つれづれに

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  今日のYoutube

 以下のように二年前に書いた文章を読むと、ほぼ全て忘れている。
現在、印象に残ったから、取り上げたとしても、忘却とは、こういうこと。
 それにしても、内容は、新鮮で面白い! 
白い玉三つに、黒い玉六つを
引き当てる確立は、白い玉なら三分の一。
実際に、死をかけた場合、それが四分の三なら、
12倍の確率で引き当てることになる。
これだけは、実験は出来ないので、誰も実証が
出来ないが、私は、ありうると思うが・・・ どうだろう?



・・・・・・
4743,心を上手に誘導する方! ー5
2014年03月10日(月)
         「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)  
  * 科学的に説明できないことの存在       
 世の中には、科学で説明できないことが多く存在している。何もかもが、科学で
説明できるという考え方が、間違っている。私など、科学的という以前に、何も
知らないことを、やっと実感してきたところ。とはいえ無知も自覚しないで、
一挙に神秘主義に、陥るのも問題である。 ー以下の内容が、面白いー
《・魔女が火あぶりにされた暗黒の中世の時代に、次のようなことが試された。
 魔女とされた女性が腕や足を縛られ、橋の上から川へと突き落とされ、女性が
水に沈んだら、魔女ではないとされた。水に浮いたら、その女性は悪魔と関係が
あるとされ、火あぶりにされた。しかしスペインから来たある宗教裁判官は、
このやり方にまだ慣れておらず、違う方法を思いついた。中身が見えない袋に、
黒い球を六つと、白い球三つ入れておき、魔女だと訴えられ女性に目隠しをされて、
片手で袋の中から球を取り出す。そこで黒い球を取り出したら火あぶりにされ、
白い球を取り出したら釈放された。 この魔女裁判の論理的一貫性について
疑問を もたれても、僕に聞かないでほしい。本来なら、球の色を逆にすべきだ。 
しかし当時はきっと、理にかなっているかどうかなど関係なく、ましてや誰かが
魔女だとされても、それが真実なのかどうかも重視されなかったのだろう。
もし今が中世ならきっと、今読んでいるこの本を持っているというだけの理由で、
訴えられてしまっただろう。ところが、訴えられた女性のうち四人に三人が、
白い球を取り出したそうだ! なぜそうなったかは、誰にもわからない。
 ・もう一つこんな話がある。一八九八年、モーガン・ロバートソンが書いた
『フユーティリティ(愚行)』が出版された。
 この本で作者は、当時最大の豪華客船の沈没を描いた。このフィクションの
船は長さ八八ニフィート(約二七〇メートル)、重さ六万六千トン、乗客と乗組員
三千名を乗せていたが、救命ボートが少なく二十四艘しかなかった。小説に出て
くる船は、不沈船とうたわれた。もう一点つけ加えると、ロバートソンはこの船に
「タイタン」という名前をつけていた「タイタニック号」のことは、有名な映画も
あって誰もが知っているだろう。この船は一九一二年の時点で当時最大の客船。
長さ八○○フィート、重さ七万トンで、三千三百六十名の人が乗っていた。
そして、救命ボートは二十艘だけ…。実際にこの船が沈む十四年前に、
レオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレット出演の映画ができる前に、
どうやったらあのような物語を書くことができたのだろうか。僕にはわからない。》
▼ 前段に関しては、何とも微妙な確率だが、生死をかけた(賭けた?)選択なら、
 集中した神経の手のセンサーが、色を見分け確率が二倍以上になるのも不思議
でない!と、私は信じる。これは話題として面白いので、雑談に使える。
後段は、多く知られている実話である。戦争の実戦体験をしてきた人には、
こういう不思議を多く経験している。孔雀の羽根のデザイン、誰がした? 
何故、知恵が湧いて出てくるか? 科学で説明などできようがない。
・・・・・・
4376, 閑話小題 ーひと間の景気回復?
2013年03月10日(日)
  * つれづれに ーひと間の景気回復?
先日、家内に、「毎日、新幹線で新潟に30年も通っていて楽しそうだったのに、
この生活、ツマラナクナイ?」と聞かれた。他にも誰かにも、「家で毎日、
何をしているの?」とも聞かれた。「現役の時は、客商売もあり常時戦場。
口に出さないが、全神経を張っていた。 物事には良いことには悪いことが、
悪いことには良いことの両面ある。今は、刺激は少なくなったが、40年間の
緊張感から解放されて、サバサバしている。 以前と比べた良しあしなど
考えたことがない。 今は今で、生きているのに、精一杯。」が、私の返答。 
節目の重要性知っていて、叩き方を間違わなかったので、混乱は最小だった。
起業を経験しているので、起承転結の、結の着地を長年かけて準備して軟着陸
したこともあり、未練も悔いも、ほぼゼロ。まだ、現役の日々を過ごす人を
見るにつけ、「サッサと枝葉を切れば」と老婆心が出てくるが、これは立場の違い。
そうこうして日々、御隠居になっていく。 今月いっぱいで一年間の家内の
当番の町内の班長が終わる。色いろ大変だったようだ。家内が、当番で、
ある家の奥さんを最近、見かけなかったが、別に気にとめてなかったが、
うつ病で3年前に自死していたという。 去年秋には、一人暮らしの御婆さんが
孤独死があったばかり。自死の9割が精神疾患あり、その6割が、うつ病
うつ病は、15人に一人は一生のうちにかかる。私が知る限り、前段階の
「うつ症」を入れると5人に1人。100万人が、それで現在、通院している。 
今回の節目時に一番注意したのは、この穴に落ちること。しかし、死にたいとか、
食欲がないとか、虚脱状況、外界の興味喪失などは一切なかった。 
その状況で右往左往している自分を上から目線で冷笑しているのも変だが。
日本も世界も、恐慌の瀬戸際。その最中、最後のリンゲルをうつべく、
安部と麻生コンビが登場してきた。 重症の糖尿患者に強烈なホルモン注射で、
活を入れようというのだから。「美しい日本」、どうなるのだろう。 
大きな節目時は、自ら大きく変わるしかない。
・・・・・
4002, 宇宙は本当にひとつなのか ー5
2012年03月10日(土)            
       「宇宙は本当にひとつなのか」村山斉著
 * 多次元宇宙論と多元宇宙論     
   ♠ まずは多次元宇宙論
◇ 多元宇宙という言葉はあまりなじみがないと思いますが、この言葉には
大きく分けて二つの意味が込められています。
 一つ目は多次元の宇宙。次元というのは時間や空間の広がりを表すもので、
 私たちの目には宇宙空間は三次元に見えています。私たちは上下、左右、
 前後と三つの方向に動くことができるので、三次元空間といっていますが、
 実は、宇宙には私たちが気づいていない方向があるかもしれません。
 つまり、三次元以上の次元があるという考えを多次元宇宙といいます。
 これは、あくまで、宇宙は一つという前提です。
◇ そして二つ目が多元宇宙。多次元と多元。文字が一つ違うだけで言葉の
 意味が大きく違ってきます。多次元宇宙は、宇宙空間に今まで知られて
 いなかった次元があるということで次元が増えても、「宇宙の数は一つのまま」。
 ところが、多元宇宙というと、宇宙がたくさんあるかもしれないという考え方
なのです。 私たちは、宇宙は一つしかないと思って生きてきたわけですが、
もしかしたら、私たちが住んでいるこの宇宙は、たくさんある宇宙の中の一つで、
この宇宙のほかにたくさんの宇宙があるかもしれないということをいっています。 
◇ まず、一つ目の多次元宇宙から話を進めていきます。そもそも、次元とは
 何かというとところからおさらいをしていきましょう。私たちは日常生活の中で
 人といろいろな約束をします。例えば、友だちと映画を見ようという場合・
 待ち合わせをするわけですが、このとき、基本的に四つの数字が必要です。
 場所を東京都新宿区の映画館としますと、新宿駅から東へ四分、そして南へ
 三分というように目的地までの道のりがあります。 ここで二つの数字が
 出てきました。目的地がビルの場合、もう一つ、ビルの何階という数字が
 必要になります。これで三つの数字が出てきました。この三つの数字があれば、
 待ち合わせの場所を指定することができます。しかし、これだけでは友達と会う
 ことができません。あと大事な情報が抜けています。「いつ」という時間の
 情報ですね。今度の日曜日の十時と時間が決まっていれば、すれ違うことなく
 出会うことができます。これが四つ目の数字となります。・・・しかし、
 これ以外に、違った見えない次元があるかもしれない。・・・空間が3次元
 であるというのは、人間の感知能力では3次元までしか感知できないという
 意味であって、空間が絶対的に3次元であるということではない
(「ひも理論」という最新の物理の理論では宇宙空間は9次元だという)。
 4次元以上の空間で働くエネルギーを把握できていないので、残りの95%は
 何なのか、分からないのでは? 
▼ 多次元宇宙は、この宇宙が一つで、その中の異次元宇宙をいう。
 三次元の他にも異次元があるが、三次元の空間では、それを理解できない。
 二次元の世界で、三次元を理解できないのと同じ。10年ほど前までは、
 異次元というと眉唾ものであったが、2003年を境に宇宙学者が真剣に
 研究を始めるようになったという。
  ・・・・・・・
3636,  精神科医師の幸福論 -1
2011年03月10日(木)
 * 精神科の医師の幸福論とは?
 学生時代に「自己改革」「自己実現」という言葉に出会った。そして、
ニーチェ司馬遼太郎歴史小説に感化され、その影響下で、ここまで生きて
きたようである。何とか辿りつき息を抜きかけた時に、一連の世界的変動である。
 ところで最近、以前ほど自己実現とか自己達成という言葉を聞かなくなった。
その反面、「自分の好きなことを見つけ、それに向かって邁進しなさい」という
言葉に出会うし、私も、ここでも何度か書いてきた。自己実現など仰仰しくなく、
一日一日を好きなことに埋没できることが幸せであると・・。学生時代に上京し、
都会人のセンスの良さに比べ、地方から抜け出せない自分に嫌気をさしていた
矢先に、抜け出す手立てとして自己改革・自己実現という言葉が、脱皮のための
福音のように思えた。 ー その辺のことを、精神科医の大平健がレポートの中で、
 以下のように書いている ー
≪ 幸福とは、《自分が人生に満足している状態》と定義してみると、
  幸福になるためには、
*‘人生の箇所’にアクセントを付けて「満足できる人生を手に入れる」のと 
* ‘自分’にアクセントを付けて、「人生に満足ができる自分になる」のと、
 二種類の道筋があることが分かる。
 そこで、若者たちの場合、どんな"人生なら満足できるかというと、
 美味い食べ物・飲み物、綺麗な服、気の利いた家具といった
モノの数々に取り囲まれ、気に入った仕事、誇れる学歴、楽しい趣味といった
コトの数々に浸る人生。もちろん、おしゃれな彼や、かわいいベット、ほっと
できる鉢植えといった‘生き物’も必要だが、それらは自分の人生を幸福色に
染めてくれるモノのようなニュアンスを帯びている。 次に、どんな"自分に
なれば人生に満足できるかというと、これは更にふたつの場合に分けられて、
 ー1 とりあえず今までの(不満の多かった)「自分」から抜け出す
 ー2 新たな「自分」になるというのとである。
 というのは、しがらみ(人間関係・社会的地位・財産などの束縛)から解放
されてのびのびしたりすること。若い人が「自分がきらい」というのは、大抵は、
「きらいな自分」から抜け出せないで足踏みをしている状態にいるということ。
また宗教の力を借りてまで、自分の人生に(モノやコトの)不足ばかりを
見ていた、それまでの「自分」から何としてでも抜け出よう(解脱しよう)
という若者もいる。{文藝春秋2010季刊秋号 ゼロからはじめる幸福論
 P28「幸福の白地図」大平健}
▼ 私も自己実現という脱自を求め、ここまで生きて来たが、それが自由と
 名づけられたものだった。しかし、これも廃れ無名称化してしまった。
代わりに「好きなことを見つけ楽しむこと」が、最近の風潮になっている。
それに流されていただけでしかなかったのか? いや、こういう停滞の時代こそ、
それぞれが己の感覚を信じて、己の世界を構築することが求められるのか? 
マスコミに影響され流される時代は終わってしまったことだけは確かである。