つれづれに

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  今日のYoutube

 
 今週のスポーツジム、5周年記念とかで、特別メニュー。
何か、最近、トレーナーの出入りがあって、新しい顔ぶれが目だっている。
幼稚園か、小学生を子供に持つ母親が中心のインストラクターだが、
この時期に、子供の進級、進学で、出入りが起きる。 ネット検索によると、
典型的なプアーの労働環境という。 中高年を相手に、ご機嫌をとっての指導。
大変なことは自明。競争過剰で、人手は不足で、不景気とくれば、現場の
責任者は大変だろう。 また、ひとつ大きなジムが出来たとか?


・・・・・・
2151, スピリチュアル・ブームを考える -2
2007年02月22日(木)

              オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン

    溝口敦の批判も当然ながら鋭い。
    最近は著書「細木数子ー魔女の履歴書」で、
    怪しげな女占い師を切り捨てている。
    詐欺・たかりの類の小道具としては、これだけ有効な手段は無い。
    騙されやすい類の人種が興味を持つからである。
ーー
人は成長するにつれ、サンタクロースや魔法を信じなくなる。
現在のスピリチュアル・ブームは大人たちの幼児期への退行現象である。
この世は合理的に動いていることを成長しながら学んでいく。
霊魂や超自然ではこの世は渡っていけない。
霊性では数学は解けないし、免許証はとれない。
わずかに世を渡っていけるのは霊性を商売にする人たち、
占い師、スピリチュアル・カウンセラー、新宗教のリーダーと仲間達ぐらいである。
もっともそういう人たちも、ライバルや税務署とやりあう時につかうのは、合理的思考である。
観念論者同士が争うとき、最後に決着するのが唯物論であるのは公理である。

    もちろん人はスピリチュアルという袋小路で遊ぶ自由はある。
    せめて遊びのときぐらい公理一辺倒の世界から離れたいと思うのも理解できる。
    娯楽や気休めとして占いや手相見、神頼み、お守り、など人生の小道具として
    認められてよい。
    しかし、墓相とかいって墓地を買え替えたリ、造りなおす人は
    お金をドブに捨てるのと同じである。 人生の孝・不幸と先祖のお墓との関係はない。
    脳科学は発達はますます意識を司るものが物質とその化学反応であることを証してきた。
    生命の物質的反応として意識が生まれいる以上、生命が死を迎え、活動を止めるとき、
    意識もまた絶える。 死後の霊など存在しないし、存在できない。

現在、霊性の迷いの道に入った人が珍しくもない惨状である。
霊感商法にやすやすと騙されて大金を失い、家族不和を招く。
民放各局が視聴率稼ぎで守護霊の霊視やエセ占い師を登場させ、
彼らの権威付けや宣伝、影響力の拡大に力を貸している。

    ーー
    霊感という言葉ではなく、シックスセンスという言葉ならいいが。
    心を込めた、いや魂を込めた作品なら、自分が亡くなっても、
    その作品が残るかぎり、その中に籠った魂の痕跡は残るだろう。
    しかし自分が来世に生まれかわるかどうかは別問題である。
    一人一人は、全くの別であるのは当たり前のことである。
    エピクロスではないが、「死なない存在」の死後を如何して問うのだろうか!

遊び遊び、霊ズニーランドの霊界イメージ・ゲーム
   それでいいではないか!   ただし、一期の夢と割り切ること             
                  (^o^)ノ バイ!                 
・・・・・・・・・
2006年02月22日(水)
1786, 誰も知らなかった英国流ウォーキングの秘密
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー 読書日記

図書館で借りてきたが内容が深いので、
中古本だが、ネットのアマゾンで取り寄せた。
それぞれが味わい深い内容で満ちている。
    ヨーロッパの郊外にある公園に行くと、必ずといってよいほど、
    ウオーキングやジョギングやサイクリングをしている人を見かける。
    その度に生活の豊かさを感じ取っていた。
    ウォーキングの本は数多あるが、これだけ詳しく書いてあるのは珍しい。
    
ーこの本の概要をまとめてみた。   _φ[・ω・`*]メモメモ♪
 英国では1800年代に
 フットパスと呼ばれるウオーキングのための小径が誕生し、
 現在では20万キロも整備されていて生活の一部となっているという。
     イングランドウェールズ地方だけでも、
     なんと16万キロメートルの歩くための道が、公道だけでなく、
     私有地の農園、庭先、工場の敷地内をも繋ぎ、
     そこで人々は自由に通行ができる権利を有している。
     国民の45%がウォーキングをスポーツとして実行し
     どこかへ着くということよりも歩く過程そのものを楽しんでいる。
                  だぁ(=Д= )るぅ(=д= )いぃ(=д= )
                    ブスッ!☆ ―⊂|コ-ω- )
                      ニンニク注射いきますっ!
「フットパス(footpaths)」とは、
「人の足によって踏み固められた歩行路」のことで、
 人だけが通れる道のこと。
 他には「ブライドルウェイ(bridleway)」があり、
 これは手綱(bridle)のとおり
 人、馬、自転車が通れる道のことをいう。
     この本では、
     英国のランブリング(逍遥)と、
     日本における散歩の歴史を紹介している一級の内容である。
     人は‘歩くこと’という肉体の運動としてだけでなく、
     精神を様々な様式で駆け合せてきた。
その枠組みを以下のように提示している。
(1)思索のウォーキング
   歩きながら考える、アリストテレスからルソーなど
   思索を深めるために歩く
     (2)宗教的ウォーキング
        悟りへの歩行、空海の山野行、修験道、八十八個所巡礼、
        富士山登山講など
(3)自然観照のウォーキング
   静かな心で自然に向かい、その本質を見ようとする態度、
   芭蕉、ベートーベン、ワーズワース国木田独歩など
   ロマンチックな歩行の原点
     (4)達成へのウォーキング
        アルピニズム、長距離を踏破する
     (5)訓練のウォーキング
       歩行のなかで体や根性や団体行動の技能の訓練をするための歩行、
       ワンダーフォーゲルや軍隊などの教練、鍛練など
      「やらせる側の意図」による歩き
     (6)余暇活動としてのウォーキング
        暇な時に目的もなくぶらつく歩き、無為という行為を楽しむ、
        夏目漱石の散歩、長井荷風の夜歩き
     (7)コミュニケイションのためのウォーキング
       友人、恋人、家族がコミュニケイションのために歩く
  (8)教育のためのウォーキング
        自然学習、社会学習のための歩き
(9)見せるウォーキング
   繁華街を見せるために歩く
(10)健康のためのウォーキング
         フィットネスウォーキング
 --
    20年近く近くの土手をウオーキングをしてきたが、
    散歩をしている人が少ないのが不思議である。
    生活に取り入れている人は5?にも満たないようだ。
    
    初めは腰痛対策と運動のため歩いていたが、
    現在では「歩くために歩く」に、目的が変化してしまった。
    この本を読むかぎり、英国は生活天国の国のようだ。
                         -,_っ-)ゥンゥン
ーー
山と渓谷社    市村 操一【著】
 
 =目次=
ー英国をのんびり歩く

英国の散歩道「フットパス」を歩く;
森の中の港町ウィンチェルシー
散寂の村々―サウスダウンズを行く;
ロンドンっ子の散歩道「テムズパス」 
ーウォーキングと心の関係

日本のウォーキングの伝統;
ヨーロッパ・ロマン主義者の歩いた道;
私たちはいま、何を歩いているのか;
英国ウォーキングガイド
             =☆(((((((((・ω・。)バイバイ!
・・・・・・・              
 2005年02月22日(火)
1421, 西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜

  何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。
プリンスホテル内で御付が、待っている宿泊客を制して、
 堤をエレベーターにのせた
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
・頭の良い奴は要らない、実直な人材の方を優先している
 傲慢な噂を何回聞いたことがある。
近代的な?オーナーとも言えるが、実際のところ面白かっただろう。
 羨ましい限りであった。

昨日の毎日新聞の三面記事の特集に、数ヶ月前まで栄華を誇った
 「堤王国」の崩れたシナリオを生々しくレポートしていた。
 この記事によると、
・今回の事態収拾後に院政を敷くシナリオであった。
 -その事実を、証券取引等監視委員会の側近が証言をしている。
・昨年の役員辞任後も、電話などで頻繁に指示を出していた。
有価証券報告書のほころびが、巨大グループの足をここまですくうとは
 誰も想像もしてなかったという。
・監視委員の幹部は「砂山に小さな針が落ちたら、山が崩れてしまった」
 と証言。
・そして、その堤は
 「気持ちの整理もまだつけかねている」状態。
 
逮捕に脅える日々の中、晩節を汚してしまったことを、
彼自身いまだに信じられない思いだろう。
週刊誌に昨年の暮れ「3月に堤義明の逮捕!」とリーク?されたが、
そのスケジュールに入ってきたようだ?
総務部次長の自殺に続いて、前社長の自殺。
これで彼が逮捕をされないほうが不自然な状況である。
大いなる中小企業の崩壊から、地方の崩壊の序曲がはじまるのだろうか?

せっかく逮捕されるなら、政治業界の??を何匹か道連れにしていくべだ。
その余裕などあるはずはないだろうが。
この事態は一年前までは、考えられないことであった。
確固たる地盤がある珍しい存在に見えていた。

有価証券報告書への虚偽記載などが発覚した昨秋以来、
株価が3分の1以下になってしまった上に、上場廃止となった。
そのため株式を担保にしていた借り入れの資産が担保割れの事態になり、
そのため銀行の態度が一変してしまった。
一皮剥けば張子の虎でしかなかったのだが、
崩れる時はこんなものである。

この問題は、考えてみれば中小企業問題でもある。
これから始る解体は?、中小企業の行方に重なるところが多い。
ペイオフの時期と重なるから、尚のことである。
これからは地方銀行の合併と、解体が今後進む。
西武の問題は、形を変え中小企業、特に地方に押し寄せてくる。
他人事の話しではない。

この数年の情報化で、何かが変わったのだ。

・・・・・・・
2004年02月22日(日)
1054, 職業性格形成論-3

ー「営業屋性格論」が解りやすく、
    面白いから取り上げてみる。

仕事柄、営業の人と接することが多い。
営業にも色いろな種類があるので一括りには出来ないが、彼等には
大きな特徴を見ることができる。
「褒めること」と「世間情報の内幕情報屋」を武器にする。
遵って、その人の人柄が出てしまうのだ。
一つ間違えば信頼を失い「汚い子狐」として軽蔑の対象になる。
その為には、自分の良い部分を相手に示し、信頼させるがポイントになる。

営業といえば、外商や代理店や飲食業や店のママなど挙げればキリがない。
姉から聞いた話だが、欧州旅行のツアー仲間のリタイアをしたばかりの人の
成功話が印象に残っている。
「営業活動で、キーマンが名古屋コーチンの鶏肉が大好物という話を聞いて、
雛を買ってきて、最良の餌と水を与えて育て上げ、潰して、その肉をお歳暮として
持っていき続けた」という。ここまですれば誰でも心が動くだろう。
逆に、その位しなくてはプロとしての営業にはなれない。

昔は金持ちや偉い人には「太鼓もち」や「芸者」が、お世辞や芸のサービスを
売っていた。現代では、クラブのママやホステスやバーテンなどが代わって、
その役割をするようになった。現代芸者・太鼓持ちというところか。
営業活動で、職務としてキーマンに「どっこいしょ」と持ち上げ、
心の隙を見つけて営業をスムースにするスキルを求められる。
人好きの人でないと勤まらないだろう。
必死になれば人好きになるだろうが。

営業は自社の商品を売るのが目的であり、その良さをアピールするのが仕事になる。
そのために、相手の気持を開かなくてはならない。
その際たるものは保険屋の営業であろう。
第一保険の日本ナンバーワンの手記を読んだことがある。
トップセールスに相手を絞って、徹底的にお客のサイドに立った保険の
システムを組んでやるという。
そのために顧客大部分が、顧客の知人の紹介でのネットされたものだという。
セールスの機能を保険会社の代行ではなく、顧客の代行と切り替えたのである。

昔から営業のやり手は仕事が終わった後のアフターファイブから仕事をする。
または自分の休みの土曜日を遊びを兼ねた営業をかける。
仕掛けを自分の知恵をつかってフリーの時間外につくっているケースが多い。
へドロといわれる人がいる。時間内しか仕事をできない人である。
公務員系の子息を一般の会社に入れると、本人だけでなく周囲に??を
もたらす。別に本人責任でないから問題は深くなる。

父から聞いた話だが、戦前に骨董屋をしていた時、地元の大手の社長への
トップセールスを思いついたという。
女好きという話を聞いて母に電話をさせたところ直接出てくれたという。
そして骨董商をしているが会ってくれと言ったところすんなり会ってくれた
という。もちろん父がいったそうだが。

やはり知恵をつかっての営業ということだろう。その後、その人のキッカケで
多くの大手のトップを紹介してもらったという。
何事も必死になれば道が開かれるということか。
そこから性格が磨かれるのだろう。
セールスは品性が基本になくてはならない。
品性は普段の生活の中から築くものだ。
家系もあるが?

耳が痛い?!

・・・・・・
2003年02月22日(土)
689, 人生の「かたち」
 ーいやなことはやらない!

51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。
事業では新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー
人生の分岐点の年であった。
その時に、
「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」
という方針をたてた。

ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。
哲学者の中島義道氏の文章で
ー私流人生の「かたち」ーの{「厭なこと」はなるべくしない}であった。
きしくも、私と同じ歳で、やはり6年前に決心したというから不思議なものだ。

ー私よりずっと徹した内容で、人生を半分降りようと決意したという。
・社会的成熟を拒否し、世間体を投げ捨て、どんなに嫌われようと、排除されようと、
 いやなことはなるべくしない

・親戚とか友人の冠婚葬祭は一切省く、大学の校務はギリギリ最低限のことしかしない。
 -5年前と2年前に亡くなった両親の法事にも一切参加しなかった。

・自分の実感から離れる社会的慣用句(「世間語」)を語る事を完全にやめる。
 -感謝してない時は「ありがとう」といわない、心のそこからそう思わない時は
 「おめでとう」と言わない。

・あまった膨大の時間、18歳の少年のように「生きるとはどういうことなのかな~。
 まもなく死んでいくとはどういうことなのかな~」とか考えている。

・楽しいかといえば、全然楽しくはない。むしろすざましく不幸である。
 しかし、自分の人生のカタチと諦めている。

先日亡くなった同級生が正反対の世界で、必死に自分を演じていた。
彼の立場は、それが不可能の立場であった。
6年前に考えたのは、
「本当に好きな事は何か?」
「いやなことは何か?」であった。

・好きな事は秘境旅行、ウォーキング、事業、読書、居酒屋通い、映画、
 随想を書くことであった。それと世界をもっと広く深く知ることだ。
・今までの付合いの見直しである。
 「世間体に生きている度合いの高い人」は可能な限り寄せ付けない。
 勿論、それすら解らない人もだ。
・プレッシャーのかかるセミナーや会合には可能な限り出ない。
 それを割り切って一づつ確実に実行する。

そんなことをいったって、不可能だろうし、高慢でないか!と聞こえるかもしれない。
そのとおりかも知れないし、バカなたわごとと解っている。
でも、中島義道氏のようには徹する事は難しいが、
少なからず実行している事は事実である。

このホームページを開いてから、誰かとどこかで繋がっている実感が強くなった為に、
更にこの傾向が強くなってしまった。
中島氏のように多くの読者を持っていれば、その姿そのものを共感する見えない
仲間の存在があるから可能になるのだろう。
自分の人生のカタチは自分で創っていくものだ!

・・・・・・・・
2002年02月22日(金)
339,笑う人 

ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。
旅行の最中、ほとんど笑いっぱなしであった。
あるいは人を笑わせていた。
お笑いの芸人も2種類いるという。
普段の生活の中で「全く笑わない人と、笑いっぱなしの人」と。

その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。
「母親が何時も笑っている人で、その影響だ」という。
職業が「観光バスのドライバー」というから、
それに磨きがかかったのだろう。

ハワイに初めて行った時のバスのドライバーが
「ポパイにそっくりな顔」をしていた。
そして初めから最後まで運転しながら、ニコニコ鼻声で歌っていた。
こんな陽気な笑いは、かって見たことが無く、ハワイにピッタリであった。

あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。
土壌と、また特に母親の影響が大きいのだろう。
子供は何らかの形で両親の分身なのだ。

会社に毎年新人が何名か入ってくる。
研修を終えて恒例の歓迎会が毎年楽しみである。
若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。

知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。
ちょうどこんな感じである。  
 ー(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)(^・^)(^o^)丿

・・・・・・・・・・
お笑い  ー下ネタコーナー

[ 一発の銃弾 ]  ☆☆  

スミスは狩猟用の双眼鏡を買うため、ライフル持参で店に入りました。
「お客さん、この双眼鏡はいかがです。どんなに遠くでもはっきり見えます。
ほら、あの丘の上に僕の家があるんですが、ここからでもはっきり見えますよ」

「どれ」
双眼鏡を目に当ててのぞきこむと、スミスさんは突然ゲラゲラ笑い出しました。
「お客さん?どうしました?」
「あはははは。きみの家で、裸の男と女が走り回ってる」
「な、なんだって!」

店員はぶるぶる震える手で双眼鏡をのぞきこみ、やがて意を決したように
銃弾を2個取り出しました。

「…お客さん。そのライフルであいつらを撃ってください。
 1発は妻の頭、もう1発は男のナニをふっとばしてください。
 お礼はします」

「そう?じゃあもう一度双眼鏡を」
 スミスは双眼鏡をのぞき、やがて言いました。

「あのさ。今なら銃弾は1個だけでできそうだよ」