いや数年前まで、「東西逆転」という言葉など思いもよらなかった。
この随想日記で書いたことがあるが、重心は地球を周る。「モンゴル、トルコ、欧州、
そして現在はアメリカのエネルギーが、次は中国、インドになる」と。
紆余曲折があろうとも、その流れになりそうである。アメリカの大統領の、あの男と、
その背後のユダヤの諸々の事情、そう「9・11事件」で、事態は根こそぎ動き始め
たのである。情報化もあるが。 アジアには地球の半分の人口が存在している。
その中国と、イ
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今日のYoutube
梅雨もあけ、猛暑が、そろそろやってくる。梅雨は梅雨でジメジメしてしんどいし、
猛暑は猛暑で、大変だ。 冬産まれもあって、猛暑は、どうもこうも。
・・・・・・・
2006年08月01日(火)
1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る-2
Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」という
スナックで飲んだ。そこで、
「阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。
ところが、マスターとスタッフが、そこをよく知っていて、「大きな川の河口は恐ろしい
ところで、あそこではエンジン付きの舟以外は誰も乗らない。知らないだけで、とんでも
ないこと。何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。
翌日、会社で近くに住む人に話たところ、もっと厳しい指摘。「あそこは海の波と川の
波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来るか分らないところ。毎年何人か死んでいる。
そのため誰も泳ぐ人もいない危険地帯。この豪雨の翌日にカヌー遊びなど危険とかいう問題
ではない。」 流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。誰も泳いだり、ボートなどに
乗ってないはずである。松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。さらに
大きな川や、その河口も初めてと言っていた。知らぬが仏だったのか。たまたま、
そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。 カヌーも経験すればするほど深い世界であり、
のめり込んでしまうという。一人でカヌーを持って海・川に行き、組み立て、そこで遊び、
また解体して車に積み込み、一人で帰ってくるのが良いという。 こういう趣味を持って
いるのは羨ましい限りである。おまけに、河口湖に別荘を持っていて、そこでカヌー遊びなど・・
人は人、我は我だが・・・ こういう人の趣味などで羨ましいと思った時、自分の趣味を
持っていると余裕を持てるからよい・・・ 「趣味は、その人をそのまま現す」というが、
そのとおりである。永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・
人がとやかくいう世界とは別物。
*(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。 私の母とマスターの母が
同級生。その上、私の兄とマスターも同級生ときている。こういう老舗が地方都市には
多いが、最近どんどん廃業している。 このテーマと関係ないが)
バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))
・・・・・・・
3415, 売国者たちの末路
2010年08月01日(日)
「売国者たちの末路 」副島 隆彦 , 植草 一秀 (著)
ーまずは、アマゾン・内容紹介ー
リーマン・ショックを的中させた副島隆彦と植草一秀の対面が実現。
国民を不幸にする国家権力に対し「共闘宣言」を叩きつける。植草は1990年代、
日本を代表するエコノミストとして華々しく活躍していた。
しかし2001年4月の小泉純一郎政権誕生後、その経済政策(すなわち竹中平蔵氏
主導の『構造改革』路線)に異を唱えつづけたところ2度にわたって「痴漢事件」
の犯人となり、公的な職を失った。2004年の事件は罰金刑が確定したが、2006年
の事件は最高裁で係争中。現在はブログで政治・経済分析を中心とする言論を発信。
副島は早くから「植草氏は冤罪。売国者・小泉=竹中政治の謀略に嵌められた」
と指摘。 同時に植草氏の言論活動を高く評価してきた。両氏が相見える本書
では、小泉=竹中政策の糾弾はもとより、民主党・小沢代表への国策捜査、
「かんぽの宿」問題に象徴される郵政民営化の闇、世界金融危機の行方まで、
新聞やテレビでは触れることのできない
「真実の言論」を展開する。
▼ このところ読み続けている林秀彦氏の著書の叫びと相通じるところが多い。
官僚、政治家、マスコミがアメリカの隠れたコントロールに入っておりそれに
歯向かう者たちを謀略に嵌めてしまう。アメリカの新自由主義の誤りを今さら
ではないが、それに踊った小泉、竹中は万死に値することは事実。私も数年前に、
やっと気づいたのだから遅い。しかし大手銀行の財務内容が改善されたことも事実。
冷戦では西側として、アメリカの傘の中で共産主義から国を守らなければならな
かったが、それが終わった現在では、その構造が変わるのが当然のはず。
それを自民と官僚が売国的行為を続けてきた結果と二人は主張。
植草は【一般国民の大多数は、観念的に「警察、検察、裁判所は中立公正であって、
正義の味方」という考え方しか持ってなかった。しかし一部の人たちから
「いや、そうではない」という考え方が広がってきた。】という。
高橋洋一の万引き事件は、明らかに検察官僚の捏造事件と疑ってきたが、
植草の痴漢事件も冷静に考えると、やはり冤罪と見ると、辻褄があう。
一度、解体的混乱を通ってしか日本は改革できないのか。
頭と尻尾をみると、つくづく絶望的になる!
・・・・・・
3040,卒業40年周年か~ -4
2009年08月01日(土)
昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて
考えた上で判断をした。私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、
自分の人生を心を込めたダイジェストとして書かれた手紙を貰うのは初めて。
私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと勝手に判断させて貰った。
‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’の手紙上の対話だから魂が入った
のだろう。それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような
気持ちである。私にとって一期一会の対話になった。 それだけ良い学生時代を
過ごしてきた証明にもなる。
ーー
* 奥野君からの手紙
お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、
本当にお久しぶりでございます。合気道の道場、同志社や学習院への合同稽古、
合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての佐渡旅行等々
四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。
堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して行くのだろうなと私なりに思って
いました。どうして?と問われれば・同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かった
とお答えします。その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当に
すばらしいですね。プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。
暖かな生活が伝わってきました。 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地
名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、名古屋、広島、東京、仙台と
転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。
最終の役職は支店の責任者でした。50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が
次々と鬼籍に入られるようになりその方々の浬繋のお顔を拝む都度、一度の人生を
思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく
送れた自負しています、が人生の残り時間があとわずかになってきたと感じ始めると、
時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、日ごろより
感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。
日常生活は太平洋の日の出をワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に
沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川の下流域にて
魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、カレイ、海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、
イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが
止まっているように思える一時です。ゴルフはシーズン30-40回といったところです。
自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。
家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 妻は若かりし時、
準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。
現在私のサポートが少々必要な状態です。 そんな事情で立教会や同窓会といった
宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八(しんばち)といいます。 丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買
業務に携わっています。平均睡眠時間は4・5時間との事です。親より出来がよかった
のはカミサンの弟が岐阜大の教授をやっているのでそのようなDNAをすこしばかり
ひきついでくれたのかなとおもってしまう親馬鹿です。
ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情で
それもかなわず拙文とあいなりました。状況が好転したらぜひお会いしたいですね。
堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。
7月28日 奥野和男
・・・・・・・・・・・
* 奥野君への手紙
2009年07月22日
(今日、本人の手元に届く)
学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を
書いています。卒業前の半年間(S43・9~44・2)日記をつけており、それを20数年前に
倉庫の隅から見つけ出しました。書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで
当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 8年前に始めた私のHPの中央の下に
ある分類のブログに書き写してあります。ブログに同月同日に毎日載せたものです。
従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。その時に、貴君が、あの
馬小屋のような寮に卒業間近かに訪ねてきて、これから社会に出るにあたって多くを
語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。
先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの
顔が見受けられました。その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。
三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く
転勤できていて、2~3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。
ところで私は、その後
・ジャスコに一年在社後に、
・産業能率大学に途中編入をし、
・その後金沢の「いとはん」(その後ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、
やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを二年間従事(その当時に結婚)
・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、
何とかやっています。 どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。
30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたという
ところです。ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の
南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。資生堂に入社して、都会に
ドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。実際のところ、東京の
アスファルトジャングルより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観
があるでしょうが) 何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。
それでは、お元気で。 あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。
堀井八郎
追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。
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二次会の写真があります。分類には当時の私の日記があります。
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・・・・・・・
2675, 東西が逆転を始めた! だと
2008年08月01日(金)
十年前、いや数年前まで、「東西逆転」という言葉など思いもよらなかった。
この随想日記で書いたことがあるが、重心は地球を周る。「モンゴル、トルコ、欧州、
そして現在はアメリカのエネルギーが、次は中国、インドになる」と。
紆余曲折があろうとも、その流れになりそうである。アメリカの大統領の、あの男と、
その背後のユダヤの諸々の事情、そう「9・11事件」で、事態は根こそぎ動き始め
たのである。情報化もあるが。 アジアには地球の半分の人口が存在している。
その中国と、イ