つれづれに

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   今日のYoutube

 さて、今日は祭日だが、何の祭日? 憲法記念日? 
いや建国記念日だ。 で、今日は図書館に行くくらいか。
 
 昨日、スポーツセンターでヨガ待ちの行列に並んでいると、
小中学校の女の同級生が、〇〇サンの連れ合いが亡くなったという。
10キロも痩せて・・ ガンだったらしい。その人、10年ほど前に、
夫婦して身も心もボロボロと、話しているのが聞こえていたが、
その延長のことか。 連れ合いも含めると、こういう話は日常になる。
連れ合いの死のストレスは、一番、きついというが。

 

・・・・・・・・・
2008年02月11日(月)
 2504, まっ、いいか!     (。・∀・)ノ゛おっは~
 最近、独りで「まっ、いいか!」と呟くことが多くなっている。
年齢の為だろうと思っていた。 そこで検索で「まっ、いいか」と入れたら、
「まっ、いいか」と言える子を育てよう協調性のある、柔軟な心の育て方    
                   諏訪耕一/著 という本が出てきた。
[要旨]
本書では、子どもに柔軟な心を育てるための心の成長段階に応じた接し方の
ポイントを、幼稚園・保育園や家庭での27の事例を通して具体的に紹介します。
子どもの理解に必要な、子どもの心の成長の段階や環境との関わりについても
くわしく説明します。
[目次]
第1章 子どもの「心」の成長と環境(心は育てられる?
;子育ての移り変わり―子どもの育ちをうながす環境;心の成長表
;心の成長に応じた「柔軟な心」を育てる接し方)
;第2章 子どもに「柔軟な心」を育てる具体的な接し方
(乳児期―誕生から十二~十八カ月ごろまで
;幼児期(前)―十二~十八カ月ごろから三~四歳(第一反抗期)ごろまで
;幼児期(後)―三~四歳ごろから六歳ごろまで
;児童期(前・後)―六歳ごろから十四~十五歳ごろまで)
これを読むと決して、マイナスの言葉ではなく、むしろプラスの言葉のようだ。
決して良い状況ではないが、何とかなるさ!という陽気さ、目の前の事態を、
そして運命を受け入るよう諦めと明るさを感じる。上記をみると柔軟な心と
いうことになるが、好い加減な言葉にも思える。好い加減な心」が良いのか
どうかわからないが・・・・
 ~字数制限のためカット 2015年2月11日~

・・・・・・
2140, 幸福はキラキラと輝く瞬間
2007年02月11日(日)
             才八∋ウ_〆(∀`●)
    
  「藤沢周平に学ぶ」月刊『望星』・編
                      -読書日記ー
 ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』ー

山田洋次監督の映画は「男はつらいよ」の48本すべてと、
その他の映画の最近のものは殆ど観ている。
彼が「男はつらいよ」についてのTV特集などで渥美清を語る座談で、多く聞いてきた。
しかし、どういうわけか彼が書いた文章は殆んど読んだことはなかった。

    ところが藤沢周平についての評論を24人集めた「藤沢周平に学ぶ」の
    冒頭の「藤沢作品を映画化して想うー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』」
    の評論があった。  
    彼は幾つか藤沢の映画を撮っているだけあって、心打つ内容である。
 
    人生で誰もがキラキラ輝いていたのである。
       そのとき! は。
    まずは、彼の文章の一節から・・
 
  **幸福とはキラキラと輝く瞬間を持つこと!**

「隠し剣、鬼の爪」で、主人公の侍が行儀見習いで女中奉公に来ていた
娘にプロポーズするシーンで、その瞬間、彼女はキラキラと輝くような、
生きていてよかったという幸福感で胸が一杯だったはずです。
僕は、幸福とはキラキラ輝く瞬間を持つことだと思う。
人生のうちには、そんなふうに何度かそういう瞬間がある。あるいはあってほしい。

心の芯から温かいものがフワ~と湧き出るような、そういう短い時間が誰もが持っている。
映画「たそがれ清兵衛」でいえば、父親が幼い子どもを「高い高い」しながら
抱き上げる瞬間、子どもの側からすれば、高々と持ち上げられて、
急に視界が高くなったときの嬉しさ、ああ、いま父親に高く抱き上げられているのだ、
という充足感。子どもはその後、大人になるにつれて、人と争ったり、
世渡りで苦労したりするが、あの瞬間の充足感は一生忘れない。
幸福ということは、つまりそういうことなのではないかと思います。
     (感想)
    ー私自身、キラキラと輝く時間は数数え切れないほど多かった。
     本当にこれで良いのか?と思うほど多かったといえるのが幸せである。
     求めたからだろう。ギラギラでなく、キラキラというのが幸せである。
     ギラギラは、心に欲とか不純なものが蓄積している状態で、後には不快が残る?
     やはり、幸せは両親の愛情をタップリ注がれた基盤が必要条件になる。
     二人の愛の結晶が子供である。 愛は二人で維持していかないと・・・


  **感動体験が「良識」をもたらす**

 いまの30歳代くらいまでの若い人の特徴は、子ども時代の体験があまりに
貧しいということではないでしょうか。
 団塊の世代までは、野原や川原で大勢の友達と遊ぶ楽しさを知っています。
汗だらけになって遊び呆けて、日暮れどき、仲間とアバヨと別れ、家路につきながら
「ああ、楽しかった」という、身体の中が熱くなるほどの満足感。
そこには兄貴分がいて、喧嘩もあって、仲直りもあって、子どもとはいえ、
小さな世界の秩序があった。
そうした中で、人は自然を学び、社会の分別を学んでいたのです。
 
 生きていくということはなかなかしんどいことですが、やっちゃいけないことは
やらないという態度は良識だし、やらなくてはならないことはやるというのも良識です。
その良識を持っているいるかいないかはということは、その人が、ああ俺は幸福だな、
という感覚を肌身にしみて体験しているかどうかと、深い関係があると思います。

人間というものは厄介な存在で、恋愛問題だけでなく、家庭、地域、職場、学校など、
集団にはトラブルはつきものです。
いったんこじれた人間関係は修復するのは、面倒なことだけれど、相手の立場に立ったり、
相手を変えよと努力したりする中で、自分自身も変わっていくのです。
もつれた糸をほぐすような悩みや工夫のなかで、人は成熟していくのです。
    (感想)
   ーこの視点で、人生を振り返ってみると、何が重要だったのか見えてくる。
    本当に目を光らせて自然の中で遊びほうけたものだ。
    私らの年代は、本当に遊びまわっていた。
    それが中学二年あたりから受験勉強を強いられる。
    それも、必要である。
    感動体験こそ人生を豊かにさせるものである。
    感動体験だけは人一倍してきたが・・・まだまだぜったり量が足りない。
   
      60歳代の人生のテーマは『もっともっと感動を!』か?

  **価値観の多様化がもたらしたもの**
  
いま私たちの国を支配している価値観は、藤沢さんの考えとまったく逆になっています。
しみじみとした幸福感などナンセンス、もっともっと大それた成功を目ざして競争します。
人生は勝ったり負けたりかだ。成功して大金持ちになったら若くしてプロ野球のおーなーに
なるんだ、なによりも金、サラ金のどこが悪いんだ、みたいな乱暴な気分が横行しています。
映画『たそがれ清兵衛』で、本家の偉い伯父さんに叱られる場面があります。
「なんだこの貧しい暮らしは、親戚の体裁を考えろ!」これに対して一歩も引かずに、
「たしかに私は貧乏だけど、私はこの貧乏な暮らしをそれほど惨めだと思っていません」
もしいまの人間がそんなことを宣言したら、よほど無気力ヤツかアフォに思われるのが
おちでしょうね。人生の価値とは何かを真剣に考えることが若者たちの間に無くなってしまった。
それに代わって高学歴とか高収入とか勝ち組・負け組などという安っぽい価値観が横行する
ようになってしまった。

30年ほど前でしょうか、『価値観の多様化』という言葉が流行りました。
その頃から、人間としての誇りとか道徳の感覚が薄れ始めたように思います。
価値観の多様化は聞こえはよいのですが、実は価値観など不要、
もう何でもありの世の中なんだ、というようになってしまったように思えます。
そうすると、よしあしのバロメーターは数値に頼るしかありません。
つまり金に換算できる価値、儲かるか儲からないかというわかりやすさの中で、
消費型の経済は急速に発展し、アメリカ追従の政治が容認され、日本は一つの方向に
ぐいぐいと動きはじめる。文化の領域でも辿ったし、映画の世界もそうでした。
犯罪が増加する不気味な社会になってきて、社会的未成熟という言葉がよく言われますが、
競争一辺倒の安っぽい価値観が支配するなか、バランスのとれた良識を持つ大人の数が
少なくなった、ということでしょうか。

    ー多様化してよい価値観と、絶対に変わってはならない価値観がある。
    そこの見極めのために教養というものがあるのだろう。
    特にグローバル化社会といわれる時代に、やはり基礎教養の絶対量が必要。
    それにしても、この多様化は現実問題である。
    自分の基点としてのアイディンティテーをしっかり把握していないと!
    とくに年齢を重ねると、決してプラスだけ出なく、マイナスの谷も深くなっている。
  
  山高ければ、谷深し!というが、それが年齢を重ねる事である。
  全く谷ばっかり深くなってしまう!
  酒さえ控えれば半分は解消するものを! 全く もう!!

                  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・
2006年02月11日(土)
1775, おひとりさまー2
        ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。_

アメリカはペア社会で、週末などの一人の食事は異様にみられ
「誰にも相手にされない女性」と受け取けとられるという。
「おひとりさま」は、最近出来た日本特有の言葉である。
    いい歳をした女性がホテルのバイキングランチなどで
    群れているのも異様である。
    一人での観劇や食事や旅行など慣れてしまえば行動範囲が増える。
    また思考(自己対話)の範囲が広まる。

「おひとりさま」という言葉は
岩下久美子著「おひとりさま」で流行した言葉である。
著者は、東南アジアの旅行中に不慮の事故でなくなってしまったが、
この言葉は、そのまま女性のあいだに生きている。

    女性は横の関係が強すぎて「個」の確立ができていないので、
    一人で新規の店に入る訓練が必要になる。
    イケメン男に女性を独占され、さらに『おひとりさま』が定着したら
    その他の男達は、ますます女性が遠い存在になってしまう。
一人でいようが、ペアであろうが、グループで群れていようが、
それは個人の自由である。
それぞれの性格もあるし事情もある。
    要は「和して同ぜず」で、
    自分を確立していることと、
    自己を見失わないことである。
    どういうわけか青年期の一人旅や、
一人で飲み歩いたことはリアルに記憶に残っている。

群衆の中の孤独を楽しみは、
都会の絶妙な味がする。
            ☆ミ(o*・ω・)ノ バイ!
・・・・・・・・
2005年02月11日(金)
1410, 新潟駅前飲食店事情

事務所近くに面白そうな全国チェーンの居酒屋が17日に開店をする。
「かっぽうぎ」という名前の店だ。
中高年狙いの2000円の価格ラインの店である。
表看板に大きく、多くのメニューと価格が書いてある。
私の好きな商法だ。

店相も明るくサッパリしていて、店として成功するだろう?
酒のつまみが150円・250円・280円・380円に絞られている。
家庭料理をカウンターに並べて、注文を受けると温めて出す店である。
何処にもあるが、飽きられて何時の間にか無くなるケースが多い。

不景気の為、飲み客が駅前・駅前と移動して新潟駅前も面白くなってきている。
昨秋に、事務所の至近距離に3Fの大型居酒屋ができた。
2F、3Fには10~20人の個室や、
ステージのあるスナック風カラオケルームがある。
それぞれの特性を盛り込んだ新奇な店を傍で見ている限り、
居酒屋戦争は面白い。

新潟のダウンタウンの古町などの飲食街が廃れ、新潟駅前に移動している。
一軒の店に2-3時間滞在して、3千円あたりで済ませたいのが
サラリーマンの本音になっている。その本音を狙ったスナック、キャバクラ、
居酒屋などが、2千~5千円の客単価を狙ってどんどん出店をしている。

もう一つの流れは、隠れ居酒屋である。
客同士が顔をなるべくあわせないで済むような席作りをしてある。
最近できたキャバクラ(安価なクラブ)も、3~4千円の店とか。
短時間アルバイトの若い娘を多くおいて時間制で、客を回転させる。
席が店内にビッシリ取ってあり、それがエキサイテングになっている。
お客は30~40代のお客で金・土曜日は溢れているという。
他に面白そうなところが無いから、そこに集中しているようだ。

去年の11月に、「路上でのピンク系店の呼び込みの禁止の法律」
が成立をしてから、立ちんぼの姿はホボ見えなくなった。
また21時を過ぎると連れ立ったサラリーマンの姿が消えてしまった。
時代は変わってしまった!
かくいう私も本当に飲む回数が減った。
家でカウチ族をしていたほうがよほど面白い。
昨夜は御前様であったが。

・・・・・・・・・
2004年02月11日(水)
1043, 随筆はプロが書くもの! -3

6-文章のヘソ
 
 一番大事なのは、書き出しである。
 そこで「つかみ」が重要になる。
 テーマで興味を持たせて、書き出し部分でひきこむようにする。
 テーマがピッチャーなら、ヘソの部分がキャッチャーになる。
 そして最後に捻りを入れる。
 書き出しと締めくくりの間に 3っのキーワードを置くとよい。
 書き手は同時に自分の文章に対する「冷酷な読者」である。
 
 一年・二年前の同月同日の文章を毎日貼り付けながら読み返して、
 文脈のいい加減さを自分で見て、再び添削をすることがある。
 文脈の甘さを見るのは気持ちのよいものではない。

7-文章の訓練
 
 私の場合は、この毎日の日記が文章の訓練になっている。
 また一年二年前の文章も、最近になって添削を始めた。
 一度書いた文章を何度も添削するのが私にとっての訓練である。
 重ねれば重ねるほど、短く良くなるから不思議である。
 本当は良い文章をどんどん盗作するのが一番良い訓練になるというが。
 そこまでは自分に要求していない。
 
8-文章の品格
 
 文章は品格がなくてはならない。
 そういわれると、どう書いたらよいか迷いが出る。
 ただ具体的な下ネタとか、不快になるような話題は避ける。
 「それは・・・、彼の趣味」「これは私のおもてなし」とか、こういうような
 体言止めはあまりしないほうが良い。まして一つの文章に二つ以上使うのは
 禁じ手である。
 流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた表現はやめておくこと。
 どうしても文章には、その人の人格がでてしまう。
 人格の悪い人は、ついつい悪口が出てしまう。
 評論家で片っ端から政治家や経営者の悪口をいう人がいる。
 当たっていればいるほど、その人の人格を疑ってしまう。
 批評は悪口になりがちである。
 ストレス解消になるが、あとで読んでやはり反省をする。
 
9-文章とユーモア
 
 品格に関係するが、ユーモアも大事な要素だ。
 ユーモアは、文章を楽しく読ませるための調味料のようなものである。
 しかし、これを下手に使うと品格を失う。
 ユーモアは自分が楽しんではならない。
 相手を楽しませるセンスが要求される。
 私の場合は、ブラックジョークになってしまう。

10-悪口は書くな
 
 過去の文章を読み返していて悪口を書いた内容は、いい気持ちがしない。
 それが国家や社会であったとしてもである。
 読み手の心の中は、誰も、決して嫌なことは読みたくない。
 良いこと楽しいことを読みたいのだ。
 書いていると、ついついそのことを忘れてしまう。
 目先書いていると楽しいが、やはり他人に曝すことになる。
 
ー以上目次に要点を書き足した。
 普段の何げないことを、面白おかしく、品格をもって、そして味付けをして
 毎日書くことはそう簡単のことではない。
 しかし、それでも書いていると止められなくなるのも事実である。
 
・・・・・・・・・
2003年02月11日(火)
678, 聞く耳持たぬ人

以前は「話しまくる人」というテーマで書いたが、似ているが少し違う。
喋り捲る人は、相手の反応をみてフィードバックしながら話す(違う人も多いが)。
しかし聞く耳持たぬ人は、相手の言おうとしている事に元々関心もない。
何を言っても耳の中に石が入っているとしか思えないほど、人の話が聞けない。

逆に相手の言わんとすることがストーンと入る人がいる。
耳から脳にストレート入ってしまう人だ。
ストーンと入る人が20?、全く入らない人が20?と大体大別できる。

全く入らない人をみわけるのは意外と難しい。
一見聞いている風なのだが。
相手の意見をただ薄ら笑いして聞いているふりをしているからだ。
会話にも対話にもならない。その人の声(いや音)位にしか思ってない。

「相手は何を言おうとしているのか、それに対して自分の考えは如何か。
それを吸収して・・・」など全く考えられない。
20?いったが、もっと多いかもしれない。
以前はそうでなかったが、年とともに聞く耳を持たなくなった人がいる。
(自分もだが)読んでいて自分ではないかと思ったら、そう貴方のことだ!

まあそれはいいとして、自分もその傾向が強いと思ったら
聞き手側になる事を意識して日常の生活の中で訓練する事だ。
もっともそれすら聞けないだろう。

心を閉ざしているのとも少し違うのだ。
性格だろうか。そう本を読まないのだ!
読まないから、何故読まなければならないのかが解らない。
読んでいても、その言わんとする中心からずれたところしか理解できない。

まあこの位にしておこう、20?の人も見ている可能性がある。
いや見ていない!
聞く耳を持ってないのだから。

・・・・・・・・・ 
2002年02月11日(月)
328,マ~コ 
 -堀井正子に捧げる

マ~コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の)
姉・正子の幼少年期に呼んでいたニックネームである。
彼女の話である。
ー供養も含めて書く。

声楽家になりたかった」が口癖であった。
「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。
プロのソプラノ歌手の「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが
人生の分かれ目になった。

兄がたてつづきに亡くなり家業の為(婿養子の)芳朗さんと結婚。
家族の間に立ち、気苦労をした一生だった。

長岡社会から一歩も出たことがなく、
その卑小性・特異性を全く自覚できないのが特性であった。
「城下町の特性」をそのまま価値観にして生きた。

性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている
可愛い人」でもあった。
常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に、
全神経を使っていた。
その面では母に似ていた。

「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。
独り芝居のパフォーマンスを会話だけでなく、人生で演じきった。
人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。
もって生まれた才能であろう。

後半ー40歳過ぎは事業で失敗。
それからは音楽の先生として、200人を越える弟子がいたとか。
好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。

おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を
演じているのだろう。
           安らかにお休みください!
                       さようなら。
・・・・・・・・・
2月11日  1969年
14日の最終コンパの件で河村、石川、田口君のところへ電話をいれる。
あと武澤先生に電話をする。
現在の自分は混乱をしている。 今を支えるのに精一杯である。
特に今年に入って色いろあったが、この数日その反動がきている。
あまりに激しい一日一日の刺激的な日が続いた。
振り返ってみると、この二年間は自分の人生とって大きな分岐点の年になった。
それまでの20年分を圧縮した二年間だった。