つれづれに

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 昨日から地元も入梅をしたようだが、今朝は何とか、早朝の
ミニ・チャリをしてきた。今年は、雨量の少ない梅雨になりそうだ。
 
 欧州の国別対抗のサッカーを、機会があるごと、見ている。
これが、戦争代わりなのか、会場は異常な盛り上がり。
サッカーなど、地元新潟のチームが弱いこともあって、TV放送が
あってもみないが、欧州同士なら、客観的にみれて面白い。
今まで、なかったことだが、硬い主観が、柔らかくなってきたということか。

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3732, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  ~?
2011年06月14日(火)

  * ジャンプのために     『議論に負けない法』スペンス著
 《恐怖の「目」をにらみつけよ、そうすれば自分から「解放」される》
 さて私たちは今、聴衆の前に立っている。どうすれば話せるだろうか。
どうすれば手を離すことができるだろうか。その経験は、近所のプールの高さ
四メートルの飛び込み台から、初めて飛び込むのに似ている。飛び込み台の上に
立って下を見下ろすと、胃は硬直し、膝はがくがくしはじめる。さりげなく
くるりと向きを変えて、引き返したい気持ちになる。だが心のなかのかすかな
声は、飛べ、と急き立てる。 「魔術的な議論」のため手を離すこと、メモに
縛られずに自分自身を解放すること、裸でたつこと。頭からではなく心から
話すこと。読むのではなく、話すこと、それはこういうものだ。
「魔術的議論とは、自分自身の中に飛び込むことだ」 私は若い弁護士たちに、
まず近所のプールに行って飛び込み台から飛び込むことで、「魔術的な議論」
に飛び込むことを、実際に体験してみることを勧めている。実際に泳げなかった
私の生徒の一人は、飛び込み方を学んだばかりか、泳ぎ方も、そうこうする
あいだに身につけた。 議論もそういうものだ。彼は陪審員の前に歩み出た時
に自分が飛び込み台に立って飛び込もうとしているところを想像した。 
激しい恐怖が襲ってきた。私が忠告したとおりに、彼は陪審員に自分の恐怖に
ついて話した。 なぜこの裁判が自分にとって重要なのか、なぜ勝ちたいのか、
なぜ負けるのが怖いのかを説明した。彼が恐怖を感じたのは、自分の依頼人
ためだった。が、自分自身のためでもあった。依頼人のことを心配していた
からこそ、怖かった。負けたらつらい思いをすることも怖かった。
だが、彼は飛び込んだ。そのあと「魔術的な議論」は一気に湧き出てきた、
と彼は私に話してくれた。 もう一人の生徒は、大学時代に飛び込みの選手
だったため、飛び込みはお手のものだった。「それなら、肉体的に何か怖い
と思うことをやってみなさい」と私は提案した。次に彼に会った時、彼は
この経験で輝いていた。 彼はなんと飛行機から飛び降りたのだ。 
パラシュートを開くのをこらえながら、地上数百メートルまで落下して
いく時の気分は最高だったと彼は言った。 】
▼ ニュージーランドで、南アフリカザンベジ川の鉄橋で、43M、
 100Mのバンジージャンプで、飛び込みの恐怖の経験をしてみた。
 あの恐怖は、筆舌であらわすことは無理だが、この二回の経験で、今でも
躊躇する場面(=倒産時の銀行への侘び挨拶など・・)で、冷静でいられる。 
もっとも、これまで、幾つかの事業を経験してきたが、その度、胸試しに