つれづれに

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『 僕だけがいない街 』
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 内容
《 毎日を懊悩して暮らす青年漫画家の藤沼。ただ彼には、
 彼にしか起きない特別な症状を持ち合わせていた。
 それは…時間が巻き戻るということ! この現象、
 藤沼にもたらすものは輝く未来? それとも…。・・》
▼ 他に面白そうなのがないので、この『 僕だけがいない街 』を
 見ることにしたが、春休みもあってペアの男子さえいない女子中高生だけ。 
 何か後ろの方から失笑が聞こえてきそうな、アウエー状態だが、
 今さら館内から出るわけにいかず。しかし、内容は、女子高生向きの
 内容としても、なかなか面白い。 85点というところ。
  たまには、女子高生の漫画の世界も、それなりに面白いが、
 分かっていたら、間違っても・・・ 毎週、見続けると、色いろな経験をする。


・・・・・・・・・
2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
           『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを
上手く表現出来るのだろうか。言葉の一言一言が詩のようでもある。
以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれた
ものとは思えない。表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけがあった。
ー歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。  世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。
《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
 良くも悪くも、すべては良かった。ぼくは全てを観察をした。 
 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が
「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、その若者の後の影に、
過去の自分を投影する。(若いときの自分について)青年は何かに負けている
ようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。
青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に
負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、
水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く
白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに
残していた。・・
・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃない
かなぁ。最初の頃は。  (字数の関係でカット2012年4月03日


・・・・・・
2191, 「定年以降の生き方」を考える
2007年04月03日(火)
          才八∋ウ_〆(∀`●)
    今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
   その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。
   「組織」から離れて「個」として、どのように自立(自律)するかが問われる。
   「孤独」「孤立」した時に、自分と如何付き合っていくかが真に問われるのが、
   これからの人生である。

それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。
勤めていた会社の価値観は、他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。
鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、首輪が外されてしまえば、
誰も相手にしない。    その時ただ一人茫然とするしかない。

    そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、
   「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。
    そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。
   「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
    そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。

ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。 
面白いので、つい話がそれてしまった。
還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということだ。
今さら言っても仕方がないが・・  まあ、面白いから話を続けよう。

    そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
    その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・
    何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない?
    じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。 もういる。
    もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。

もし持ち家があるなら、家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。
その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。
二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。
定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。
年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。

    もし、ゾンビ的要素の強い人が読んでいたら、敢えて言う、
   「やっと、人からの束縛から抜け出て、孤独、いや孤立したのだから、
    あなたのような人の溜まり場には近づかないことだ。
    せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、
    その死への恐怖と危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、
    一度無視することである。 死の前では、そんなものは霞でしかない。
    限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては、何の意味もない。

死ー無という絶対的な宇宙からみたら、自分の存在なぞ無いに等しい。
だから、一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。
図書館があるでしょう、図書館が!
それと身近にいくらでも自然が! 美術館も、いや百貨店もある。
 それに気づくには独りになりきることしかできない。
 
 誰かに言われそうだ。 シツコイ!同じことばかり書いている、と。
  定年の時期なので、ついつい! 
   アウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
            ホンジャ、バアアイ♪♪((((*`・´))ノ

別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、
路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。
ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。
それしか出来ないのだから。
何で好きなことを探さなければならないのですか?
こういう生活が好きなのだから、ただ比較しているだけじゃないですか。
ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。
人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。
そんなもの!

・・・・・・・・・
2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい-4
                
          ー 3月22日 12:00記
 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。
 (3月14日開始)
 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。
 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 もっと日常の些細なことや
 気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
 
     それをカバーするのが、モーニング・ページである。
     何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
     書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に
 「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、許す、よかった」
     などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
 
 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。
 モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。
 毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も面白いが、
 ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。

 --
             - 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。
それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
自然の、その時点の自分の言葉が読み取れるのがよい。
良いのは、ただ筆に向くまま書いてあるのがよい。
話題はソウソウないから、昨日の些細なことや、
昨夜見た夢のことや、昨日観たTVなど話題になってしまう。
それが記録として残るのがよいのだろう。

    人は、一日6~8万のことを考えているという。
    私は、それほど考えてはないが、それでもその時点時点考えている。
    それを起きざまに30分間筆に任せて書くのだから、後で読めば面白いのは当然だ。
    そうでもなくても、随想日記を一年後、二年後、三年後の同日読み返すと面白いのに。
    最近は、昼休みの20分を使って書きたしもする。

ただ何にもとらわれないで、些細な出来事に対する気持ちの
動きを書き出すことが、後で読みかえして共感するのだろう。
外国にいった時に、このような文章を書いていたら、後で読み返したとき
一番の思い出になるだろう。それと同じことである。

    人生でも同じである。
    日常の何げないことこそ、大事なことなのだ。
    そして、それを自然体で記録をとして書き述べればよいのだ。
    その意味で、朝起きたばかりの時に30分間筆の向くまま文章を書くことが
    一番大事だとわかるはずだ。

                 
               ー4月2日記 am9:30

これを実施してから、20日になるが、
続けるほど効果の深さに気づかされる。
先日から中央に日付をかいて○で囲んで、
そこから放射線で外に大きな○を書いて、
その中に書き込む方法に切り替えた。
マッピングである。
この切り替えがよかった。
さらに昼に違う色のペンで書き足している。

     驚くのは、いくらでも書くことがあることだ。
     実際には頭には無数の雑念が浮いては消えている。
     そこには多くの砂や石に混じって金もある。
     その混合をとにかく書き出しておくことは、良い思いでだけでなく
     それをベースに次の発展になる。
     要は、頭に浮かんだことを、そのまま書く習慣が良いのだ。
     何か自分が自分の中を散歩しているような気持になる。

これを過去の旅行中にしておけばよかった。
書いた分だけ、その時の気持ちが後で読んだ時に残るからだ。
文章の中には、気持ちがそのまま残る要素がある。 それが良いのだ。
とにかく30分、3Pのノートに習慣として、
自然体に書いておけば続ければ続けるほど内容が良くなる。
小説家の日記は、これを克明にしているのだろう。

・・・・・・・
2005年04月03日(日)
1461, 「どう思いますか格差社会

昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、
好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。

一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会とグローバル化のために分かれてきた。
それに対して、シビアな議論がつづいた。
議論内容はレベルの高いもので、自由闊達で好感が持てた内容であった。

「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。
もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。
格差はどの時代にも元々あったもので、今更でもあるが。
格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。
島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。


国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税血税であそこまで?という議論がある。
アフリカならいざ知らずだが?北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、
問題がすりかわってしまうが。
面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と下の段差で出演料が違う。」
という暴露があったことだ。前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。


いま一つの問題提起が、「引き継がれる格差」という問題がある。
「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。
「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。
中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。 
所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。

豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。
先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、といわれている。
格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。
行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。

世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。
また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。
潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため崩れるのも仕方がないことだ。

この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて
議論させたことである。
勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。
日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。

アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への
移行過程の一現象でしかないのではない!」
と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。

・・・・・・・・
2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間

 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間

 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万-292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。

・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
・ 他律的時間と自律的時間
・ ライフサイクル?=幼少期→少年期→青年期→壮年期→老年期
・ ライフサイクル?=被扶養者→生徒・学生→労働→結婚→家族→引退

1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計
(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。
 自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、
まったく異なった結果になることは確かである。
自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずが
ない。時間認識の有無は優れたライフ・デザイナーにするための前提条件です。
それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件でもある。

話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。
自分の時間を持つコツを知っている人というのは、自分の「場所」を幾つか持っている。
自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。
行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。
といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。
それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。

ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」
という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。
ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も経てば殆ど消えている。

連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。
『何事も三年よ!』と。
倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。
学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。
といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。

そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。
「時間が全てを解決する」ということだ。
それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。

「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性を
ズバリ言い当てている。

・・・・・・・
2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」
               ー読書日記

 お金をある金額まで貯めるということはそう簡単な事ではない。
この本を読んでいると、そう難しい事ではなさそうに
思えてくるから不思議である。
子供の時から、しっかり基本として知識として知っているかどうかにかかっている。
その意味で是非、子供のためにも「お金の知識」を学ばなくてはならない。
長期の生活習慣の結果が金持ちの状態ということだから。

 周辺を見ていると、90?の人が「お金の知識」を知らないのではないかと
思われる。知人で今でも寸借詐欺に近いことをしている人がいる。
話をしていると聡明に思えるのだが、今日明日のお金がないのだ。
こういう人をみると、教養とは何だろうかと思いざるを得ない。
この小説は少女がお金の知識と魅力に気づいていくプロセスである。

ーわたしが気に入ったところを幾つか抜粋してみるー

抜粋ー1
金回りのよい従兄に少女が電話で小遣いの稼ぎ方を訊いた
「できないことを考えたってしょうがないじゃないか。できることをさがすんだよ。
いちばんいいのは、まず何がすきってことをはっきりさせておくことだよ。
それからどうやったらそれで金を稼げるか、よく考えることだよ。
オレだってはじめはそうやって配達サービスを考えついたんだ。
自転車に乗るのが大好きだからさ。自転車に乗りながらお金が稼げて
最高の気分だよ。もちろんそれだけでは満足しちゃいないぜ。
毎日何軒もベルを鳴らして、パンの配達はいりませんって聞いて回るんだ。」

抜粋-2
「いつだってあれこれ問題は起こってくるだろうけど。
けれども君の将来にとって最も大切な事は毎日やらなくてはいけないよ。
時間にとって十分とかからないことだ。だけど、この十分が決定的なちがいを
生みだすんだ。たいていの人は、この十分がとれないためにただの人に終わって
しまうんだよ。彼らはいつも、まわりの状況が自分たちのために変わってくれることを
願っているんだ。けれども、変わらなくてはならないのが自分たちのほうだということに、
彼らは気づかずにいるんだ」 イヌのマネーはしばらく間をおいてから続けました。
「この十分こそが君を変えるための時間なんだ。だからサクセスダイアリー
を必ずつけること、イメージをつけて視覚かすることを自分に約束するんだ。
どんなことがあっても、毎日つけるんだと」

抜粋ー3
「だとしたら、あなたの両親は多くのほかの人達と同じ間違いをしていることになるわね。
今よりも幸福で満たされる生活を望むんだったら、自分のほうを変えなくてはだめよ。
お金が変えてくれるんじゃないのよ。お金そのものは人を幸福にも不幸にしないのよ。
お金は公平なの。良くも悪くもしないの。お金というものは誰かの手にはいったと同時に、
その人にとって良いものにしたり悪いものになったりするの。
それが良い目的に使われたり、悪い目的に使われたりするものなの。

幸せな人間が持てばもっと幸せになるし、心配を抱えてマイナスの人生を送っている人、
お金を持てばますます心配がふえることになるの」
「でもうちの母はいつも、お金は人をだめにするといっているわ」
「お金はその人の性格をあらわにするのよ。お金は一種の拡大鏡みたいなものなのよ。
やりたい放題のことをさせてくれて、自分を大きく拡大して見せてくれるわ。
だから、あなたがいい人ならたくさんのお金でたくさんのいいことをするでしょうし、
泥棒ならおなじお金をくだらないことに浪費してしまうでしょうよ」

抜粋ー4
「楽しいことをやってきたさ。 そうさ!でもそのたびに、いつもそれに
見合うだけの不安も抱えていたんだ。だって考えてもごらんよ。
職人修行を途中でやめてパッと世界に飛び出すなんて、簡単にできると思うかい?
不安で胃が痛くてしょうがなかったよ。私の人生でもっともすばらしいことは、
いつも不安をのりこえたとこにやってきたんだ」
「不安というものはね,うまくいかないと思ったときに出てくるんだよ。
だけどサクセスダイアリーを見ているうちに、あたまのなかが成功したことで一杯に
なってしまったんだ」
・・・・・
「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」
著者/訳者名 ボード・シェーファー/著 瀬野文教/訳
出版社名 草思社  発行年月 2001年01月
長岡中央図書館:2003年03月30日

・・・・・・・・
2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法

「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、
本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。
それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。

今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。
集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。
中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と、実際あったという。
落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。

ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。
それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。
授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。
石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。
カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。

注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を
読書などの対象に集中させる事が出来る。
仕事でも、考え事でも、授業でもなんでも使える。

・・・・・・・・
<お笑い> ー本当にあった話

結婚したての頃、家内がタラノコをみて
 
 家内 「タラノコって塩鱈の子?」
 私  「・・・・・・・・・」 さえもいない、




・・・・・・・・・
2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
           『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを
上手く表現出来るのだろうか。言葉の一言一言が詩のようでもある。
以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれた
ものとは思えない。表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけがあった。
ー歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。  世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。
《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
 良くも悪くも、すべては良かった。ぼくは全てを観察をした。 
 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が
「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、その若者の後の影に、
過去の自分を投影する。(若いときの自分について)青年は何かに負けている
ようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。
青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に
負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、
水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く
白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに
残していた。・・
・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃない
かなぁ。最初の頃は。  (字数の関係でカット2012年4月03日


・・・・・・
2191, 「定年以降の生き方」を考える
2007年04月03日(火)
          才八∋ウ_〆(∀`●)
    今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
   その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。
   「組織」から離れて「個」として、どのように自立(自律)するかが問われる。
   「孤独」「孤立」した時に、自分と如何付き合っていくかが真に問われるのが、
   これからの人生である。

それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。
勤めていた会社の価値観は、他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。
鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、首輪が外されてしまえば、
誰も相手にしない。    その時ただ一人茫然とするしかない。

    そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、
   「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。
    そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。
   「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
    そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。

ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。 
面白いので、つい話がそれてしまった。
還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということだ。
今さら言っても仕方がないが・・  まあ、面白いから話を続けよう。

    そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
    その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・
    何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない?
    じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。 もういる。
    もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。

もし持ち家があるなら、家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。
その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。
二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。
定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。
年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。

    もし、ゾンビ的要素の強い人が読んでいたら、敢えて言う、
   「やっと、人からの束縛から抜け出て、孤独、いや孤立したのだから、
    あなたのような人の溜まり場には近づかないことだ。
    せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、
    その死への恐怖と危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、
    一度無視することである。 死の前では、そんなものは霞でしかない。
    限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては、何の意味もない。

死ー無という絶対的な宇宙からみたら、自分の存在なぞ無いに等しい。
だから、一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。
図書館があるでしょう、図書館が!
それと身近にいくらでも自然が! 美術館も、いや百貨店もある。
 それに気づくには独りになりきることしかできない。
 
 誰かに言われそうだ。 シツコイ!同じことばかり書いている、と。
  定年の時期なので、ついつい! 
   アウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
            ホンジャ、バアアイ♪♪((((*`・´))ノ

別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、
路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。
ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。
それしか出来ないのだから。
何で好きなことを探さなければならないのですか?
こういう生活が好きなのだから、ただ比較しているだけじゃないですか。
ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。
人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。
そんなもの!

・・・・・・・・・
2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい-4
                
          ー 3月22日 12:00記
 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。
 (3月14日開始)
 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。
 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 もっと日常の些細なことや
 気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
 
     それをカバーするのが、モーニング・ページである。
     何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
     書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に
 「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、許す、よかった」
     などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
 
 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。
 モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。
 毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も面白いが、
 ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。

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             - 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。
それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
自然の、その時点の自分の言葉が読み取れるのがよい。
良いのは、ただ筆に向くまま書いてあるのがよい。
話題はソウソウないから、昨日の些細なことや、
昨夜見た夢のことや、昨日観たTVなど話題になってしまう。
それが記録として残るのがよいのだろう。

    人は、一日6~8万のことを考えているという。
    私は、それほど考えてはないが、それでもその時点時点考えている。
    それを起きざまに30分間筆に任せて書くのだから、後で読めば面白いのは当然だ。
    そうでもなくても、随想日記を一年後、二年後、三年後の同日読み返すと面白いのに。
    最近は、昼休みの20分を使って書きたしもする。

ただ何にもとらわれないで、些細な出来事に対する気持ちの
動きを書き出すことが、後で読みかえして共感するのだろう。
外国にいった時に、このような文章を書いていたら、後で読み返したとき
一番の思い出になるだろう。それと同じことである。

    人生でも同じである。
    日常の何げないことこそ、大事なことなのだ。
    そして、それを自然体で記録をとして書き述べればよいのだ。
    その意味で、朝起きたばかりの時に30分間筆の向くまま文章を書くことが
    一番大事だとわかるはずだ。

                 
               ー4月2日記 am9:30

これを実施してから、20日になるが、
続けるほど効果の深さに気づかされる。
先日から中央に日付をかいて○で囲んで、
そこから放射線で外に大きな○を書いて、
その中に書き込む方法に切り替えた。
マッピングである。
この切り替えがよかった。
さらに昼に違う色のペンで書き足している。

     驚くのは、いくらでも書くことがあることだ。
     実際には頭には無数の雑念が浮いては消えている。
     そこには多くの砂や石に混じって金もある。
     その混合をとにかく書き出しておくことは、良い思いでだけでなく
     それをベースに次の発展になる。
     要は、頭に浮かんだことを、そのまま書く習慣が良いのだ。
     何か自分が自分の中を散歩しているような気持になる。

これを過去の旅行中にしておけばよかった。
書いた分だけ、その時の気持ちが後で読んだ時に残るからだ。
文章の中には、気持ちがそのまま残る要素がある。 それが良いのだ。
とにかく30分、3Pのノートに習慣として、
自然体に書いておけば続ければ続けるほど内容が良くなる。
小説家の日記は、これを克明にしているのだろう。

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2005年04月03日(日)
1461, 「どう思いますか格差社会

昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、
好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。

一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会とグローバル化のために分かれてきた。
それに対して、シビアな議論がつづいた。
議論内容はレベルの高いもので、自由闊達で好感が持てた内容であった。

「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。
もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。
格差はどの時代にも元々あったもので、今更でもあるが。
格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。
島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。


国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税血税であそこまで?という議論がある。
アフリカならいざ知らずだが?北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、
問題がすりかわってしまうが。
面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と下の段差で出演料が違う。」
という暴露があったことだ。前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。


いま一つの問題提起が、「引き継がれる格差」という問題がある。
「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。
「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。
中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。 
所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。

豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。
先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、といわれている。
格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。
行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。

世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。
また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。
潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため崩れるのも仕方がないことだ。

この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて
議論させたことである。
勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。
日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。

アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への
移行過程の一現象でしかないのではない!」
と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。

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2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間

 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間

 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万-292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。

・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
・ 他律的時間と自律的時間
・ ライフサイクル?=幼少期→少年期→青年期→壮年期→老年期
・ ライフサイクル?=被扶養者→生徒・学生→労働→結婚→家族→引退

1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計
(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。
 自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、
まったく異なった結果になることは確かである。
自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずが
ない。時間認識の有無は優れたライフ・デザイナーにするための前提条件です。
それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件でもある。

話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。
自分の時間を持つコツを知っている人というのは、自分の「場所」を幾つか持っている。
自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。
行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。
といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。
それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。

ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」
という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。
ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も経てば殆ど消えている。

連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。
『何事も三年よ!』と。
倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。
学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。
といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。

そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。
「時間が全てを解決する」ということだ。
それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。

「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性を
ズバリ言い当てている。

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2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」
               ー読書日記

 お金をある金額まで貯めるということはそう簡単な事ではない。
この本を読んでいると、そう難しい事ではなさそうに
思えてくるから不思議である。
子供の時から、しっかり基本として知識として知っているかどうかにかかっている。
その意味で是非、子供のためにも「お金の知識」を学ばなくてはならない。
長期の生活習慣の結果が金持ちの状態ということだから。

 周辺を見ていると、90?の人が「お金の知識」を知らないのではないかと
思われる。知人で今でも寸借詐欺に近いことをしている人がいる。
話をしていると聡明に思えるのだが、今日明日のお金がないのだ。
こういう人をみると、教養とは何だろうかと思いざるを得ない。
この小説は少女がお金の知識と魅力に気づいていくプロセスである。

ーわたしが気に入ったところを幾つか抜粋してみるー

抜粋ー1
金回りのよい従兄に少女が電話で小遣いの稼ぎ方を訊いた
「できないことを考えたってしょうがないじゃないか。できることをさがすんだよ。
いちばんいいのは、まず何がすきってことをはっきりさせておくことだよ。
それからどうやったらそれで金を稼げるか、よく考えることだよ。
オレだってはじめはそうやって配達サービスを考えついたんだ。
自転車に乗るのが大好きだからさ。自転車に乗りながらお金が稼げて
最高の気分だよ。もちろんそれだけでは満足しちゃいないぜ。
毎日何軒もベルを鳴らして、パンの配達はいりませんって聞いて回るんだ。」

抜粋-2
「いつだってあれこれ問題は起こってくるだろうけど。
けれども君の将来にとって最も大切な事は毎日やらなくてはいけないよ。
時間にとって十分とかからないことだ。だけど、この十分が決定的なちがいを
生みだすんだ。たいていの人は、この十分がとれないためにただの人に終わって
しまうんだよ。彼らはいつも、まわりの状況が自分たちのために変わってくれることを
願っているんだ。けれども、変わらなくてはならないのが自分たちのほうだということに、
彼らは気づかずにいるんだ」 イヌのマネーはしばらく間をおいてから続けました。
「この十分こそが君を変えるための時間なんだ。だからサクセスダイアリー
を必ずつけること、イメージをつけて視覚かすることを自分に約束するんだ。
どんなことがあっても、毎日つけるんだと」

抜粋ー3
「だとしたら、あなたの両親は多くのほかの人達と同じ間違いをしていることになるわね。
今よりも幸福で満たされる生活を望むんだったら、自分のほうを変えなくてはだめよ。
お金が変えてくれるんじゃないのよ。お金そのものは人を幸福にも不幸にしないのよ。
お金は公平なの。良くも悪くもしないの。お金というものは誰かの手にはいったと同時に、
その人にとって良いものにしたり悪いものになったりするの。
それが良い目的に使われたり、悪い目的に使われたりするものなの。

幸せな人間が持てばもっと幸せになるし、心配を抱えてマイナスの人生を送っている人、
お金を持てばますます心配がふえることになるの」
「でもうちの母はいつも、お金は人をだめにするといっているわ」
「お金はその人の性格をあらわにするのよ。お金は一種の拡大鏡みたいなものなのよ。
やりたい放題のことをさせてくれて、自分を大きく拡大して見せてくれるわ。
だから、あなたがいい人ならたくさんのお金でたくさんのいいことをするでしょうし、
泥棒ならおなじお金をくだらないことに浪費してしまうでしょうよ」

抜粋ー4
「楽しいことをやってきたさ。 そうさ!でもそのたびに、いつもそれに
見合うだけの不安も抱えていたんだ。だって考えてもごらんよ。
職人修行を途中でやめてパッと世界に飛び出すなんて、簡単にできると思うかい?
不安で胃が痛くてしょうがなかったよ。私の人生でもっともすばらしいことは、
いつも不安をのりこえたとこにやってきたんだ」
「不安というものはね,うまくいかないと思ったときに出てくるんだよ。
だけどサクセスダイアリーを見ているうちに、あたまのなかが成功したことで一杯に
なってしまったんだ」
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「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」
著者/訳者名 ボード・シェーファー/著 瀬野文教/訳
出版社名 草思社  発行年月 2001年01月
長岡中央図書館:2003年03月30日

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2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法

「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、
本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。
それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。

今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。
集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。
中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と、実際あったという。
落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。

ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。
それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。
授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。
石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。
カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。

注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を
読書などの対象に集中させる事が出来る。
仕事でも、考え事でも、授業でもなんでも使える。

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<お笑い> ー本当にあった話

結婚したての頃、家内がタラノコをみて