つれづれに

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   今日のYoutube

 今日は、節分。
数年に一度は、豆を買っていたが、このところはない。
今日のコラムに、「福は内、鬼も内」という言葉を紹介していた。
「内に鬼を持って、自堕落にならないように」 ということ。
「鬼は内、福は外」とすると、どう理屈付けになるか。
「鬼は内にとどめ、福を他に施す」というところか? 



http://blogs.yahoo.co.jp/horii862000/folder/1646468.html?m=lc&p=3
 ところで、ブラジルのリオデジャネイロで開催されるカーニバル。
「世界最大の祭」と言われ、毎年、この時節に、世界中にニュースで
配信されるほど注目されている。この時期はまさに
カーニバル一色となり、熱気と興奮に渦巻かれる。
①1チームの出演者だけでも、約3,000? 6,000人!
②カーニバル専用会場「サンボドロモ」は、収容人数7万人以上!
③「チャンピオンパレード」では、4日間のコンテストの
上位6チームをご見ることができる!

そのブラジルでカーニバルが続々中止 深刻な不況が予算を直撃、サンバ
ブラジル各地の町や市で、何よりも大事な年中行事であるカーニバルの
パレード の中止を強いられるところが相次いでいるという。
ただし、「チャンピオンパレード」の4日間のコンテストの上位6チームは
見ることができるようだ。 これを見たのが、1995年の2月だから、
21年も前になる。
                           
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2861, 不況景色  -9
2009年02月03日(火)
 果たして「世界恐慌の一丁目一番地」に入ったのだろうか?
1929年より数段大きな恐慌とはいっているが・・ で、どうか?といえば、
既に「世界恐慌の一丁目一番地」に入ってしまっている。それは想像を絶する
規模であり、10年近い期間は続くことになる。それも歴史上最大の規模であり、
人類のありようも変える転換期である。世界GDPの八割を占める20Gの国が
世界非常事態宣言をして、銀行閉鎖、全ての資産を差し押さえなど、国家管理を
する位の可能性もある。新たな新札に切り替えて裏づけは金と原油と幾つかの
穀物などにして、それに応じて国家が為替を決める方法などが考えられる。 
しかし現実に可能かというと疑問だが、非常事態には非常手段もあり?。
この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的
倒産が起こる。失業率は十数パーセント、失業者が数百万~一千万人という
数字が踊る日々になると覚悟をしていた方がよい。他人事ではない、全ての人が、
ホボ全員が何らかの形で影響する異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月
の日本のGDPが昨年対比が11・4パーセント減とあったが、これは世界恐慌
に入ったというサインである。日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい現状を
レポートしていた。人間にとって自分の仕事があることが基本。それが無くなり、
収入とストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。一度、ルートから離れると、
二度と元には戻れないのが現実。先週の月曜日に録画をしたNHKスペシャルの
派遣の現状のレポートを昨日見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に
狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の土・日のNHKの夜のゴールデン
タイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 
毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? 
それなら・・  アメリカの金融崩壊と、日本の勝ち組と称してきた
連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて全てを
失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! 
(字数制限のためカット2012年2月3日)

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3236, マックファン
 2010年02月03日(水)
 二年前にパソコンを、その半年後に携帯電話を、思い切ってMacにかえた。
どうも以前から携帯電話を使うのが苦手でiPhoneも同じ。しかしパソコン
は非常に気に入っている。しかしTwitterに、iPhoneが端末として
最適というから、これを機会に慣れるようにする。とにかく、電話以外に使うに
小さいのが欠点。 ところが、これの4倍の大きさのタブレット式のパソコンが
Macより発表された。 これは、Twitter同様に、大きな社会的変化を
もたらす可能性がある。
 * iPadについて 
マックが発表したタブレットの端末機のiPadは、iPhone,iPod,
のようにブレイクをするだろうか? 私の結論は、ブレイクするである。 
オプションにキーボードがあり、二台目の小型パソコン代わりに使われるか、
これまでパソコンに挫折した中高年に受け容れられる可能性がある。
画面が4倍になればゲームも使い勝手がよいし、ビデオも、アルバムも、書籍
も、新聞も、これを通してみることになる。ノートにもコピーも可能にもなる。
で、モバイルパソコンと何処が違うか? ノートや書籍と同じように一面という
ところ。さらにタッチパネルで、モバイル携帯電話の数倍の画面のところである。 
仰向けでタッチ方式で見れるのが良い。更にiPhoeを使っていたソフトが
横滑りに使えることが大きい。iPhone,iPodと同列に位置づけられる
はず。 考えてみたら、これはツイッターにもブログにも使える。 
リビングにも寝室用にもなる。更に外出先でも使える。これにはオプションの
キーボードあり、それを付けると普通のパソコンになる。iPhoneが、
いま一つ使いづらいのは、携帯電話の縛りがあり小さいからである。それから
開放されるのが、一番である。まずはゲームや、読書に、映画鑑賞などの映像を
見ることから始る。何処でも気楽に持っていけるのが大きな要素になる。
ツイッターやブログの写真や録画を、場所を選ばす大きな画面で見れるのも魅力。 
等々、考えると1~2年後には、大ブレークする。 
その前に、iPhoneがブレイク始めたようだが。

・・・・・・
2496,  無くてはならぬもの -4
2008年02月03日(日)
                YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
 佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
  ?孤独に対峙する自己 -自分と他者との支柱ー
 --
P-114
 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、
人間は人間でなくなるのである。人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、
交わりのなかで生きることこそが、じつは、人間の条件なのである。
人間形成とは、この私が、自己の内に自我を追求することではなくて、真実が形成される
ことである。それが人間の形がなるという意味である。
P-119
 現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。
たとえば、読書という身近なことがらについて考えてみよう。
深夜、自分の部屋で、その静けさのなかで、独りしんみりと古典を読みながら、
人生を思索するような生活の喜びを本当に見出しているだろうか。
むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられないといった
苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり、音楽喫茶で歌って
解放感にひたる、そういう孤独からの脱出が、大きな誘惑になる。
孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛することができるような、人生を生きてほしい。
P-126
 私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。
人は孤独な存在であることを知るゆえに、孤独を大切にしなければならない。
が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、人と人との力強い連帯を創造するという
ようなことが果たして可能かどうかである。・・・・
ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、
自分がいっぱいのお茶をすすめられたらいい、というような、そういう個の尊厳が、
私たちの実存の深みにひそんでいるのである。自分は自分であって、絶対に代用品は
使えないのだという、個の尊厳を一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、
生き生きとした連帯をつくり出していかなければならないのだとしたら、
それは極めて困難な課題の前に立たされることになるのである。
 ・・・・~~ 孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、
しかもそこにも生の孤立化が厳しく横たわっているとしたら、そして、そのような群集の
ざわめきに耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、
それは徹底的な人間嫌いの底に沈んでいくしかあるまい。
それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んでいくかも
しれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を
失ってしまうであろう。人生の危機に立つということは、そのような状況のことである。

P-137
 イスラエルに旅行したとき、いたるところで、多くの人から
「どうして日本の青少年は、そんなに自殺するのですか」と質問を受けた。
もし、あなたが「それは日本が悪いからです」と答えたら、
「社会が悪いから自殺するほど、日本の若者は弱虫か」と不思議におもうだろう。
自殺する多くの人々が、遺書や手記を残しているが、ほとんどの手記には、
「俺は社会が悪いから死ぬ」とは書いてないのである。
‘おれはひとりぼっち’‘私はひとりぼっち’と、他者から孤立してしまった
寂しさを表白している。このことを私は「生の弧絶化」というふうに呼びたいと思う。
要するに誰もが、ひとりぼっちでしか生きてないのである。

 ーーーーーーー
以上だが、この言葉の一言一言が当時の自分にストレートに響いたことを、
記憶の底から木霊のように甦ってきている。孤独の、いや孤立の自分に徹してこそ、
本の中の見知らない魂の言葉は伝わらってくるのである。
この時にこそ初めて魂と魂が出会えるのである。
そして出会ったとき、孤独は孤独でなくなるのである。

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2007年02月03日(土)
2132, ああ~勝ち組か~
               才八∋ウ_〆(∀`●)

「勝ち組」「負け組」という言葉を聞かない日が無いほど語られている。

・男なら、東大か慶応を出て、高級役人か外資に入り、コンピューターを片手に、
30歳そこそこで1千万近くの年収を得て、白百合か、日本女子大出の
金持ちのお嬢様を嫁にもらい、六本木辺りのマンション住まい。
・女の方は、お嬢様大學を出身で、勝ち組の男を紹介してもらうか、
合コンでキャッチ、そして結婚。できたら専業主婦として幸せを一生保障された
人生を歩むのを「勝ち組」とかいうのだろう。

    『白馬の騎士』と『お姫様』との物語の通り生きること、
    これが勝ち組の人生と誰も信じて疑わない。
    その化かし合いの結果の破綻が、先日のセレブ?バラバラ殺人事件だった。
    それに似たのが何処にでもありそうなカップルだが・・・

最近の離婚率は30?を越えようとする勢いらしい。
家庭内の破綻を入れると50?というから、恐ろしい。
子供の半分が不幸を背負い込むことになるから問題は深くなる。なぜ破綻するか?
不幸の結婚のカタチは半分以上だから、事例は山ほど周辺に転がっている。

    勝ち組とは、何を持って勝ち組というのだろう!
    少し考えれば解ることだが、金と出世と名声だろう。
    そんなものは、その時の一時的な泡みたいなものでしかない。
    知能程度のあまり??の過去の相撲取りの勝ち組の
   『貴乃花』と『若乃花』を例にとると分るだろう。

結局、幸せとは何か、勝ち組といってもホンの一時の現象。
横綱? それがどうした!」でしかないだろう。
あの位だと、過去の愛人とか、隠し子など何が出てくるか、わかりはしない。
これからみても、やはり勝ち組、負け組といっても、
所詮は目先の現象をいっているに過ぎないし、そんなものは当てにならない。
結局はその時点の仇花を、あたかも「絶対的な価値」と錯覚しているの過ぎない。

   「そういうお前の人生こそ、その仇花を求めてきた生き方じゃないかい!」
   「そう考えた方が、都合のよい歳になっているじゃないかい!」
    という心の奥の声が聞こえてくるが・・・
    情報化は、結果的に総負け組に追いやられるから恐ろしい!如何でもよいけど。
    でも、いいとこ出の可愛いカミサンの方がいいか!やっぱり。

                  ☆ミ(o*・ω・)ノ~ バイ!!
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2006年02月03日(金)
1767, 依存症について
          おはよう (*´・ω・)ノはよー                  
依存症は英語でいうとアディクション
「嗜壁(しへき)」や「依存症」と訳されることが多い。
依存症は、
ある習慣への脅迫的な執着と言い替えることができる。

人間は、生きていくうえで、さまざまな習慣づけで生活している。
習慣の重なりが、その人を構成している。
したがって、如何に良い習慣を多く身につけるかが
人生の課題といってよいだろう。
・良い習慣とは、結果として生活をよくするものであり、
・悪い習慣とは、存在や生命を危険にするものである。

      何らかの目的のために、ある習慣を好んで取り入れていくうちに、
      陶酔・快感を覚え、本来の目的を忘れ習慣自体が目的となってしまう。
      そんな状態を、「アディクション」という。 具体的に言えば、
      精神的なストレスの解消法として、摂取(行動)していたものが、
      過剰になり自分で抑制がきかなくなった状態といえる。
      (接待ゴルフをしているうちに、ゴルフそのものに過剰に熱中して
      本業を忘れてしまい倒産してしまったケースや、
      接待をするうちにアル中になってしまうケースなど事例は幾らでもある。)
                    コーヒー (@゜▽゜)_且~~どうぞ w                
依存症を調べていくうちに、多くの種類の依存症があることを知った。
酒、煙草、ドラッグ、買い物、セックスなど様々ある
最近では、携帯電話依存症、ネット依存症、Tvゲーム依存症、
共依存症(人間関係の依存症)など数限りなくある。
 ●´<_`●我等友情永久不滅成●´_ゝ`●トモダ━(≧∀≦)乂(≧∀≦)━チッ☆

      ライフワークや趣味も、執着という面からみれば依存症に似ているが、
      自己抑制が効かないということではないから、別ものだ。      
      病院の精神科に依存症は立派な病気として存在しているという。
      
HPで調べると、多くの依存症に対する治療の紹介がある。
その中で、病院でおこなわれているグループセラピーがあった。
色いろな負のエネルギーを背負った人たちが自分のトラウマ?を吐き出し、
また他人のトラウマを聞いて自分の心の負を客観視して、自らを良い方向に導く手法である。

      人間は、何らかのカタチの依存症を背負っているが、
      軽症で自分で気がついてないだけ?である。      
      私など、このHPの依存症みないなものだ!
      抑制が効かないというほどでもないから、違うか?                
            ☆:.・*.See.:you.:♪・*.:(´Д`*)ノ~~☆
・・・・・・・
2005年02月03日(木)
1402, きっと、よくなる! ー読まない読書日記ー

読売新聞の広告欄に「きっと、よくなる!」
ー人生はよくなるようにできているーという広告が目に入った。

発売2週間で、20万部突破!、全国の書店でトップテン入り!
紀伊国屋文教堂、蔦やチェーンで売り上げ一位!
とあれば買いたくなるが、何か子供向けのようである。

でも見出しの文章の語りかけがよい!
・5分以内に願い事のリストをつくれますか?
・10年後の自分からアドバイスをもらう
・いちばん恐れていることからやってみる
・「友人の総入れ替え」は次のステップ
・まわりからの逆風は、飛び立つための向かい風
と、なかなか面白そうだ!

そこでインターネットの検索で幾つかコピーして、
切り抜いて、貼り合わせてみたが、これで十分である。
ーーー
ー準備とチャンスについて

準備ができていないときに、
チャンスはやってきます
準備が万全に整ったときには、
もうそれは、
チャンスではなくなってしまっています。

チャンスは気づかないから、チャンスなのかもしれません
もし、みんなが気づいてしまったら、それこそ大変なことになってしまいます。

しかし、チャンスに気づこうとすることはできるはず。
チャンスは行動を起こした人のみが手に入れられるものではないか

「あれこれ準備していくうちに、過ぎていくのが人生」
楽しみを先に延ばすほど、つまらない人生はありません。
幸せな人生を生きるには、準備に気をとられないことです。 
      
チャンスを幸運に変える3つの関門を
1.チャンスの存在に気づくかどうか
2.チャンスをつかめるか
3.つかんだチャンスを生かせるかどうか
 ---

「人生を信頼する」というのが、この本のテーマ。
人生を信頼するということは大切である。

生きている以上、不安はあるし、勇気を必要とする時がある。
その時、自分の人生は「きっと、よくなる!」のだと思えば
幸せな生き方ができるというメッセージが多くに詰まっている。
成功する人は災難をプラスの踏み石として、違う生き方に変える事が出来る人である。
 
---
などなどである。私の勘では、重要な8割は以上の文章に要約されている?
人生論の初心者向きの内容である。

・・・・・・・・・
2004年02月03日(火)
1035, 随筆はプロが書くもの!-1

図書館から借りてきた「文章術の千本ノック」(林望著)を読んでいたら、
「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」と冷酷に書いてあった。

「これが天下の真実というもので、功なり名を遂げたプロの作家が、
趣味で書くものです。あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの生活の中で
心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと書き付けたというものが随想であって、
これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、その人の観察力が鋭いとか、
描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が物を言う世界なんです、随筆は。
だから、『私は随筆を書きたい』と最初から思っちゃいけません。
随筆を一つの余録として出てくるもの。何か会社経営なら会社経営でもいいし、
小説でもいい、何でも一つの仕事をずっとやって、その生活の中で随想と
いうものが出来上がってくるのであって、どうやったらうまく書けるというものではない。
これは趣味であって、文章力のない人が書くと、単なる雑文となってしまいます。」

ー以上の内容からすると、私のような中途半端な人間が随想を書くのは
身分不相応ということになる。

さらに「皆さんの文章は、ほとんど無駄ばかりですね。書かずともいいことばかり。
よい文章からみれば、それらは不純物のようなもので、普通のアマチュアの文章は、
これが当たり前です。山本夏彦さんは、切って切って、どんどん切りまくって、意味が
通じなくなる寸前のところでやめると言っておられました。要は金と文章はケチほどよい」

ここまで読むと、「いま書いている文章は自分でナンジャイ」と嫌悪感に
襲われてしまう。みる人からみたらとっくの昔に気づいて、冷笑してみて
いるのだろうと思うと恐ろしくなってきた。(少し誇張だが)

これにへこたれずに書くつもりであるが、少なくとも駄文・雑文を
書いているということを忘れないでいようと思う。
この程度しか書けないが、書き直しだけは何回かするしかない。

3年近く書いてきて、自信を持ち始めた矢先に、この文章は丁度よい
タイミングであった。 いや、そういうことにしておこう!
ところで、随想と随筆の違いは、「想い」とそれを「書き下ろした」に違いだろうか?
それとも、このようなことを書くことを不純物が混ざるというのだろうか?

・・・・・・・
2003年02月03日(月)
670, 「三分で右脳が目覚めた」

 これは新聞広告の本の題名である。
最近本屋や図書館でよく目にする著者である。
若い人や女性向の文章を書くが、内容はなかなか鋭いものが多い。
副題が
ー日常生活で簡単「右脳トレーニング」ー 自分の中に眠る不思議な力
 この見出しだけで恐らく80?を言い尽くしている。
ーそれを抜粋してみると・・下行は私の主観だ
・読書は、右脳を目覚めさせる
 -一見左脳だが、イメージと連想を刺激する

・右脳を働かせれば、面倒なことに巻き込まれない
 -動物的感が面倒な事を察知する
・右脳人は、やりたいことに2番がない
 左脳の人は、一番2番で行ったり来たりする
 -絞込みがしっかりできる
・右脳人は、企画書を一行で書ける
 -一番の要点を把握してある
・「褒める」は右脳、「けなす」は左脳
 -褒めるはトータルの中の光が見える。
  けなす事は批判ー批評にとらわれる
・ドタキャンの時、右脳の人は映画館に行き、
  左脳の人は「なぜ、急に?」を考える
 -瞬間判断ができるかどうか、なぜ急にはあとで考えればよい
・左脳の人は、絵を輪郭から描く 右脳の人は、中心から描く
・写真は、ファイルに入れずに、レイアウトをして貼ろう
 ー主観を大事にして、レイアウトで自分の世界を創りあげる
・右脳の人はブランドをバラバラにくみ合わせて着る。
 -自分のコーデネート創りあげる
・左脳の人は実行より調査がすき
・味は、その前の行動で決まる「・・・・のあとのビールがおいしい」
 -行列をして食べたラーメンは美味い
・「寂しい」と感じるのは、落ちこんでない証拠だ
 -???
・125歳まで生きると決めると、今が変わる
 -せめて80歳を生きることを決めようか

  ーーーーー
以上だが、「褒める」が右脳の人というのが納得できる。
これも訓練と営業センスが必要だ。それより光と影の光を見て、
指摘する事がよい。どうしても影に眼がいくものだが、
観光をすればよい?

・・・・・・・
2002年02月03日(日)
320、ほぼ詐欺

この世の中には詐欺に近い商売がある。
40数年まえダイヤモンドを当時の80万で母が買った。
今でいうと1千万円に近い値段である。確か「必ず物価と共に上がる」
といっていた。母が亡くなった時、遺産総額の把握の為に鑑定にかけた。
なんと120万だという、500万くらいだろうと思っていたため、
その安い値段に耳を疑った。

ほぼ詐欺に近い商売をしていたことになる。
せいぜい20万ぐらいのダイヤを、4倍にして売っていたことになる?
口先だけの騙しの世界といっていい?

ドラマで同じような内容をやっていた。
「買うまでの楽しみを売っている」のだから詐欺でないとか。
貴金属の世界はそういう世界である?

長岡の唯一のデパートがほんの数年前まで、これに近い商売をやっていた。
年寄りを集め食事を出し、虚栄心をくすぐるやり方で「屑のような商品」
を売りつけていた。それも半ボケ老人を集め、詐欺そのもの!
三越が20年近く前、大問題になった詐欺商法をやって表面化した。

三越のブランドを詐欺?で悪用したのだ。
補聴器の世界がそうだ。あれは年寄りをだます詐欺だ。
でも誰も親身になって見てくれないから、仕方がないのか?
そう言う視点で言うと全てに言えるかもしれない

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2月3日 月曜日 1969年

12時過ぎ起床。 14時に学校に向け出発。
学食で食事をしていると,深井がくる。
昨夜、彼のことを考えたばかりなのに、すぐに会うとは。

試験(価格理論)はまあまあの内容であったが、もっとできたはずだが。
帰りは川崎と兼古と本屋によって帰ってくる。食事をとって、
22時から試験勉強だ。かなり難しい内容だ。一番の難敵である。

さて、今日TVで京大生の書いている手紙の内容が印象的であった。
その表現能力には,驚いてしまった。ところで、このことから色々
考えてしまった。

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今月の予定は、試験終了後、2日東京にいて、長岡に帰る。
その後、2日後に旅行に出かけようと思うが、気持に余裕ができるだろうか。
一週間の予定だが。
プラトンと(対話編)と福沢諭吉の(福翁自伝)を持参しようか。
そして、そのまま直接東京に帰ろうか。どうなるか、あとは心の向くままだ。
あと一度長岡に帰り、背広を持ってくる予定だ。 しかし、どうしようか・・・?