つれづれに

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   今日のYoutube

 庭の積雪は30センチ足らず。 今も降り続いている。
来週一ぱいは降り続ける予報だが、少しは積もらないと!
 
 認知科学では、「人は見たいものしか見えない」という言葉があるが、
これは、二千数百年前に、カエサルが言っていた言葉。 
 それを知ってか知らずか、この性向が、<世間>の、噂話として、
イビツな形で、この≪見たいものしか見えない≫が、勝手に変形し、
流布し、炎上し、一瞬の間に、面白おかしくし格好の酒のツマにされる。
 これが、城下町哀歌、冬景色そのもの。  娑婆娑婆! 

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3226, フリー -3
2010年01月24日(日)
  ー以下は、印象的な部分をランダムに抜粋してみたー
* 世界中のビジネスがアトム経済からビット経済圏へ大きく変化している
  潮流を説いている。「ウェブの世界には、貨幣経済以外に、評判経済と
  注目(リンク)経済がある」と、核心をついている。 
* googleは、多くの人から評価・注目されているページを検索結果の上位に表示
  している。知りたいのは、評判経済・注目経済があることを、google
  見抜いて、その検索を無料で提供することでアクセスを独占し、そこに広告を
  出すことで収益を上げた。
*「市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存ビジネスが収益源としている
  商品をタダにすること。すると、その市場の顧客はいっせいに押しかけてくる」 
  無料で使ってくれる顧客をたくさん獲得すれば、その中の顧客が有料の商品を
  買ってくれる可能性が高くなる。 無料には顧客を爆発的に増やすパワーがある。
  したがって全ての情報はフリーになりたがる。 今の情報化社会が次の世代に
  変わろうとしている。「人々が欲するものをタダであげて、彼らがどうしても
  必要とするときにだけ有料で売るビジネスモデルをつくる」
*<新たなる価値インターネットの出現によって、製造コスト、仕入コスト、
  オペレーションコストが 劇的に下がり、これによって収益モデルがかわった
  ことを例をあげて紹介している。 中国をはじめとした不正コピーの問題に対し
  防ごうとするのではなく 逆にどういかすか、も示唆してくれている。 >
~以上だが、ビットは、コピーが可能であり、圧縮などによりコストが劇的に
下がり続ける。それが、アトム経済の価格も影響をし始めてきた。これは経済
だけでなく思想的領域まで影響している。そこまで掘り下げて考えないと、
このフリーの潮流を理解できない。それだけこの情報革命は世界の有りかたを
変えようとしている。
ーここで紹介されているビジネスモデルとして、以下の4つを上げているー
(1) 直接的内部相互補助 ・・・ 消費者の気を「無料」で引き、
その他のものを販売する。
    ex)一枚スーツを買えば2枚目はタダ。オンラインゲーム
(ゲームは「無料」だが、アイテムは「有料」)
(2) 三者間取引 ・・・ コンテンツを「無料」で提供し消費者を集め、
その後広告を乗せるなど第三者から収益を生む。
    ex)google、Mixi、TV等
(3)フリーミアム ・・「無料」版サービスと機能追加した「有料」
プレミアム版サービスを販売する。
     ex) MixiとMixiプレミアム
(4)非貨幣市場 ・・対価を期待しない市場 ここは対価として評判と人気
       ex ) Wikipedia 等
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2851, チベット旅行記 -2
2009年01月24日(土)
 100年前に、死を覚悟に、よくぞ・・ 江戸時代に外国人が日本に潜入した
 ようなもの、それもヒマラヤを越えて。仏を心の底から信じなければ乗り
 越えることが不可能なことが次々と続く。信じるとは何かを、この旅行記
 通して少しは理解できたようだ。 
* 断事観三昧
 テントが二つ三つみえる。そこに行くと怪しい者と思われる。
他を見ると間道がありそうなところが、ちょいと見える。とにかくどうにか
極まりをつけなければならんと思って、そこに座り込んだ。私は理論上で
決められぬことがあると断事観三昧に入って事を決めるのである。そもそも
断事観三昧とは、およそ道理で決めれる事は道理によるけれども、理論上
決められない将来のことなどは仏陀に従って座禅により無我の観に入り、
そこで発見された観念に傾くのをもって、その取るべき方法を決定する事。
深い意識の中に入っていき自分も何もないところで問うてみるとは、次元の
違う世界へのつながりを求めてどうあるべきか、どうするべきか判断する
ということである。 この方法を仮に断事観三昧と名づけた。
 解)窮地に追い込まれて独りで決断しなければならない時に座禅の無我の観
に入り、自分を超越した深い意識の中で判断をする、すなわち仏の心境で判断
すれば、仮に上手くいかないとしても、次の知恵が湧き出てくる。
人間は最後は自分の心奥の無(正中心一点無)で、判断しなければならない。 
そのためには、孤独の世界を、孤独の時間と場所を確保しなければ。
*積雪中の座禅
 羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。
相当の荷物を背負っている上に今日昼までは草を喰っておりましたけれども、
その後は高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことが
できないといって進まずにはいられないから、可哀そうではございますけれど、
押し強く後から叩きつけてみたりいろいろなことをしたが、羊は動かない。
ようやくのことで首にかけてある綱を引っ張って二間ばかり進むと、また
立ち往生する。芯まで冷え込んだ身体や衣服、荷物を十分に乾かすことも
できない中、なんと今度は大雪が降ってきた。岩も隠れ場所も見つからず、
とうとう荷物を背負わせていた二頭の羊が雪中に座り込んでしまって一歩も
動かなくなった。「こりゃどうしても羊と一緒に死なねばならんのか。
何とか方法がないものか。この前聞いたところでは14~5日も人に会うまい。
どこで羊の荷を下ろし、夜着を出してかぶり、さらに頭の上にカッパをかぶって、
羊の寝転んで居る間にはいって「積雪中の座禅」ときめこんだ。羊もその方が
良いと見えてジッと私に寄り添っている。その羊も余程私に慣れているものです
から、まるで私の子のような具合に二つが左右に寄り添うて寝て居った。
「だんだんと寒さを感じて非常に感覚が鈍くなって、こりゃどうも危ない。
しかし今更気を揉んだところで仕方がないからこのまま死ぬより外はあるまい」
と覚悟を決めたのであった。雪中の中を夢うつつにいると、突然に自分のそばで
動く者がある。ふと目をさますと、二匹の羊が身震いをしている。それから
身体を動かそうとするが思うように動かない。よこで雪を解かして麦焦しの
粉をバターを入れて1杯ばかり食べた。・・
(字数制限のためカット 2015年01月24日)