つれづれに

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今日のYoutube

 昨日から地元も入梅をしたようだが、今朝は何とか、早朝の
ミニ・チャリをしてきた。今年は、雨量の少ない梅雨になりそうだ。
 
 欧州の国別対抗のサッカーを、機会があるごと、見ている。
これが、戦争代わりなのか、会場は異常な盛り上がり。
サッカーなど、地元新潟のチームが弱いこともあって、TV放送が
あってもみないが、欧州同士なら、客観的にみれて面白い。
今まで、なかったことだが、硬い主観が、柔らかくなってきたということか。

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3732, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  ~?
2011年06月14日(火)

  * ジャンプのために     『議論に負けない法』スペンス著
 《恐怖の「目」をにらみつけよ、そうすれば自分から「解放」される》
 さて私たちは今、聴衆の前に立っている。どうすれば話せるだろうか。
どうすれば手を離すことができるだろうか。その経験は、近所のプールの高さ
四メートルの飛び込み台から、初めて飛び込むのに似ている。飛び込み台の上に
立って下を見下ろすと、胃は硬直し、膝はがくがくしはじめる。さりげなく
くるりと向きを変えて、引き返したい気持ちになる。だが心のなかのかすかな
声は、飛べ、と急き立てる。 「魔術的な議論」のため手を離すこと、メモに
縛られずに自分自身を解放すること、裸でたつこと。頭からではなく心から
話すこと。読むのではなく、話すこと、それはこういうものだ。
「魔術的議論とは、自分自身の中に飛び込むことだ」 私は若い弁護士たちに、
まず近所のプールに行って飛び込み台から飛び込むことで、「魔術的な議論」
に飛び込むことを、実際に体験してみることを勧めている。実際に泳げなかった
私の生徒の一人は、飛び込み方を学んだばかりか、泳ぎ方も、そうこうする
あいだに身につけた。 議論もそういうものだ。彼は陪審員の前に歩み出た時
に自分が飛び込み台に立って飛び込もうとしているところを想像した。 
激しい恐怖が襲ってきた。私が忠告したとおりに、彼は陪審員に自分の恐怖に
ついて話した。 なぜこの裁判が自分にとって重要なのか、なぜ勝ちたいのか、
なぜ負けるのが怖いのかを説明した。彼が恐怖を感じたのは、自分の依頼人
ためだった。が、自分自身のためでもあった。依頼人のことを心配していた
からこそ、怖かった。負けたらつらい思いをすることも怖かった。
だが、彼は飛び込んだ。そのあと「魔術的な議論」は一気に湧き出てきた、
と彼は私に話してくれた。 もう一人の生徒は、大学時代に飛び込みの選手
だったため、飛び込みはお手のものだった。「それなら、肉体的に何か怖い
と思うことをやってみなさい」と私は提案した。次に彼に会った時、彼は
この経験で輝いていた。 彼はなんと飛行機から飛び降りたのだ。 
パラシュートを開くのをこらえながら、地上数百メートルまで落下して
いく時の気分は最高だったと彼は言った。 】
▼ ニュージーランドで、南アフリカザンベジ川の鉄橋で、43M、
 100Mのバンジージャンプで、飛び込みの恐怖の経験をしてみた。
 あの恐怖は、筆舌であらわすことは無理だが、この二回の経験で、今でも
躊躇する場面(=倒産時の銀行への侘び挨拶など・・)で、冷静でいられる。 
もっとも、これまで、幾つかの事業を経験してきたが、その度、胸試しに
似ていた。<事業を立ち上げるとは自由を得ることであった。その事業は
失われても、その自由を充分味わった後味は、身体と心に染み付いている。>

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3367, 大不況で世界はこう変わる!  -2
2010年06月14日(月)
 * ネットワーク型資本主義
 ここで、榊原は、キーワードとして、「ネットワーク型資本主義」と表現を
している。アマゾン、ヤフー、楽天、マックなどの出現から知ることができる。
私の最近の買い物の半分はネット購入である。 アマゾンン、価格ドットコム、
楽天、ヤフーなどを通し購入、週に二日は宅配便が来ている。
ネット販売は既に百貨店業界や、コンビニの売り上げを越えている。 
これにiPadなどのタブレット型情報端末が普及すれば、ネットワーク型
資本主義の時代の姿は鮮明になる。それは、もうアメリカ型資本主義の象徴
である大量生産・大量販売の時代から、ネットワークによるモノの交換の時代
になっていくのである。ネットで市場で農家の奥さんが直接、お客に売る時代に
逆戻りをすることが可能になる。この著で一つの事例を上げている。 
オイシックスという企業は農家1000軒あまりと契約をしネット販売している。
ここは注文があってから収穫し、新鮮な野菜を三日以内に届ける他、カタチの
不ぞろいな野菜を扱う等、オイシイということを基準に価格を三割程度低く
して販売している。こうした新しい試みは、野菜の色と形を基準に仕入れをする
スーパーマーケットの方式に対する挑戦でもあり、いわゆるスーパーマーケット
文明を壊していくポテンシャルを持っている。スーパーマーケットは、その効率
と低価格で八百屋や魚屋、肉屋などに取って代わっていったが、オイシックス等は
新しいインターネットという技術を使って、二十一世紀型の八百屋をつくるという
試みだということができるのでしょう。 家内が最近、米を近くのスーパーや
米穀店からネットの米屋に注文をかえた。この方が価値があると判断したからである。 
そういえば最近、ヨーカ堂のネット注文の配達の車を見かけるようになったが、
この傾向が更に強くなるだろう。情報化が世界を根底から変えようとしている。
その一つが、この恐慌である。 21世紀世界の創造の前の破壊である。

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2992,転機を迎えた受験ビジネス
2009年06月14日(日)
 * 先日の産経新聞のトップ記事に時代の変化をみた。
早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、
245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。中学も140人に対して170人の
受験者しかなかったという。中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は
定員の半分に満たない63人だという。私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験
ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を示すこと
になった。 来年度からは男子だけを男女共学にし、寮も取り入れ全国からの
募集に切り替えるという。早稲田のブランドが落ちたのか、不景気なのか? 
早稲田当局からみたら、横面を殴られたような気分だろう。
 また日本の大学より直接、アメリカのハーバードに受験する事例もあげて
いたが、私の知人の息子が直接、アイルランドや、オーストラリア、カナダなど
に留学している。それも本人が、そうしたいというから行かしているという。 
まあ、良いことである。 H20年度で私立大学の47パーセントが定員割れになり、
3分1の34パーセントが赤字倒産の危機である。少子化、不景気、価値観の多様化
などで大学経営も、いずこも厳しい時代になったのである。
昨年の11月に駒沢大学が、財テクの失敗で154億円の損失を出したと、大々的に
報じられた。慶応大学もH21年・3月期で保有有価証券の含み損が366億円という。
果たして経営学を教えてよいのかと疑問が出るが、時代が変わったのである。
 しかし、少なくとも3倍位はあって然るべきなのに、驚きである。
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2628, 日本経済、どん底への転落
 2008年06月14日(土)
 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが
読んでみたいとおもっていた。それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 
 まずは、この本の紹介文と、目次からー
 ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著   ー読書日記
いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入!
日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。
これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に
基づく経済力で、敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、黒字を蓄えてきた。
しかし、財政赤字の放置と、成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済
を「赤字体質」へと変えてしまい、かつてあった勤勉な国民性を失った今、
「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。
このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中
であると著者は言う。そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代
にとっては大変過酷な状況にある。本書は、今こそ、増税を含む社会の
大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書
 (目次)
第1章 明るさが見えない低迷       第2章 変換を迫られる経済政策
第3章 下落する経済の恐怖  
第4章「もの余り」社会から「もの不足」社会へ転換  
第5章 国際収支の赤字と資金の不足    第6章 悪性インフレへの転落
第7章 少子高齢化が加速する下落     第8章 再発展を目指して
第9章 日本の将来のために
 ――
解)
「日本経済インフレの危機」(2007年)
「銀行の錯覚?いまこそ正道に立ち返れ」(2006年)
「耐乏なくして再生なし?日本経済・復活のシナリオ」 
などで何度も今からでも思い切った支出の削減と、消費税のアップを主張。
≪字数制限のためカット2010年6月14日)
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2007年06月14日(木)
2263, 人生の真価の問われる10年とは д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。
30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり
40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。
50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。
自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期。
 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた!
私の場合、
20歳代までの三十年は、がむしゃら
30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期
40歳代は、色いろな部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり
50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期
60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期   というのが、現在の心境である
 ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。
過去は打ち消すことが出来ない。過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。
未来への意思は「いま、ここ」の中で頑丈なものにする。真価を問われた50代を
過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。
性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければ
ならない時期に、それまでの生き方が問われる。その為、何十年かけて、その準備
をしなくてはならない。ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。 
準備。この成果が重要というより、前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。    
50歳代か?!  面白かった! 
                   ヾ(´Д`、)
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2006年06月14日(水)
 1898, 結婚の三条件
     \(^▽^*)おはようございます!         (*^▽^)/
息子も結婚の適齢年齢になってきたが、最近の結婚条件が
以前の三高から3Cに変化してきたという。
 ーその3Cとは、
Comfortable(快適な)  - 今の生活水準を落とさない十分な収入。
Communicative(理解しあえる、通じ合える) 価値観やライフスタイルが一緒。
Cooperative(協力的)           - 家事や育児に協力的。
バブル期の「三高」(高学歴、高収入、高身長)と比較すると、「高収入」は
変わってないが他の条件が「個人的な快適さや満足感」に変わっている。
女性が「自慢できる夫」という見栄より、「ラクさせてくれる結婚相手」を
欲しがるようになった。自分の満足を追求する時代の風潮であろう。 
それに加え、最近では「三低」が求められるという。
「三低」とは、
・低姿勢   ーレディーファースト
・低リスク  ーリスクの低い安定した職業(公務員、資格保持者など)
・低依存   ー束縛しない、お互いの生活を尊重の男性         
これは男性に対して言えることではなく、女性に対しても要求されることである。
こういうことが情報化社会で知られると、男女の結婚難の原因になる。
そんな男女何処にいるの?と考えてみたら、共働きなら、そうせざるをえないか、
前提条件になる? それでは、自分は如何であろうか?三高なら適応しないが、
3Cと三低なら、大筋は合致している?いやしていないか!
低姿勢は、三十数年の間に躾けられた?結果でしかない・・・
低リスクは最近怪しくなってきたか? 低依存は、ただ無視されているだけか!
ー結婚を迷っている人に告ぐ!
 鏡をジックリみて、 自分の履歴書をみて、自分の両親をみて、冷静に
 自分を判断しなさい! 貴方は特別な存在ではないのです。自分を評価
 しすぎるな!ただそれだけである。但し 卑下することもない!
             (自分のこともだが) (。・∀・)ノ゙バイ!